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ウクライナ出身の超絶ギタリスト(吟遊詩人)を御存知でしょうか?

2022-7-20 NEW!
カテゴリ:つぶやき

その素晴らしいギタリストはEstas Tonne (エスタス・トンネ?) という1975年 旧ソ連 ウクライナ生まれの47歳…なかなかルックスもクリントイーストウッドというかモーゼの様に格好良い男性ギタリストです。ご存知でない方は、まずという是非、聞いて頂ければと・・・

 

まずはドラマティックで圧巻のストリートライブから
The Song of the Golden Dragon
https://youtu.be/7gphiFVVtUI

 

続いては、美しい調べで感動のIntrospection
https://youtu.be/5OXcXv0rUNI

 

そして、吟遊詩人らしく最後に語りの入るRevival
https://youtu.be/No5OiS2XtV8

 

世界中を旅し、ストリートで、小さな酒場や教会や各地のフェスティバル等…独立してライブを行い、現代のトルバドゥール(吟遊詩人)と称され、自由な音楽活動を行なっています。2011年YouTubeに投稿されたドイツでのFestival Stadtspektakel Landshutでのパフォーマンスは、2016年までに2400万回を超えています。

 

エスタス・トンネは既存のシステムに依存しないという哲学をもっているようです。それは、彼自身の経験だけではなく、彼の中に流れる血の記憶が彼に教える哲学なのでしょう。ウェブサイトから彼のアルバムを買うことができますが、アルバムの値段は、「name your price あなたの値段で」と・・・、つまり、ウェブ上でも、ストリートミュージシャンの魂を大切にし、値段の決まっていない祝儀制なのです。

 

Estas Tonneの本名は、Stanislav Tonne ですが、とても幼い頃、祖父から、先祖はエストニアから来たという話を聞いたと言います。Stanislav スタニスラフではなく、名乗っているEstas エスタス という名は、Estonia エストニア に由来するのかもしれません。

 

彼が生まれ、少年時代を過ごしたウクライナは、旧ソ連下で、本当に酷い目に合って来ました。というか、今も正にロシアに酷い目に遭い続けている状態です。スターリン時代は、計画的なウクライナ人の殲滅のために、軍と秘密警察がウクライナの穀物蔵の農産物を差し押さえ、人工的に起こされて飢饉で、ほんの2.3年の間に1,000万人ものウクライナ人が飢餓によって虐殺されました

 

第二次世界大戦では、ウクライナは激戦地となり、ウクライナ人はドイツをソ連からの解放者として支援して戦いましたが、ドイツは彼らを利用した挙句、彼らを劣等人種として支配し、ドイツが敗走した後は、ソ連がウクライナ人を大量殺戮して退却していったのです。そして、ウクライナは、あのチェルノブイリ原発事故を経験します。

 

彼は、ウクライナで子供時代にクラッシックギターを6年間習い、ソ連崩壊目前の1990年 15歳で家族と共にウクライナを離れ、イスラエルへ移住。以来、11年間ギターを手にすることなく、スラエルやヨーロッパなどを転々とし、ドラッグに染まり、ギャングなどと共に暮らしていたそうです。

 

しかし、2001年9.11の悲劇の直後にニューヨークに渡り、自分の道に覚醒し、ドラッグを断ち切っていきます。ニューヨークの地下鉄でストリートミュージシャンをしていたモスクワ出身のヴァイオリニストのマイケル・シャルマンと組み、2002年9月11日にニューヨークのユニオンスクエアで再び、6弦のアコースティックギターを手にし、9.11一周年ライブを行いました。

 

その後、アメリカ、メキシコ、インド、イスラエル、ヨーロッパ全土、世界中を旅し、世界中の人々の魂を揺さぶり、彼の灯火の火は人から人へ譲り渡されていきます。今年に入ってウクライナではご存知の様にロシアからの非道な侵犯が行われ、ウクライナ人の老若男女ばかりか、他国の支援者、何も知らずに罪を犯すロシア人など…多くの命が失われ続けています。

 

Estas Tonneの言葉より・・・
「私の名前は、エスタス・トンネ。束の間、音楽を奏で、この惑星を旅しています。私はストリートて育ち、自分の道を見出せず、学校や社会のシステムに組み込まれることに馴染まず、自分を反逆者だと感じていました。私は、イスラエルで育ちました。私の家族が旧ソ連のウクライナから移住したからです。私は、沢山のドラッグや喧嘩など、ストリートの人生を経験してきました。
私はアメリカに行きました。私には全てを断ち切る切っ掛けが必要でした。だから、アメリカに行ったのです。随分と長い間ギターに触れずにいましたが、再び演奏を始めるようになりました。私には孤独や絶望を感じる瞬間があります。そんな時、私にできることは空虚さを埋めることで、私のイスラエルのバックグラウンドなどを知っている麻薬ディラーの元に行くこともありました。
彼は、チュニジアから来たアラブ人でした。いつだったか、彼は、ドアの階段のところで私を見て、いくつかの事を告げたのです。要するに彼は、私に麻薬を売ることは止めた、と言うのです。彼が言ったことはただ一つ、
"私はTonneがヴェニスビーチで毎日演奏するのを見てきた"と。"君は演奏を続けなければいけない"と感じたと。だから、"もう君には一切麻薬は売らない"と・・・。
ストレートに告げられたのは、自分の頭が10億の欠片になって爆発するのを感じた瞬間でした。
この生のためのより大きな絵があります。なぜなら、善悪を超えて、それぞれの魂は、それ自身の目的をもってここにいるからです。ただ、私は、真実の私自身の深い内面を知ることができるだけ。だから、私は、今日、勇気が湧くのです。なぜなら、外からどんな波が来ようとも、私は続けて行くことを選ぶからです。私は、それらを通り抜けて泳がねばならないのです。」

 

戦争のない平和な世の中が一日も早く訪れる事を願っています。

 

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