明治さんが、「チェルシー」全商品を今月3月末をもって販売終了するというニュースが今月初めに流れました。・・・53年のロングセラーのお菓子で、子供の頃から大好きだったお菓子です。
「あなたにもチェルシーあげたい」という印象的なキャッチコピーでおなじみの飴菓子。 1971(昭和46)年の発売から53年という国民的スイーツだけに、SNSでも惜しむ声が目立ちます。その味わいが、懐かしい思い出と結びついている人も多いのではないでしょうか・・・勿論、私もその一人で、たかがキャラメルなのに贅沢間の持てる特別なお菓子でした。
チェルシーは、発売の2年前から進められた一大プロジェクトだったといいます。当時、同社が“今までにない”を求めて着目したのが、英国北部スコットランド伝統の“スカッチキャンデー”でした。「スカッチ」とは、スコットランドでも洋酒のスコッチでもなく、高温で煮詰める工程=scorching(スコーチング)からきた言葉。当初は「バタースカッチ」「ヨーグルトスカッチ」の2種類でした。
チェルシーは、練り合せた原料をそのまま型に流し込む製法で作られています。当時日本初導入だったその製法により、口当たりの滑らかさが向上。また、それまでは5~6%が限界だったというバターの含有量も2倍以上に増やせたことから、豊かな風味がさらに生きた味わいになりました。現在、バタースカッチにはコクのある発酵バターが使用されているそうです。
開発過程で苦労したことの一つがネーミングだったそうです。新しさを感じさせる、英国のイメージなど4つの基準をもとに、約3000通りの案の中から候補として残ったのが、「チェルシー」(ロンドン中心部の南西にある地区の名前)と「キングスロード」(チェルシー地区にある通りの名前)の2つ。最終的にユーザーへのテストを経て、愛らしい、しゃれた感じといった、商品コンセプトになじむ意見の多かった「チェルシー」に決まったとのこと。
チェルシーを語る上で欠かせないのがCMソング『明治チェルシーの唄』です。「ホラ、チェルシー もひとつチェルシー」のフレーズが広く世の中に浸透しました。詞を安井かずみさんが、曲はあの小林亜星さんが担当。CMソングは、今でもすぐに浮かんでくるほどの名曲でした。パッケージデザインもおしゃれで、お気に入りだったのに・・・本当に無くなってしまうのでしょうか・・・。糖質制限が掛かりつつある私ではありますが、今月中に少し買いだめしておきましょうかねぇ・・・
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カンブリア宮殿「ユーハイム」の回、ご覧になられましたか? 今から101年前、日本で初めてバウムクーヘンを販売したのがユーハイム。神戸・元町の商店街の一角にあるユーハイムの神戸元町本店。ここでは全国でもわずかな店でしか味わえないバウムクーヘンを売っています。しっとりとした味わいを楽しむことができる「切りたてバウムクーヘン」(1枚108円)。社長の河本英雄さんが率いるユーハイムは全国278店舗、年商280億円超。しかし、その強さを支えているものは、大手とは全く真逆の菓子作りにありました。
大規模なユーハイムさんの工場を訪ねると「工場に来る人はみんな人が多いことに驚く」と言います。確かに最新の生産ラインなどは一つもなく、いたるところで膨大な人数の菓子職人が忙しそうに動き回っています。生クリームを塗る工程は、他の大手の場合、機械化されているところですが、ユーハイムは手作業。焼き菓子に模様を入れていく作業も、他の大手では自動化されていたりするところもあるそうですが、ユーハイムではやはり手作業。製造の工業化に頼らない大手とは思えない職人たちの菓子作り。これこそがユーハイムが他に負けない強さを支えていたのです。
「非効率ですよね。でも効率を何と考えるか。数字か味か。数字に関していかに効率が良かろうが、味に対して非効率であれば、それは効率的ではないと思います」と話す河本社長。
千葉・船橋市のユーハイム船橋工場が映されていましたが、ここで職人たちが作っていたのは「モリヨシダ」の「モンブラン」。特にこだわっているのはモンブランクリーム。驚いたのは、大企業にも拘らず機械を使わず、手作業できめ細かい滑らかさが出るまで延々と混ぜ合わせていたこと。「機械でやるとつぶれすぎてしまう。ふんわりしたモンブランクリームを作るにはやはり手で」と言うのです。「モリヨシダ」のおいしいモンブランはユーハイムの腕利きの職人たちが作っていたのです。別の職人たちが作っていたのは「フィリップ・コンティチーニ」の「タルトタタン」。スライスしたリンゴを、これまた手作業で丁寧に重ねていました。「角にリンゴが入ってないと、型を抜いた時にきれいに台形にならない。噛んだ時の食感も違ってくる」と言いいます。さらに別の職人が型から取り出したのはかわいらしいムースケーキ。これも「スクランブルスクエア」に入るドイツの洋菓子店「グマイナー」の商品「ヴァルト」。ユーハイムは海外スイーツ店の製造・販売を請け負い、日本進出を支えている、とても貴重なメーカーだったのです。
「渋谷ヒカリエ」に店を構えるのは2018年に日本に初上陸したパリの超人気店「ミシャラク」。その斬新な菓子作りにセレブの顧客も少なくないそうですが、実はここも日本での製造をユーハイムが任されているのです。その理由をクリストフ・ミシャラクさんは「技術の完成度が素晴らしい。ユーハイムは本当に進んでいると思いました。ユーハイムと組めてうれしいです。なぜなら僕のケーキをパリと遜色なく完璧に再現してくれるから。それがなければパートナーに選ぶことはありませんでした」と・・・。
バウムクーヘンが生まれたと言われる町、ドイツ・コトブス。街中に立つ女性の像の手にはバウムクーヘンがありました。ところが、そのドイツでバウムクーヘンについて聞くと「あまり食べない」「年寄りのもの」という声が聞かれたのです。ドイツでは既に時代遅れの菓子になっていたのです。ではユーハイムはなぜ、バウムクーヘンを日本でブレークさせることができたのか。
社長の河本さんが拘るのは、保存料などをゼロにする「純正自然」というキャッチフレーズの商品づくり。ショートケーキに使うイチゴジャムも自社で作ることに挑戦していました。ケーキの材料を一つずつ、元となる原料までさかのぼって「純正自然」を進めているのです。
「全部本来のものが入っているのがいいと思うんです。それが、僕らがやっている『純正自然』。現在、ユーハイムの商品はその8割が『純正自然』で作られているとのこと。
そんなケーキ作りをユーハイムに根付かせた夫婦・・・それがユーハイムの創業者、カールさんとその妻エリーゼさん。ドイツの菓子職人だったカール・ユーハイムさんんは、1909年、当時ドイツの租借地となっていた中国・青島でユーハイムを創業。その後一生の伴侶となるエリーゼさんと出会いますが、お2人の歩みは苦難の連続でした。
1914年、第一次世界大戦が始まると青島が陥落。カールさんは日本軍の捕虜となってしまいます。終戦後は日本にとどまり横浜で小さな店を開業するも、今度は関東大震災が起き、またすべてを失ってしまいます。それでも諦めなかった2人は、1923年、神戸で店を開業。そこでヒットしたのが故郷のバウムクーヘンだったのです。苦労して店を軌道に乗せたお2人でしたが、店舗の急激な拡大には否定的でした。エリーゼさんを直接知る現会長の河本武さんは次のように・・・。
「エリーゼさんに店を出すと怒られる。『あなたは何をやっているんだ』と。『お菓子屋には「3S」というのがあって、それは「スモール・スロー・ステディー」。「小さく・ゆっくり・着実に」やっていくのが菓子屋。店を何店も出したというのは自慢にならない』と。
1945年、終戦の1日前、59歳でカールさんが死去。その後、エリーゼさんの経営を手伝ったのが、当時ユーハイムにバターを卸していた、現社長の祖父・河本春男さん。カールさん亡き後もエリーゼさんは、お菓子のおいしさを決める原材料にこだわり続けました。
「エリーゼさんは『乳化剤を混ぜるのは簡単だけど、うちは乳化剤などの食品添加物は使わない』と。素材のおいしさを組み合わせてお菓子を作る。『見えるところは丁寧に、見えないところはより丁寧に』と言っていたカールさん。
ユーハイム夫妻の口癖は「お菓子は平和の象徴」という言葉。戦乱に翻弄された2人の思いが込められているのです。実は、カールさんが日本で最初にバウムクーヘンを販売したのは広島市。破壊される前の原爆ドーム、物産陳列館。101年前のことだったのです。
その因縁に、カールさんの菓子作りへの決意があったのではと河本さんは考えていました。
「ドイツへ帰る選択肢も別の所に行く選択肢もあった。でもユーハイムさんが日本に残ると決心したのは、おそらくこの国の平和のためにはお菓子が必要だと思ったからじゃないかと思うんです。ずっと平和を思いながらお菓子を焼いて、ここからバウムクーヘンが日本全国へ広まっていった。本当に感無量です」と。
全国でもわずかな店でしか味わえないという「切りたてバウムクーヘン」。実は、つい先日、あるショッピングモールに期間限定で出店していたので、買うチャンスがあっのですが、2日しか日持ちしなくて、買うからには家族そろって食べたいという思いもあって、揃うのが1週間後だった私は断念したのでした。・・・いやぁ、やっぱり買って、1人でも食べておくべきだったか・・・。私が生まれ広島で、カールさんが日本で最初にバウムクーヘンを販売したことも、身体に良い「純正自然」を目指している事も、大いに応援したい気持ちにならざるを得ないのです。その後、お菓子を買おうとしてユーハイムを見つけてしまったら、やはり、ちょっと手を出してしまうようになったのでした・・・。
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7月25日放送のカンブリア宮殿『超ロングセラー・カルピス...発売100年で過去最高売り上げの秘密!』の回、ご覧になられましたか? 今回は知らない人はいないだろうという100年親しまれてきたカルピスが主役。子供の頃、コーラはダメだけどカルピスなら良いよと、大人公認のお薦め飲料。お中元の詰め合わせで送られてくると大喜びしていたのを思い出します。
そんなカルピス100年の歴史は“山あり谷あり”でした。創業者・三島海雲が1908年に訪れた内モンゴルで飲んだ「酸乳」(乳酸菌を発酵させたもの)がカルピス開発のきっかけだそうです。毎日飲んでいると胃腸の調子が良くなったという三島海雲は、日本に戻り、試行錯誤を重ね、1919年にカルピスを完成させます。体に良く、経済的なカルピスはたちまち日本中に浸透、お中元の定番となるのです。
しかし、1980年代に入ると自動販売機の普及で、缶入り飲料が当たり前となっていくことで、薄めて飲むというスタイルのカルピスは低迷します。そこで起死回生、「カルピスウォーター」を完成させ大ヒットさせるのですが、これだけに満足せず、更に原点回帰、“健康飲料”としての価値を訴求、中高年層を開拓し、カルピスブランドを再生させていくのです。
原点回帰する中で、子供だけでなく、家族3世代で楽しめる飲み物を想像してきたカルピス。そんな大人向けのカルピスまで人気という話ですが、その一つ「濃いめのカルピス」は、子供の頃、カルピスの原液を水で薄めて飲んでいた世代をターゲットにしたもので「もっと濃い味を飲みたかった」という思いを商品にしたのなんだとか。
もう一つが「カラダカルピス」。こちらは言うまでもなく健康が気になる中高年に向けた「体脂肪を減らす」という機能性表示食品です。…ということで、さっそく体脂肪を減らしてくれるという「カラダカルピス」を子供ではなく、自分用として買って来て、何故か子供に見せびらかしてしまう単純な私…。これらの大人向けカルピスのヒットも貢献して、今年、発売100年を迎える超ロングセラー商品「カルピス」の販売量は10年で1,5倍に増え、売り上げは過去最高を更新しているとのこと。
カルピスを再ブレークに導いたのが、現社長の岸上さん。大学卒業後カルピスに入社、カルピス一筋でしたが、会社は2007年に味の素の子会社となってしまいます。更に2012年にはアサヒグループに買収されてしまうのですが、岸上さんは「成長するチャンス」とポジティブな思考を貫き、なんと2015年、買収された企業の人間がアサヒ飲料のトップに立つという異例の出世で業界を驚かせました。通常とても考えられない奇跡の様な話です。
いまや発売135年の三ツ矢サイダーも大幅売り上げアップ、115年のウィルキンソンも過去最高売り上げを達成しているようです。普通なら買収される事でモチベーションが下がり、そのまま影が薄くなっていくところですが、岸上さん凄いですよね。こんな痛快な話を聞いていると、あなたも、つい…カルピスを買ってしまいそうになりませんか??
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ちょっと前、新聞の記事に、こんな事が書かれていました。【クラウドゲーム進化中!!】ゲームの進化と聞いたら、ゲーム好きな私は耳がダンボになってしまいますが・・・日本が優位だったゲーム市場に大手ITが次々と乗り込んできたというお話です。
アメリカで6月11日に開幕された世界最大級のゲーム見本市「E3」に合わせて、IT大手が相次いで、スマートフォンなどで楽しめる「クラウドゲーム」への参入を発表したそうな。クラウド上のサーバーの処理能力や通信環境の変化で、専用機がなくてもゲームができるようになってきた事が大きな理由。任天堂やソニーといった日本勢が存在感を誇ってきたゲーム市場に、海外のIT大手も参入することで、新たな主導権争いが起きてきたというのです。
アメリカ・マイクロソフトは9日、ロサンゼルスでクラウドゲームの新サービス「Xcloud」を10月から北米向けに始めると発表。マイクロソフトと言えば、もともと専用機「Xbox」を手がけており、言うまでもなくインターネットで膨大なデータをやりとりするクラウドの技術にも強い。
マイクロソフトは、同日7年ぶりとなる次世代の専用機を来年2020年冬に投入する事も表明しています。「SCARLETT」という名称で開発を進めているらしく、グラフィック性能を現行のXboxの4倍に高め、クラウドゲームにも対応させていくらしいのです。
また、Googleは更に数日前の6日に新サービス「Stadia」の概要を発表しています。幹部は「利用者は、ゲーム専用機ではなく、グーグルのデータセンターを(情報処理の)基盤に使う」と強調。手軽にゲームを楽しめるサービスを11月から欧米14カ国で始めるんだとか。
あのアップルも、有料ゲーム事業参入を表明しており、IT大手の相次ぐ参入は、スマホなどの高性能端末が幅広く浸透し、背後で動くクラウド上のサーバーも大きく発展してきた事から実現してきたお話。重たい荷物だった携帯用電話機から進化を続け、スマホが登場する事でPC機能まで持ち運べるようになってきましたが、今後は娯楽にまで貢献する事で、更に加速して通信環境の進化が期待できそうなお話。
ひと昔前は、プレイヤーが手元の操作で指示を出し、それに沿った動きを「映像」として受け取るまでにはイラつくほどタイムラグがあって、どうしても臨場感がなくなってしまう為に、スマホはパズルやじっくりできる旧タイプのRPGになりがちでした。ところが、課題とされたタイムラグが解消に向かい、次世代高速通信規格「5G」の登場で、今や操作と映像のやりとりが瞬時にできるようになってきました。
今でさえ、電車などで周りを見回すと、スマホでゲームをしている事の多い事多い事…というのに・・・。今後は、そんな光景も更に拡大し、町のあちらこちらで「ちっ!」とか「くそっ!」とか「ふぅ・・・」とか・・・いろいろな小声が聞こえてくるようになるんでしょうか。スマホによる脇見運転での自転車や自動車の事故、スマホの使い過ぎによる『スマートフォン症候群』。肩こりや首のこり、腱鞘炎、眼精疲労、視力低下、ドライアイ…果てはうつ症状まで・・・。
気軽・お手軽に質の高いゲームができるのは有難い一方で、それに夢中になることで起こる様々なトラブルへの対策も、しっかり取り組んでいきたいですよね。
2019年2月のスマホ利用率は全体で85%超え、10代~20代では約9割、40~50代も8割超、60代ですら7割に迫っているという現状・・・。様々な連絡伝達事項まで利用されるようになってきているので、持っていないと1人だけ取り残される危険性だって生じてきているのです。こんな事を考えていると、進化も怖くなって来たりしませんか?
切れやすい人が増えたり、仲間で集まっているのに、皆がスマホの画面に見入って、直接の会話もない世界・・・。やがては、それが普通の当たり前になっていくのでしょうか???
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5月16日放送のカンブリア宮殿『豆苗をブレイクさせて年商100億円!廃業の危機からスプラウトで農業を変える』の回、ご覧になられましたか?98円という安定した低価格で、簡単&おいしいレシピで急速に人気を拡大しているという豆苗。我が家でもオカメインコの健康食材としても活躍しています。
そんな豆苗の仕掛け人とも言える村上農園さんが今回の主役でした。この村上農園は、現社長の親戚である村上秋人氏が1978年に私の生まれ故郷でもある広島で創業された会社です。お刺身の横に添えられる紅タデから、カイワレ大根の生産へとビジネスを広げ、カイワレ大根の生産で日本一となった会社です。
そんな村上農園を襲った最大の危機が、現社長が入社して3年後の事。覚えておられる方も多いのではないかと思いますが、1996年に起き、死者まで出したO-157による食中毒事件。管さんの「感染源がカイワレ大根ではないか」という発言から、『風評被害』という言葉が注目され、全国多数のカイワレ大根の生産者が廃業へと追い込まれてしまったあの事件です。
勿論、生産の殆どがカイワレ大根だった村上農園も廃業の危機に立たされてしまいます。しかし村上農園は、試験的に育て始めていた豆苗の生産に一気に注力し、豆苗市場を拡大。さらにアメリカで発見されたブロッコリースプラウトの体に良い作用に目をつけ、その研究者であるタラレー博士を説得。
高品質なブロッコリースプラウトを作るための独占的ライセンス契約を結び、一気に反転攻勢に打って出たのです。栄養価の高い新芽を使ったスプラウトは、最近の健康需要にも乗って急拡大し、村上農園の年商も今では100億円に迫る勢いなんだとか。キャベツやレタスなどの野菜は気候に影響されやすいものですが、このスプラウトは安定供給を実現しようとしています。
現在、国内8カ所にある村上農園の生産拠点。その広大な施設では、生育期間2週間程度の豆苗が、水やりから搬送まで、高度にオートメーション化された設備で次々と生み出されていきます。そして、気候の違う各拠点では、ミリ単位で生育状況をチェックし、徹底的に均質な野菜を作るため、日々スタッフが汗を流していました。村上農園の製品である限り、生産拠点が違うからという理由で、出来あがる商品の品質に差があってはならないという考えからでした。
村上農園は2012年、沖縄の企業と合弁会社「沖縄村上農園」を設立し、沖縄でも豆苗などの生産に乗り出しました。夏場の葉物野菜の自給が厳しいなど沖縄の野菜事情を改善することと、地元企業に高度な生産ノウハウを提供するという新たな枠組みを「沖縄モデル」とし、それをステップとして世界も視野に入れたスプラウト野菜の生産ビジネスを拡大しようと考えていたのです。
作物困難な沖縄を救う野菜ということで地元の農家に大きな期待と勇気をもたらしていました。さらに現在、東北にも新工場を建設中の村上農園。農作放置の土地が増える中、農業に新たな息吹を吹き込もうとしているのです。
村上農園さんのホームページを訪問すると、『村上農園でつくる』というコーナーがあって、そこでは番組の中ても紹介されていたような、スプラウトを使っての美味しそうなレシピが多数紹介されています。ホームページはこちら。
http://www.murakamifarm.com/
是非、一度訪問されてはいかがですか?
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5月9日放送のカンブリア宮殿『子供に食べさせたい!豆腐のオンリーワンカンパニー』の回ご覧になられましたか?
豆腐と言えば、タンパク質や脂質など体の基礎的な栄養素のみでなく、体を調節等して健康を維持増進させる食品「機能性食品」としても注目され、豆乳を搾りとった残りのオカラまでも、大変身体に良いことは皆さんもよくご存じのはず。そんな豆腐にあって、主婦が絶賛し、子供に食べさせたいと言われる豆腐を作る会社「おとうふ工房いしかわ」が今回の主役でした。
27歳の時、家業の豆腐店を継いだ石川社長の目標は「日本一売れる豆腐屋になる」という事でした。コストを下げ大量に売って利益を出すことを考えていましたが、既に市場には安い豆腐があふれており、地元スーパーに売り込みに行っても相手にされません。そんな中、自然食品のお店の店主に出会うことで、本物の豆腐作りとは何なのかを教えられていきます。それまで輸入物の大豆を使って”にがり”も使わず作っていた石川さんでしたが、国産大豆と”にがり”を使ったこだわりの豆腐作りとの長い戦いが始まっていきます。
やっとの思いで美味しいと思えるものを作り上げていくと、あの自然食品の店主に食べてもらいお墨付きをもらいますが、それに甘んじることなく、更に「子供が豆腐の匂いが苦手で食べてくれない」という家庭のために独自の豆腐づくりに取り組んでいきます。オリゴ糖を加えることで癖がなくなることに行き当たると「究極のきぬ」「至高のもめん」を開発、子供に優しい一番のヒット商品となって29店舗を展開、年商50億円をたたき出すまでになっていくのです。
番組の最初に紹介されていた愛知県民が愛してやまないお菓子「きらず揚げ」。豆乳を搾りとった残りかすの「おから」を使って何かできないかと模索している中、「子供の歯固めができるものがない」という主婦の意見をきっかけに、原料におからを使った「きらず揚げ」を開発し、これも大ヒットさせ、なんと年間4億円を売り上げ。
親から大学生の時に下宿生活をさせてもらう中で、親に対しての感謝の気持ちを持つようになり、それが、多方面に広がって、様々な人への感謝の気持ちとして仕事に反映されていきます。座右の銘で「不易流行(ふえきりゅうこう)」という言葉をあげられていましたが、その意味は、「いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくこと。また、新味を求めて変化を重ねていく流行性こそが不易の本質であること。」を表しています。
『不易流行』・・・その言葉を実践されておられる方で、豆腐にビフィズス菌を増やしてくれるオリゴ糖を加えたり、なかなか食べたがらない”おから”を歯を丈夫にしてくれるお菓子として再生させたりと、新たな取り組みが2倍も3倍もおいしい話になって素敵なものに仕上がっています。「おとうふ工房いしかわ」さんの豆腐やお菓子、食べてみたくなりました!!
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2月14日放送のカンブリア宮殿『地方の絶品と生産者の"物語"を伝える!唯一無二!食べ物付き情報誌の全貌』の回、ご覧になられましたか?番組で取りあげられていた「食べる通信」という情報誌ご存知でしたか?この情報誌、既に読者数なんと1万人。絶品食材が付録という、とんでもない「美味しい情報誌」で、今回の主役でした。
この情報誌、日本各地の生産者を特集し、その生産者が作った食べ物がセットで届くという定期購読誌なのです。5年前に東北で始まったユニークな情報誌は、今や全国30誌にまで拡大し、1万人の読者を抱えているそうです。誌面では、生産者のこだわりから人生まで徹底的に深堀りして、その生産物の裏側の”物語”を伝えることで、消費者はスーパーで買う食材とは全く違う思いで食材を食べることができるというのです。
更に、SNSを通じて、生産者と直接コミュニケーションを取る事が出来、長く生産者と繋がるファンにもなっていくケースも多いのです。そんな「食べる通信」を各地で発行するのは、全て違う事業者。殆どが編集経験もないド素人ですが、その多くが衰退する地元の生産者を支えようと創刊を決意しているのです。生産者の中には、「出来上がった情報誌を営業用の販促ツールとしても使える」と嬉しそうに話しておられました。
2013年に初めて「食べる通信」を立ち上げたのが「東北食べる通信」の編集長であり、日本食べる通信リーグの代表理事も務める髙橋さん。髙橋さんは、1冊作るのに何度も何度も生産者の元に通い詰め、酒も酌み交わし、本音を引き出し、生産現場の現状を記事にしていきます。
「食べる通信」は単に食材を売るだけでなく、1次産業が抱える問題を消費者に伝えることにこそ大きな意味があるというのです。最近では生産者の名前や写真が添えられた生産物が、当たり前のように売り場に並ぶようになってきていますが、それを更に進化させたものというよりも、もっと深く生産者と関わるという、全く新しい繋ぎ方でした。
農家や漁師が自ら生産物を出品するスマホの通販アプリ「ポケットマルシェ」。全国の生産者が都会の消費者と繋がれるようにと、髙橋さんが新たに立ち上げたサービスで、私もダウンロードさせて頂きました。運送業者と提携することで、生産者にとって驚くほど簡単に直販を始めることができ、創業3年で、登録生産者は1,000人を超えているそうです。最大の特徴は、やはり生産者と消費者がネット上で交流できる機能。食材を作った本人から、直接美味しい調理方法まで聞くこともでき、利用者も急拡大しているようです。
岩手県花巻市出身の髙橋さんは、憧れだった東京の大学に進学。卒業後は新聞記者を志しましたが、就職浪人含め3年間で100回以上も不合格となり、志が叶うことはありませんでした。いつしか代議士の鞄持ちになって、政治に関心を持つようになり、故郷に戻って地元の議員になることを決意します。
1年半にわたり毎朝、街頭演説を行い、30歳で岩手県議会議員の補欠選挙に当選。そして、東日本大震災などを機に、生産現場の様々な問題を目の当たりにするなどして、今度は故郷の復興を掲げ岩手県知事選に出馬していきます。しかし一次産業の経験もない上辺だけの言葉が支持を得られず惨敗。物事は、そう簡単に進むものではありませんよね。
ところが、思いが本物だったおかげで、今度は事業家として故郷の一次産業を変えられないかと決意。ついに「食べる通信」のアイデアを実行に移していったのです。髙橋さんが、発行しながら辿り着いたのは「離れてしまった生産者と消費者を近づけ、もっと都市と地方をかき交ぜる」こと。実際に今、「食べる通信」を通して、東京に生産者のファンクラブが誕生したり、定期的に交流イベントが開かれたり、様々な交友の機会が生まれ始めているんだとか。
高橋さんは、自分と同じように、全国各地で「離れてしまった生産者と消費者を近づけ、もっと都市と地方をかき交ぜる」活動に賛同してくれる編集長まで、次々と誕生させています。とても素敵な活動で、素敵な方でした。いつもの村上龍さんの編集後記では、そんな編集長に関する事も書かれていたのでご紹介させて頂きますね。
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「食べる通信リーグ」の特徴は、「独自性」にある。髙橋さんは、参加者を厳選するが、アイデアを押しつけたりしない。ホームページには、「編集長ストーリーズ」というコーナーがあり、生産者の物語を紡ぐ側の「物語」が紹介されている。共通しているのは、「救う」ではなく「ともに生きる」というフェアな関係性だ。今だ、各地で小さな旗がなびいていて、全国的な波は起こっていないが、逆にそれが正統ではないか。今後は、地域性のある個別のネットワークが、何かを生みだす。これまでなかった「未知の」何かかもしれない。
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最後に、いつもの【社長の金言】
『生産者がいて 食生活がある』
分かり切った事ですが、いつしか、作られる人の思いや、安心して食べられる事への感謝の気持ちを忘れてしまっていたようで、改めて、感謝の気持ちで一杯になるのと同時に、こうした活動を応援したいという気持ちになりました。高橋さん、有難うございました。
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キャリーオーバーとは、英語では「繰越し」「持越し(品)」「残っているもの」「名残」「影響」という意味があるようですが、宝くじをよく買う人にとっては、次回に当せん金を持ち越すことが頭に浮かんで、勝負どころと思ってしまいます。
また、自動車業界においては、自動車のモデルチェンジを行う際に旧型のエンジンや車台など主要構成部品を継続して使用する場合に使われるようですが、食品業界においても使われるようになっていたことを、つい最近知る事になりました。またまた添加物に関する話になってしまいます・・・。
“食品表示法”” 食品表示基準”
第3条添加物に書かれているところを抜き出すと・・・
「キャリーオーバー(食品の原材料の製造又は加工の過程において使用され、かつ、当該食品の製造又は加工の過程において使用されないものであって、当該食品中には当該添加物が効果を発揮することができる量より少ない量しか含まれていないものをいう。」
と書かれていますが、要するに、食品業界でいうキャリーオーバーとは、最終食品に残存しないものと見なされる加工助剤や、製造・加工の際に添加するものではなく、原料の段階で添加したものは、表示が免除されるということらしいのです。
それゃ、どんどん源流まで遡って、全てを明記しろと言われても小さな生産者は困難であることが分かるので、言いたい事は分かるのですが、それだけに生産者の姿勢が問われる部分でもある気がしてしまいます。
今回、キャリーオーバーについて書くきっかけとなったのは、新米記者の酸化防止剤無添加ワインに関する記事を読んだことがきっかけだったのですが、まさか、こんな言葉の勉強になるとは思っていませんでした。
最近、お酒売り場・・・中でもワインコーナーで多くのスペースをとるようになっている【酸化防止剤無添加】のワイン。ブランドの高級ワインなどはスーパーには売っていませんが、我が家のような貧乏家庭では、スーパーでワインを買うのが当たり前。
ワイン造りに酸化防止剤は必要不可欠なもので、酸化防止剤なしのワインを否定する話がある事も分かってはいるものの…御存知の通り、愛妻が難病なので、身体に良い物を意識していることもあり、ワインも酸化防止剤不使用のラベルを見つけると、味見をして品定めをしています。
我が家のお気に入りは株式会社アルプスさんの酸化防止剤無添加ワイン。表示されない物まで知る事は難しいので、保証などは全くできませんが、アルプスさんの酸化防止剤無添加ワインに関しては、他の無添加ワインとは比べ物にならないほど自然な美味しさを感じています。
おっと、メインな話だったはずのメインではないワインの話に脱線してしまったので、話を元に戻しますが、こうした食品表示に関する裏側というか、表示の限界を思えば、避ける事の出来ない添加物や天然であっても身体には良くないものが、好む好まざるを別にして身体に入ってしまう現実をふまえ、良い物を口にする努力だけでなく、身体から悪いものを追い出すデトックスへの努力も欠かせないことが良く分かります。
2014年の10月にこのブログでも書かせて頂いた『デトックス、そして、添加物を軽減する方法』
改めて、『良い水をしっかりと飲んでいく事』『食物繊維をしっかり摂っていく事』を意識させられたのでありました。
食べるもので身体は作られていくのですからねぇ・・・
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昨年12月17日『オーガニック食品、スーパーの棚に続々 視線の先に五輪』というタイトルで朝日新聞に記事が掲載されましたが、その後『オーガニック食材、専門店が続々開業 東京五輪が追い風に?』というタイトルで今年1月4日再び記事が掲載されていました。有機農産物などのオーガニック市場に、流通産業が力を入れているという話で、来年に迫った東京五輪も、追い風にしたい考えを引き続き強調。
同記事では、化学肥料を使っていない野菜や、添加物を入れていない食料品などを扱う専門店「ビオセボン」が最初に登場し、同店の国内8店目が昨年12月、横浜・元町で開業したことが書かれていました。今のところ、東京と神奈川にしかありませんが、この「ビオセボン」は、仏ビオセボンとイオンの合弁会社が営んでいるそうで、土谷美津子社長自らが「(東京五輪のある)2020年までに数十店まで拡大したい」と話しているとのこと。
同記事に登場する矢野経済研究所によると、オーガニック食品の国内市場は1~2%ずつ成長しており、2020年には2千億円近くに達する見込みなんだとか。なんでも、五輪の選手村などで使う食材にオーガニックが推奨されて注目を集めているらしいのです。何がきっかけでも正直構わないのですが、オリンピックを機に大きく変わるものが多いのは確かですので、期待は大きいです。
また、ライフコーポレーションは2016年、オーガニック専門店「ビオラル」を大阪市に出店し、既存のスーパー「ライフ」にも売り場を展開して、販売を伸ばしているという話も。もともとオリゴ糖などの健康食材の陳列数が多かった気がしますが、より上を目指した動きも始めているんですね。ライフは、沢山の店舗がありますから、身近で手に入りやすくなるのでしょうね。
そんな中、オーガニック宅配大手3社も2017年から2018年にかけて経営統合し、「オイシックス・ラ・大地」が誕生したというお話も。”オイシックス”と、”らでぃっしゅぼーや”、それに”大地を守る会”が一つになったブランドで、統合前の3社のブランドはそのまま残す一方で、産地からの配送網をより効率的にしていくそうです。
オーガニックの小売価格は通常品に比べてやや高めですが、価格差を先進地の欧州並みに縮め、市場を更に広げたいという有り難いお話。我が家も、愛妻が難病にかかってから、オーガニック食材や無添加商品に目が行くようになり、『資本となる人の身体は、食べたものから作られていくのだから』と、多少値段が高くても、無駄な出費を抑えることで、より良い物を口に入れるように心がけています。
だ・か・ら、オーガニック食材を入手する方法や場所が広がっていく事や、少しでも価格が下がってくれる事は、比較して購入できる事にも繋がるので、大助かりです。現在、我が家ではオーガニック食材に拘った2つの生協を中心に食品を購入し、個々で頼んだ方が早いものや取り扱いのない物については、楽天やアマゾンを利用するなどしていますが、こうしたパターンも変わっていくのでしょうね。
ちなみに・・・ビオセボン日本版オフィシャルサイトは、こちら。
https://www.bio-c-bon.jp/
上記サイトには、”ビオセボンとは?“という書き出しで
1 フランス・パリ生まれのビオストア
2 食品から日用品まで、幅広いビオ商品の品揃え
3 お客様とのコミュニケーションを重視した販売
4 おいしいビオ商品を手軽に楽しめる店づくり
・・・そんな風に説明書きがされていました。
また・・・BIO-RALのホームページは・・・
http://www.lifecorp.jp/store/bio-ral/
“BIO-RAL(ビオラル)とは”という書き出しから
BIO-RALは”素敵なナチュラルライフスタイルを通じて、心も身体も健康で美しく豊かな毎日を過ごしてもらいたいと願うスーパーマーケット”です
・・・と書かれ、
大切にしている事として《オーガニック》《ローカル》《ヘルシー》を掲げていました。
最後に、オイシックス・ラ・大地のサイトはこちらとなっています。
https://www.oisixradaichi.co.jp/
トップページには・・・『これからの食卓、これからの畑』と題して、「私達は良い食を作る全国の生産者とご家庭の食卓を繋ぎ、より多くの人が幸せな毎日を送れる食の未来をつくります。」と書いています。(同サイトの【食を通してできること】にも、具体的な活動が書かれています。)
先程も触れましたが、最近は生協(コープ)でも、オーガニック商品の取り扱いが増えたり、それに拘ったコープが登場しているので、それぞれの特徴を理解した上で、今後に活かしていきたいですよね。この動き、来年のオリンピックまでに、どのような展開を見せていくのか、とても楽しみです。
※姉妹サイト「BLACKBOX」は、こちらです。
マーク・ジョンソン&キャスリーン・ギャラガー(著)による【10億分の1を乗りこえた少年と科学者たち 世界初のパーソナルゲノム医療はこうして実現した】(紀伊國屋書店2018/11/1発売・税込価格1,944円)という本をご存知ですか?
2003年、ヒトゲノムの解読が完了し、科学は歴史的な一歩を踏み出しました。それから6年後の2009年、今度は医療において大きな一歩が踏み出されていきます。患者個人のゲノムを解析し、その結果にもとづいて診断・治療を行うという「パーソナルゲノム医療」が産声を上げたのです。
この本は、医師と研究者、そして患者と家族に焦点を当てながら、その新たな医療が生まれるまでを描いたドキュメンタリーでピューリッツァー賞も受賞している2人のジャーナリストタッグを組んで書き上げたものです。
この本の魅力は、それが豊かな科学的知識を授けてくれるからではなく、登場人物たちの悲喜こもごもを濃密な筆致で描いており、事実を淡々と積み上げていく記述ながら、最後に読者をアッと言わせるものもあるそうです。
舞台はアメリカのウィスコンシン州。5歳になるニコラス・ヴォルカーは、もう3年間も正体の知れない病気に苦しめられていました。少年は食事をとるたびに腸に小さな穴ができ、そこから便が漏れ出てしまうのです。感染症の危険ともつねに隣り合わせであり、それを防ぐために、年に何十回も手術室へ足を運びます。当然のことながら、死の淵をさまよったのも一度や二度ではありませんでした。
少年と家族を何より困らせたのは、謎の病気に対して、いっこうに診断が下されないことでした。どの病院に行っても、どの専門医に診てもらっても、彼らはみな頭を抱えるばかりで、医学文献を調べても、症例はどこにも見当たらなかったのです。ある医者はのちにこう回顧している。
『検査結果が返ってくるたびに、全体像がますますわからなくなっていくんです。......まさに10億人にひとりレベルの稀な症例でした。』
ウィスコンシンではゲノム科学に携わる優秀な研究者たちが集まりつつあり、その中心にいたのが、ハワード・ジェイコブがいました。既にラットの遺伝子研究で大きな業績をあげていた彼は、新天地でDNA解析を医療に応用するという大きな目標を掲げていました。
最終的には、ジェイコブの研究チームがニコラスのDNAを解析し、謎の病気に対する診断を下すことに成功するのですが、メインストーリーだけでなく、それ以外のサブストーリーからも目が離せないようで、DNA解析をきっかけとして、病気の原因とともに浮かび上がってくる新たな事実や、退院時にようやく実現したニコラスとジェイコブの初対面のシーンなど、著者たちの巧みなストーリー構成に導かれながら、ときには心を乱され、ときには拍手喝采し、飽きることなく最後まで読み進めるものに仕上がっているのだとか。
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ひとりの少年を救うため、計画を5年も前倒しにして世界初の試みに挑んでいったジェイコブの研究チーム。リスクもあるその試みにメンバーたちを向かわせたのは、「それに挑戦しないというなら、自分たちは何のためにここにいるのか」という熱い思いだった・・・
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私もつい先日、テレビで本が推薦されているのを知って、既に本は購入しています。今年の冬休みは、9連休になるので、じっくり読んでみようと思っています。
話は変わりますが、弊社も今日が仕事納め。1年間有り難うございました。
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