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理化学研究所 理事長松本先生

2016-9-6 NEW!
カテゴリ:つぶやき

 

私の履歴書、昨年6月に日経に連載された理化学研究所理事長の松本紘先生。8月14日、

21日の2日間にわたってBSジャパンで放送された【日本の科学技術を立て直す“改革者”】

ご覧になられましたか?

 

1942年、中国・河北省で生まれ、貧しい環境で育つも、常にトップの成績を収め、

京都大学の電子工学科へ進学しています。大学4年の時に宇宙物理学者の教授・

大林辰蔵と出会い、宇宙物理学者を目指すようになると、奨学金で大学院を出て

助手の道へと進んでいきます。1967年、中学時代の後輩と結婚しますが、翌年に

生まれる双子の長男に脳性小児まひの障害があると判明。1974年、家族を連れて

アメリカの航空宇宙局NASAの研究所へ留学。研究漬けだった日本とは対照的に

家族との時間を取ることができた松本先生は、国際的な視野を養うとともに価値観も

大きく広がったのだそうです。障害者の子供を持ったことで、家族の結束力を学び、

優しくなれ、フラットに人を見られるようになれたと話しておられました。

 

帰国後、世界の若手研究者が集い、最新技術を発表し学べる場を作るための資金集めを

行って、1983年、「宇宙空間シミュレーション国際学校」を開催。やがて、森林研究を

行う木質科学研究所の所長との議論で新たな学問の形を見出し、宇宙科学と森林研究

という異質な学問を融合させ生存圏研究所を誕生させます。2004年に初代所長に就任

した後、総長から副学長にと声がかかります。国立大学の法人化で財務改革が急務と

なっており、副学長に就任した松本先生は、これを改善させるために研究と並行して

財務改革に着手。

 

京都大学総長時代に乗り出した京大改革の柱は、教養課程の見直しと部局横断的、学際

融合研究の推進。独創的な研究の萌芽を見つけるや、スピード勝負で研究環境を整備し、

高レベルの研究者を集め、知財保護にも先手を打っていきます。早くて2年かかると

言われていた山中伸弥先生のIPS研究センターの準備期間2カ月での発足は、時を経ずして

ノーベル生理学・医学賞受賞という最大級の成果を生み出しました。

 

世界の研究機関と肩を並べていくためには、少々の反対があろうとやりぬくタフな

マネジメントが不可欠という松本先生の信念は揺るがず、今度は理化学研究所を

建て直すことができるかに各界からの注目が集まっています。

 

スケールの大きな研究が教授時代から部局横断的・学際的な色彩を帯び、理想的な研究

環境を求めて、資金面も含めパートナーを産業界へ、海外へと求めていくようになって

いきました。経済が停滞した中での独法化で、大学にも経営感覚が一層求められるように

なってきた時に、異端の研究者だからこそ、総長の椅子が回ってきたそうで、"子分"の

多い研究科・学部長ではない総長就任は京大史上初だったそうです。

 

「STAP細胞」問題で揺れる理化学研究所の理事長に昨年就任すると、火中の栗を拾った人

として話題を集めた松本先生。自伝の書『改革は実行 私の履歴書』という本も出版されて

います。番組を見て読んでみたくなりました。

 

理化学研究所は来年100周年を迎えるそうで、年間予算は800億円以上。そんな理化学

研究所の理事長に就任すると「(社会に役立つ)イノベーション(技術革新)が起こる

土壌をつくることが大学や理研など研究機関の役目」と強調しました。「リーダーが

辞表を胸に、責任感と覚悟を持たないと、組織は変えられない」と理研改革への決意を

示しています。

 

理化学研究所については「STAP問題で有名になったが、99.9%の研究者は非常に優秀で

垣根を越えた議論もしている。人事一元化やガバナンスの改善に取り組みながら、

国際化と長期的な研究にも取り組む。全国の大学や、産業界とのつながりを結ぶ

『ハブ機能』を築き、広く産学連携を図っていきたい」と意欲を語られています。

 

番組の中で印象に残った言葉は・・・

   『世界に通用する研究者たれ』

      『人と科学技術が日本を救う』

          『未来は予測するものではなく、創るもの』・・・。

 

『全国の大学や、産業界とのつながりを結ぶ『ハブ機能』を築き、広く産学連携を

図っていきたい』というトップの立つ理化学研究所からは、目が離せそうにありません。
 

 

 

 

 

 

 

 

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