9月11日の未来EYES『奈良先端科学技術大学院大学』ご覧になられましたか?
機械を使って異なる言語間で会話をする技術、「音声翻訳」。最先端を走る日本の
音声翻訳技術を30年近く研究している、奈良先端科学技術大学院大学の中村哲教授。
パソコンなどの機械を使った自動翻訳は大きく「テキスト翻訳」と「音声翻訳」の
2つに分けられます。音声翻訳で有名な物としてはアップルのiOSに搭載されている
『siri』がありますが、日本人の作るものはランクが違う気がしました。
そもそも、音声翻訳はある言語で話した音声を別の音声に変換するので、テキスト
翻訳に比べて数段難しいものです。 構成要素は3つに分けられ、話した言葉を正しく
機械が認識すること(=音声認識)。その認識した内容を自動的に相手の言語に変換
すること(=機械翻訳)。最後に、翻訳した内容を音声として出力すること(=
音声合成)。
話し手によって言葉の使い方は異なり、その時どきで声の調子も微妙に違いが
生じるので更に認識に時間がかかってしまうそうです。2020年代を目標に日本語と
英語の同時通訳を実現して、世界中の「言葉の壁」を無くし、どんな国の人とも
自由に話ができるようになる事が夢のようです。
話はズレてしまいますが、そんな番組の中で紹介された音声翻訳アプリ 『VoiceTra』
なんと…31カ国に対応した翻訳アプリで、モバイル・サイエンス賞を受賞している
そうですが、これが凄かった。番組を見終わらない内にダウンロードして試してみたら、
話した文章を文字で表示、続いて翻訳したい文章、その文章が意味する文章を表示。
音声ボタンを押すと音声で応えてくれるというもの。
文章で書くと分かりにくいですね(;^_^A ご存知ない方は、どうかダウンロードして
使って試してみて下さい。普段使わない聞いたこともない国の言語にも変換できる
ので、なかなか面白かったです。
我が家は、『こんなのがあれば英語覚えなくても大丈夫!』なんて話が浮上して、
それじゃあ、これは…と、ウチの家内が…『父さんはハゲです』と英語に訳して
もらおうとしたところ…日本語力が足りないようで…
続きは、是非、ご自身で試してみてください…プフッ…
9月4日放送の未来アイズ ご覧になられましたか?
この回は、脳波や心電・筋電などの生体信号の研究をしている、慶應義塾大学 理工学部
システムデザイン工学科 准教授 満倉先生が主役でした。
脳で考えたことをコンピュータで文字にしたり、脳で考えたとおりにパソコンのマウスや
車椅子までも操作してしまう。そればかりか『「美しさ」「心地よさ」「面白さ」などの
感性を脳から読み取る』研究も進めてられており、音楽を聴いたり、雑誌を読んだり、
乗り物に乗ったりしながら、どのように感じているかが自動的に分かってしまうとのこと。
こんな事が出来るようになってきたんですね。また、人の顔の画像を認識する研究も行って
いる満倉先生。画像の中の顔を認識したり、顔から顔の向き・年齢・表情を推定できる
ように研究し、これらの技術をロボットに実装させるなど実際に応用できるように研究を
進められていました。
脳波の組み合わせから心の状態がわかる。辛い時に、明るい気持ちにする電気信号を送る
『人間ガソリンスタンド』のようなものを作りたいと日々研究・開発に邁進する満倉先生
でしたが、話す事が出来なくなったお年寄りに使われているシーンでは、話せなくても
気持ちを感じ取る事ができて、看病されている家族の心の負担を救っていました。
以前、NHKの「サイエンスZERO」で放送された、記憶のメカニズムに関する話と合わせて
行くと、ちょっと『怖い』とも感じてしまった科学の進歩…。
サイエンスZEROでは、どのようにして新しい記憶がインプットされ、どのようにして
保管されていくかがメインとして扱われていましたが、番組の後半では『記憶を操る』を
テーマに、『人工的に記憶を連合』させて、将来的にはPTSやうつ病の治療に役立たせ
たいと語られていました。
良い形で活かされれば良いけれど…悪用されれば、都合の良い記憶に刷り込む恐ろしさも
想像できます…。SF映画で何度か扱われた事のあるネタで、悪徳政府に従順かどうかが
自動的に判断され、一度反乱分子と判断されると、記憶を書き換えられて従順にされて
しまうといったもの…。
科学の進歩は、活かし方1つで救いの神にも、災いの神にもなり得るもの。うつ病など、
心の病が増加している現代だからこそ、この2つの研究で、救われる多くの人がいる事は
間違いありません。是非、良い形で活かされることを願うばかりです。
9月4日放送の情熱大陸『竜之介動物病院』ご覧になられましたか?
最大震度7、死者50人の犠牲を出した今年4月の熊本地震。一時は県内の18万3,882人が
避難所に身を寄せることとなりましたが、ペットを飼う人たちは避難所内に動物を同伴
出来ず、車中泊を余儀なくされるケースも多くありました。テレビでご存知の方も多く
おられるのではと思います。
環境省のガイドラインでは災害発生時にペットの同行避難を推奨しているものの、やはり
様々な人が集まる避難所では動物が嫌いな人もいれば、衛生面を心配する声もあって、
ペット連れでの避難は難しいというのが現実です。
そんな中、“ペットは家族”と考える飼い主たちのために自身の病院を「同伴避難所」
として開放したのが熊本市の徳田竜之介獣医師でした。そこまでしてくれるのかと言う
くらい凄く素敵な獣医師さんでした。
傍らでは次々と運び込まれる被災動物の治療を続けながら、一時は4階建て全フロアを
開放。約3週間で犬や猫、ウサギ、フェレットなどの動物と飼い主のべ約1,500組の
避難を受け入れていました。なぜそれだけ大規模な受け入れが出来たのか?実は
徳田先生は東日本大震災を機に自身の病院を耐震性にし自家発電機や貯水タンク、
災害用無線なども備えていたのです。
「過剰投資だ」と周囲は冷ややかだったそうですが、そのお蔭で今回多くの家族が
安心して避難生活を過ごせたのです。本来なら国や地方公共団体が率先して備える
べき事を、たった1人の獣医師が、ここまでの事を成し得たなんて信じられない話です。
2013年の調査のよると、国内の犬猫飼育頭数は約2,061万頭で、15歳未満の子どもの人口
1,649万人を遥かに超えているそうです。我が家も7羽のオカメインコを飼っており、
動物達に心を癒される家族の1つです。伊豆大島が噴火した際には、一緒に避難する事が
許されずに、私も…大切な動物を亡くした経験もあります。
多くの人がペットに心を支えられているという現実があるからこそ徳田先生は被災地で
ペットと一緒に住める避難所や仮設住宅が実現するよう行政にも働きかけています。
「ペットは社会の一員」と考える徳田先生は、市の『動物と一緒に入居できる仮設住宅』
の実現に大変貢献していました。
1961年鹿児島県生まれ。医師である父の影響で、幼少の頃から動物医療に携わる獣医師を
目指していたそうです。麻布大学卒業後、首都圏の動物病院で6年間修行し1994年
熊本市に「竜之介動物病院」を開業。当初は新聞配達でスタッフの給料の不足をまかない
ながら不眠不休で働いたとか。2004年には動物学校開校。
熊本のテレビやラジオに度々登場するため地元では有名獣医師で、未だに家族とは
別居生活を送りながら、被災地で、寝る間も惜しんで東奔西走する獣医師を続けて
おられました。他の病院から送られてくる動物の手術などは、一般の診療が終わった
夜の11時からで、本当に寝る間もない厳しい毎日を送っておられました…。
大災害が起きたその時、ご自身のペットはどうされますか?「ペット同伴避難所」は、
後回しにされると確実に予測できるだけに、こんな立派で素敵な先生の存在は羨ましい
限りで、バックアップする人達が、もっともっと増えて、1人の負担が軽くなる事を
願っています。大災害が起こる前から備えていたからこそできた、受け入れ態勢。
先手を打つ事の勇気と素晴らしさを噛み締める30分でした。
私の履歴書、昨年6月に日経に連載された理化学研究所理事長の松本紘先生。8月14日、
21日の2日間にわたってBSジャパンで放送された【日本の科学技術を立て直す“改革者”】
ご覧になられましたか?
1942年、中国・河北省で生まれ、貧しい環境で育つも、常にトップの成績を収め、
京都大学の電子工学科へ進学しています。大学4年の時に宇宙物理学者の教授・
大林辰蔵と出会い、宇宙物理学者を目指すようになると、奨学金で大学院を出て
助手の道へと進んでいきます。1967年、中学時代の後輩と結婚しますが、翌年に
生まれる双子の長男に脳性小児まひの障害があると判明。1974年、家族を連れて
アメリカの航空宇宙局NASAの研究所へ留学。研究漬けだった日本とは対照的に
家族との時間を取ることができた松本先生は、国際的な視野を養うとともに価値観も
大きく広がったのだそうです。障害者の子供を持ったことで、家族の結束力を学び、
優しくなれ、フラットに人を見られるようになれたと話しておられました。
帰国後、世界の若手研究者が集い、最新技術を発表し学べる場を作るための資金集めを
行って、1983年、「宇宙空間シミュレーション国際学校」を開催。やがて、森林研究を
行う木質科学研究所の所長との議論で新たな学問の形を見出し、宇宙科学と森林研究
という異質な学問を融合させ生存圏研究所を誕生させます。2004年に初代所長に就任
した後、総長から副学長にと声がかかります。国立大学の法人化で財務改革が急務と
なっており、副学長に就任した松本先生は、これを改善させるために研究と並行して
財務改革に着手。
京都大学総長時代に乗り出した京大改革の柱は、教養課程の見直しと部局横断的、学際
融合研究の推進。独創的な研究の萌芽を見つけるや、スピード勝負で研究環境を整備し、
高レベルの研究者を集め、知財保護にも先手を打っていきます。早くて2年かかると
言われていた山中伸弥先生のIPS研究センターの準備期間2カ月での発足は、時を経ずして
ノーベル生理学・医学賞受賞という最大級の成果を生み出しました。
世界の研究機関と肩を並べていくためには、少々の反対があろうとやりぬくタフな
マネジメントが不可欠という松本先生の信念は揺るがず、今度は理化学研究所を
建て直すことができるかに各界からの注目が集まっています。
スケールの大きな研究が教授時代から部局横断的・学際的な色彩を帯び、理想的な研究
環境を求めて、資金面も含めパートナーを産業界へ、海外へと求めていくようになって
いきました。経済が停滞した中での独法化で、大学にも経営感覚が一層求められるように
なってきた時に、異端の研究者だからこそ、総長の椅子が回ってきたそうで、"子分"の
多い研究科・学部長ではない総長就任は京大史上初だったそうです。
「STAP細胞」問題で揺れる理化学研究所の理事長に昨年就任すると、火中の栗を拾った人
として話題を集めた松本先生。自伝の書『改革は実行 私の履歴書』という本も出版されて
います。番組を見て読んでみたくなりました。
理化学研究所は来年100周年を迎えるそうで、年間予算は800億円以上。そんな理化学
研究所の理事長に就任すると「(社会に役立つ)イノベーション(技術革新)が起こる
土壌をつくることが大学や理研など研究機関の役目」と強調しました。「リーダーが
辞表を胸に、責任感と覚悟を持たないと、組織は変えられない」と理研改革への決意を
示しています。
理化学研究所については「STAP問題で有名になったが、99.9%の研究者は非常に優秀で
垣根を越えた議論もしている。人事一元化やガバナンスの改善に取り組みながら、
国際化と長期的な研究にも取り組む。全国の大学や、産業界とのつながりを結ぶ
『ハブ機能』を築き、広く産学連携を図っていきたい」と意欲を語られています。
番組の中で印象に残った言葉は・・・
『世界に通用する研究者たれ』
『人と科学技術が日本を救う』
『未来は予測するものではなく、創るもの』・・・。
『全国の大学や、産業界とのつながりを結ぶ『ハブ機能』を築き、広く産学連携を
図っていきたい』というトップの立つ理化学研究所からは、目が離せそうにありません。
『未来アイズ』という番組、以前にもご紹介させて頂いたことのある毎週日曜日
夜10時半からBSジャパンで放送されている番組です。番組案内では、「高度経済
成長期に作り上げられた様々な仕組みが、今あらゆる所で制度疲労を起こしている
ことを踏まえて、そんな日本において未来を切り開こうと熱い情熱で探究する人と、
企業を追うドキュメント番組」と紹介されています。
7月31日の放送では、メビオール株式会社が登場。代表取締役社長・森有一さんが
開発した、特殊なフィルム「アイメック(フィルム農法)」。アイメックは、
元々医療分野に使われていた技術です。これを農業用に転用し、野菜栽培の培地
として使うことを展開しているのです。
地球温暖化で深刻な水不足と土壌の劣化か進んでいる世界各国から、最小限の
水と土で作物を作ることができることで注目され、砂漠でも野菜の栽培を可能にし、
砂漠化した地域に森を取り戻すなんて夢が現実になろうとしています。
根がフィルム上に密着し、効率よく栄養液を吸収しようとしてア ミノ酸、糖分などを
大量に作り、食物が美味しくなるというのです。又、アイメックは栄養液を吸収しますが
菌、ウイルスなどを排除するため、限られた水で始められて、仮に水が腐ってしまっても
問題なく食物が育つというのです。
農薬を使わずに、安全な作物を 生産できるという画期的なシステム。番組では、
地産の野菜がなかったドバイの店頭に地産のトマトがならぶという映像が紹介
されていました。
まだ、限られた食品しか実現できていないようにも見えましたが、限られた食材で
あっても、確実に世の中に貢献できるものであることは明らかです。食糧不足に
悩む地域をアイメックで救えたら…という森社長、応援したいですね。
日本の様に豊かな土地に恵まれていなくとも、新鮮な野菜や果物は必要なはず。
今後のご活躍に期待しています。
日曜日の夕方6時半からBSジャパンで放送されている『私の履歴書』 。今回は日経
2007年2月の記事を交えながら 先月7月17日放送されたダイキン会長の物語で、
タイトルは【町工場からグローバル企業へ!失敗が導く信念とは】から、書かせて
いただきますね。改めて言うのも何ですが、ダイキンは世界トップの空調メーカー。
昨年の売上高は、約2兆円、従業員数グループ全体で約6万人、145ヵ国に進出し、
連結子会社213 社という大企業です。
我が家にもダイキンの空気清浄機が3台。アレルギーに弱い我が家では健康の要でも
あるので『健ちゃん』と名付けていますが、エアコンも、シャープからダイキンにと
変わりつつあるのが現状です。
1935年、京都市で長男として誕生した井上会長。背が高く色白で茶色の髪だったため、
小学校入学後は外国人スパイだといじめられ、その事で自身は強くなれたと言って
いました。終戦後、街に進駐軍が溢れると周りの状況は一変し、お山の大将に。
その後、同志社中学・高校・大学へと進学したものの、これという夢もないまま父の
紹介で1957年にダイキン工業の前身、大阪金属工業に入社していきます。
心新たに社会人生活を迎えるのですが、配属先は希望していた花形の営業ではなく
淀川製作所の工場の総務・庶務係。1年も経つと、ガリ版刷りをしながら…「自分は
期待されていない」『とにかく面白くない』と無断欠勤するようになり、麻雀をしたり、
呑んだくれて遊びほうけていました。
無断欠勤8日目…先輩が『あんたは会社を知らん』と、御説教しにやってきます。 そうして
無断欠勤11日目…覚悟して会社へ行くと、誰からも咎められることなく、通常通りの
上司や皆の姿に、『ここは、ボロキンどころか懐の深い、人情味あふれる会社なんだ』と、
この会社への思いが変わっていきます。
1960年、淀川製作所に企画室が発足すると、新しく作り出すことを得意とする井上会長は
企画室に入り、タイムカードの廃止や提案制度を作るなど積極的に工場改革に取り
組んでいきます。社会人としての第一歩を踏み出すと共に井上会長はその才能を開花させて
いくのです。
1962年に結婚。翌年、淀川製作所が原因で野菜の立ち枯れや変色が起こっていると
近隣農民が押しかけて来ます。対応に当たった井上会長は話し合いの結果、上司に会社側が
設備改善するべきだと提案し、工場の改善を開始します。住民とのきずなを大切にし
盆踊りまで企画すると、それをきっかけに三代目の社長に認められ、40歳で本社の
人事部長に抜擢されていきます。
更に「ココム違反事件」では、危機に瀕していた化学部門へ異動し、見事再生させて
いきます。そして…1994年…三代目の山田稔社長から突然後継指名を受け、11人抜きの
異例の抜擢で4代目社長に就任。豊臣秀吉の様な出世ぶりですよね。
「業務用、家庭用、ビル用」の三本柱の中で家庭用エアコンに可能性を感じた井上会長は、
新商品開発に力を注ぎます。1999年、無給水で加湿機能を持つ世界初のエアコン
「うるるとさらら」が誕生。のちに誕生したキャラクタ-“ぴちょんくん”の人気も加わり
大ヒット商品となって、その後国内シェアトップを獲得。会長となって、世界市場へと
目を向け、ダイキンを世界トップクラスの空調メーカーへと押し上げていったのです。
愛読書は、カーネギーの『人を動かす』で、この本がリーダーシップのベースにある
そうです。そんな今回、ダイキンの放送では印象深いキーワードがいくつもありました…
『人を信じる経営者』
『人を基軸に』
『自分の好き嫌いで任せるな』
『人を見極めて拡大』
『人の力は信じるに足る』
やっぱり『人』ですかね…。
7月28日のカンブリア宮殿、『産廃業からリサイクル企業へ大変身!~絶体絶命から
会社を変えた2代目女社長の格闘記~』御覧になられましたか?
埼玉県・三芳町で近隣から人を集める自然豊かな公園『里山テーマパーク』。
散策するだけで色んな生物に出会える里山は、ミニSLや水中生物の観察イベントも
開かれる家族連れに人気のスポットになっています。
そんな産廃業者の回の映像とは思えない場面から今回は始まっていました。もともと
ゴミが捨て放題の雑木林を公園に生まれ変わらせたのが、隣にある廃棄物を様々な
ものにリサイクルしている石坂産業。毎日、各地から産廃を山積みにしたトラックが
行列を作る企業なのに、地元に愛される企業となっていました。
分別すれば再資源化できますが、その手間を惜しめばゴミとして埋め立てられるしか
ない産業廃棄物。石坂産業では、誰もが嫌い、不法投棄が多い土砂ゴミも含めて、
なんと95%減量化・リサイクルし、売れるヒット資源に変えていました。木材の
廃材はフカフカの牧場用の敷き藁となり屋根瓦は床材に生まれ変わります。
石阪産業が業界で人気の理由のひとつは、社長が力を入れる“おもてなし”にありました。
暑い日には飲み物やキュウリの漬け物が配られ、時には、景品大会まで開かれます。
トラック運転手からも地元からも評判のリサイクル会社・石坂産業は、冒頭の公園の
映像とともに、これまでの産廃業者とは、全く違うものでした。
1999年に起きた「所沢ダイオキシン問題」。所沢の農家が、言われなき報道で
大打撃を受けたこの問題…農家の怒りの矛先が向かったのが、汚染源と言われた
周辺の産廃業者。「この地域から出て行け!」…当時、業界で最先端の焼却炉を
導入するなど、そのまま海に捨ててしまうのでなく、環境問題に立ち向かい
リーダー的存在だった創業者のお父さんは、この問題に立ち直れないほどの
ショックを受けました。
その父を助けようと社長就任を申し出たのが、当時、30歳だった娘さんでした。
社長に就任すると、地元に愛される会社を目指して、40億円かけて、完全に
屋根で密閉され、ほとんど埃を出さないプラントを建設。廃棄物をリサイクルする
ことにこだわったビジネスへと転換し、半年で社員の4割が辞めていく劇的な
意識改革を断行しました。
地域の迷惑施設と言われた会社は、ゴミを燃やす焼却処理から撤退し、清潔で
環境にやさしい日本屈指のリサイクル企業に生まれ変わらせたのです。そして、
本社の隣に里山を保全する公園まで作り上げ、地元に愛される会社に育てました。
父親の環境への思いを胸に、更に企業を劇的に変えた女性社長の金言は…
『他がやらない技術に特化すれば差別化できる』
でも、一番はやっぱり、父親の環境問題への『思い』に強く共感できたから・・・
だからこそ成しえた気がします・・・
7月26日放送のガイアの夜明け
『自分の力で歩きたい...~患者を救う"極めた技術"~』をご覧になりましたか?
「技術は人に奉仕するためのもの」...創業者本田宗一郎の意思を継ぎ、ホンダは
培ってきた技術を医療の分野で発揮しようとしていました。プロジェクトリーダーの
伊藤寿弘さんは、伝説のレーサー、あのアイルトン・セナのマシンを手がけた、
元F1チームのエンジニアです。
全く違う部署からの配属ですが、彼のチームが開発しているのは、病気や障害で
歩行が困難な人をアシストする機器の開発チーム。腰に装着し、足の振り上げ
・蹴り出しを誘導していきます。
冒頭から杖が無いと歩けない人が、歩行アシストを20分程使って訓練すると、
自力で歩行できるという映像が見せられます。奇跡でした…。本人の笑顔を
見れば一目瞭然の画期的な、夢の様なリハビリ機器です。
「より速く、より小さく、より軽く」というF1の使命を背負ってきた伊藤さんたち
開発チームは、歩行アシストのモーターや制御基板を小さく軽くすることを実現。
更に「テレメーター」という、走行中の車とピットのコンピューターを通信で繋ぐ
システムを採用。人型ロボットのアシモ君の歩行技術など、様々な技術の結集です。
そんな中、新たな課題として上がってきたのが...「歩行アシストを子どもにも
使えないか」という要望です。障害を持つ子供が自力歩行できると、より筋力が
高まって寿命が延びるのではと期待されています。
大人の場合は、過去に歩いた経験のある人だったので、記憶を取り戻す流れでしたが、
生まれた時から、正しい歩き方を経験していない子供に対しては、歩き方そのものを
歩行アシスト機器を通して掴んでもらう必要もあります。
実際に歩行アシストでリハビリを受けるのは、車イスか杖が無ければ自力移動できない
小中学生たち。番組でも1人の少年を取り上げて密着していきますが、その効果は、
大いに期待できるものでした。
筋肉を使わないまま年齢を重ねてしまうと、骨の成長に対して萎縮したままで硬化し、
高校を卒業する頃には全く歩けなくなるケースが多いという話ですから、本当に
夢のようなアシスト型機器です。
「技術は人に奉仕するためのもの」
本当に素晴らしいDNAです。
毎週木曜日に放送されている大好きな番組の1つで『世界!ニッポン行きたい人応援団』
という番組から、今回はお話したいと思います。
今回はアメリカのノースカロライナ州に住むナサニエルさんが招待客。本やインター
ネットでニッポンの伝統的な織物を目にして以来、素朴で美しい色や柄の手つむぎや
手織りに魅了されたと言います。そのハマり様は、ネットを駆使して勉強し、自ら
綿花を育て紡績するばかりか、機織り機まで購入して、日本風の藍染にチャレンジ
してしまうほど。
そんなナサニエルさんは、日本に行けたら、伝統的な織り方や染め方について本物を
ぜひ見てみたい、特に奄美大島の「大島紬」に触れてみたいというのが夢でした。
夢が叶って招かれたのは、藍染めの本場である奄美大島で、昔ながらの伝統技術で
大島紬の染めを行う金井工芸他の皆さん。
大島紬は、糸を染める前から決められた図柄に合わせて、染めるための編み込みを行い、
編み込んだものをトコトン染めていきます。絣(かすり)むしろと呼ばれる絹糸の束を、
車輪梅というバラ科の樹木の染料で染めたあと、泥田につけます。すると、泥の鉄分と
車輪梅のタンニン酸が反応して色が変化し、大島紬独特の黒色に染まるのです。
染めが終わるまでの気の遠くなるような作業。これを泥染めと言い、染めた後は不純物が
出なくなるまで川で30分以上もみ洗いして、やっと泥染めが完了。この後、染めない
部分を縛っていた木綿の糸を解いて、やっと一本の糸に。
緻密に糸を一本ずつ染め分けるには大変な苦労がありますが、機織り機で寸分の狂いも
なく大島紬を織っていく作業も気の遠くなる作業でした。職人さんでも一日たった
20cmしか織ることができず、一反約12.5メートルを織るのに、なんと3ヶ月もかかり、
高度な染めの物は3000万円を超えるとか…。一本一本の糸を染めていくため、何と
リバーシブルで使える優れもの。日本人でありながら、知らなかった事ばかりの
1時間でした。
日本の文化に魅せられて、思いを寄せてくれる海外の人が居てくれることに感謝し
同じ日本人として誇りに思い、改めて日本の素晴らしさに気づかせてくれる・・・
そんなこの番組が長続きしてくれる事を願っています。明日28日は和菓子に惚れた
外国人が招かれるようで、これもまた今から楽しみです。
カンブリア宮殿で、先日『日本の伝統行事』という村上龍さんの書かれた本が
紹介されていました。急激に拡大する“日本版ハロウィン”の市場規模は1,000億円を
超えたそうです。そんな中、村上龍さんが持った疑問は「ハロウィンの経済効果は
出すのに、なぜ七夕や月見は無視される?」という事。確かにその通りです。
そんな思いからか出版されたのが、日本独自の「伝統行事」を、改めて日本の資源と
捉えた『日本の伝統行事』。
日本の良さを見つめ直し、再確認していく中で、埋もれてしまった大切なものを
発掘し、活かして伝え、残していくこと…。最近は、そんなテレビ番組も多く、
●毎週火曜日放送のTBS『所さんのニッポンの出番』
●毎週木曜日放送のテレビ東京『世界!ニッポン行きたい人応援団』
●毎週月曜日放送のテレビ東京『YOUは何しに日本へ?』
・・・いずれも外国人の目を通して、日本を再確認させてくれる番組として、とても
楽しみにしている番組です。さきがけは『YOU・・・』でしたかね・・・
本当は素晴らしいのに、身近にあり過ぎて、その素晴らしさ素敵さに気付かないって
ありますよね。ご紹介した3つの番組は、日本人でありながらも知らなかった事を
外国人に教えてもらうという展開で、まだまだ日本の良さを分かっていないと
見るたびに思わされてしまいます。『ニッポン行きたい・・・』では、本当に一般の
日本人以上の専門知識を持った外国人が登場して驚かされっぱなし・・・
ところで、先の『日本の伝統行事』…読んでみたいと調べたところ、あの坂本龍一さん
監修「日本の童謡と唱歌集」CD3枚も付いていて、村上龍さんの執筆された文書全てに
英訳が併記されているとのこと。英語の勉強にもなりそうですね。更に膨大な絵と
写真も入っているとか。
誰もが口ずさめる懐かしい童謡・唱歌が、坂本龍一さん他、現代の音楽家、演奏者
によって蘇るという魅力も加わっているようですが、如何せんお値段が税込4,860円と
良いお値段(;^_^A。坂本龍一さん監修のCDが3枚入って、この値段なら安いとは思う
ものの・・・小遣い制の私には少々負担が大きく、なかなか高めのハードルです。
なので、こんなサイトを見つけたので、こちらをご参考になさって下さい。
私もご参考にさせて頂こうと思いますです。
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村上龍『日本の伝統行事 Japanese Traditional Events』公式サイト
- 日本の伝統の美しさを見つめ直す時がきた。
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