今日はニラ記念日です。
JA全農おかやまが岡山県の特産の黄ニラのPRのために制定しました。
「に(2)っこりいい(1)ニ(2)ラ」の語呂合せと、この時期が鍋物などへの
需要期であることから決められたそうです。
カロリーは100gあたり18kcalとダイエット向き。青ニラを収穫した後に目隠しを
して暗い場所で成長させ、柔らかくて白く育てたもの。ニラの臭みがなく、
甘みがあるので生でも食べられるのが特徴。別名、にらもやしとも言われ
ています。
明治時代から栽培が始まったとされる黄にらは、秋~冬が旬であり、通年
出回っている野菜でもあります。保存する場合は、乾燥を避けるようにして
冷蔵庫に入れます。
黄ニラを使ったレシピには、黄ニラばら寿司や卵とじ、おひたし、味噌汁など
があり、黄ニラしょうゆや黄ニラ味噌などの名物も通販などを始め販売されて
いますが、何故か私的には中華のイメージがあって、我が家にはあまり登場
しません。歯ごたえと見栄えの良さが印象的な食べ物ですし、もっと出回っても
良い食材だと思うのですが、何故なんでしょうねぇ・・・
今日は、海の安全記念日です。全国水産高校長協会が2003年に制定しました。
2001年、愛媛県立宇和島水産高校の実習船が、ハワイ沖で米国の原子力潜水艦に
衝突されて沈没し、教官や生徒らが亡くなられた事故を忘れず、教訓とするための
記念日です。
船の名前は『えひめ丸』。大きさとしては約4000トン程の今より一回り小さい位の
大型実習船でした。事故当時この船には宇和島水産高校の船員、指導教官、
生徒合わせて35名が乗船していました。ハワイ沖で水揚げを終え、帰国する
最中だったそうです。その時、えひめ丸の丁度真下にデモンストレーションの為
潜水していたアメリカの原子力潜水艦『グリーンビル』がそのまま浮上し、
えひめ丸の船尾付近に激突しました。船は約5分程で沈没。生徒4名、船員3名、
指導教官2名が命を落としました。
グリーンビルは、浮上以前からソナーでえひめ丸の存在に気付いてはいましたが、
民間人16名を乗せており、クルー等はこの民間人の対応に追われて、ソナー
による確認作業が疎かになっていたそうです。なんとも…
それ以前に国内でも、1988年7月23日、海上自衛隊の潜水艦「なだしお」が
遊漁船「第一富士丸」と横須賀沖で衝突する事故が発生し、遊漁船の乗客
39名・乗員9名のうち30名が亡くなる事故がありましたよね。
戦争のない平和な国であっても、その戦争の為の道具で亡くなってしまうのは
本当に残念で、あってはならない事だと思います。えひめ丸の事故については、
元首相の森さんが悲報を聞いたあとも、ゴルフを続けて後に退任になったり、
当時のグリーンビルの艦長が、事故の責任について軍法会議で審議されることなく、
減俸処分を受けただけで、後に軍を名誉除隊するなど、周りの対応にもがっかり
させられる事がたくさんありました。
命の重さを、もっとしっかり受け止めて欲しいものです。
今日は河豚の日。魚のふぐの本場、下関では河豚(ふぐ)を「ふく」と発音し、
「福」と同じ発音であることから縁起の良い魚とされています。分かりやすく
「ふ(2)く(9)の語呂合わせから、下関ふく連盟が1980年に制定しています。
敵を威嚇するために体を膨らませる姿がよく知られており、この姿から
英語では "Pufferfish" と言い、「ふくらむ魚」という意味だそうです。胃の
腹面の膨張嚢に空気や水を吸い込んで体の体積を2倍以上にすることが
できるのも良く知られていることですよね。
食用可能な部位はフグの種類や漁獲場所によって異なるため、素人による
フグの取扱いや調理は危険で、特別な免許も出ているほど。実際、日本に
おける食中毒による死亡事故の原因のほとんどがキノコとフグの素人料理
だそうです。ちなみに私の母親も素人ながら河豚の料理をします(^ ^;)
漢字で「河豚」と書きますが、「河」と書くのは中国で食用とされるメフグが
河川など淡水域に生息する種類だからで、このメフグが豚のような鳴き声を
発することから「豚」の文字が使われているそうです。豚の様な鳴き声
聞いてみたいですね。
河豚ちょうちんなど、よく見かけます。 本人?は必死なのでしょうが、
膨らんだ姿は愛嬌があって可愛いらしく、お土産としても売られていますよね。
ふぐさしに、温かいふぐちり・・・食べたいですねぇ・・・
かつて、12月8日と2月8日は事八日と呼ばれていました。
12月8日を事納め、2月8日を事始めとよび、事納めには農耕を終え
事始めには始めるとされていたのです。
この両日はつつしみをもって過ごす日とされ、この日は針仕事を
休むべきと考えられていました。そして使えなくなった針を神社に納める、
あるいは豆腐や蒟蒻のように柔らかいものに刺したりすることで供養し、
裁縫の上達を祈ったそうです。
現在では家庭で針仕事を行うことが少なくなり、家事作業における感謝や
祈願の意で行われることは少なくなったようですが、服飾に関わる分野
においては未だ根付いており、和裁や洋裁の教育機関や企業では現在も
行われているとのこと。
物を大切に扱えない昨今なので、こうした物への供養の気持ち、改めて
感じ入るものが在りますね。もっと自分が使っているものぐらい、感謝して
使っていきたいものです・・・
昨日の事ですが、朝、寝ぼけていたのか、携帯を置いたまま出勤してしまいました。
仕事を終えて帰宅するまで、自宅に在るものと思い込んでいたのですが…。
『いやぁ、携帯を忘れてしまって大変だったよぉ』と帰宅すると、
『どこに置いたの?』と家内が…
『えっ?家にないの?・・・』 そこからは出勤途中に落としたんじゃないかと大騒ぎ
大切な情報が山ほど入っていて、ある意味、お財布よりも貴重なものかもと・・・
( 財布は、大してお金入ってないし・・・(T T;) )
まずはソフトバンクに電話してみると位置情報から700メートルの範囲内と教えられて
懐中電灯を持って通勤経路を探しに・・・
しばらくすると、大学生の娘が走ってきて、こんなアプリの存在を教えてくれたのです…
Find iPhoneというアプリで、起動させてApple IDとパスワードを入れると、
地図上でポイントを教えてくれるんですよね。それで調べると何と家のすぐ近くに
あるという事が地図上で確認できたものだから、これで見つかると大喜び。
それで懐中電灯を持ってポイント周辺に向かったのですが、ポイントに近づいても
見つけられずにいたので、御近所の人が家に持ち込んだかと、またしても・・・。
って言うか、ポイント表示も、やはり誤差が在って、ピッタリの位置は示せないん
ですよね。すると・・・
また娘がやってきて、『音を鳴らしてみよう!!』と、新たなる追加機能を教えてくれて、
さっきのアプリに、いくつか機能があって、失くした携帯から音を出させる事も
出来るんですよね。マナーモードにしているから無理かと思ったけれど・・・
いざ、鳴らしてみると、間もなく家から出てきた家内が、『父さん、家に…』と…。
なんと、帰宅してみると、押入れから畳まれた布団が放出され、布団の中から
出てきた私の携帯。
思えば、目覚ましとて使っているもので、そのまま、うっかり枕元に置いて
いってしまって、家内も気付かずに、巻き込んで押入れに畳んでしまったようで…。
『私の代わりに、布団で寝ていたんだね~~』…か。
眠かったもんなぁ・・・毎朝だけれど・・・
今日はぷよの日・・・なめた記念日で、御存知ない方は、???って感じの記念日です。
分かる人は、ぷよぷよ?って思いますよね。2・4がぷ・よと読めるため、この日に
定められているのですが、セガが日本記念日協会から認定された記念日・・・
そう、あのテトリスと双璧をなしている落ちゲー【ぷよぷよ】のことです。
こんな『ぷよ』と呼ばれるスライムをくっけていく奴ですが・・・
1991年10月25日に発売されてから、25年目に入るというのに、根強い人気。
なかなか頭を使うゲームで、2個セットで上から落ちてくるのですが、それが
同じ色同士くっついて、4つ以上くっつくと消えてなくなり、積み重ねるときに
下にぷよが居ないとちぎれて落ちるようになっているのです。
私も、ボケ防止に時々大学生の子供たちとやるのですが、最近はさっぱり
勝てなくなっています・・・。説明を聞いてもなんなので、こんな神業連鎖でも…
やっていないと、この凄さが分からないと思いますが、これをやってのける人の
IQがどんなものなのか、聞いてみたいものです・・・
今日は大岡越前の日だそうな…? 何でそうなんかは、分かりませんが、
1752年2月3日に亡くなられたからだと思うのですが、だから記念日にして
どうすんの?って感じです。ただし、本当の名前は大岡 忠相というそうな。
御存知の通り、8代将軍・徳川吉宗が進めた享保の改革を町奉行として支え、
江戸の市中行政に携わったほか、評定所一座に加わり、関東地方御用掛や
寺社奉行を務めていました。越前守だったことと『大岡政談』や時代劇での
名奉行としてのイメージを通じて、現代では大岡越前として知られるようになりました。
が、しかし、実際の史学的検証では、数ある物語のうち越前(忠相)が
町奉行時代に実際に裁いたのは享保12年(1727年)の「白子屋お熊事件」のみ
であることが指摘されているとか…。
まあ、そんな事は良しとして、いつの時代にも納得の行かない悪人がいる訳で、
芸能界や政治家にも、とんでもない輩がいるもので、できればそんな時にでも、
大岡越前の様なお奉行さまが登場して始末してくれたらと…?
あっ、始末は遠山の金さんや暴れん坊将軍のお仕事でしたかね・・・。実在しない
金さんなんぞは、そうとうイケてましたよねぇ。良くないと分かっていても、
所詮庶民にはどうする事も出来ないことが、また多い世の中になってきている
…のでしょうかねぇ。東京地検特捜部…どこまでやれるのでしょうか…
今日は、交番設置記念日です。1881(明治14)年、1つの警察署の管内に
7つの交番を設置することが定められました。町の中に交番の建物を置き、
そこを中心に制服の警察官が活動するという交番の制度です。
その始まりは、1874(明治7)年で、東京警視庁が設置した「交番所」が
世界初のものでした。当初は、建物はなく、街中の交差点等に警察署から
警察官が出向いていましたが、1881年より常設の建物を建てて警官が
常駐する現在のような制度になりました。
1888(明治21)年10月から全国で「派出所」「駐在所」という名称が使われ
ましたが、「交番」という呼び名が定着し、国際的にも通用する言葉になって
いったことから、1994(平成6)年 11月1日に「交番」を正式名称とすること
になりました。
かつて、国連に市内の一画を「世界一危険な地区」と認定されるほど深刻な
治安問題を抱えていたブラジルのサンパウロで、日本の交番をモデルとした
KOBANの導入が進んでいます。欧米にも同じような制度があるにもかかわらず、
なぜサンパウロ州警察で日本の地域警察制度がモデルに選ばれたのでしょうか。
日本の交番が、犯罪を抑止・予防する上で大きな役割を果たしているだけでなく、
住民とコミュニケーションを図り、住民と連携して地域の安全を守るなど、地域に
根差して活動していることが大きな理由だったそうです。サンパウロにも日本の
交番に近い警察官の駐在所は存在していたのですが、地域住民とのコミュニ
ケーションはほとんどありませんでした。
地域警察制度を導入するためには、まずは、どのように住民とコミュニケーションを
とっていくか、またどのように地域に根差した警察官を育てていくかを学ぶ
必要がありました。欧米諸国の制度と比較しても、日本の地域警察制度は
経験も豊富で、ブラジルの文化と社会に最も適していると判断し、日本に
支援を依頼したそうです。
地域に根差した警察官…そう言えば、日本のアニメや映画の中にも、
気の良い警察官がよく登場してきますよね。話しやすく、困っている人に対して
真摯に対応してくれる優しくて頼れるお巡りさん。子供の頃、近くの水場で
捕獲した大量の蛙達を、お巡りさんに預かってもらった思い出もあります。
優しく話しかけてくれるお巡りさんでしたか、そんな話しやすいものを
感じさせることも努力の積み重ねだったのかもしれませんね。言われて
みればの気付き体験なのでした。やっぱり交番って凄いですね。
人口調査記念日という日が先週の金曜日にありました。
1872(明治5)年に日本初の全国戸籍調査が行われたそうです。
当時の人口は男1679万6158人、女1631万4667人で合計3311万825人。
そして今は…人口推計、昨年8月確定値、今年1月20日公表)
【平成28年1月1日現在(概算値)】
<総人口> 1億2682万人で,前年同月に比べ減少
▲19万人 (▲0.15%)
【平成27年8月1日現在(確定値)】
<総人口> 1億2694万2千人で,前年同月に比べ減少
▲18万人 (▲0.14%)
・0~14歳人口は 1613万3千人で,前年同月に比べ減少
▲14万3千人 (▲0.88%)
・15~64歳人口は 7708万6千人で,前年同月に比べ減少
▲94万9千人 (▲1.22%)
・65歳以上人口は 3372万3千人で,前年同月に比べ増加
91万2千人 ( 2.78%)
<日本人人口> 1億2525万9千人で,前年同月に比べ減少
▲26万9千人 (▲0.21%)
65歳以上の高齢者数は増大し、総人口は減少。こんな状態で、このまま、
人口減少が続いてしまう可能性が高いとか…。
そう言えば、20代と30代の男女2643人を対象にした調査で3割以上が
結婚に興味なしとこたえているそうな…。「1950年の男性の生涯未婚率は
1.5%でしたが、2010年の国立社会保障・人口問題研究所の調査では
20.14%。とりわけ非正規社員など収入の低い男性の未婚化が
進んでいるようで、低収入に苦しむ男性たちにとって、結婚はもはや
富裕層にだけ許されたものになってしまった???・・・。
「65歳以上の人口が7%を超えると高齢化社会と言われますが、日本は
現在25%台で世界でもダントツのトップ。このままいくと2050年には39%
になり、15歳以下の子供の人口(全体の約1割)を合わせると、人口の
半分の現役世代が残りの半分の社会保障費を負担することになるそうです。
ちなみに高度成長期の1965年時には約7割の現役世代が残りの約3割を
養っていたということですから、これと比べると状況の深刻さがよくわかります。
年金の心配もさることながら、日本創成会議の試算では団塊世代が75歳以上の
後期高齢者になる2025年には全国で43万人が必要な介護を受けられない
介護難民になってしまうそうな…。
そんな御時世だって言うのに、相変わらず裏金手にして喜んでいる政治家・・・
途方もないお金をつぎ込んで無駄な施設を作り続ける人達はなんなのやら・・・
1993年の1月27日 曙が外国人力士として初めて横綱に昇進。意外に
最近という印象ですが、その前にいた高見山という力士は、確かに横綱にまでは
昇れなかったんですよね。高見山さんは、初土俵から3年後の1967年(昭和42年)
3月場所で新十両に昇進し、初の外国出身外国籍の関取となった人気者の
力士さんでした。翌1968年(昭和43年)の1月場所で新入幕を果たして史上初の
外国出身外国籍の幕内力士となり、布団の宣伝なんかにも抜擢されていました。
そう言えば、つい先日、大相撲初場所 千秋楽の24日、大関の琴奨菊が
14勝1敗で初優勝を果たしました。日本出身力士の優勝は、2006年初場所の
大関栃東以来、ちょうど10年ぶりとのこと。新入幕から66場所での優勝は、
86場所だった旭天鵬に次ぐ歴代2位の記録だったそうです。
この10年は朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜のモンゴル出身力士やブルガリア
出身の琴欧洲ら外国勢が優勝を占めてきましたが、ようやく日本出身力士が
優勝を果たしたと報道されていましたね。
幕の内ランキングに上がった42人のうち3分の1を超える15人が外国出身という
昨今、「彼らの存在なしに「国技」として相撲が成立することはできない」。
そんな風に言われたりもしますが、確かにその通りです。どの分野のスポーツも
そうですが、今は日本国籍まで取得してくださる外国人の方も多く、
心は日本人以上に日本人らしかったりもして、ありがたい限りです。