お母さんが鏡に向かって パックをしています。
五歳の太郎君がそれを見て・・・
「ママ、何をしているの。そんなドロドロしたものを顔に塗って」
「これはね、ママの顔を美しくするためよ」
「ほんと。きれいになるの」
「そうよ」
パックをはがしている母親の顔をじっと見ていた太郎君が叫びました。
「あっ、ママ、失敗だったね」
太朗君の一言で、あくる日からお母さんは、パックをやめました。
もし、太郎君が「あっ、ほんとだ。大成功だ」と言ったとします。
お母さんは、毎日、せっせとパックにいそしむことでしょう。
・・・これは、「 ママ ぼくを ダメにしないで 」至上館出版より
抜粋させていただきましたが、社会人になった私達にも、こうした
『ちょっとした一言』でも相手に与える影響の大きさが
計り知れない事を知っています。
人によってその時の心や身体の在り方は違いますし、投げかける側も、
忙しい時や、体調不良のときなど、ゆとりのない時は、特に言い回しに
気を配る事ができないものです。
相手を『思う気持ち』、その思いが持てるような『ゆとり』を持っていく事、
どちらも、しっかり手にしていきたいですね。
『未来アイズ』という番組、以前にもご紹介させて頂いたことのある毎週日曜日
夜10時半からBSジャパンで放送されている番組です。番組案内では、「高度経済
成長期に作り上げられた様々な仕組みが、今あらゆる所で制度疲労を起こしている
ことを踏まえて、そんな日本において未来を切り開こうと熱い情熱で探究する人と、
企業を追うドキュメント番組」と紹介されています。
7月31日の放送では、メビオール株式会社が登場。代表取締役社長・森有一さんが
開発した、特殊なフィルム「アイメック(フィルム農法)」。アイメックは、
元々医療分野に使われていた技術です。これを農業用に転用し、野菜栽培の培地
として使うことを展開しているのです。
地球温暖化で深刻な水不足と土壌の劣化か進んでいる世界各国から、最小限の
水と土で作物を作ることができることで注目され、砂漠でも野菜の栽培を可能にし、
砂漠化した地域に森を取り戻すなんて夢が現実になろうとしています。
根がフィルム上に密着し、効率よく栄養液を吸収しようとしてア ミノ酸、糖分などを
大量に作り、食物が美味しくなるというのです。又、アイメックは栄養液を吸収しますが
菌、ウイルスなどを排除するため、限られた水で始められて、仮に水が腐ってしまっても
問題なく食物が育つというのです。
農薬を使わずに、安全な作物を 生産できるという画期的なシステム。番組では、
地産の野菜がなかったドバイの店頭に地産のトマトがならぶという映像が紹介
されていました。
まだ、限られた食品しか実現できていないようにも見えましたが、限られた食材で
あっても、確実に世の中に貢献できるものであることは明らかです。食糧不足に
悩む地域をアイメックで救えたら…という森社長、応援したいですね。
日本の様に豊かな土地に恵まれていなくとも、新鮮な野菜や果物は必要なはず。
今後のご活躍に期待しています。
日曜日の夕方6時半からBSジャパンで放送されている『私の履歴書』 。今回は日経
2007年2月の記事を交えながら 先月7月17日放送されたダイキン会長の物語で、
タイトルは【町工場からグローバル企業へ!失敗が導く信念とは】から、書かせて
いただきますね。改めて言うのも何ですが、ダイキンは世界トップの空調メーカー。
昨年の売上高は、約2兆円、従業員数グループ全体で約6万人、145ヵ国に進出し、
連結子会社213 社という大企業です。
我が家にもダイキンの空気清浄機が3台。アレルギーに弱い我が家では健康の要でも
あるので『健ちゃん』と名付けていますが、エアコンも、シャープからダイキンにと
変わりつつあるのが現状です。
1935年、京都市で長男として誕生した井上会長。背が高く色白で茶色の髪だったため、
小学校入学後は外国人スパイだといじめられ、その事で自身は強くなれたと言って
いました。終戦後、街に進駐軍が溢れると周りの状況は一変し、お山の大将に。
その後、同志社中学・高校・大学へと進学したものの、これという夢もないまま父の
紹介で1957年にダイキン工業の前身、大阪金属工業に入社していきます。
心新たに社会人生活を迎えるのですが、配属先は希望していた花形の営業ではなく
淀川製作所の工場の総務・庶務係。1年も経つと、ガリ版刷りをしながら…「自分は
期待されていない」『とにかく面白くない』と無断欠勤するようになり、麻雀をしたり、
呑んだくれて遊びほうけていました。
無断欠勤8日目…先輩が『あんたは会社を知らん』と、御説教しにやってきます。 そうして
無断欠勤11日目…覚悟して会社へ行くと、誰からも咎められることなく、通常通りの
上司や皆の姿に、『ここは、ボロキンどころか懐の深い、人情味あふれる会社なんだ』と、
この会社への思いが変わっていきます。
1960年、淀川製作所に企画室が発足すると、新しく作り出すことを得意とする井上会長は
企画室に入り、タイムカードの廃止や提案制度を作るなど積極的に工場改革に取り
組んでいきます。社会人としての第一歩を踏み出すと共に井上会長はその才能を開花させて
いくのです。
1962年に結婚。翌年、淀川製作所が原因で野菜の立ち枯れや変色が起こっていると
近隣農民が押しかけて来ます。対応に当たった井上会長は話し合いの結果、上司に会社側が
設備改善するべきだと提案し、工場の改善を開始します。住民とのきずなを大切にし
盆踊りまで企画すると、それをきっかけに三代目の社長に認められ、40歳で本社の
人事部長に抜擢されていきます。
更に「ココム違反事件」では、危機に瀕していた化学部門へ異動し、見事再生させて
いきます。そして…1994年…三代目の山田稔社長から突然後継指名を受け、11人抜きの
異例の抜擢で4代目社長に就任。豊臣秀吉の様な出世ぶりですよね。
「業務用、家庭用、ビル用」の三本柱の中で家庭用エアコンに可能性を感じた井上会長は、
新商品開発に力を注ぎます。1999年、無給水で加湿機能を持つ世界初のエアコン
「うるるとさらら」が誕生。のちに誕生したキャラクタ-“ぴちょんくん”の人気も加わり
大ヒット商品となって、その後国内シェアトップを獲得。会長となって、世界市場へと
目を向け、ダイキンを世界トップクラスの空調メーカーへと押し上げていったのです。
愛読書は、カーネギーの『人を動かす』で、この本がリーダーシップのベースにある
そうです。そんな今回、ダイキンの放送では印象深いキーワードがいくつもありました…
『人を信じる経営者』
『人を基軸に』
『自分の好き嫌いで任せるな』
『人を見極めて拡大』
『人の力は信じるに足る』
やっぱり『人』ですかね…。
先日、映画『アミスタッド』を観ました。この映画はアミスタッド号事件を題材に
スティーヴン・スピルバーグが映画化したもので、感動の名作です。
19世紀半ば、アフリカの大地でライオンを倒した24歳の男・シンケは妻と子供の3人で
幸せに暮らしていましたが、ある日突然拉致され、53人の仲間達と共にアミスタッド号に
商品(奴隷)として積み込まれてしまいます。
3日後、船はキューバ沖で遭難。その混乱をついたシンケ達は反乱を起こし、乗組員を
次々と殺し自由を取り戻します。シンケを含む39人の生存者達は、殺さずに生かして
おいた舵取り役のルイスとモンテスに生まれ故郷まで、船を操作するよう命じましたが、
騙され、2か月後、アフリカではなくアメリカに連れて行かれます。
言葉の通じないアメリカで投獄され、殺人の罪を負わされてしまうのです。裁判に
かけられた彼らを見た元大統領・ジョン・クィンシー・アダムズは、若い弁護士
ボールドウィンの助けを借りながら、シンケ達の自由を取り戻という内容です。
1840年、連邦予審法廷は、これらのアフリカ人たちについては、もともとのアフリカ
大陸からの移送が非合法であったと認定し、彼等は法的に奴隷ではなく、自由の身に
あると認めます。1841年3月9日、合衆国最高裁判所によりこれらの事項が認められ、
1842年、これらのアフリカ人たちは故郷へ帰還していくのです。
奴隷として船に積まれた人達が、食料不足から鎖に繋がれて生きたまま海に捨てられて
いくシーンは、本当にこんな事が行われていたのかと言葉を失うほどでした。スペイン
からの圧力や南北アメリカのお国事情も絡んでの裁判のやり取りは興味深いものでした。
興業的には成功しなかったそうですが、その内容は史実を忠実に再現したとされ、
『シンドラーのリスト』に続く歴史映画の傑作として高い評価を得ていて、お薦めの
中身の濃い、素晴らしい映画でした。
また、映画とは離れてしまいますが、主役のシンケは、ボビー・オロゴンさんに
似ているなぁと思ったり、元大統領役のアンソニー・ホプキンスは、やっぱり
素晴らしい役者さんだなぁと思ったりもして、是非見て頂きたいと思います。
いきなりで、改めて言うまでもないことですが10,000メートル競走は、10,000
メートルを走るタイムで競う陸上競技のトラック種目で、長距離走に分類されますが、
400mトラックを25周するという、なかなか厳しい種目です。スピードが当然
要求されますが、持久力も要求され、日本国内でも、男女マラソンに次いで注目を
集める長距離種目となっています。
2016年6月24日に記念すべき第100回日本陸上競技選手権大会が行われ、女子
10,000m決勝が行われました。1991年10月8日生まれで今年25歳になる鈴木
亜由子選手がほぼ自己ベストという素晴らしい記録で優勝しました。それまでも
1人だけ派遣設定記録を突破していたので、余裕を持っていくのかと思いましたが、
2位の頑張りも影響して積極的な走りとなりました。
そして2位が関根花観選手。1996年2月26日生まれというまだ20歳の関根花観選手。
こちらも自己ベストで派遣設定記録を叩き出しました。オリンピック派遣設定
記録を超えたのは、この2人だけ。
そんな10,000メートル競争の女子の部門に登場していたのが弊社 株式会社
エー・イー企画の営業部長 関根一成さんと深いゆかりのある方…。関根さんは、
物静かで人の話をよく聞き、真摯にお客さんと向き合う素敵な方ですが、更に
ロマンスグレーでスポーツマンな上に、酒豪としても社内で有名です。そんな
関根さんと深い繋がりを持っているのが既にお気づきの事と思いますが娘の花観さん。
見事な自己ベストを叩き出した関根花観さんですが、その後3人選出されるという
オリンピックの代表選手として無事選ばれました!!
リオ・オリンピック10,000メートルは8月12日金曜日に行われる予定です!!
素敵な家族の支えがあればこそ、才能を開花させる事が出来るもので、オリンピックへの
出場は、温かく見守り支えてきた家族の勝ち取った勲章の様なものです。メダルをという
期待も分かりますが、自分の実力が発揮でき、良い意味での高揚が結果として記録更新に
繋がると良いなと私は思っています。
メダルという結果を望んで、プレッシャーをかけるのが好きな日本人ですが、晴れの
舞台を楽しめますよう、心から応援したいと思います。まだ20歳…次回東京オリンピック
に向けて良い経験ができますように!!
7月28日のカンブリア宮殿、『産廃業からリサイクル企業へ大変身!~絶体絶命から
会社を変えた2代目女社長の格闘記~』御覧になられましたか?
埼玉県・三芳町で近隣から人を集める自然豊かな公園『里山テーマパーク』。
散策するだけで色んな生物に出会える里山は、ミニSLや水中生物の観察イベントも
開かれる家族連れに人気のスポットになっています。
そんな産廃業者の回の映像とは思えない場面から今回は始まっていました。もともと
ゴミが捨て放題の雑木林を公園に生まれ変わらせたのが、隣にある廃棄物を様々な
ものにリサイクルしている石坂産業。毎日、各地から産廃を山積みにしたトラックが
行列を作る企業なのに、地元に愛される企業となっていました。
分別すれば再資源化できますが、その手間を惜しめばゴミとして埋め立てられるしか
ない産業廃棄物。石坂産業では、誰もが嫌い、不法投棄が多い土砂ゴミも含めて、
なんと95%減量化・リサイクルし、売れるヒット資源に変えていました。木材の
廃材はフカフカの牧場用の敷き藁となり屋根瓦は床材に生まれ変わります。
石阪産業が業界で人気の理由のひとつは、社長が力を入れる“おもてなし”にありました。
暑い日には飲み物やキュウリの漬け物が配られ、時には、景品大会まで開かれます。
トラック運転手からも地元からも評判のリサイクル会社・石坂産業は、冒頭の公園の
映像とともに、これまでの産廃業者とは、全く違うものでした。
1999年に起きた「所沢ダイオキシン問題」。所沢の農家が、言われなき報道で
大打撃を受けたこの問題…農家の怒りの矛先が向かったのが、汚染源と言われた
周辺の産廃業者。「この地域から出て行け!」…当時、業界で最先端の焼却炉を
導入するなど、そのまま海に捨ててしまうのでなく、環境問題に立ち向かい
リーダー的存在だった創業者のお父さんは、この問題に立ち直れないほどの
ショックを受けました。
その父を助けようと社長就任を申し出たのが、当時、30歳だった娘さんでした。
社長に就任すると、地元に愛される会社を目指して、40億円かけて、完全に
屋根で密閉され、ほとんど埃を出さないプラントを建設。廃棄物をリサイクルする
ことにこだわったビジネスへと転換し、半年で社員の4割が辞めていく劇的な
意識改革を断行しました。
地域の迷惑施設と言われた会社は、ゴミを燃やす焼却処理から撤退し、清潔で
環境にやさしい日本屈指のリサイクル企業に生まれ変わらせたのです。そして、
本社の隣に里山を保全する公園まで作り上げ、地元に愛される会社に育てました。
父親の環境への思いを胸に、更に企業を劇的に変えた女性社長の金言は…
『他がやらない技術に特化すれば差別化できる』
でも、一番はやっぱり、父親の環境問題への『思い』に強く共感できたから・・・
だからこそ成しえた気がします・・・
タコの足の数が8本あることから、広島県と三原観光協会が記念日と定めて、
1996(平成8)年から、今日この日に『タコ供養』を行っているそうです。
日本ではタコは食卓を飾る一品として欠かせませんし、私にとってタコ焼きは
大好物でもありますので・・・
ちなみに、自宅にタコ焼き用の鉄板も持っていて、たまにタコ焼きパーティーを
したりしています。
見た目は気持ち悪く、炭を吐いたり、吸盤や足でまとわりついてくるので
そんな事があってか、ヨーロッパや中東ではデビルフィッシュ(悪魔の魚)と
されているとのこと。
追伸…今日は、時間がなくて手抜きのアップですみませんでした…。
タコの手でも借りたい気分です・・・。
2016年度予算案の防衛費が5兆541億円となり、初めて5兆円の大台を超えた・・・
そんなニュースが流れていたかと思えば、年金積立金管理運用独立行政法人が
5兆円を超える運用損失ですと・・・安倍政権が発足する前の2012年度の
軍事費に戻すだけで財源は3,403億円生まれて、保育士の賃上げ月5万円にかかる
2,800億円にまわしても603億円ものゆとりがある・・・
防衛費は、前年度に比べ740億円の増加で、他の歳出と比べても優遇ぶりが際立ち、
海外主要メディアは、いずれも、第2次安倍政権が2012年12月に発足して以来、
4年連続での増加となることを記事の始めのほうで言及していました・・・。
防衛費の増額は安倍政権の傾向だと示しているのです。AP通信は、安倍首相が
『10年間続いた減少傾向を2013年度予算で終わらせた』としています。
2015年における世界の軍事費動向をまとめたレポート「Trends in World military
expenditure 2015」では、2015年の世界全体における軍事費総額は1兆6760億米ドル。
もっとも多い軍事支出を計上していたのは勿論アメリカ合衆国で5960億ドル、
次いで中国の2150億ドル、サウジアラビアの872億ドルが続いています。
日本は8位で、防衛費だけなのに韓国よりも多いのですよね・・・
米軍思いやり予算(在日米軍駐留経費)では建設される米兵用の住宅が・・・
1戸約6,200万~9,700万円なのに、震災による被災者向け公営住宅は
1戸当たりの建設予算が238万7000円を上限に予算が組まれていました・・・
第3次内閣改造の目玉となった稲田氏防衛相起用も気がかりだし・・・
東京都の退職したM氏も全くおかしな金銭感覚でしたが、お国のA氏は金銭
だけでなく色々と如何なものか・・・
それも着々とおかしな方向に進めている気が・・・
『愛を積むひと』は2015年の日本の映画ですが、原作はアメリカのエドワード
・ムーニー・Jrの小説「石を積むひと」で、日本用に再構成されたもの。
佐藤浩市と樋口可南子が夫婦役を演じていますが、2人の演技も素晴らしいもので、
北海道で第2の人生を送る熟年夫婦の愛と絆を描いた感動の映画です。
東京の下町で営んでいた工場をたたみ、豊かな老後を求めて良子(樋口可南子)の
望む北海道に移住してきた2人。ガーデニングや内装アレンジなど、充実した毎日を
楽しむ良子に対し、仕事一筋だった篤史(佐藤浩市)は暇を持て余すばかり。
そんな夫を見かねた良子は、篤史に家の周りの石塀づくりを頼みます。心臓を患い、
良くない状態である事が分かりながらも、夫の事を思い病状を明かさない良子。
ところが、良子の持病である心臓病が悪化し、篤史の願いもむなしく亡くなって
しまいます。
妻の死に絶望し、生活も荒んで心を閉ざした篤史でしたが、彼女が死の直前に
綴った自分宛の手紙を、ふとしたきっかけで見つけます。良子は、自分が亡く
なった後の夫の事を思い、前に進めるように手紙で後押ししてくれたのです。
打ち込めなかった石塀にも、手紙を読んだ事で心が込められるようになり、周囲の
人々や疎遠だった娘との関わりも取り戻していきます。
映画の中で重要な役割を果たしていた手紙は、アルバムに入れられた1通、それと
アルバイトに来ていた青年の彼女に預けられた1通。それから父である篤史から
娘に宛てられた1通。
小さな町工場の仕事だった為に結婚当初から決して裕福ではなかったので、結婚
記念日には毎年『1粒の真珠』を奥さんにプレゼントしていた篤史。1年に1粒だから、
これまで溜まってきた真珠も不揃いで、色も形もバラバラ。それでも、年を重ねる
事で、1つの味わい深いネックレスになっていくという…素敵な話。こんな結婚
記念日のプレゼントも良いなぁと感心してしまいました。
物語では途中、これまでためられてきたネックレスになりかけの真珠が盗まれて
しまうのですが、後半では疎遠になっていた娘に送る手紙の中で重要な役割を
果たしていきます。詳しく説明したいところですが、是非見て欲しい映画でした。
物の豊かさではなく、人の温かさと語らぬ想いを感じられた、素敵な映画でした。
大相撲で31回の優勝を果たし、相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した元横綱・
千代の富士の九重親方が、7月31日午後4時頃、すい臓がんのため東京都内の
病院で亡くなりました。61歳という、まだまだ平均寿命からは程遠い若さでした。
1975年9月場所で昭和30年代生まれの力士として、第一号の新入幕を果たし
二日目には幕内初白星を元大関大受から挙げますが、相撲の粗さが元で5勝10敗と
負け越し。その後幕下まで陥落。人並み以上の奮起で帰り十両を果たしますが、
以前から課題だった先天的に両肩の関節の噛み合わせが浅いという骨の形状から
来る肩(左肩)の脱臼が顕在化します。
取り口も力任せの強引な投げ技を得意としていたために左肩へますます負担が
かかり、度重なる脱臼に悩まされました。このため、2年間を十両で過ごすこと
になりますが、元NHKアナウンサーの向坂松彦はこの頃から「ウルフと言われる
鋭い目はいつの日か土俵の天下を取るものと見ている」と話されていたそうです。
1981年1月場所は快進撃で、若乃花を真っ向勝負で寄り倒すなど初日から14連勝を
記録。そして迎えた千秋楽、1敗で追いかけた北の湖との直接対決を迎えました。
本割では吊り出しで敗れて全勝優勝こそ逃すものの、優勝決定戦では、あの北の湖を
右からの上手出し投げで下し、14勝1敗で幕内初優勝を果たしました。
場所後に千代の富士の大関昇進が決定しましたが、千秋楽の大相撲中継視聴率は
52.2%、千代の富士の優勝が決まった瞬間の最高視聴率は65.3%に達し、現在でも
大相撲中継の最高記録となっているそうです。
新大関で迎えた3月場所は11勝4敗、5月場所は13勝2敗と連続して千秋楽まで
優勝争いに残り、横綱昇進が懸かった7月場所には千秋楽で北の湖を破って
14勝1敗の成績で2度目の優勝を果たして横綱を掴みました。非常に劇的な瞬間に、
千秋楽審判委員として土俵下に控えていた当時の九重親方(北の富士)は勝負が
決まった瞬間手で涙を拭ったそうです。
横綱推挙の際「2代目・千代の山」の襲名を打診されたましが、これを「横綱2人分
(千代の山+北の富士=『千代の富士』)のいまの四股名の方が強そうだから」
と固辞しました。千代の富士の大関・横綱昇進伝達式の際には、北の富士と、
北の富士からの配慮で先代九重親方の未亡人が同席していました。
千代の富士の引退相撲・断髪式は1992年1月場所後に行われましたが、
「気力・体力の限界」と話された緊急記者会見で現役引退を表明された時は、
本当に涙無くしては見られないものでした。何度となく怪我に見舞われながらも、
ウルフらしい豪快な相撲で楽しませてくれた「小さな大横綱」は、歴史に名を
刻み体中を傷だらけにして相撲人生を終えました。
ウルフと呼ばれた大横綱、私も大ファンでした。
もう、千代の富士の様な横綱は誕生しないだろうと思っています。
遅くなりましたが、 在りし日のお姿を偲び、心からご冥福をお祈り申し上げます。