10月4日放送のカンブリア宮殿『熱狂ファンを生み続ける "六花亭"震災に負けない!驚きサバイバル術の全貌』の回、ご覧になられましたか?
百貨店等で、大人気のイベントと言えば・・・「北海道物産展」。私も、そんな広告を見てしまうと、何が欲しいという訳でもなく、ワクワクして見て回りたくなってしまいます。今回の主役は、そんな物産展の中でも、特に人気を集めているという…土産菓子で全国に熱狂的なファンを抱える「六花亭」さん。
1日に20万個を作る「マルセイバターサンド」や、イチゴを丸ごとチョコで包み込んだ「ストロベリーチョコ」など数多くのヒット商品を持つ、人気のお菓子メーカーで、“機械だけに頼らず、味や食感の特徴を出す「ここ」という部分は、職人の手作業で菓子を作っているのです。しかも六花亭には「北海道以外には店を作らない」「売り上げや規模の拡大を目指さない」という、独自すぎるポリシーもありました。
代表の小田さんが六花亭に入社したのは1972年。当時、若者を中心に北海道旅行が流行し、小田さんの父が開発した日本初のホワイトチョコが全国的にヒットしていました。1977年には屋号を「六花亭」に変更し、札幌に進出。屋号変更の記念として発売したのが「マルセイバターサンド」で、売り上げ100億円を目指し、商圏を拡大させていったのだそうです。
そんな六花亭に東京進出の誘いが入りましたが、小田さんは、東京には進出しないことを決断しました。【デキモノと食べ物屋は大きくなれば潰れる】という父親の言葉があたまに浮かび、【目が行き届かなくなるから】と、「売り上げや規模」を追求するのではなく「従業員の質を維持する」ことで、企業を永続させるという、独自の経営を突き進めていくのです。
毎日発行される社内新聞『六輪』…社員の生の声が聞こえ、相手が見えてくる。その中には改善提案等も含まれ、従業員自身にも、他の社員の頑張りが見えるとモチベーションが上がる。働き方改革も、とっくの昔に実現。残業はゼロ。有給休暇は、29年連続で百パーセントが消化されています。従業員6人以上が参加する旅行であれば、社員旅行制度が適用されて、経費の7割りを会社が負担(年間20万円まで)。ある社員は『一生懸命働いて、一生懸命遊んで、遊んできたから、また頑張ろう』と思えると笑顔で話されていました。
頑張った人を讃える報奨制度。今月の顔…受賞者の為に開かれる宴は、社長を含める役員自らも接待し、更に最後には20万円の特別ボーナスも…。月間賞の中から選ばれた最優秀者には、カナダ旅行と100万円。「マッチングギフト」という制度では、会社と社員が寄付を積み立て、返さなくてもよい月六万円までの奨学金までありました。ごろすけ保育園という自社の保育園を設け、エルダー制度という65歳以上になっても働ける制度まで用意されています。やる気を引き出す制度や働く環境を整え、従業員の質を上げていく…それが企業の永続性に繋がると考えているそうです。
小田さんは、「850や1300人くらいなら顔も名前も覚えられる」と話し、「大家族なんだから、一人も脱落しないように全員の力を引き出すのがトップの仕事」と話されていました。十数名しかいないのに社員の名前を間違える社長もいる世の中、「これぞ社長!!」と拍手喝さいを贈りたいところです。
『あなたの今日の仕事は たった一人でよい。この店に買いにきてよかった 満足してくださるお客様を 作ることです。六花亭があるおかげで お客様一人一人が 人生は楽しいと 喜んでくださることです』そんな言葉が社内に貼りだされている【六花亭】さん。『売上ではなくて客数が大切、信頼の証が大事』と話す小田さんは、工場の壁に刻まれたプレートへとカメラを案内していきます。そこには、これまで会社に勤めてくれて来た『従業員の名前が刻まれたプレート』が壁一面に埋め込まれていたのです。熱いものがこみ上げてくるではないですか。
従業員の質を維持することで、企業を永続させようとする小田さんは、まだまだ、重視されているものがありました。それは、時間を取り入れた経営。例えば、北海道の中札内村には六花亭が直接運営する美術館。この美術館…大正2年から銭湯として利用されていた建物を移築したものだとか。ツタに覆われた築75年の建物は、誰もが利用できる図書館へ。小田さんは、こうした歴史的に価値のある建物を地域に残すことで、その景観を地域の財産として後世に残そうと考えていたのです。
「マーケットに限界がある産業だからこそ、成長を追うのではなく、いかに企業として深耕していくか」を考えなければいけないと語る小田さんは、今年9月の巨大地震、大規模停電があった当日も…震災の影響で工場がストップし、商品の各店舗への供給もままならない状態だったにもかかわらず、当日から営業することで、地元の人達に安心感を与えようとされていました。地元の人達に愛され、街と共に生き残っていく会社でありたい。そんな思いは、六花の森という自然公園、なんと東京ドーム2個分の施設まで作ってしまうほど。地元の人が誇りに思える会社になれるよう、小田社長流の社会貢献だったのです。
『企業の永続性に繋がるかどうか、あってもなくても良いことはやらない」『永続性』とは、『追いつかれないこと』。ライバルや同業者に、時間をかけないとできないことを蓄えておけば、その蓄えが追いつかれない…猶予期間…余裕を生み出すと話す小田さん。お菓子だけではなく、社内制度や地域の環境整備だとか、全体が1つとなって企業を作り上げていたのです。『売上や規模の拡大は追わない。売上目標も販売目標もない。東京への進出もせず…それなのに売上は200億』・・・納得できる事実。当然得られる結果と思えたのでした。
いつもの村上龍の編集後記には、こう書かれていました。
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「六花亭」のお菓子は非常に有名だが、物産展以外では都内のデパ地下で買えない。マルセイバターサンドは発売から40年以上、流行には追随しないという考え方だが、商品は洗練されている。売り上げは追わないらしいが、長期的には業績は上がっている。小田さんご自身も、取り上げるべき話題が多く、印象深く、型にはまらない人だった。だが、スタジオで最後に「孤独感がありますか」と聞いたとき「あります」という答えが返ってきて、素顔を見た気がした。経営者は孤独に耐えて決定を下す。それ以外に、経営は、存在しない。
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これまでも素晴らしい会社を見聞きしてきましたが、あらゆる面で理想の会社…驚きの会社でした。長くなってしまいましたが、番組を見ていく中で、作られていく【六花亭】の美味しいお菓子の裏側に、深く豊かな愛情を感じたのでありました。
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9月23日放送の「情熱大陸」ご覧になられましたか? 8月に山口県で行方不明となった2歳の男の子を発見し、一躍時の人となった、“神”と呼ばれるスーパーボランティアの尾畠さん(78歳)が登場されていました。
カメラが追ったのは西日本豪雨で大きな被害を受けた広島県呉市天応地区。被災地の復旧を手伝うボランティアの中に、一際目立つ、赤いつなぎに、「絆」と書かれたヘルメットの尾畠さん。取材を求められると「何でも撮って良い」ことと「活動中は邪魔をしない」という事を約束に、少しも嫌な顔をせずに番組の取材を受諾。
天応地区には、氾濫し流れ込んだ土砂が今なお残ったままの家屋も多いのですが、率先して床下へもぐり込み、ヘドロとなった土砂を泥まみれになって次々とかき出していきます。みんなが休憩している間も、作業効率を上げるために瓦礫の山から適当な板を探し、泥濘の土の上に敷き詰めていきます。ボランティアも段取りが7割と語る尾畠さん…流石です。
また、被災者に寄り添うようにして声をかけ要望を聞き出し、仲間たちに伝えます。時には、経験が浅く動きが硬いボランティアを得意の冗談で和ませ現場の空気を変えていきます。さらに毎朝9時に始まる一般のボランティア活動の前にも独自の活動を続けていました。
早朝6時、たったひとりで向かったのは泥と流された瓦礫で埋め尽くされた川…。始めたのは沢山の瓦礫や汚物も混ざった川の泥をスコップで掘り返し、探し物。行方不明の人が見つかるように、衣類などを見つけると川の水で洗って、近くに、目立つ様に配置。遺品でも見つけられればと…最後まで諦めない姿勢を行動で見せていました。その『行動力』は凄まじいものです。
ボランティア仲間の1人はそんな尾畠さんを「神」の様だといいます。大分県の地元では人気店だった魚屋を65歳で閉店され、世の中に恩返しをしたいと今はボランティアに専念。活動資金は年金収入の月55,000円だけ。お礼は一切受け取らず、節約を心がけ車中泊をしながら全国の被災地を回っています。2011年の東日本大震災の際は、南三陸でなんと500日にもわたって活動されたんだとか。
束の間の休息日は、バイクで30分走り、無料の大好きな露天風呂で疲れを落とすそうです。同じ様に入浴していた人たちは、皆がこう話されていました。
「この人は、テレビに映るずっと前から、変わらずボランティアをしてきたんだ」
・・・と、まるで自分たちの自慢の種であるかのように…。
そんな尾畠さんのもとには来客が絶えず、中には人生相談をしに訪れる人も。番組中には、そんな尾畠さんに講演依頼が入り、丁寧に断られていましたが、あの2歳児を発見し、報道されてからは、そうした依頼も殺到しているんだとか…。講演依頼もそうですが、こうしてテレビに出ることは、本人にとっては活動の妨げになるだけの様な気もします。
番組の中では、広島風お好み焼きの差し入れに涙して感動している尾畠さんの様子が映されていましたが、テレビに映る事で、過剰な差し入れなどがされることも、きっと迷惑になっていく様な気がします。ボランティア期間中、車中泊となる尾畠さんに車の中で休めないのではという質問が投げかけられると、避難生活をしている人に比べれば、ずっと良いと即答されていた尾畠さん。差し入れも、時にはマイナスになるのではと思ったりもします。
小学校5年生の時に母を亡くし、農家に奉公に出て,中学校は3年で4カ月しか通えず、別府市や山口県下関市、兵庫県神戸市の魚店で修業を積み、東京都大田区で鳶と土木の会社で資金を貯めた後1968年に大分に戻って魚屋「魚春」を開業されたんだとか。そんな苦労人の尾畠さんのお店は、当然、地元の人気店だったそうですが65歳の時に惜しまれながら閉店し、これまで沢山の人にお世話になってきたから、今度は、自分が世の中の人の役に立ちたいとボランティア活動に専念していきます。
引退は身体が動かなくなった時に考えるとか…。そんな尾畠さんは、10月には79歳になられるそうです。番組の中では、命を全うした死後の世界で、10歳で先立たれた母親に会えたなら、背骨が折れるほど強く抱きしめて欲しいと涙ながらに語っておられました。尾畠さんの生活を妨げるような接触は避けてもらいたいとつくづく思い、自分も何かできる事をしなければ…そんな気になってしまうのです。
改めてこんな生き方ができる人、人への思いの熱い人に対し、尊敬と感謝の意を表したいと思います。
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8月30日放送のカンブリア宮殿『"魔法のタオル"で大逆転!倒産寸前から復活した感動物語』の回、ご覧になられましたか?女性の間で噂になっている「エアーかおる」という人気のタオル。2007年6月の発売以来、累計販売枚数、約600万枚を超える大ヒット商品とのこと。一般的なタオルより、吸水性、速乾性は1.5倍、洗濯してもボリューム感がなくならず、毛羽落ちも少ないという優れもの。実演販売でその違いを目の当たりにした人は、買わずにはいられなくなってしまう?
愛用者に聞くと「一回使うと離れられない。普通のタオルは使えない」と口を揃えて言うのです。一番の売れ筋は、従来のバスタオルの幅を半分のサイズにした「エニータイム」という魔法のタオル。半分だから価格は半分、半分でも吸水性が高いので、全身や髪を充分に拭け、洗濯もしやすく、バスタオルなのにハンガーで干すのにも丁度良く、サイズも小さくなるから邪魔にならないと主婦の間で話題となったとのこと。そんな人気のタオルを作りあげたのが、今回の主役、岐阜県安八町にある社員18人の中小企業の「浅野撚糸」。
浅野撚糸がある岐阜県南部は“繊維どころ”として栄えてきた街だそうです。1969年創業という浅野撚糸も、撚糸の製造を手掛け、下請け企業として多くの取引先をもち、地元でも名の知れた企業として成長してきました。現社長の浅野さんは福島大教育学部を卒業後、小・中学校の体育教師となり順風満帆な人生を送っていました。そんな浅野さんが2代目社長に就任するきっかけは、母親が病に倒れた1995年の事でした。
就任当時は経営も順調でしたが、2000年代に入ると安価な中国製糸が流通し、撚糸業界は衰退の一途を辿ります。浅野撚糸もその煽りを受け7億円あった売上げは2億円まで落ち込み倒産の危機に陥ってしまい、先代の父は「廃業しよう」と浅野さんに声をかけたそうです。しかし、協力工場を守りたいという思いから、2代目となる浅野さんは「どうせ廃業するなら限界まで挑戦したい」と決意したんだそうです。
そんな矢先、取引先から、使い道に困っていたある糸を紹介されます。それはお湯に溶ける「水溶性糸」。浅野さんはこの糸を使い新たな撚糸の開発に挑み始め、2年後、世界初の撚糸【スーパーゼロ】という撚糸が誕生していくのです。浅野さんはこれを、地銀から紹介された三重県の老舗タオルメーカー「おぼろタオル」に持ち込みますが、その会社もピーク時から比べ売上が3分の1に激減していた“廃業寸前”の中小企業。おぼろタオルの加藤社長は「もう後が無い状況だった、新たなタオルの開発にかけようと思った」と浅野さんの依頼を承諾。ここから廃業寸前同士の企業がタッグを組み、今までにないタオルの開発が始まったのだそうです。なんか、「下町ロケット」とか「陸王」のようなドラマになりそうなお話ですよね。
この浅野さん、タオルに限らず、幅広い商品に使える撚糸の開発に余念がありません。番組では「和紙」で出来た糸に水溶性糸とゴムを撚り合わせたものも紹介されていました。最大の特徴は、軽くて伸縮性があること。その撚糸を持って向かったのはジーンズ生地を作るトップメーカー「カイハラ」。浅野さんが目指すのはこれまでにない「軽くて伸び縮みする」新たなジーンズだったのです。
浅野撚糸さんのホームページを覗きに行くと、「デオなでしこ」というタオルも見つけました。この商品、ユーカリの木を原料としたエコ素材を使用し、素材に臭いのモトとなるアンモニアガス(尿臭)や酢酸ガス(汗のすっぱい臭い)、イソ吉草酸ガス(足の臭い)を科学反応で無臭化する物質を練りこむことで、スピード消臭を可能にしたものなんだとか。通販番組を見ていた訳ではありませんが、またまた欲しくなるではありませんか。下請けから脱却した浅野撚糸の快進撃…まだまだ続きそうですね。
番組の中で村上さんから中小企業へのアドバイスを求められると、【変化に対応できるものが生きられる進化論、夢論】と答えられていました。また、村上さんは、いつもの編集後記の中で、こんな事を話されていました。【技術には限界がないのかもしれないとも思った。これが限界だとあきらめたら、あらゆることが、そこで終わる。】と。当たり前のことかもしれませんが、日本の底力は、そんな所にある気もします。がんばれ!ニッポン!!
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先日、BS-TBSで放送されたドキュメントJ「Knock the door!~空へ 腕と心の翼で」を見ました。主役の鈴木勝良さんは、少年時代に交通事故で両足を失いながらも、数々の挑戦を続けている…68歳の元気なお年寄りでした。番組は、そんな鈴木さんの新たなる挑戦に密着。昨年2017年、約半年間にわたって鈴木さんが挑戦されたのは、健常者だって足がすくんでしまうパラグライダー単独飛行。両足切断というハンディキャップから解き放たれた、アンリミットな世界・・・。
岩手県盛岡市在住の鈴木さん(68歳)。両足のない鈴木さんは、それでも健常者のように自由に生きたいと願い、挫折や絶望を経験しながらも、這い上がり、乗り越えて挑戦を続けてきました。健常者にだって厳しいと思われる…宮古湾を泳いでの横断、スキューバダイビングやスカイダイビングに。なんと、2016年の希望郷いわて大会では、水泳2種目で優勝するまでの努力家です。
少年時代に交通事故で両足を失い、「障害者」と呼ばれるようになって63年。鈴木さんを突き動かしてきたのは「あなたには無理」と烙印を押す人たちへの反骨でした。プログラマーを目指して上京し、アパートを借りようとした時には、両足がないことを知ったとたんに賃貸業者の対応が変わり、どこにも貸してもらえず…結局、見かねた学校の先生が下宿させてくれたそうです。先生や、その家族は、鈴木さんの事も同じ家族の様に大切にしてくださったとか…。
2017年、そんな鈴木さんが半年間にわたり挑戦したのは、パラグライダー単独飛行。両足切断というハンディキャップは、グライダー自体にも改良が必要で、力を貸して下さる周囲の方々も、本当に素晴らしい方々でした。完璧な人など存在しません。番組紹介文の中では、この番組作成に関する目的が、以下の様に書かれていました。
『人は誰しも、何かを欠いて生きている。時に困難や試練にぶつかり、苦悩する。希望を見失った真っ暗闇の中で、それでも歩みださなければならない時、私達は何を目印にすればいいのだろうか。暗闇の中で進みだせないでいる人に、何らかのヒントを示せるのではないかと考え、鈴木さんの大空への挑戦と、その生き様を、カメラが追った。』と。
鈴木さんには、数多くの頼れる友人がいました。おかげで幼い頃から、健常者とは思えない明るさで、様々な事にトライし、今も68歳とは思えない活き活きとした生き様を見せてくれています。様々な所へ講演会にも出かけ、自分の体験談を話す事で、多くの人にも力を分けています。思えば、単に良い人たちに支えられてきたのではなくて、鈴木さんの前向きな生き方が、周りが手を貸さずにはいられない、『一緒に乗り越えてみたい』という思いを抱かせてきたのではないでしょうか。
無事、パラグライダーでの単独飛行を成功させ、大空を舞いながら満面の笑顔で喜びを表現していた鈴木さん…とても素敵な方でした。今年の1月、右ひざの半月板が断裂してしまった私ですが、膝が痛いなんて事ぐらいで嘆いてなんかいられないですね…。私も力を頂けました。でも…遠泳やスカイダイビング、パラグライダー等々は…ちょっと手が出せそうもありません…とほっ。
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先日、NHK BS世界のドキュメンタリー「100歳から始まる人生」を見ました。
厚生労働省は昨年2017年の9月15日、100歳以上の高齢者が全国に67,824人いると発表。前年から2,132人増え、なんと47年連続の増加。2017年度中に100歳になる人も32,097人の過去最多と報じていました。
老人福祉法は9月15日を「老人の日」と定め、厚労省は毎年この時期に100歳以上の人口をまとめているようです。住民基本台帳に基づき、15日時点で100歳以上となる高齢者の数を1日現在で集計。大半はやはり女性で、5万9,627人と87.9%を占めているそうです。女性の方々、秘訣は何でしょうか?・・・
2016年米シンクタンク・ピュー研究所は、世界の100歳以上の高齢者は2050年までに15年比7.15倍増の約370万人になると予測しており、その数が最も多いのは中国で、以下、日本、米国、イタリア、インドと続いていました。
そんな長寿化が進む中の世界最高齢のブロガー、スウェーデンのダグニーさんが今回の主役。ダグニーさんは、親の愛に恵まれなかったり、最初の旦那様はアルコール依存症でDVがあったりと喜べない体験も多かったようで、性格も内向的だったそうです。「90歳で夫を亡くして、私の人生は終わったと思っていたのに」と語るダグニーさん。
ところが、2012年、100歳でパソコンを購入し、日々の出来事や過去の思い出をつづったところ、そのブログが一躍人気となって有名人に。フォロワーは500,000人を越え、時の人になったダグニーさんの暮らしは一変。TV番組に出演したり、セレブと同席したり、村の最高齢DJとの淡い恋まで…。人生何歳になっても可能性に満ちていることを教えてくれる心温まるドキュメンタリーでした。
マンション住まいで子供なし。お菓子を作ったり、踏み台に上って電気のカサを掃除したり、ごく普通の独身女性の暮らし。ところが、とにかく高齢とは思えないほど生き生きとしていて、颯爽とした歩き方がまったく年齢を感じさせずに、とても素敵でした。
90歳の妹の誕生日には、プレゼントのパソコン持参で妹宅を訪問し、あまり乗り気でなさそうな妹さんにパソコンの使い方を教えたりしていて、とても微笑ましいものでした。なんと、ダグニーさんは、老人向けのパソコン教室の先生までやっているのです。内向的だったお婆ちゃんが、年を取ってこんなパワフルになっていくのって、人生、どう展開していくか分からないものですよね。
2016年、104歳の時に話した長寿の秘訣は以下の4つ。
1. 長い散歩をすること。
2. 愚痴を言わないこと。
3. 後悔しないこと。
4. 人にやさしくすること。
そんなダグニーさんは昨年2017年5月8日、無事105歳の誕生日を迎えています。その時・・・
「105歳になることを想像してましたか?」と聞かれると・・・
「いいえ。想像もしませんでした。ふつう、人間はこんなに長生きしないものですからね。長生きしていたとしても、たいていボケていたりして、105歳の誕生日を楽しく祝えるなんてことはないでしょう。」と答えていたそうです。また・・・
「これからの目標が何かありますか?」と聞かれると・・・
「そうですね、106歳を迎えることでしょうか。今まで通りに暮らしていけたらと思います。きちんと食べて、できるだけ歩くようにしたいですね。自然の近くに住んでいますので、よく水辺の公園まで行くんです。パンが余っている時は、カモたちにやったりしてますよ。」
沢山悲しいことがあったとしても、その何倍も何十倍も良い事があるかも知れない・・・。諦めず、投げ出さず、前向きに生きていく事で、人生どう変わっていくかなんて誰にも分らないものです。授かった命・・・大切にしていきたいですね。
昔から音楽とダンスが好きだったダグニーさん。夫が亡くなってから全然踊っておらず、誰か一緒にダンスをしてくれる人は、いないかしら?と番組の中で話していましたが、そんな夢も素敵な出会いと共に見事に叶えていきます。見ているこちらまで嬉しくて目頭が熱くなりました…。長生きしてくださいね。
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テレビ東京がビジネスドラマのシリーズとしてスタートさせたドラマBiz。前回、江口さんや杉本さん、小池さんと言った”ガイア”や”カンブリ”のメンバーを配し、気合十分で始めた「ヘッド・ハンター」。平均視聴率は3.51%?のようでしたが、果たして続いての第2弾は、どうなる事でしょうか。
そして、私が楽しみにしていた第2弾は、これまた大好きな俳優さんで「チーム・バチスタ」でご存知の仲村トオルさんが主演となる「ラストチャンス 再生請負人」。番組の紹介文では、この様に書かれていました。
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本作のテーマは、「会社の再生(再建)と人の再生」。第一線で活躍していた銀行マンが、長年勤めた銀行の合併を機に人生を見つめなおし、転職を決意。異業界で会社再建に奮闘する波乱万丈な日々をドラマチックに描きます。主人公の挫折や仲間の裏切り、妬み…そんな人生の辛さを乗り越えながら、崖っぷちに立たされた、とある飲食フランチャイズ企業の再生と共に「働くとは何か?」「企業にとって大切なこととは何か?」に気づいていく・・・そんな主人公の生き様を、爽快かつ痛快に描いていきます。
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初回から目まぐるしい展開で、勤めていた銀行が吸収合併、カード会社に出向を命じられ、親しい先輩の会社に誘われて銀行を退職。ところが先輩に誘われた会社に初出勤の日、会社に行ってみるとM&Aでトップが入れ替わり、採用も含めて白紙となって、いきなり失業者に。・・・ボロボロの展開に、ふと通りすがりの道で出会った占い師に診てもらうと・・・。
と、ここで登場してきた怪しい占い師ミッキー・カーチスさんが言うセリフが【人生の七味】。
【人生の七味??】・・・すらすらと語られてしまったので、さっそくネットで探したところ、1冊の本【人生に七味あり】に到達。中身はこうでした。
【うらみ、つらみ、ねたみ、そねみ、いやみ、ひがみ、やっかみ】。
面白いことを言うなぁと、この作者は『江上剛』さんかぁと、ドラマに返って確認すると、なんとドラマの原作者も『江上剛』さんではありませんか。なるほど、今回のドラマのテーマは、正にこの【人生の七味】という訳ですねと納得したのでありました。余談ですが、本の方では、占い師は老婆だったようで、そうすると、この占い師も、なかなかポイントになっていきそうですよねぇ・・・。
そうそう、つい先日まで夢中になっていた『メガバンク最終決戦』に登場していた椎名桔平さんも登場しているので、今後の絡みも楽しみの一つになりますよ。初回を見逃してしまった人…2回目からでも充分楽しめると思いますし、BS放送でもやっているので、番組予約要チェックですよ!!
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6月28日放送のカンブリア宮殿『外食の戦いは終わらない!〜目からウロコの勝ち残る新戦略〜』の回、ご覧になられましたか?5月31日に、このブログで『あの伝説の創業者が、圧倒的な支持を得て珈琲店を急拡大!!』という記事を書いていますが、5月17日放送のカンブリア宮殿『最高の居心地で"珈琲店戦争"に殴り込み 外食レジェンド80歳の再チャレンジ!』の回に出たばかりの、伝説の創業者・横川兄弟の三男、竟さんが、またまた登場してきたのです。
激しい生き残り競争を繰り広げ、栄枯盛衰を繰り返してきた外食業界において、注目される新興勢力、攻防史、成功の極意まで...。司会の村上龍さんに、小池栄子さんまでも、特別に取材に出向いてのリポート映像が流れるという珍しい展開でした。また、少し前に出たばかりの横川さんが再登場してきたのは、厳しい外食業界を生き残ってきた、その圧倒的な経験を頼って、様々な外食経営者が横川氏を訪ねてくるという所にありました。
80歳にして今も様々な外食企業の研究に余念がないレジェンド。横川さんは、独自の外食チェーンランキングをノートにされており、記録して知ることで良し悪しのポイントが分かるようになると話されていました。また「沢山のメニューがあるのは上手くいかない」とも。盲点は、『本当に売りたいなら絞って拘らないと』と言うのです。そんな、外食産業の栄枯盛衰を半世紀に渡り見つめ続ける中で培った“外食レジェンド”の極意、面白く観させて頂きました。
インタビューされる中で語られたのは、たまたま食べていたお弁当に例えての経営術。そのお弁当、ぱっと見は普通のお弁当ながら、食べていくと、その下から次々と、また【おかず】が出てくるのです。「食べて満足する弁当」「食べながら驚く弁当」そこには、『儲けよりも、喜んでもらいたい』というお店の姿勢が見えるというのです。
半数のお店が、オープン後2年で閉店。10年間生き残る店は1割に満たないと言われる、厳しい外食業界。私の職場がある神保町でも、生き残るのは大変そうに見えます。番組では、そんな業界に夢を持って挑む若手経営者に、レジェンドの横川さんが直接、店を訪ねて経営指南。こんな機会、望まれる人は沢山いるのではないでしょうか。
訪れたのは、小さなシーフードのお店で、客数が伸びずに追い込まれていました。そんなお店の入り口に来たレジェンド。店主が考えた末に置いた「置き看板」に、いきなりダメ出し。「値段も書いていないし、お客さんが知りたい情報がない。」「シーフードなのに、パスタをメインにすることも間違っている。」また、「なぜシーフードなのか?」も問い詰めていきます。
「健康的なイメージなのか?」「何のためにシーフードなのかが分からない」出されたメニューにも「メニューがダメ、見てもイメージがわかない」とダメ出しの連発。結局、店主と話していく中で、『農家や漁業の担い手が減っているから、何かの役に立ちたい』…そう語る熱い店主に心動かされたのか『【何のために】が大事』なんだと話されて『頑張って!!』と背中を押されていました。快刀乱麻を断っていく様は、まさにレジェンドそのものでした。
番組では、この他、ベイシックスという面白い会社も紹介されていましたが、長くなるので、印象に残った一言だけ。『究極の客目線でなければダメ。どうなのかなと不安になるような立地だからこそ、必死になってやるから【勝てる】。大手チェーンの人では出来ないこと。』…以下省略。番組の中では、この他、こんなキーワードが出ていました。
『味、店舗デザイン、接客、それだけでは客は来ない。客に何を提供するのか、提供したいのか、提供できるのかと問い続けること。外食に、「ゴール」はない。』
『人が好きでなければだめ。どうやったら儲かるかではなく、どうしたら喜んでもらえるかだ』
これって、全てのビジネスに通じる事でもありますよね。
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Innovative TomorrowというBS日テレで放送されている番組をご存知でしょうか?毎回、非常に優秀な人が招かれ、良いお話を聞くことができる楽しみな番組の一つですが、5月28日に登場したのが株式会社オールアバウトグループの代表、江幡哲也さん。オールアバウトは、Web情報の分野に信頼性を導入し、広く深くをテーマにした総合情報サイトだそうで、なんと1301分野をカバーしているとの事。正直、私は知りませんでした…。
「一生に何度もないようなことは、経験も、情報も少ないから情報か必要になる」ところがネットで情報を集めようとしても、フェイクも多く専門家による信頼のおける情報がなかなか見つけられない。そんな問題点を解消しようとしているのがオールアバウトなんだとか。オールアバウトでは専門家のことをガイドというそうですが、専門性を極める為に会社を8社に分社し、分けることによって小さくなった組織は、スピードを増しパワーが出やすくなるんだとか。
勿論、専門家が増えやすい環境が整い社長も増えます。ナンバー2は、役割を持って、そこを突き詰めていきますが、社長は、360度気をつかわなければ、ならないので、人材育成にも繋がります。問題なのは、放っておくと遠心力をおこし勝手な事をやりだすということ。「遠心力と求心力」というキーワードが大切になって来て「実現したい目標、ビジョンは一つでなければならない」と言います。
【個人を豊かに、社会を元気に】それが代表の江幡さんの目指すところのようですが、情報で世直しをしたいとも話されていました。
番組ではいつも「思考のコア・自分への問い」について尋ねられますが、江幡さんの問いはこうでした。
『動機は善か?』それが力の源になる。善とは皆がおかしいと思うことを、正すこと。すると、MCのパックンが英語で答えました。
【Do well by doing good.】良い行いをして成功する…そんな格言があるとの事。心したいですね。
毎回、本当に、とても良い話が聞けますので、見た事のない方は、是非一度ご覧になってください。
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『つらい記憶』
記憶が、完全ではないから
今も、こうして居られる
それでも、何かがきっかけで
鮮明に蘇ることもある
忘れた訳ではない
忘れられるほど、軽い出来事ではなかった
でも、前に向かって歩いていると
また、その記憶も影をひそめてゆく
出来る事なら忘れたい・・・
出来る事なら、楽しい記憶だけで良い
また、いつもと同じ時間が流れ始める
みんな、何事もなかったように・・・
実は、みんなが違うつらさを背負っている
優劣なんてつけられない
同じつらさだって、重くなったり軽くなったり
でも、みんなが、何事もなかったように過ごしてる
負けてられない
折れてなんかいられない
みんな頑張ってるんだから
私にだって頑張れるはず
頑張っても報われずに
何も言えずに・・・
去って行った生き物達の分まで
とにかく前に・・・前へ・・・
詩集『道しるべ』より
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TBSテレビでゴールデンの時間帯で放送されている『坂上&指原のつぶれない店』5月20日の放送分はご覧になられましたか?「街中のつぶれそうなのにつぶれない店」は何故つぶれないのか?そんな素朴な?謎を解き明かすなど“お金”にまつわるバラエティ番組なのですが、なんと先日は、あのジャパネットたかたの創業者が登場してきたのです。
高い声と独特の語り口でテレビショッピングの人気者となった元ジャパネットたかたの髙田明社長。3年前にジャパネットの社長の座を息子に譲り勇退したかと思いきや、昨年4月、経営不振で3億円以上の赤字を抱え、倒産のピンチに追い込まれていた別会社の社長に就任し、たった一年でなんと25億円の売り上げをやってのけ、大活躍しているというのです。
その会社とは高田社長の地元、長崎県のJリーグチーム「V・ファーレン長崎」。火中の栗を拾ったのは、2017年3月のこと。当時、V・ファーレン長崎はJ2で22チーム中15位と成績は低迷。経営的にも17年1月期の決算で1億3770万円の最終赤字を計上していました。累積赤字は3億2460万円まで膨らみ、一時は選手の給料未払いが懸念されるほど経営が悪化していたとのこと。
そんな地元・長崎のチームを何とかしたいと立ち上がった髙田社長は、就任前の観客数が平均で4,000人くらいだったものを、11月には満席の2万2,000人に!さらには、Jリーグの2部リーグ「J2」から「J1」に昇格する、という快挙まで成し遂げ、3億円以上の赤字だった1年前から、今年は何と25億円の見込みなんだとか!サッカークラブの経営はもともと全くの素人という高田社長がどうやって、倒産寸前のクラブを立ち直らせたのか…?!
髙田社長が「集客」の為に掲げた、4つの「改革」。
◆その1「駐車場を変えた」・・・駐車場を新たに増やし、無料駐車場を試合3時間前に閉門して早い時間の来場を促し、ゆっくり来られる人は最初から有料駐車場に向かうような流れを作って、渋滞緩和の工夫まで行ったのです。
◆その2「電車を変えた」・・・試合当日は電車の本数も増やし、シャトルバスの整備も行うなどアクセス面を改善。
◆その3「駅からの道を変えた」・・・駅から会場まで歩くという人に対して、地元の人の協力を仰いで様々な「おもてなし」を実現。
◆その4「スタジアム周りを変えた」・・・「ジャパネット」のアウトレットセールの屋台を出店するなど、スタジアム周辺に様々な出店を招いて充実させたのです。
また、アウェーゲームにも社長自ら足を運んで他クラブのスタジアム設備を研究。試合前には必ず大勢の相手サポーターと会話し、「アクセスはどう?」「駐車場は?」などスタジアムの情報収集を行い、自分のクラブに活かそうとしていたのです。
更には、自らが広告塔となり、長崎のローカル番組にも出演して、試合を見に来てもらうよう宣伝。お客さんを増やすための「改革」を、次から次へと実行し、驚きのV字回復をやってのけた髙田社長…流石でした。高田社長のそうした努力は、集客アップを実現し、クラブのJ1昇格へと繋がっていったのです。
MCの坂上さんから「3億円の赤字があって、見込みはあったんですか?」と社長就任当時の心境を尋ねられると、「どうにかなると思いました。計算せずに感覚でいくタイプなんです。出来ると信じたら8割のことは可能。出来ないと思うから出来ないのであって、出来ると信じてやり続けるしかないんですよね」と信念を語っていました。
【出来ると信じたら8割のことは可能】
シンプルですが、大切なキーワードですね。
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