地方公共交通の救世主として、5年以上も前の2010年9月6日カンブリア宮殿で
放送された両備ホールディングス
小嶋社長の金言は、
『社会に尽くすことが企業の存在価値』
・・・でしたが、この回、ご覧になられた方はいらっしゃいますか? まずは復習・・・
和歌山電鐵の貴志駅・・・営業距離わずか14キロの小さな駅に日本一有名な
駅長さんがいますが、それが猫の駅長たまちゃん。この日本一有名な“駅長さん”の
生みの親こそ、この小嶋社長です。
小嶋社長は2006年、赤字に苦しんでいたこの貴志川線の運行を南海電気鉄道から
引き継ぎ、和歌山電鐵を設立、社長に就任すると、おもちゃ電車やたま電車などの
奇抜なアイデアで観光客を誘うと共に、地域住民のために便数の増発などを行う
ことで、この瀕死の路線を見事に再生してみせました。
そして同じ年、広島に展開していた中国バスが破たんするや、今度はその経営を
引き継ぎ、わずか2年で黒字化に成功。“地方公共交通の救世主”の名を一躍全国に
轟かせたのです。
赤字路線を次々と買収しては、再生していく小嶋社長に感動せずにはいられませんでした。
番組の終わりで村上龍さんは、こんな風に語られていました。
『地方・地域の再生は大事業だ。だから、小嶋さんを生真面目な人物だと勝手に
想像していた。実際は、茶目っ気たっぷりで、軽やかな人だった。大事業を成し
遂げるには、優れた能力と強靱な意志に加えて、ユーモアを解する柔らかな心が
必要なのだろう。機知や機転は生真面目さからは生まれない。きっと津田永忠も、
柔らかな心の持ち主だったのではないだろうか。』
『強靭な意志、柔らかな心』
本来なら弱る交通難民の為に国が手をかけなければならない話ですが、交通機関だけ
でなく、地域まで再生させていました。本当にこんな素晴らしい人がいるのかと感動せず
にはいられませんでした。
そんな両備ホールディングスのホームページを見ると『小嶋光信代表メッセージ』という
コーナーがあって、来年、貴志川線開業100周年と同時に、和歌山電鐵10周年の節目
の年を迎えるにあたって、ユーモア溢れる、こんな『うめ星』電車に関するメッセージを
出されていました
まだまだ、頑張らなければと、こうした人の話に触れるたびに思わずにいられません。
池井戸さんの小説『下町ロケット』が先週の日曜日10月18日から2時間スペシャルで
スタートしましたね。小学館発行の『週刊ポスト』に2008年4月18日号から連載され
加筆・訂正の後、2010年11月24日に単行本が刊行された第145回直木賞受賞作品です
2011年にWOWOWの連続ドラマWでテレビドラマ化されていましたが、今回は主人公
佃航平を阿部寛さんが演じます。皆さんは初回見られましたかね?
直木賞を受賞した時には「人々の希望を繋ぐ爽快な作品」と評され、文庫版を含め
累計127万部を超えるベストセラーを記録。“半沢直樹シリーズ”や「空飛ぶタイヤ」
「ルーズヴェルト・ゲーム」などヒット作を連発する池井戸さんの著書の中でも代表作
と言える素晴らしい作品です
個性豊かな役者さんたちの登用にもビックリしますが、初回2時間飽きる事もなく
見られました。ちょっと演出が過剰かな…とか感じてしまうシーンもありましたが
そんな事よりも、やはり物語の面白さが抜群です
初回見逃された方は、放送後から一週間(次回放送時間の直前まで)は最新話を
無料でオンデマンド視聴出来る「TBS FREE」というサービスを行っているので
こちらでご覧下さい…そうそう、TBSのサイトには、こんな事が書かれていました
『今回は、10月から朝日新聞朝刊で池井戸潤さんによる連載小説「下町ロケット2」も
始まる。10月放送開始のドラマは全10話の予定で、前半を「下町ロケット」、後半を
「下町ロケット2」を原作とし映像化する予定。物語の後半からは、ドラマと新聞連載が
同時進行するという異例の試みも準備されています。
生きるうえで必要なこととは? 働くことの意義とは? 幾多の困難を乗り越えながら
絶対に夢をあきらめなかった男と、社員のプライドとが紡ぎだす未来とは!?
すべての働く人たちにお送りする、感動のエンターテインメント巨編をぜひお楽しみに!』
暫くは、日曜日のこのドラマから目が離せそうにありませんねぇ…
1ヶ月ほど前の9月17日、『カンブリア宮殿』で放送されていた『とくし丸』ですが
昨日10月18日も『がっちりマンデー』に出ていましたね
移動式のスーパーをやっている会社ですが、社長の住友さんは、その営業に関して
ユニークなルールを決めています
①全ての品につき10円を利用者が負担(サービス継続のため買い物をする側も
ある程度負担をする)
②地元の小さな商店を守るため、その半径300メートル内では営業しない
③販売員は地元出身者にする
そこで暮らす売り手も買い手も、ともに豊かに生きていくためのアイデアなのです
商品は地元のスーパーから仕入れることで、地元のスーパーは配達の為の
車や人を必要とせず、『セールスドライバー』は、売れ残った商品をスーパーに
戻すことで過剰に在庫を持つ必要もなく、お客はお客で、買い物難民となっていた
不自由さから10円という一部負担金で救われ、買い物をする楽しみを得られます
素晴らしいのは、社長の住友さんが、新しく開業する地域があると、事前に自分の
足で地域をまわり、買い物に困っていて本当に『とくし丸』を必要としているお客さんを
開拓しているところです。セールスドライバーの生活もしっかり考えて、社長自らが
動くという丁寧さ
カンブリア宮殿のいつもの社長の金言は、こんな言葉でくくられていました。
『息遣いを感じる人のつながりが未来を切り開く』
素晴らしい企業ですし、素晴らしい考え方ですよね
今日は、世界食料デーです。国連食糧農業機関(FAO)が1981年に制定しました
FAOが設立されたのが1945年のこの日ですから、それを記念日とした国際デーになります
世界の一人一人が協力しあい、最も重要な墓本的人権である「すべての人に食料を」を
現実のものにし、世界に広がる栄養不良、飢餓、極度の貧困を解決していくことを目的と
しています。この日をきっかけとして、自分自身の生活を見つめ直し、少しでも世界の
人々と共に生きる生き方を実践しようとする人が増やされていくことが「世界食料デー」の
願いとなっています
そんな世界食料デーのイベントの一つ『世界食料デーフェスティバル』が…今度の10月
18日日曜日に開催されます。学生が中心となって行うイベントの詳細は、こちら…
http://worldfoodfestival.jpn.org/2015/
ところで、災害に向けて備蓄非常食が義援物資になるという「救缶鳥プロジェクト」を
御存知ですか? ベーカリー「パン・アキモト」さんが行っているもので、この会社
2014年2月6日 放送のカンブリア宮殿に出ていた企業です
パンの缶詰「救缶鳥」は3年の賞味期限のうち、2年間は購入者の手元で災害時の
非常食として備蓄されます。購入してから2年が経過する1~2ヶ月前に、支援活動への
協力の旨、案内が届き、そのまま寄付してもいいということなら、残り1年の賞味期限の
間に、日本中から回収・輸送され、日本国際飢餓対策機構から飢餓に苦しむ国々へ
届けられるという仕組みです。本当に良くできているシステムで、詳細はこちらです
http://www.panakimoto.com/kyucancho/
カンブリア宮殿の編集後記で、村上 龍さんは、こんな風にしめています
『救缶鳥』世界に羽ばたく
1975年の今日10月15日 広島東洋カープが球団創設から26年目でリーグ初優勝を
果たしました。当時の広島…特に市内は、大変なお祭り騒ぎとなりました
親会社を持たない市民球団として結成されたという、他の球団と比較して特異の歴史を
持っている球団ですが、そこまでの道のりは、本当に厳しいものでした
1949年リーグ拡張方針を受け、9月20日、中国新聞社は「広島に広島出身者だけで
1チームつくろう」と、原爆による壊滅的被害からの復興を目指したプロ野球球団結成の
動きを報じました
広島市を流れる太田川は鯉の産地、しかも原爆で焼け落ちた広島城は“鯉城”とも
呼ばれていたため、9月28日に球団名を「広島カープ (Hiroshima Carp)」と決定し
日本野球連盟に加盟を申請。11月28日に正式にセ・リーグ参加承認の通知を受けました
核たる親会社がないため球団組織に関するバックアップが十分ではなく、12月5日に
広島商工会議所で開かれた球団発会式に参加した初代監督の石本秀一さんは
この時点で契約選手が1人もいないことを知りました
にわかチームとしてスタートした広島は、1950年優勝した松竹ロビンスに大差の
59ゲーム差をつけられ、さらに勝率3割に到達する事もできませんでした
この当時は試合で得た入場料(1試合あたり20万円)を開催地に関係なく、勝った
チームが7割、敗れたチームに3割配分していたので、当然資金を得られる
強いチームはより強く、弱いチームはより弱くのシステムだった訳です
そのため当初期待していた入場料収入はチーム成績に比例して落ち込み
5月の時点で早くも選手に支払う給料の遅配が発生しています。2軍選手に
いたっては給料が支払われたのは4月のみだったそうです・・・
セリーグ連盟から呼び出され、「プロ野球は金が無いものがやるものではない」
「早急に身売りしてはどうか」と厳しい叱責を受けるほど、連盟からもお荷物扱い…
石本監督はシーズン中も試合の采配は助監督の白石氏に任せて、自身は球団の
苦境を訴えるべく広島県内各地の公民館、学校を回り辻説法、さらには中国新聞に
資金調達の必要性を訴える投稿を続けました
7月29日の国鉄戦直前にセレモニーが開かれ、石本が構想したカープ後援会は
正式に発足。この時、既にカープ後援会は1万3千人の会員数に達しており
その結果、年末までに400万円(当時)を集めています。この一件は、後にNHK
「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」で「史上最大の集金作戦 広島カープ」としても
取り上げられましたよね
1952年開幕前、シーズン勝率3割を切った球団には処罰を下すという取り決めが
リーグの代表者会議でなされ、奇数(7球団)による日程の組みにくさを解消するため
下位の球団(広島)を整理する意図が含まれており、設立より2年連続最下位だった
広島は処罰の最有力候補でした
この年、7月27日の時点で13勝46敗2分(勝率220)と最下位に沈んでいましたが
地元市民の大きな声援を受け、そこから選手が奮起し、残り試合を24勝34敗1分で
乗り切って、勝率316(37勝80敗3分)を達成して、なんとか処罰を免れたのです・・・
救いだったのは、この年からフランチャイズ制が導入されており、勝敗に関係なく
興行収入の6割が主催チームに入ることになりました。これによって広島で圧倒的な
人気を誇ったカープは、球団収入の安定化に目途が立つことになりました
今では、カープ女子まで登場しており…鉄人として有名な衣笠や金本、江夏の21球
脳腫瘍と闘った津田、ヤンキースの高額年俸を袖にして、古巣に復帰した黒田と
記憶に深く刻まれている印象深い選手たちも、地元との一体感が培ったものかと…
広島出身者のみならず、ファンが出来るのも分かる気がします
2015年10月1日放送のカンブリア宮殿『D&デパートメント』
ご覧になられた方は、おられますか?
新たなデザインが次々と打ち出される現代で、消費者は流行の最新デザインを
追い求め、作り手も「大量生産・大量消費」という社会の波に乗り、買い替えられる
「安くておしゃれなもの」を生み出し続けている。そんな“短期消費型”と相反するのが
この『D&デパートメント』
そこで扱われる商品は、全てが「長く使える良いもの」ばかり。それ以外の商品は
一切販売しないというコンセプトの“百貨店”で、商品価格の表示横には黒丸印の中に
謎の数字が書かれていました・・・
この謎の数字・・・それは、何年間作られ続けているかを表示した数字
100と書いてあれば、100年間、変わらずに作られ、使い続けてこられたということ
こんなに安心できる数字が書かれていると、多くを語らなくても良い物に決まっています
現在、国内10都市にチェーン展開していますが、展開はフランチャイズ制をとって
地域の特徴を活かした、地域の活性化を目指す店舗展開をしています
お国よりも、地方再生の確かな目を持っているような・・・
こんなお店が私の地元にもできたらと思いますが…まだまだ…
いつもの社長の金言は・・・
「ブームに乗らない」が“ものづくり”を変える
少々高くついても、使い心地が良く、飽きる事もなく長く使えるのなら
迷わず買いかな・・・と私は思います
社長のナガオカさん、チェーン店を全国に広げてくださいねぇ 応援しています!
1953年の今日、8月28日午前11時20分、日本の民放テレビ第1号の日本テレビが
放送を開始しました。・・・ということで今日は民放の日であり、同時にCMも始まったので
テレビCMの日ともなっています
CMと言えば、NHKと最も異なる点のように見え、それが煩わしい人もいますが
CMのおかげで流行りを知ったり、きっかけとなって流行が生み出される事もありますよね
CMに操られる・・・と言うと、悪い印象もありますが、良い方向に向かわせるものもあります
その代表がACジャパン(もと公共広告機構)が作っているCMです
このACジャパン、日本万国博覧会(大阪万博)開催を控えた当時、サントリーの社長だった
佐治敬三さんが、大阪の人々の社会的マナーについて、訪問してくる多くの外国人を前に
「恥ずかしいことが多すぎる」と問題視し、解決できないかと考えた末にアメリカACの存在を
参考に「同じような活動を日本でもできないか」と考えて誕生したものです
佐治さんが注目したアメリカACの作品は「愛…それはあらゆる人種を超えて」だそうです
佐治さんは「広告は人を説得するための最も強力な手段」と考え、広告を手段に商売を
してきた大企業の社長として、公共の問題について社会に訴えていくことで広告に「お返し」を
したいと思ったようです
こうしたACジャパンのCMは、既存の広告枠から企業が自粛の為に穴を開けた場合に
放送されたり、生放送でCMをはさまずに放送することが技術上困難なために入れたり
或いは、これらの事情がない場合でも、テレビ局がCM枠を確保できない時にも放送されます
東日本大震災の時にも、心に残るCMが多数あって、弱っていた日本を強くしてくれましたよね…
心無いCMもありますが、テレビだからこそできる良い事を今後も応援していきたいものです
1978年の8月26日 日本テレビが『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』を放送開始
翌年から恒例化し、今年も、つい先日放送されていましたよね
この24時間テレビ、Wikipediaで見ると、アメリカのラスベガスで毎年開催されている
チャリティーテレソン『レイバー・デイ・テレソン』に影響を受け企画されて始まったと
ありますが、実は、そうではないと私は思っています
チャリティー番組の先駆けと言えば、実は1975年3月に近畿放送で放送されていた
『宮城まり子のチャリティーテレソン』が、放送界による本当の先駆け
更に全国的な展開を成し遂げたのが萩本欽一さんのラジソン(ミュージックソン)
同じく1975年の12月24日の正午から24時間で始まりました
「目の不自由な方へ音の出る信号機を!」または「目の不自由な方へ通りゃんせ
基金を!」をテーマに募金を呼びかけるとともに、放送を通じて障害者への理解促進と
思いやりの育成を図る目的の下で、各地からの中継を交えながら放送しています
24時間テレビが始まったとき、そこにも総合司会として欽ちゃんがいましたが
ラジソンの募金額と24時間テレビの募金額の差を見て、テレビの力を痛感したものです
24時間テレビといえば、出演者の報酬で紙面を騒がせた事もありますが・・・
確かに募金活動は、報酬をあてにしたり、売名行為をする為のものであって欲しくは
ありませんが、桁違いに集められた募金が有効に使われるのなら、人気の芸能人を
お金で集め、テレビの影響力を最大限利用した番組も大きく受け止めて大歓迎です
私はラジソンの心意気が好きなので24時間テレビはほとんど見ませんが
その24時間テレビが欽ちゃんにマラソン依頼したときのエピソードがユニークです
欽ちゃんにマラソンランナーのオファーが来てギャラの提示した時のこと…
欽ちゃん 「そんなんじゃ走れねぇ!!全然足らない!」
スタッフ ギリギリまで値段を上げて提示
欽ちゃん 「これで限界か?本当にこれ以上は無理なんだな?」
スタッフ 「...はいこれ以上は無理です...」
欽ちゃん 「わかったこれでやってやる。」
欽ちゃん 「このギャラは全額募金に回せ!」
・・・番組がくれるんなら、みんなでその後に寄付すれば良い・・・ただ、それだけの話かな
今日8月18日は、高校野球記念日だそうです
1915年のこの日、高校野球の前身である第一回全国中等学校優勝野球大会の
開会式が大阪の豊中グラウンドで行われました。第1回大会の参加校は10校
当時は5日間で優勝決定まで至ったようです
甲子園で試合が行われるようになったのは、1924年の第10回大会からのこと
学制改革によって1948年から全国高校野球選手権大会となりましたが
今や、夏にはなくなてはならないイベントとなっています
そして今年、第97回大会も、今日が準決勝で、順当に行けば明日が決勝
大会前から話題の中心にいた早稲田実業も残っていますが、めずらしく
関東勢が西東京・東東京・神奈川と3チーム残っています
唯一残っている東北勢が名門の仙台育英・・・
関東在住の私ですが、東北勢悲願の初優勝を応援したいと思います
生中継は仕事で見られませんが、きっと、どの試合も熱い戦いとなることでしょう
それが高校野球の一番の魅力ですから・・・がんばれ~!!!
今日8月11日は、ガンバレの日だそうです
何それ??って思ったんですが・・・
1936年8月11日に、ベルリンオリンピックの女子200m平泳ぎ決勝で
ラジオの実況をしていた日本放送協会の河西三省アナウンサーが
前畑秀子選手に「前畑ガンバレ」と20回以上連呼し、日本中をわかせたことに
由来しているそうです。そして、日本人女性初の金メダリストになったようです。
ところで、この頑張るという言葉・・・語源は何かと調べてみると
広辞苑は「我に張る」説を述べていて、大辞林には「我に張る」説と「眼張る」説の
両説並記しているかたちで、どうもはっきりしないようです
意見が分かれると・・・一気に冷めてしまう私ですが
とにかく、頑張れと人から言われるのは嫌だけれど
自分からは頑張ろうという気持ちは持ち続けたいと思っています
頑張っている人は沢山いるし、頑張っているかもしれないのに
それ以上『頑張れ』なんて、なかなか言えませんよね
むしろ、頑張らなくて良いよって・・・もっと言える人が良いかなぁ・・・