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【人生100年時代を生きる】『第1回 終の住処はどこに』を観て

2018-12-14 NEW!

 

NHKスペシャル【人生100年時代を生きる】『第1回 終の住処はどこに』…人生100年時代を迎える日本が抱える課題を見つめ、解決の糸口を探るシリーズご覧になられましたか?3年前に父を看取り、現在も母親を介護する、作家の阿川佐和子さんとともに、2日連続で放送されましたが、1回目のテーマは、お年寄りが安心して暮らすための『終(つい)の住処(すみか)』についてでした。

 

比較的安く手厚い介護が受けられる「特別養護老人ホーム(特養)」の待機者が30万人を超えるなか、国は施設の担い手を“官から民”へと転換しようとしています。その切り札として、7年前に導入されたのが、民間事業者が運営する「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)」。ところが、そんな「サービス付高齢者向け住宅」では、終の住処からの退去をお願いするケースが増えているという話。

 

要介護者の数は2015年には620万人、そして2035年には960万人に増える見込みで、終の住処が大幅に不足するとみられていますが、軽度の要介護者の受け皿にしようと、国が規制緩和をし、多額の補助金を投入して整備を推し進めているにもかかわらず、現場では、様々な矛盾が吹き出していました。要介護度は低くても勝手に施設を出て徘徊してしまう“動き回る認知症高齢者”を数多く抱え、対応に追われる施設が限界を迎えると、退去をお願いするしかなくなってしまうというのです。

 

特別養護老人ホームは要介護3以上の人しか入所できず、サ高住は要介護度が低い人の受け皿として期待されていたのですが、サ高住の法律上の位置づけは住宅となっており、部屋は個室で職員が安否確認などを行っていかなくてはなりません。番組に登場していた幻覚に襲われて職員を呼び出す老人は、要介護2と、介護度は低く、本来介護の手間がかからないと思われていましたが、認知症で身体の自由が効くひとは、かえって負担が大きくなってしまうという困った状態。

 

NHKの調査では、サ高住に入居する認知症の割合が55%にものぼることが分かってきたのです。にも拘らず、国の職員配置基準は日中少なくとも1人となっており、必要と思われる人数を配置していこうとすると経営が大きく圧迫されてしまうという展開で、1人にかかる負担は信じられないほどになっており、それに伴って、そこで暮らす老人の命の危険も増してしまっているのです。サービス付き高齢者向け住宅での事故は昨年度3,334件発生し、死亡が179件だったととのこと・・・。

 

認知症の発症率を示したデータでは85歳以上の人が5割を占めていました。登場されていた先生によると「認知症の高齢者は要介護認定の結果が軽く出る傾向にある。要介護認定の結果が軽く出ると訪問ヘルパーの回数も減る」と指摘されていました。要介護度が高い高齢者を中心に受け入れているサ高住では、赤字経営から抜け出すため要介護度が高い人を集める方針を打ち出したりもしています。

 

NHKのアンケート調査でも「要介護度が低いことを理由に入居を断らざるを得ない」という声が寄せられているとか…。阿川さんは「介護難民が出てきたって感じ」とコメントしていました。要介護度が低くなると事を喜べない矛盾が起こっており、厚生労働省の方も「現場の介護者の負担、手間のかかり具合。要介護認定で反映するというのは大事だと思っている。介護給付費を検討する審議会で検討していきたい」と説明していましたが、どこまでできるやら・・・。

 

そんな中、要介護度を改善する取り組みを行っているサ高住がありました。要介護度が改善すると介護報酬は減りサ高住の収入は減ってしまうのですが、そのサ高住では1月の料金を一般的な額より3万円高く設定することで、改善策を積極的に取り入れていたのです。60室は満室になり、なんとか採算がとれているようでした。入居者で94歳の方は医師から歩くことは難しいと告げられていたが、ここでリハビリを始めて半年…短い期間なら杖を使って歩けるようにまでなったのです。

 

利用者のニーズに答えようと特色を打ち出すサ高住として、看護師の資格をもつ職員が常駐し、医療処置を行っているところがあげられていました。特別養護老人ホームと比べれば人手も少なくリスクもあるため入居を希望する人にリスクがあることを、あえて伝えるようにもしていました。

 

阿川さんは「これだけ施設が出来てくるとマンション探しと同じように、元気なうちにあちこちを見て回る」と先生から教えられたことを教えてくれました。高野准教授は「アメリカでは老人ホームの介護の質を誰にでも分かる形で公表している。日本でも情報を公的機関が収集をしてその情報提供は必要と思う」と説明されていました。

 

阿川さんは「介護する側の都合で制度をつくるのではなく、介護される側の気持ちを入念に拾っていくことをしていかないといけないと思う」とまとめられました。『年を取って豊かな生活なんて、そもそも無理。身体は自由が効かなくなり、収入もなくなり…』と厳しい現実が話されていました。

 

長生きを喜んで迎える為には【健康な体】と【生活を支えてくれる収入】や【環境】…そんな、揃って欲しい条件が数多くあります。それが全て満たされるなんてことは、なかなかないんだということを、確かに受け止めて、これからの生き方について考えなければならないのでしょうねぇ・・・

 

エンディングノートについて、以前も考えていかなければと話しましたが、シリーズ第2回では、これについても考えさせられる回となっていました。続きは、次回のブログにて・・・
 

 

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どんな困難の中でも、幸せを見つけられる

2018-11-28 NEW!

 

11月20日放送のNHKスペシャル「自閉症の君が教えてくれたこと」ご覧になられた方は居られますか?重度の自閉症である東田直樹さんは、人と会話をすることはできませんが、なぜか、文字盤を使えば豊かな表現力を発揮することができます。勿論、世界的にもまれな存在です。24歳になり、プロの作家となった東田さんは、自閉症のみならず、様々なハンディを抱える人たちがどう幸せを見つけていけばいいのか、エッセイや小説を書いています。今回の番組は、そんな東田さんを2年前に取材した番組「君が僕の息子について教えてくれたこと」の続編となります。

 

前回の番組が、芸術祭ドキュメンタリー部門大賞を受賞した10日後、番組ディレクターである丸山拓也さんはガンと診断されました。丸山さんが、がんと診断された当時は、肺や肝臓にも転移し、5年生存率は5割以下という厳しい状況だったそうですが、大量の抗がん剤と手術を行い、1年間の闘病を経て、何とか職場復帰を果たすことが出来ていました。しかし、今も治療の後遺症や再発の恐怖に苦しんでいるんだとか…。もう体力勝負のテレビのディレクターはやめた方がいいのか、家族と静かに暮らした方がいいのか、色々な不安が頭をよぎったそうです。

 

自身の病気とどう折り合いをつけて生きていけばいいのか、これからどんな人生が待っているのか、大きな不安に囚われたときに、2年前に取材した東田さんの姿をもう一度見つめ直したいと思ったそうです。病院のベッドでも、丸山さんはしばしば東田さんの本を読み励まされたんだとか。自閉症というハンディを自分の強さに変えた東田さんから、ディレクターである丸山さん自身が沢山のことを学べるのではないか、そしてそれは、生きづらさを抱える多くの人にとっても普遍的なメッセージになるのではないかと考え、続編の制作に繋がったのです。

 

遡る事2年前…13歳の時に書いたエッセイが、同じ自閉症の息子を持つ、アイルランド在住の高名な作家デビッド・ミッチェル氏の目にとまり、翻訳され、世界30カ国でベストセラーとなりました。『なぜ、自閉症の人が、パニックを起こしたり頭を机に打ち付けるのか?』その答えが、その本にはあったとデビットさんは話されていました。東田さんは謎に包まれた自閉症の世界を明かし、世界に衝撃を与えたのです。

 

東田さんは、圧倒的な言葉の力を持っている人でした。人と直接、会話することがない分だけ、自分の頭の中で様々な出来事をどう捉えるか、自問自答を繰り返してきました。その過程の中から生まれた言葉は鮮烈です。番組の中では、作家のデビットさんや、ディレクターの丸山さんからの質問に対して、明確に突き刺さる様に答えていきます。丸山さんが、親やお婆さんよりも早く死ぬかもしれない…命を繋げないのではないか…不安になって質問すれば・・・

 

「僕は命というものは大切だからこそ、繋ぐものではなく、完結するものだと考えている。命が繋ぐものであるなら、繋げなくなった人は、どうなるのだろう。バトンを握りしめて泣いているのか、途方にくれているのか。それを思うだけで、僕は悲しい気持ちになる。人生を生き切る。残された人は、その姿を見て、自分の人生を生き続ける」…と、直樹さん自身の孤独な決意が力強く綴られていました。

 

「夢から覚めて、いつもと変わらない朝に感謝することから、僕の一日は始まります。」そう話す東田さんは、以前、夢で健常者の自分の夢を見て、目覚めて悲しくなっていたけれど、今は、夢の中でも自閉症の自分として登場するようになったんだとか。そう言えば、昔、似た言葉を耳にしたことがありました。その人は重い病を患っていた方で、寝ている間に命を失う事も十分考えられる方。その人が言っていた言葉も、「朝、目覚めて、自分の命が途絶えず朝を迎えられたことに涙し、感謝する事から一日が始まる」というものでした。

 

13才の自分に送る言葉を尋ねられると
「”ありのままで良い”と思っていましたが、人生は短い…。辛すぎるときに、”ありのまま”とは言えない…。だから、”君が乗っているブランコもいつかは止まる。それまで一生懸命こぎ続ければ、同じ景色も違って見える”と僕は教えてあげたい」そんな風に答えていました。

 

“価値観”についても色々と教えてくれました。病気を持っている本人と、周りの人の価値観は同じではなく、押し付けてはいけない。認知症のお婆さんの気持ちを勝手に分かろうとしていた自身の思い込みについても、不幸だと決めつけていた自分に気づいていきます。認知症でも”優しさは変わっていない”悩むのは本人以上に周囲の人々なのかも知れないと…。

 

番組の最後では、ガンになった丸山さんが言葉を求めると東田さんは、こう話されました…

 

【人はどんな困難をかかえていても、幸せを見つけ、生きることができる】

 

生きづらさを抱える多くの人にとって、普遍的なメッセージになるのではないかと考えていたディレクターの丸山さん。期待通りの言葉が、そこにはあった気がします。私みたいなオヤジですら、その言葉を聞いた瞬間、ゾクゾクっと鳥肌がたつほど感動してしまうのですから・・・。せっかくなので、以下、東田さんの著書を是非読んでみたいという方へ・・・

 

『自閉というぼくの世界』(エスコアール出版部刊)
『この地球にすんでいる僕の仲間たちへ』(エスコアール出版部刊)
『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール出版部刊)のち角川文庫
『自閉症の僕たちが残してきた言葉たち』(エスコアール出版部刊)
『ヘンテコリン』(エスコアール出版部刊)
『続・自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール出版部刊)のち角川文庫
『あるがままに自閉症です 東田直樹の見つめる世界』(エスコアール出版部刊)
童話『勇気はおいしいはず』(小学館)
詩集『みんなの知らない海の音』(朝日新聞社)
童話『きらんきらん・赤い実』(小学館)
絵本『きかんしゃ カンスケ』(交通新聞社)
絵本『カンスケとあかいはっぱ』(交通新聞社)
絵本『カンスケとカタツムリくん』(交通新聞社)
絵本『カンスケとゆきこちゃん』(交通新聞社)
絵本『カンスケのクリスマス』(交通新聞社)
エッセイ『風になる』(ビッグイシュー日本)
『跳びはねる思考』(イースト・プレス)
詩集『ありがとうは僕の耳にこだまする』(株式会社KADOkAWA)
・・・・・

 

私には、統合失調症の甥っ子がいます。病気は違うけれど、東田さんの本・・・読んでみます。


 

 

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トップセールスマンが【世阿弥】を軸にしていたとは・・・

2018-10-18 NEW!

 

10月1日放送のInnovative Tomorrow シーズン5、第1回のジャパネットたかた創業者でもある髙田明さんの回、ご覧になられましたか?毎週月曜日24:00~24:30にBS日テレで放送されている目立たない番組ではありますが、豪華ゲストが登場して、毎回楽しみな番組の一つとなっています。

 

髙田明さんについては、今年の5月29日の【出来ると信じたら8割のことは可能】というタイトルの回でも書かせて頂きましたので、またかと思われるかも知れませんが、今回は、高田さんが再三口にしていた『世阿弥』を中心に触れたいと思います。

 

・・・伝え方が書いてあると話し出すと…
【序破急】➡導入し展開し結論を導く
【1調2機3声】➡調子を整え、タイミングを図り、息をとめて声を出す
・・・と、テレビショッピングで役立っていた『間』が売り上げに結びつくと話していきます。

 

『伝える力を高めるヒント』がある・・・と口にすると、またまた・・・
【我見】と【離見】➡「自分の一方的な視点」と「相手の立場に心を置いた視点」
人を感じる心(離見)で接する事の大切さについても話されていました。世阿弥??

 

いつもの【思考のコア…自分への問い】に対しては・・・
『今という瞬間を一生懸命生きているのか?』と話し、「失敗には二種類ある・・・
「やらないことで得られる失敗」と「一生懸命やらなかったことで得られてしまう失敗」
この2つをしないように心がけているんだとか

 

・・・で、こうした番組で【世阿弥】を引用されるのは初めてのことだったので調べてみました。

 

世阿弥が残した著作の中でも、特に有名なものが「風姿花伝」というものらしいのですが、演劇や芸術についての考えが述べられたもの・・・とは言え、どうやら『世阿弥』の言葉の深さはそれだけではないようです。

 

劇団のオーナー兼プロデューサーでもあった世阿弥は、劇団の存続の為に「どうしたら良いのか?」を考え抜き、役者の修行方法から始まり、いかにライバル劇団に勝ち、観客の興味を惹くにはどうすべきかなど、後継者に託す具体的なアドバイスを記していったのです。いわば、芸術のための芸術論というよりは、生存競争の厳しい芸能社会を勝ち抜くための戦術書ともいえるもの。

 

世阿弥は、観客との関係、人気との関係、組織との関係など、すべては「関係的」であり、変化してやまないものと考え、その中でどのように己の芸を全うするか、ということを中心に説いています。ビジネスパーソン…特に、営業には役に立つ物のようですね。読みやすく解説された本も多く出版されているようですから、まずは「風姿花伝」…読んでみたいですね。そうそう、ついでなので世阿弥の珠玉のことばの中から、代表的なものをひとつ。

 

【初心忘るべからず】

 

・・・これも世阿弥だったんですねぇ・・・
 

 

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【六花亭】の美味しいお菓子の裏側に、深く豊かな愛情を見た

2018-10-11 NEW!

 

10月4日放送のカンブリア宮殿『熱狂ファンを生み続ける "六花亭"震災に負けない!驚きサバイバル術の全貌』の回、ご覧になられましたか?

 

百貨店等で、大人気のイベントと言えば・・・「北海道物産展」。私も、そんな広告を見てしまうと、何が欲しいという訳でもなく、ワクワクして見て回りたくなってしまいます。今回の主役は、そんな物産展の中でも、特に人気を集めているという…土産菓子で全国に熱狂的なファンを抱える「六花亭」さん。

 

1日に20万個を作る「マルセイバターサンド」や、イチゴを丸ごとチョコで包み込んだ「ストロベリーチョコ」など数多くのヒット商品を持つ、人気のお菓子メーカーで、“機械だけに頼らず、味や食感の特徴を出す「ここ」という部分は、職人の手作業で菓子を作っているのです。しかも六花亭には「北海道以外には店を作らない」「売り上げや規模の拡大を目指さない」という、独自すぎるポリシーもありました。

 

代表の小田さんが六花亭に入社したのは1972年。当時、若者を中心に北海道旅行が流行し、小田さんの父が開発した日本初のホワイトチョコが全国的にヒットしていました。1977年には屋号を「六花亭」に変更し、札幌に進出。屋号変更の記念として発売したのが「マルセイバターサンド」で、売り上げ100億円を目指し、商圏を拡大させていったのだそうです。

 

そんな六花亭に東京進出の誘いが入りましたが、小田さんは、東京には進出しないことを決断しました。【デキモノと食べ物屋は大きくなれば潰れる】という父親の言葉があたまに浮かび、【目が行き届かなくなるから】と、「売り上げや規模」を追求するのではなく「従業員の質を維持する」ことで、企業を永続させるという、独自の経営を突き進めていくのです。

 

毎日発行される社内新聞『六輪』…社員の生の声が聞こえ、相手が見えてくる。その中には改善提案等も含まれ、従業員自身にも、他の社員の頑張りが見えるとモチベーションが上がる。働き方改革も、とっくの昔に実現。残業はゼロ。有給休暇は、29年連続で百パーセントが消化されています。従業員6人以上が参加する旅行であれば、社員旅行制度が適用されて、経費の7割りを会社が負担(年間20万円まで)。ある社員は『一生懸命働いて、一生懸命遊んで、遊んできたから、また頑張ろう』と思えると笑顔で話されていました。

 

頑張った人を讃える報奨制度。今月の顔…受賞者の為に開かれる宴は、社長を含める役員自らも接待し、更に最後には20万円の特別ボーナスも…。月間賞の中から選ばれた最優秀者には、カナダ旅行と100万円。「マッチングギフト」という制度では、会社と社員が寄付を積み立て、返さなくてもよい月六万円までの奨学金までありました。ごろすけ保育園という自社の保育園を設け、エルダー制度という65歳以上になっても働ける制度まで用意されています。やる気を引き出す制度や働く環境を整え、従業員の質を上げていく…それが企業の永続性に繋がると考えているそうです。

 

小田さんは、「850や1300人くらいなら顔も名前も覚えられる」と話し、「大家族なんだから、一人も脱落しないように全員の力を引き出すのがトップの仕事」と話されていました。十数名しかいないのに社員の名前を間違える社長もいる世の中、「これぞ社長!!」と拍手喝さいを贈りたいところです。

 

『あなたの今日の仕事は たった一人でよい。この店に買いにきてよかった 満足してくださるお客様を 作ることです。六花亭があるおかげで お客様一人一人が 人生は楽しいと 喜んでくださることです』そんな言葉が社内に貼りだされている【六花亭】さん。『売上ではなくて客数が大切、信頼の証が大事』と話す小田さんは、工場の壁に刻まれたプレートへとカメラを案内していきます。そこには、これまで会社に勤めてくれて来た『従業員の名前が刻まれたプレート』が壁一面に埋め込まれていたのです。熱いものがこみ上げてくるではないですか。

 

従業員の質を維持することで、企業を永続させようとする小田さんは、まだまだ、重視されているものがありました。それは、時間を取り入れた経営。例えば、北海道の中札内村には六花亭が直接運営する美術館。この美術館…大正2年から銭湯として利用されていた建物を移築したものだとか。ツタに覆われた築75年の建物は、誰もが利用できる図書館へ。小田さんは、こうした歴史的に価値のある建物を地域に残すことで、その景観を地域の財産として後世に残そうと考えていたのです。

 

「マーケットに限界がある産業だからこそ、成長を追うのではなく、いかに企業として深耕していくか」を考えなければいけないと語る小田さんは、今年9月の巨大地震、大規模停電があった当日も…震災の影響で工場がストップし、商品の各店舗への供給もままならない状態だったにもかかわらず、当日から営業することで、地元の人達に安心感を与えようとされていました。地元の人達に愛され、街と共に生き残っていく会社でありたい。そんな思いは、六花の森という自然公園、なんと東京ドーム2個分の施設まで作ってしまうほど。地元の人が誇りに思える会社になれるよう、小田社長流の社会貢献だったのです。

 

『企業の永続性に繋がるかどうか、あってもなくても良いことはやらない」『永続性』とは、『追いつかれないこと』。ライバルや同業者に、時間をかけないとできないことを蓄えておけば、その蓄えが追いつかれない…猶予期間…余裕を生み出すと話す小田さん。お菓子だけではなく、社内制度や地域の環境整備だとか、全体が1つとなって企業を作り上げていたのです。『売上や規模の拡大は追わない。売上目標も販売目標もない。東京への進出もせず…それなのに売上は200億』・・・納得できる事実。当然得られる結果と思えたのでした。

 

いつもの村上龍の編集後記には、こう書かれていました。
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「六花亭」のお菓子は非常に有名だが、物産展以外では都内のデパ地下で買えない。マルセイバターサンドは発売から40年以上、流行には追随しないという考え方だが、商品は洗練されている。売り上げは追わないらしいが、長期的には業績は上がっている。小田さんご自身も、取り上げるべき話題が多く、印象深く、型にはまらない人だった。だが、スタジオで最後に「孤独感がありますか」と聞いたとき「あります」という答えが返ってきて、素顔を見た気がした。経営者は孤独に耐えて決定を下す。それ以外に、経営は、存在しない。
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これまでも素晴らしい会社を見聞きしてきましたが、あらゆる面で理想の会社…驚きの会社でした。長くなってしまいましたが、番組を見ていく中で、作られていく【六花亭】の美味しいお菓子の裏側に、深く豊かな愛情を感じたのでありました。
 

 

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自己責任・自己完結のスーパーボランティアの【行動力】とは  

2018-9-27 NEW!

 
9月23日放送の「情熱大陸」ご覧になられましたか? 8月に山口県で行方不明となった2歳の男の子を発見し、一躍時の人となった、“神”と呼ばれるスーパーボランティアの尾畠さん(78歳)が登場されていました。

 

カメラが追ったのは西日本豪雨で大きな被害を受けた広島県呉市天応地区。被災地の復旧を手伝うボランティアの中に、一際目立つ、赤いつなぎに、「絆」と書かれたヘルメットの尾畠さん。取材を求められると「何でも撮って良い」ことと「活動中は邪魔をしない」という事を約束に、少しも嫌な顔をせずに番組の取材を受諾。

 

天応地区には、氾濫し流れ込んだ土砂が今なお残ったままの家屋も多いのですが、率先して床下へもぐり込み、ヘドロとなった土砂を泥まみれになって次々とかき出していきます。みんなが休憩している間も、作業効率を上げるために瓦礫の山から適当な板を探し、泥濘の土の上に敷き詰めていきます。ボランティアも段取りが7割と語る尾畠さん…流石です。

 

また、被災者に寄り添うようにして声をかけ要望を聞き出し、仲間たちに伝えます。時には、経験が浅く動きが硬いボランティアを得意の冗談で和ませ現場の空気を変えていきます。さらに毎朝9時に始まる一般のボランティア活動の前にも独自の活動を続けていました。

 

早朝6時、たったひとりで向かったのは泥と流された瓦礫で埋め尽くされた川…。始めたのは沢山の瓦礫や汚物も混ざった川の泥をスコップで掘り返し、探し物。行方不明の人が見つかるように、衣類などを見つけると川の水で洗って、近くに、目立つ様に配置。遺品でも見つけられればと…最後まで諦めない姿勢を行動で見せていました。その『行動力』は凄まじいものです。

 

ボランティア仲間の1人はそんな尾畠さんを「神」の様だといいます。大分県の地元では人気店だった魚屋を65歳で閉店され、世の中に恩返しをしたいと今はボランティアに専念。活動資金は年金収入の月55,000円だけ。お礼は一切受け取らず、節約を心がけ車中泊をしながら全国の被災地を回っています。2011年の東日本大震災の際は、南三陸でなんと500日にもわたって活動されたんだとか。

 

束の間の休息日は、バイクで30分走り、無料の大好きな露天風呂で疲れを落とすそうです。同じ様に入浴していた人たちは、皆がこう話されていました。

 

「この人は、テレビに映るずっと前から、変わらずボランティアをしてきたんだ」

 

・・・と、まるで自分たちの自慢の種であるかのように…。

 

そんな尾畠さんのもとには来客が絶えず、中には人生相談をしに訪れる人も。番組中には、そんな尾畠さんに講演依頼が入り、丁寧に断られていましたが、あの2歳児を発見し、報道されてからは、そうした依頼も殺到しているんだとか…。講演依頼もそうですが、こうしてテレビに出ることは、本人にとっては活動の妨げになるだけの様な気もします。

 

番組の中では、広島風お好み焼きの差し入れに涙して感動している尾畠さんの様子が映されていましたが、テレビに映る事で、過剰な差し入れなどがされることも、きっと迷惑になっていく様な気がします。ボランティア期間中、車中泊となる尾畠さんに車の中で休めないのではという質問が投げかけられると、避難生活をしている人に比べれば、ずっと良いと即答されていた尾畠さん。差し入れも、時にはマイナスになるのではと思ったりもします。

 

小学校5年生の時に母を亡くし、農家に奉公に出て,中学校は3年で4カ月しか通えず、別府市や山口県下関市、兵庫県神戸市の魚店で修業を積み、東京都大田区で鳶と土木の会社で資金を貯めた後1968年に大分に戻って魚屋「魚春」を開業されたんだとか。そんな苦労人の尾畠さんのお店は、当然、地元の人気店だったそうですが65歳の時に惜しまれながら閉店し、これまで沢山の人にお世話になってきたから、今度は、自分が世の中の人の役に立ちたいとボランティア活動に専念していきます。

 

引退は身体が動かなくなった時に考えるとか…。そんな尾畠さんは、10月には79歳になられるそうです。番組の中では、命を全うした死後の世界で、10歳で先立たれた母親に会えたなら、背骨が折れるほど強く抱きしめて欲しいと涙ながらに語っておられました。尾畠さんの生活を妨げるような接触は避けてもらいたいとつくづく思い、自分も何かできる事をしなければ…そんな気になってしまうのです。

 

改めてこんな生き方ができる人、人への思いの熱い人に対し、尊敬と感謝の意を表したいと思います。

 

 

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倒産寸前から『魔法のタオル』で復活した感動物語!!

2018-9-20 NEW!

 

8月30日放送のカンブリア宮殿『"魔法のタオル"で大逆転!倒産寸前から復活した感動物語』の回、ご覧になられましたか?女性の間で噂になっている「エアーかおる」という人気のタオル。2007年6月の発売以来、累計販売枚数、約600万枚を超える大ヒット商品とのこと。一般的なタオルより、吸水性、速乾性は1.5倍、洗濯してもボリューム感がなくならず、毛羽落ちも少ないという優れもの。実演販売でその違いを目の当たりにした人は、買わずにはいられなくなってしまう?

 

愛用者に聞くと「一回使うと離れられない。普通のタオルは使えない」と口を揃えて言うのです。一番の売れ筋は、従来のバスタオルの幅を半分のサイズにした「エニータイム」という魔法のタオル。半分だから価格は半分、半分でも吸水性が高いので、全身や髪を充分に拭け、洗濯もしやすく、バスタオルなのにハンガーで干すのにも丁度良く、サイズも小さくなるから邪魔にならないと主婦の間で話題となったとのこと。そんな人気のタオルを作りあげたのが、今回の主役、岐阜県安八町にある社員18人の中小企業の「浅野撚糸」。

 

浅野撚糸がある岐阜県南部は“繊維どころ”として栄えてきた街だそうです。1969年創業という浅野撚糸も、撚糸の製造を手掛け、下請け企業として多くの取引先をもち、地元でも名の知れた企業として成長してきました。現社長の浅野さんは福島大教育学部を卒業後、小・中学校の体育教師となり順風満帆な人生を送っていました。そんな浅野さんが2代目社長に就任するきっかけは、母親が病に倒れた1995年の事でした。

 

就任当時は経営も順調でしたが、2000年代に入ると安価な中国製糸が流通し、撚糸業界は衰退の一途を辿ります。浅野撚糸もその煽りを受け7億円あった売上げは2億円まで落ち込み倒産の危機に陥ってしまい、先代の父は「廃業しよう」と浅野さんに声をかけたそうです。しかし、協力工場を守りたいという思いから、2代目となる浅野さんは「どうせ廃業するなら限界まで挑戦したい」と決意したんだそうです。

 

そんな矢先、取引先から、使い道に困っていたある糸を紹介されます。それはお湯に溶ける「水溶性糸」。浅野さんはこの糸を使い新たな撚糸の開発に挑み始め、2年後、世界初の撚糸【スーパーゼロ】という撚糸が誕生していくのです。浅野さんはこれを、地銀から紹介された三重県の老舗タオルメーカー「おぼろタオル」に持ち込みますが、その会社もピーク時から比べ売上が3分の1に激減していた“廃業寸前”の中小企業。おぼろタオルの加藤社長は「もう後が無い状況だった、新たなタオルの開発にかけようと思った」と浅野さんの依頼を承諾。ここから廃業寸前同士の企業がタッグを組み、今までにないタオルの開発が始まったのだそうです。なんか、「下町ロケット」とか「陸王」のようなドラマになりそうなお話ですよね。

 

この浅野さん、タオルに限らず、幅広い商品に使える撚糸の開発に余念がありません。番組では「和紙」で出来た糸に水溶性糸とゴムを撚り合わせたものも紹介されていました。最大の特徴は、軽くて伸縮性があること。その撚糸を持って向かったのはジーンズ生地を作るトップメーカー「カイハラ」。浅野さんが目指すのはこれまでにない「軽くて伸び縮みする」新たなジーンズだったのです。

 

浅野撚糸さんのホームページを覗きに行くと、「デオなでしこ」というタオルも見つけました。この商品、ユーカリの木を原料としたエコ素材を使用し、素材に臭いのモトとなるアンモニアガス(尿臭)や酢酸ガス(汗のすっぱい臭い)、イソ吉草酸ガス(足の臭い)を科学反応で無臭化する物質を練りこむことで、スピード消臭を可能にしたものなんだとか。通販番組を見ていた訳ではありませんが、またまた欲しくなるではありませんか。下請けから脱却した浅野撚糸の快進撃…まだまだ続きそうですね。

 

番組の中で村上さんから中小企業へのアドバイスを求められると、【変化に対応できるものが生きられる進化論、夢論】と答えられていました。また、村上さんは、いつもの編集後記の中で、こんな事を話されていました。【技術には限界がないのかもしれないとも思った。これが限界だとあきらめたら、あらゆることが、そこで終わる。】と。当たり前のことかもしれませんが、日本の底力は、そんな所にある気もします。がんばれ!ニッポン!!
 

 

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両足がなくたって、【不可能はない】と信じる気持ち

2018-8-24 NEW!

 

先日、BS-TBSで放送されたドキュメントJ「Knock the door!~空へ 腕と心の翼で」を見ました。主役の鈴木勝良さんは、少年時代に交通事故で両足を失いながらも、数々の挑戦を続けている…68歳の元気なお年寄りでした。番組は、そんな鈴木さんの新たなる挑戦に密着。昨年2017年、約半年間にわたって鈴木さんが挑戦されたのは、健常者だって足がすくんでしまうパラグライダー単独飛行。両足切断というハンディキャップから解き放たれた、アンリミットな世界・・・。

 

岩手県盛岡市在住の鈴木さん(68歳)。両足のない鈴木さんは、それでも健常者のように自由に生きたいと願い、挫折や絶望を経験しながらも、這い上がり、乗り越えて挑戦を続けてきました。健常者にだって厳しいと思われる…宮古湾を泳いでの横断、スキューバダイビングやスカイダイビングに。なんと、2016年の希望郷いわて大会では、水泳2種目で優勝するまでの努力家です。

 

少年時代に交通事故で両足を失い、「障害者」と呼ばれるようになって63年。鈴木さんを突き動かしてきたのは「あなたには無理」と烙印を押す人たちへの反骨でした。プログラマーを目指して上京し、アパートを借りようとした時には、両足がないことを知ったとたんに賃貸業者の対応が変わり、どこにも貸してもらえず…結局、見かねた学校の先生が下宿させてくれたそうです。先生や、その家族は、鈴木さんの事も同じ家族の様に大切にしてくださったとか…。

 

2017年、そんな鈴木さんが半年間にわたり挑戦したのは、パラグライダー単独飛行。両足切断というハンディキャップは、グライダー自体にも改良が必要で、力を貸して下さる周囲の方々も、本当に素晴らしい方々でした。完璧な人など存在しません。番組紹介文の中では、この番組作成に関する目的が、以下の様に書かれていました。

 

『人は誰しも、何かを欠いて生きている。時に困難や試練にぶつかり、苦悩する。希望を見失った真っ暗闇の中で、それでも歩みださなければならない時、私達は何を目印にすればいいのだろうか。暗闇の中で進みだせないでいる人に、何らかのヒントを示せるのではないかと考え、鈴木さんの大空への挑戦と、その生き様を、カメラが追った。』と。

 

鈴木さんには、数多くの頼れる友人がいました。おかげで幼い頃から、健常者とは思えない明るさで、様々な事にトライし、今も68歳とは思えない活き活きとした生き様を見せてくれています。様々な所へ講演会にも出かけ、自分の体験談を話す事で、多くの人にも力を分けています。思えば、単に良い人たちに支えられてきたのではなくて、鈴木さんの前向きな生き方が、周りが手を貸さずにはいられない、『一緒に乗り越えてみたい』という思いを抱かせてきたのではないでしょうか。

 

無事、パラグライダーでの単独飛行を成功させ、大空を舞いながら満面の笑顔で喜びを表現していた鈴木さん…とても素敵な方でした。今年の1月、右ひざの半月板が断裂してしまった私ですが、膝が痛いなんて事ぐらいで嘆いてなんかいられないですね…。私も力を頂けました。でも…遠泳やスカイダイビング、パラグライダー等々は…ちょっと手が出せそうもありません…とほっ。
 

 

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高齢の100歳から始まる生き生きした人生って、ありですよ。

2018-7-26 NEW!

 

先日、NHK BS世界のドキュメンタリー「100歳から始まる人生」を見ました。

 

厚生労働省は昨年2017年の9月15日、100歳以上の高齢者が全国に67,824人いると発表。前年から2,132人増え、なんと47年連続の増加。2017年度中に100歳になる人も32,097人の過去最多と報じていました。

 

老人福祉法は9月15日を「老人の日」と定め、厚労省は毎年この時期に100歳以上の人口をまとめているようです。住民基本台帳に基づき、15日時点で100歳以上となる高齢者の数を1日現在で集計。大半はやはり女性で、5万9,627人と87.9%を占めているそうです。女性の方々、秘訣は何でしょうか?・・・

 

2016年米シンクタンク・ピュー研究所は、世界の100歳以上の高齢者は2050年までに15年比7.15倍増の約370万人になると予測しており、その数が最も多いのは中国で、以下、日本、米国、イタリア、インドと続いていました。

 

そんな長寿化が進む中の世界最高齢のブロガー、スウェーデンのダグニーさんが今回の主役。ダグニーさんは、親の愛に恵まれなかったり、最初の旦那様はアルコール依存症でDVがあったりと喜べない体験も多かったようで、性格も内向的だったそうです。「90歳で夫を亡くして、私の人生は終わったと思っていたのに」と語るダグニーさん。

 

ところが、2012年、100歳でパソコンを購入し、日々の出来事や過去の思い出をつづったところ、そのブログが一躍人気となって有名人に。フォロワーは500,000人を越え、時の人になったダグニーさんの暮らしは一変。TV番組に出演したり、セレブと同席したり、村の最高齢DJとの淡い恋まで…。人生何歳になっても可能性に満ちていることを教えてくれる心温まるドキュメンタリーでした。

 

マンション住まいで子供なし。お菓子を作ったり、踏み台に上って電気のカサを掃除したり、ごく普通の独身女性の暮らし。ところが、とにかく高齢とは思えないほど生き生きとしていて、颯爽とした歩き方がまったく年齢を感じさせずに、とても素敵でした。

 

90歳の妹の誕生日には、プレゼントのパソコン持参で妹宅を訪問し、あまり乗り気でなさそうな妹さんにパソコンの使い方を教えたりしていて、とても微笑ましいものでした。なんと、ダグニーさんは、老人向けのパソコン教室の先生までやっているのです。内向的だったお婆ちゃんが、年を取ってこんなパワフルになっていくのって、人生、どう展開していくか分からないものですよね。

 

2016年、104歳の時に話した長寿の秘訣は以下の4つ。

 

1. 長い散歩をすること。
2. 愚痴を言わないこと。
3. 後悔しないこと。
4. 人にやさしくすること。

 

そんなダグニーさんは昨年2017年5月8日、無事105歳の誕生日を迎えています。その時・・・

 

「105歳になることを想像してましたか?」と聞かれると・・・

「いいえ。想像もしませんでした。ふつう、人間はこんなに長生きしないものですからね。長生きしていたとしても、たいていボケていたりして、105歳の誕生日を楽しく祝えるなんてことはないでしょう。」と答えていたそうです。また・・・

 

「これからの目標が何かありますか?」と聞かれると・・・

「そうですね、106歳を迎えることでしょうか。今まで通りに暮らしていけたらと思います。きちんと食べて、できるだけ歩くようにしたいですね。自然の近くに住んでいますので、よく水辺の公園まで行くんです。パンが余っている時は、カモたちにやったりしてますよ。」

 

沢山悲しいことがあったとしても、その何倍も何十倍も良い事があるかも知れない・・・。諦めず、投げ出さず、前向きに生きていく事で、人生どう変わっていくかなんて誰にも分らないものです。授かった命・・・大切にしていきたいですね。

 

昔から音楽とダンスが好きだったダグニーさん。夫が亡くなってから全然踊っておらず、誰か一緒にダンスをしてくれる人は、いないかしら?と番組の中で話していましたが、そんな夢も素敵な出会いと共に見事に叶えていきます。見ているこちらまで嬉しくて目頭が熱くなりました…。長生きしてくださいね。
 

 

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【人生の七味】とは?…はたして、どの様に展開していくのでしょうか?

2018-7-24 NEW!

 

テレビ東京がビジネスドラマのシリーズとしてスタートさせたドラマBiz。前回、江口さんや杉本さん、小池さんと言った”ガイア”や”カンブリ”のメンバーを配し、気合十分で始めた「ヘッド・ハンター」。平均視聴率は3.51%?のようでしたが、果たして続いての第2弾は、どうなる事でしょうか。

 

そして、私が楽しみにしていた第2弾は、これまた大好きな俳優さんで「チーム・バチスタ」でご存知の仲村トオルさんが主演となる「ラストチャンス 再生請負人」。番組の紹介文では、この様に書かれていました。

 

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本作のテーマは、「会社の再生(再建)と人の再生」。第一線で活躍していた銀行マンが、長年勤めた銀行の合併を機に人生を見つめなおし、転職を決意。異業界で会社再建に奮闘する波乱万丈な日々をドラマチックに描きます。主人公の挫折や仲間の裏切り、妬み…そんな人生の辛さを乗り越えながら、崖っぷちに立たされた、とある飲食フランチャイズ企業の再生と共に「働くとは何か?」「企業にとって大切なこととは何か?」に気づいていく・・・そんな主人公の生き様を、爽快かつ痛快に描いていきます。
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初回から目まぐるしい展開で、勤めていた銀行が吸収合併、カード会社に出向を命じられ、親しい先輩の会社に誘われて銀行を退職。ところが先輩に誘われた会社に初出勤の日、会社に行ってみるとM&Aでトップが入れ替わり、採用も含めて白紙となって、いきなり失業者に。・・・ボロボロの展開に、ふと通りすがりの道で出会った占い師に診てもらうと・・・。

 

と、ここで登場してきた怪しい占い師ミッキー・カーチスさんが言うセリフが【人生の七味】。

 

【人生の七味??】・・・すらすらと語られてしまったので、さっそくネットで探したところ、1冊の本【人生に七味あり】に到達。中身はこうでした。

 

【うらみ、つらみ、ねたみ、そねみ、いやみ、ひがみ、やっかみ】。

 

面白いことを言うなぁと、この作者は『江上剛』さんかぁと、ドラマに返って確認すると、なんとドラマの原作者も『江上剛』さんではありませんか。なるほど、今回のドラマのテーマは、正にこの【人生の七味】という訳ですねと納得したのでありました。余談ですが、本の方では、占い師は老婆だったようで、そうすると、この占い師も、なかなかポイントになっていきそうですよねぇ・・・。

 

そうそう、つい先日まで夢中になっていた『メガバンク最終決戦』に登場していた椎名桔平さんも登場しているので、今後の絡みも楽しみの一つになりますよ。初回を見逃してしまった人…2回目からでも充分楽しめると思いますし、BS放送でもやっているので、番組予約要チェックですよ!!
 

 

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またまた登場!! 伝説の横川さん、成功の極意を語る

2018-7-20 NEW!

 

6月28日放送のカンブリア宮殿『外食の戦いは終わらない!〜目からウロコの勝ち残る新戦略〜』の回、ご覧になられましたか?5月31日に、このブログで『あの伝説の創業者が、圧倒的な支持を得て珈琲店を急拡大!!』という記事を書いていますが、5月17日放送のカンブリア宮殿『最高の居心地で"珈琲店戦争"に殴り込み 外食レジェンド80歳の再チャレンジ!』の回に出たばかりの、伝説の創業者・横川兄弟の三男、竟さんが、またまた登場してきたのです。

 

激しい生き残り競争を繰り広げ、栄枯盛衰を繰り返してきた外食業界において、注目される新興勢力、攻防史、成功の極意まで...。司会の村上龍さんに、小池栄子さんまでも、特別に取材に出向いてのリポート映像が流れるという珍しい展開でした。また、少し前に出たばかりの横川さんが再登場してきたのは、厳しい外食業界を生き残ってきた、その圧倒的な経験を頼って、様々な外食経営者が横川氏を訪ねてくるという所にありました。

 

80歳にして今も様々な外食企業の研究に余念がないレジェンド。横川さんは、独自の外食チェーンランキングをノートにされており、記録して知ることで良し悪しのポイントが分かるようになると話されていました。また「沢山のメニューがあるのは上手くいかない」とも。盲点は、『本当に売りたいなら絞って拘らないと』と言うのです。そんな、外食産業の栄枯盛衰を半世紀に渡り見つめ続ける中で培った“外食レジェンド”の極意、面白く観させて頂きました。

 

インタビューされる中で語られたのは、たまたま食べていたお弁当に例えての経営術。そのお弁当、ぱっと見は普通のお弁当ながら、食べていくと、その下から次々と、また【おかず】が出てくるのです。「食べて満足する弁当」「食べながら驚く弁当」そこには、『儲けよりも、喜んでもらいたい』というお店の姿勢が見えるというのです。

 

半数のお店が、オープン後2年で閉店。10年間生き残る店は1割に満たないと言われる、厳しい外食業界。私の職場がある神保町でも、生き残るのは大変そうに見えます。番組では、そんな業界に夢を持って挑む若手経営者に、レジェンドの横川さんが直接、店を訪ねて経営指南。こんな機会、望まれる人は沢山いるのではないでしょうか。

 

訪れたのは、小さなシーフードのお店で、客数が伸びずに追い込まれていました。そんなお店の入り口に来たレジェンド。店主が考えた末に置いた「置き看板」に、いきなりダメ出し。「値段も書いていないし、お客さんが知りたい情報がない。」「シーフードなのに、パスタをメインにすることも間違っている。」また、「なぜシーフードなのか?」も問い詰めていきます。

 

「健康的なイメージなのか?」「何のためにシーフードなのかが分からない」出されたメニューにも「メニューがダメ、見てもイメージがわかない」とダメ出しの連発。結局、店主と話していく中で、『農家や漁業の担い手が減っているから、何かの役に立ちたい』…そう語る熱い店主に心動かされたのか『【何のために】が大事』なんだと話されて『頑張って!!』と背中を押されていました。快刀乱麻を断っていく様は、まさにレジェンドそのものでした。

 

番組では、この他、ベイシックスという面白い会社も紹介されていましたが、長くなるので、印象に残った一言だけ。『究極の客目線でなければダメ。どうなのかなと不安になるような立地だからこそ、必死になってやるから【勝てる】。大手チェーンの人では出来ないこと。』…以下省略。番組の中では、この他、こんなキーワードが出ていました。

 

『味、店舗デザイン、接客、それだけでは客は来ない。客に何を提供するのか、提供したいのか、提供できるのかと問い続けること。外食に、「ゴール」はない。』

 

『人が好きでなければだめ。どうやったら儲かるかではなく、どうしたら喜んでもらえるかだ』

 

これって、全てのビジネスに通じる事でもありますよね。
 

 

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