ティータイム

心も体も【鉄人】だった衣笠祥雄さんの記録をここに

2018-4-27 NEW!

 

元広島カープの鉄人、衣笠祥雄さんが4月23日に亡くなられました。広島生まれで広島カープファンとしては、こうして触れない訳にはいかないので書かせて頂きます。沢山書きたい事があるのですが、箇条書きにして、記録したいと思います。

 

1965年、広島カープに入団。
1974年までの背番号28から、「鉄人(『鉄人28号』より)」の愛称で親しまれるようになる。
1975年5番打者として4番の山本浩二と共に球団初のセ・リーグ優勝に貢献。
1976年、盗塁王のタイトルを獲得。
1979年、対巨人戦では西本聖から死球を受け、左の肩甲骨を骨折する重傷を負い、全治2週間と診断が下されるが、翌2日の試合で代打として登場。江川卓の投球にフルスイングで挑んで三球三振という記録を残した。試合後には「1球目はファンのために、2球目は自分のために、3球目は西本君のためにスイングしました」と伝説のコメントを残している。

 

・・・全力で突っ込んでいきバットを振り回すだけに、デッドボールも多く受けていましたが、どんな時も怒ることなく、手を挙げて大丈夫であることをアピールしながら、笑顔で1塁ベースに走っていく姿は忘れられません・・・。

 

1982年、12年連続全試合出場を果たし、王貞治の皆勤11シーズンの記録を破る。
1983年、8月史上16人目となる通算2000本安打を達成。
1984年、37歳にして自己最高の打率.329・31本塁打・102打点の成績を残し、打点王を獲得。
1986年6月、2000試合連続出場を達成。
1987年、ルー・ゲーリッグの世界記録を抜いて2,215試合連続出場を果たした。
    また、この年、王貞治さんに次いでプロ野球選手として2人目の国民栄誉賞に輝く。

 

・・・チームメイトの山本浩二とのアベック本塁打は86本を数え、巨人の王貞治・長嶋茂雄の106本に次ぐ日本プロ野球史上2位の記録を残しています。山本浩二さんも凄いのですが、今回の主役は衣笠さん・・・

 

1996年、野球殿堂入り。
2018年4月23日、上行結腸がんにより、東京都内で亡くなられました。71歳。

 

通算三振数は1587個(当時日本記録)、通算併殺打は267(セ・リーグ記録)。通算被死球3位(161)…

 

・・・当てに行く打法ではなくて、とにかく思いっきり振り回す【気持ちの良いスィング】で三振しても笑って許せる唯一の選手でした。球史に残る強打者でありながら通算犠打数は88と、本塁打500本以上を記録した打者の中でも突出して多いのもチームプレイに徹していた事がよく分かるデータです・・・。

 

衣笠祥雄さんの訃報は海外でも報じられており、2632試合連続出場のメジャー記録を保持するカル・リプケンさんからも哀悼の意が表されました。本当に、野球人としても人間としても、とても素晴らしい人でした。

 

謹んで哀悼の意を表します。
 

 

 

 

 

 

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【終活】への理解が深まった『THEドキュメンタリー 終活』

2018-4-26 NEW!

 

ある調査によると『【終活】という言葉を聞いたことがある』という人は全体の9割以上に登る一方、『すでに【終活】を実施している』という人は全体の1割に満たなかったとか。確かに年齢を重ねるにしたがって気になってきた言葉であり、【エンディングノート】なるものは、実際に吟味して親類に差し出したことはあるものの…いざ、自分となると…。

 

今回、番組の中心となって登場したのは、末期ガンから奇跡の生還を果たした小西博之さん。懐かしい欽ちゃんファミリーの一人です。「生きるための活動なら分かるけど、何で死ぬための活動しなきゃならないんだ」と反対側の意見を強く抱いての登場です。「死ぬ事を念頭に置いた活動など、やっとガンを乗り越えてきたのに縁起でもない」という当たり前の考えの様な強めの意思表示です。

 

冒頭で対談する事になったのは『ソナエ』という雑誌を出している【終活】のパイオニア的存在との対談です。ぱっと見、強面の小西さんですから、いきなり否定的な発言で対談相手にプレッシャーをかけはじめた時は、これで対談になるのかと心配させる展開でした。

 

背景としては、一人暮らしが増えてくると、自分の死んだ後の事を考えなければならい世の中になってきたという事。葬儀の小規模化。親の墓と子供の暮らす場所が離れることで生じてしまう、お墓の引っ越し…。最後のお守りを用意しておくことで、何も気にせず生きられるようになる事が目的で、大切なのは、元気なうちにして欲しい活動であって、死を目前にしている状態では出来ない活動なんだと話されていきます。

 

少しずつ、話を聞くうちに【終活】の本当の意味を理解し始める小西さん。そうすると自身の親ともお墓のことで今のうちに話をしておかなければと行動を起こしていきます。

 

【エンディングノート】…その存在も、理解していなかった小西さんですが、説明を聞くうちに「こういうことを考えると親とか子供に優しくなれるね」と感心していきます。そして、とどめは【葬儀VTR】。実際にどの様なものかを観せられると、「いいね!いいね!」を連発。「暗い葬儀がお祝い事になるじゃないか!」と絶賛です。

 

対談を終えて漏らしたのは「死ぬことに自分で心を閉じていた」そう話したのです。終活は死ぬ準備ではなくて、一度リセットして、感謝するため、ありがとうのためだと話す小西さん。これまで大切にしてきた思い入れのあるバイクも、息子にあげる気持ちになれました。物への執着心が無くなるということか、細かい事が決まっていくと楽になって、残りの人生を心安らかに過ごすことができる・・・いわば「お守り」のような物なんだと笑顔で話すようになっていたのです。

 

小西さんの年齢は、私とほぼ同じ…。番組の後半では、銀座終活座というところで実際に御自身の【葬儀VTR】を撮影されていました。番組では、他にも登場人物がありましたが、年老いて伴侶に先立たれた人が、遺品を整理していく中で【終活カフェ】で相談したり、断捨離をすることで、自分の身に何かあった時に、自分の子供にまで、余計な苦労をさせたくないと考えたり…。ほかにも【生前契約】という「りすシステム」が扱う正式な委任契約が紹介されたりと中身の濃い展開でした。

 

家内が母親を亡くした時に、家内の父親に「エンディングノート」を渡したことがあります。家内の母親のお墓は、未だに仙台に作るか私の家の近くに作るか決めかねている状態です。少しでも早く、元気な時に話し合う機会を作って、笑顔で話せるように展開していく事、大切かもしれませんね。身近な年寄りだけでなく、つい先日も右ひざの半月板が断裂して足腰への負担が更に拡大している私。小西さんではないけれど、自分自身に関する【終活】にも、しっかり目を向けて…一歩踏み出す勇気が必要かもしれませんかねぇ…
 

 

 

 

 

 

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安楽死【リビング・ウィル】を扱った映画『終の信託』を観て

2018-4-13 NEW!

 

先日、映画『終の信託』(ついのしんたく)を観ました。朔立木さんによる小説を映画化したものです。単行本は当初、『命の終わりを決めるとき』というタイトルで刊行されていたそうですが、2度目の文庫化の際、『終の信託』と改題されています。ネタバレしても問題ないと思いますので物語のご紹介・・・。

 

主役の女医綾乃は未婚でしたが、同僚の医師と長年愛人関係にありました。しかし、中年となった綾乃は、冷たい言葉で簡単に捨てられてしまいます。失意の綾乃は、あてつけのために病院で自殺を図ります。幸いにも看護師に発見され、一命は取り留めますが、いつの間にか職員はおろか入院患者までも知るところとなって、肩身の狭い思いをすることになります。そんな綾乃に、唯一向き合ってくれたのが喘息で入院している江木でした。

 

江木は、慢性だった喘息が急性化していることに気付いていました。自分に死期が迫っていることを感じた江木は、綾乃に語りかけます。「妻は私が死んでも働けるような女ではありません。入退院を繰り返している私は、3年間働いていないので、医療費は大変な負担です。」、「信頼できるのは先生だけだ。最期のときは早く楽にしてほしい」と懇願するのでした。空気の良い田舎の環境を綾乃は薦めますが、家族は受けいれません…。

 

数か月後、江木は心肺停止となって緊急搬送されます。一命は取り留めますが、人工呼吸器に依存しなければならない状態が続きました。綾乃は江木の最期の願いを思い出し、医師として、人間として選択すべきはどちらなのかと思い悩みます。そして、綾乃は江木の妻に彼の病状を伝え、子供を呼ぶようにと伝えました。

 

翌日。家族の見守る中、綾乃は江木に付けられたチューブを引き抜きます。しかし、その直後、意識のないはずの江木が苦痛のあまり暴れはじめたのです。綾乃は江木を押さえつけ、鎮痛剤と鎮静剤を投与します。江木は家族と綾乃が見守る中、息を引き取りました。

 

3年後、綾乃は検察庁に呼び出されました。内部告発でした。問題となった行為は、鎮静剤の投与でした。延命治療を望まない患者の生命維持装置を外すことは、消極的安楽死と認められることだったかもしれませんが、脳死でもなければ植物状態でもなかった患者が一度息を吹き返したにも関わらず鎮静剤で止めを刺したことで、綾乃は殺人罪に問われているのでした。

 

綾乃は江木に生きていて欲しかったことや、彼の願いから、楽にして挙げたかったことなどを必死に訴え、反論します。しかし、塚原検事は、それを認めてはくれませんでした。その理由は、被害者が死に瀕していたとは言えないこと、被害者の最期の状態を見る限り、生きようとしたといえるのではないかととれること、被害者が死を望んでいたことが綾乃自身の証言しかないことなどがあげられました。

 

綾乃は20日にわたる勾留の後、起訴されました。江木の妻は61冊に上る江木の喘息日記を法廷に提出します。その最後のページには「延命治療を望まない」というリビング・ウィルに相当する一文がありましたが、回復の見込みが完全になかったわけでもなく、家族への説明も不十分だったとし、執行猶予付きの懲役2ヶ月の判決が下されたのでした。

 

主役の綾乃は草刈民代が演じ、江木を役所広司、検事役の塚原は大沢たかおが演じるという豪華な顔ぶれ。勿論、申し分のない演技でした。映画が良かったかどうかは別として、というか、不倫関係の描写はそんなにいらなかったかなとは思うものの、命や患者と向き合う医師、問題を抱える家族…とても考えさせられる中身でした。

 

映画の中では江木の両親や幼くして亡くなった妹の逸話などもあり、江木の心の傷の深さが…何気ない一言が、その人の人生にどれほどの影響を与えてしまうのかといった所まで考えさせられるものでした。とても悲痛な中身で重い映画でしたが、沢山の事を考えさせられる物でした。

 

エンディングノートなるものが随分と取り上げられるようになってきていますが、こういう物は、どうやら早めに残しておいた方が、残される人たちにとっては大切な事なんだと気づかされた気もします。私も、もう書いておいた方が良いのかなぁ・・・。
 

 

 

 

 

 

 

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外国人にも支えられた3.11…因果応報

2018-3-13 NEW!

 

3月6日放送のアナザーストーリーズ・運命の分岐点『外国人から見た3.11』の回、ご覧になられましたか?あの2011年3月11日、日本のために行動し、支援してくださった多くの外国人たちの知られざる物語が今回の題材。東日本大震災における、海外から支援の手は128にも及び、震災発生の翌日から次々到着した救援隊や救援物資。今回初めて見る映像もありました。

 

アメリカ軍による救援作戦「トモダチ作戦」では、最大時、将兵2万4千人が投入されました。アメリカ海軍第7艦隊に所属していたトム・バーク氏は、空母「ロナルド・レーガン」の艦長。韓国での合同軍事演習に向かう途中で震災の一報を聞いたバーク氏は、高度に政治的・軍事的判断で決められている空母の進路を、急遽、軍としては通常有り得ない、日本に向かうという決断を独断で下してくれます。

 

万が一その間に不測の事態が起きれば、責任を問われるという事も覚悟をしての行動だったのです。それでも、そうした勇気ある決断があったからこそ、地震後 僅か40時間という短さで駆けつけられるという奇跡を成し遂げたのです。お蔭様で救援物資の輸送には大貢献。放射能の恐怖が流れる中も、この艦長は自らヘリに乗って先陣を切っていくのですから、凄い人です。

 

番組では更に世界に正しい情報を伝えようと福島第一原発に肉薄したジャーナリストジャーナリストのデイヴィッド・マクニールさんの話。東京はゴーストタウンとなっている等、間違った情報も混在する中、海外に正確な情報を発信しようと福島第一原発の至近距離に迫り、被災地の窮状を伝えてくれました。自分の家族と離れてまでの素晴らしい行動です。

 

また、台湾で募金を呼びかけた当時中学生の少女…。日本で震災が発生したと聞き、涙した台湾の少女は、自分にも出来ることはないかと考えたそうです。遡る事1999年。台湾中部で2,400人以上が亡くなった災害時、世界で最も早く被災地に駆けつけたのが日本でした。真摯に復旧を助け義援金を送った日本人の姿を多くの人々が覚えていてくれたのです。

 

そして 最も被害が大きかったのが少女の中学校がある東勢地区だったのです。テレビ各局も 日本への募金を呼びかけ、チャリティー番組を制作。こうして 200億円を超える義援金が集まったそうです。因果応報…仏教用語で、原因としての善い行いをすれば,善い結果が得られ,悪い行いは悪い結果をもたらすとすることわざ。善悪の原因に相応する楽苦の結果と考えると、自らの日頃の行いもしっかりしなければダメですよねぇ…。

 

何よりも、これまであまり報道されてこなかった外国人による支援の実態…感謝の気持ちで一杯になります。有り難うございました。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

『音』・・・詩集『道しるべ』より

2018-3-8 NEW!

 

『音』

 

カーン ガタガタガタ

ヒュー ミシミシミシ

ピー ワンワンワン

 

沢山の音が鳴っている

でも・・・

彼の耳には届かない・・・

 

ガーン ドドドォー

ザブーン ゴォゴォゴォ

ガウー ゲロゲロゲー

 

絶え間なく鳴り響く音

でも・・・

彼の耳には届かない

 

何を聞こうとしているの?

 

いつも一点をジーッと見つめている

私には見えない何かを・・・

そう・・・

私には聞こえない何かを

選ばれた音を聞いているのかも知れない

 

彼は言う・・・

静かにして・・・

そうすれば気づくはずだと・・・

 

静かに 静かに・・・

 

            詩集『道しるべ』より
 

 

 

 

 

 

 

楽しむためには全てのストレスに勝つ

2018-3-6 NEW!

 

先日、NHKドキュメンタリー、GREAT RACEのシリーズをまたまた見てしまいました。再放送ですが「熱砂の海を走り抜け!ナミブ砂漠250km」。今回のレースの舞台はなんと熱砂の海、アフリカのナミブ砂漠。

 

無駄に力を入れても、かえって砂の中に足が深く沈んでしまって、思うように走れない砂の壁…。42℃まで上昇する猛烈な暑さの中、目標となるフラッグさえも小さくて見失ってしまったり、更には悪天候もあったりで、自分が参加したいとは全く思わないのですが、つい見てしまう不思議な魅力…。今回は、全行程250kmを6つのステージに分けて走り抜き、各ステージの合計タイムで順位を競うというものでした。

 

またまた、こうしてこんな過酷なレースをブログでご紹介したくなったのは、飯野さんという日本人が大活躍したから…というよりも、こんな酷いレースに参加していた71歳の石原さんのメッセージをお伝えしたくて…。2016年で71歳ですから、今年73歳になられるのでしょうか…。

 

そもそも、こんな過酷なレースにご高齢と言っては失礼なのかもしれませんが、71歳の方が参加しようと思うだけでも驚きです。石原さんがGREAT RACEに参加するようになったのは確か50歳を過ぎてからと言われていたような気がしますが、第1ステージのゴールまでで6時間25分のランニング。200人以上が参加する中、143位で第1ステージを終えていました。石原さんはドキュメンタリーの中で、走りながら色々と物凄い事を言われていました。

 

最初の2日間は、砂漠とは言っても、それほど砂地ではなかったのですが、3日目に突入すると、いよいよ足を吸い込もうとする砂地へ…すると、石原さんはこう言われたのです。

 

「やっと砂漠らしくなってきた」

 「今日は楽しいコースだ」

  「景色もいいしね これじゃなきゃ」

   「71歳が こんな頑張らなくていいんだけど」

 

・・・レースも5日目後半に入ってくると…

 

「こういうレースは体力だけじゃない」

 「楽しむためには全てのストレスに勝つ者が勝つ」

  「そこが面白いところ」

   「痛さ かゆさ 汚さ」

    「人がやるのが難しいのをやり遂げたみたいな」

     「してやつたり みたいな感じや」・・・

 

なんかレースの教訓というよりも、もはや人としての生き方みたいなものを感じたんですよね。

 

レースの結果は先程もお伝えした飯野さんが1位でトータル走行時間が22時間28分。なんと4位も日本人の若岡さん走行時間28時間20分。女性の部でも日本人の井土さんが第4位で走行時間31時間23分。そして、あの石原さんは前半から更に順位を上げ123位、トータル走行時間50時間33分で見事に完走。日本人大活躍の大会でした。蒸し暑い日本で培った底力なんでしょうかねぇ…。

 

「楽しむためには全てのストレスに勝つ」こと…暫くは頭の中に焼き付いていそうです。
 

 

 

 

 

 

 

 

 

障害者支援にも乗り出している100均の先駆者ダイソー

2018-3-2 NEW!

 

昨日は『ヒャッキン!~世界で100円グッズ使ってみると?~』という番組を見たと言いましたが、今や番組の主役になってしまえる100円均一のお店。私も、何か冒険旅行にでも行く感覚で、何を買うわけでもないのに、ヒャッキンのお店に突入して、ウロウロしてしまったりします。

 

そんなヒャッキンの先駆者であり、業界売上トップを誇るダイソーさんが1月18日放送のカンブリア宮殿『安くても高品質!100均の王者が登場 唯一無二の薄利多売ビジネス』に出られましたが、ご覧になられましたか?昨年6月15日にもこのブログで【関わる人達が幸せに見える会社『ダイソー』』というタイトルで書かせて頂きましたが、せっかくカンブリア宮殿に出たので、またまた書いてしまいます。

 

社長の矢野さんの人生は、前回も少し触れたように波乱万丈。大学在学中に結婚し、卒業後は妻の実家のハマチ養殖業を継ぐも、3年で倒産。兄から借りた多額の借金を踏み倒して、妻子を連れ東京へ夜逃げ。その後も転職を9回重ねて行きついたのが、日用雑貨の移動販売。なんとか商売が軌道に乗りかけた時、今度は自宅兼倉庫が火事にあってしまう…

 

そんな苦難の末に矢野さんが行き着いたのが、100円ショップだったのですが、借金を踏み倒して逃げ、再び兄と再開した時に兄が発した言葉…なんと借金を踏み倒した事への怒りの言葉ではなく、矢野社長の健康を心配して「元気だったか?」という様な言葉をかけられたとか…。そんな強い兄弟愛に支えられたことも矢野社長の人柄形成に役立ったのかと思いました。

 

ダイソーでは各店舗への出荷作業を、障害を抱えた人たちに任せています。ダイソーは障害者雇用にも積極的に取り組んでおり、更に、社内に飾られた絵画の多くは障害者が描いたもの。実は、このイラスト、商品として売られている今年のカレンダーに使用されたもので、矢野社長は、新たな夢として「障がい者の理想郷をつくる」というのです。

 

売上を支援にまわし…「最後は人のために」と語る矢野社長、やっぱり素敵な方でした。そんな矢野社長の金言は

 

『恵まれない幸せ 恵まれる不幸せ』・・・恵まれない幸せに感謝・・・

 

起業者にアドバイスをと言われると

 

『運を良くするかは、人に対していかに役立てるかということ。自分の為では上手くいかない』ときっぱり言ってのけます。

 

村上龍の編集後記では、こんな風に書かれていました。

 

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登場するゲストは、共通して優れた業績や理念を持つ。だが、「面白い」と感じるゲストはそう多くない。矢野さんは、面白かった。「希望よりも不安を大切にする」と明言する100円ショップのチャンピオン、要は「不安に耐えるだけの力がある」ということだ。「仕事人生は苦い思い出ばかり」らしいが、「客が驚き、喜ぶのを見たい」という思いで、ダイソーは数え切れない危機を乗り切り、生き残って、業界トップとなった。言動は多少ユニークに映るが、矢野さんは、実は非常にシャイな人で、かつ価値観は普遍的だと思う。
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ちょっと頼りない印象を与えてしまう矢野社長ですが、益々応援したい気持ちで一杯になりました。

 

 

 

 

 

 

 

平均寿命からすると・・・あなたは、あと何年生きられるのか?

2018-3-1 NEW!

 

先日、『ヒャッキン!~世界で100円グッズ使ってみると?~』を見たんですが、その中で『香港は男女とも長寿世界一で…』という話が出てきて、今更で情けないのですが、『えっ?日本が長寿世界一じゃないの?』と驚いてしまったわけです。知らなかったのは、私だけか・・・

 

2016年、日本の平均寿命は、男女とも過去最高を更新して、女性87.14歳 男性80.98歳…と発表されています。なのに…ですよ。 ちなみに、2016年の香港の女性の平均寿命は87.34歳、男性は81.32歳で世界一。その前の2015年の香港の女性の平均寿命は87.32歳、男性は81.24歳で、2015年も男女とも世界一の平均寿命となっています。

 

ネットで調べていると、【なぜ香港が1位になっていったのか】とか、【日本が長寿大国ではなくなる日が…】とか、色々な関連記事が見つけられましたが、世界一ではなくなったにしても過去最高を更新しているんだから、良くはなっているんですよね。きっと…。

 

ただ、そう感じている【もはや若くはない私】にしてみれば、80.98歳から今の歳を引いた分だけ平均的には生きられるのかというと、そう言うものではないんですよね。この人間の平均寿命…実に分かりにくいのです…。

 

実は平均寿命とは、0歳の平均余命のこと。平均寿命は、年齢別の推計人口と死亡率のデータを使い、各年齢ごとの死亡率を割り出し、このデータを基にして平均的に何歳までに寿命を迎えるかを出しているのです。しかも、ある程度以上の年齢のデータについては除外して計算しているのです。

 

理由は、あまりに少数の高齢の人物のデータを算入すると、その生死によって寿命の統計が大きく影響を受けてしまうからとか…。データ除外の基準は年度によって異なっていて、例えば、2009年度の調査の場合、98歳以上の男性と103歳以上の女性に関するデータは取り除いているというのです。つまり、日本の「平均寿命」は、正確なデータではなく、実態より短めに計算されていることになる??。

 

Wikipediaにはこんな平均寿命の世界地図があったのでご紹介させて頂きますね。

 

なかなか興味深い分布図です。また、先程の平均寿命から自分の年齢を引いて、余命を知りたいという方…こちらでどうぞ…

 

 

ちなみに私の場合は、昭和36年生まれですから、66.03歳から現年齢を差し引いてと…(T T)

そんな簡単なものではありませんし、このデータが全てではありませんが・・・

       昨日ブログで触れたエンディングノート…真剣に考えようかなぁ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

故人とのお別れの時を、心からどう弔うのか

2018-2-28 NEW!

 

2月6日放送のガイアの夜明け『後悔しない"供養"』ご覧になられましたか?今回の番組は、冒頭から砕かれた墓石がゴミのように扱われるというシーンから始まりました。

 

いま、東京都内の「お墓」の平均価格は、200万円を超えると言われていましたが、我が家は田舎なのに周辺のお墓はもっと高い気がします。資金的な問題で墓を買うことができず、手元にある遺骨の扱いに悩むケースも多く見られ、そんな悩みを抱える人たちが首都圏には約100万世帯でみられるとも言われているそうです。やはりお墓参りで遠出をしたくないと思うと近場の霊園を探したいけれど、なかなかないんですよね。

 

これまでの「お墓」の他に、マンションのような霊園であったり、樹木葬であったり、遺骨を宇宙へ打ち上げて散骨する「宇宙葬」といった新しいケースも登場しているらしいのですが…。供養の形は多様化しているものの、故人をどう見送るか、残された家族の選択肢が広がる中、身内を亡くした人たちの中で、「葬式で弔いきれなかった」と後悔している割合は45%にも上るそうです。

 

ある人は、3年前に夫を癌で亡くし、闘病で大金を費やしたためお金がなく、お墓も買えないままでいました。首都圏では、自分が入るお墓を持たない家庭が約4割あるそうです。また、ある人は、父親が五男のため、自分で用意するしかお墓が持てず、7カ月間も自宅に父の遺骨を保管しておられました。大好きな父のために、墓を建てたいと願うその人の為に提案されたのが、合同のお墓と、自宅にも置ける小さなお墓。

 

番組では、この他、息子さんが6年にわたって介護を続けてきた寝たきりの母が、医師から「余命1週間」を宣告されると…「母との思い出が詰まった自宅から母を送り出したい」と願って、手作りの葬式をあげる話も取り上げられていました。自宅での手作り葬に、決められた葬式プランはありませんから、母親の想い出の味「ハヤシライス」を、弔問客に振る舞い、母親が好きだったクチナシの花を飾っていきます。心のこもった素敵な葬儀でした。

 

今、一般葬や社葬は、減少傾向にあり、家族葬、直葬(葬儀を行わない)が増えているとか。私も実は身内だけで故人を偲ぶ家族葬が、今の社会には合っている気がします。他人に気兼ねなく、仕来たりやルールに縛られない、訳の分からない高額な相場に従うことなく弔ってあげた方がと…。

 

こうした番組を見ると自分が意思表示できなくなる前に、エンディングノートは書かなければならないなぁと思ってしまいます。Wikipediaにはエンディングノートとは、高齢者が人生の終末期に迎える死に備えて自身の希望を書き留めておくノートと説明されていますが、自身が死亡したときや、判断力・意思疎通能力の喪失を伴う病気にかかったときに希望する内容を記すものとされています。

 

書かれる事柄は特に決まっているわけではなく任意なのですが、主に「病気になったときの延命措置を望むか望まないか」「自身に介護が必要になった際に希望すること」「財産・貴重品に関する情報」「葬儀に対する希望」「相続に対する考え方」「プロフィール・自分史」「家系図」といった中身になります。

 

法的効力を有する遺言とは異なり、存命中や死後の家族の負担を減らすことを目的としたもので、書籍や文具として実際にエンディングノートが販売されています。私も自分の親に渡したことがありますが、手をつけてはいないようです…。自分の意思表示ができるうちに、健康なうちに、その思いを残してもらえると、残された家族は助かると思うのですが、これはこれで、なかなか難しいようです・・・
 

 

 

 

 

 

 

 

『運命の白い河』・・・詩集『道しるべ』より

2018-2-23 NEW!

 

『運命の白い河』

 

運命の白い河をもとめて

私たちは旅に出た

自らの運命を自由に扱うために

海の底から ずっと歩いてきた

背が伸び 毛が生え 服を替え

時は面白いほど 軽快に流れていった

長い旅の後に 私たちは見つけた

白く輝く 運命の河を

 

赤を混ぜれば すぐ赤く染まる

黄を混ぜれば すぐ黄に染まる

白い河は 敏感に変化する

私たちの思い通りに変えられる

だが どうしたことだろう

誰一人として その河に触れられない

誰もが 自らの運命を変えてしまうことを恐れた

それは絵の具と同じで

二種類の混合なら良いが 多くを混ぜれば

手がつけられないほど 汚れてしまう

誰も その河に触れられず

一人去り また 一人去っていった

そして・・・

今 私一人が この河岸にいる

触れることのできない白河を見つめて・・・

 

      詩集『道しるべ』より
 

 

 

 

 

 

 

 

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