ティータイム

Do well by doing good.

2018-6-11 NEW!

 

Innovative TomorrowというBS日テレで放送されている番組をご存知でしょうか?毎回、非常に優秀な人が招かれ、良いお話を聞くことができる楽しみな番組の一つですが、5月28日に登場したのが株式会社オールアバウトグループの代表、江幡哲也さん。オールアバウトは、Web情報の分野に信頼性を導入し、広く深くをテーマにした総合情報サイトだそうで、なんと1301分野をカバーしているとの事。正直、私は知りませんでした…。

 

「一生に何度もないようなことは、経験も、情報も少ないから情報か必要になる」ところがネットで情報を集めようとしても、フェイクも多く専門家による信頼のおける情報がなかなか見つけられない。そんな問題点を解消しようとしているのがオールアバウトなんだとか。オールアバウトでは専門家のことをガイドというそうですが、専門性を極める為に会社を8社に分社し、分けることによって小さくなった組織は、スピードを増しパワーが出やすくなるんだとか。

 

勿論、専門家が増えやすい環境が整い社長も増えます。ナンバー2は、役割を持って、そこを突き詰めていきますが、社長は、360度気をつかわなければ、ならないので、人材育成にも繋がります。問題なのは、放っておくと遠心力をおこし勝手な事をやりだすということ。「遠心力と求心力」というキーワードが大切になって来て「実現したい目標、ビジョンは一つでなければならない」と言います。

 

【個人を豊かに、社会を元気に】それが代表の江幡さんの目指すところのようですが、情報で世直しをしたいとも話されていました。

 

番組ではいつも「思考のコア・自分への問い」について尋ねられますが、江幡さんの問いはこうでした。

 

『動機は善か?』それが力の源になる。善とは皆がおかしいと思うことを、正すこと。すると、MCのパックンが英語で答えました。
【Do well by doing good.】良い行いをして成功する…そんな格言があるとの事。心したいですね。

 

毎回、本当に、とても良い話が聞けますので、見た事のない方は、是非一度ご覧になってください。

 

 

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ホテル業界のモンスター、その全貌が明らかに!!

2018-6-4 NEW!

 4月29日放送のがっちりマンデー『アパホテル』の回、ご覧になられましたか?今回のがっちりマンデーはあの儲かりビジネスホテルが登場。その名は「アパホテル」。国内外合わせて447棟、客室数7万5,000室を突破。年間売上は1,160億円という派手な女社長さんでも知らない人はいないのではないかというアパホテル。

 

今回は、ド派手な帽子でお馴染み元谷芙美子社長ではなくて、アパホテルを一代で築き上げたという本ボス、元谷外志雄代表が帽子にサングラスという前代未聞のお姿で登場です。これまで一切表舞台に出てこなかった創業者がついに禁断のベールを脱いで、ホテル業界のモンスター「アパホテル」、その全貌が明らかになっていきます。

 

この元谷外志雄代表、信用金庫の社員時代から、なんと『住宅ローンの仕組み』を作り、住宅会社を企業、更に建物住宅と賃貸マンションで起業し、分譲マンションをスタート、焼却資産として、税金対策でアパホテルを始めたんだとか…まったく驚きの連続でした。

 

アパホテルの「アパ」という名前は、覚えやすさからAPA(アパ)と。1997年にこれからはネットで予約する時代が来る時に覚えやすいように短くて、なおかつ環境という意味を言葉に込めてAlways Pleasant Amenity、いつも気持ちの良い環境、「A」から始まり「ア」から始まるようにと、元谷外志雄代表が考えたのだとか。

 

人をおもてなすのに自分だといかついんじゃないかという事で、天真爛漫な女社長が向いていると奥さんに任せ、自分は表に出ないように、分からせないようにしてきたのだそうです。

 

アパホテル人気のヒミツはホテルの常識を覆す部屋づくり。普通、ビジネスホテルの部屋の広さは12~13平方メートル、それに対しアパホテルは平均11平方メートルでちょっとコンパクトだけれど、その分、ベッドは通常シングルベッド100~110cmのところ135~140cmと、大人2人でもゆっくりくつろげるダブル仕様。そしてテレビもでっかい50インチ。さらに、シーリングライト(天井灯)も部屋でも仕事ができるようにとオフィスなみにして他のホテルよりも明るくしています。

 

バスルームは卵型をしており、水を溜めた時に約20%節水できるようにと、バスタブの形も一から見直して自社で作ったそうです。部屋を小さくしていることでホテル自体のお部屋の数も多く増やせます。なんと同じ条件なら他のホテルよりも20%は多く部屋が作れるのだそうです。

 

そしてもう一つ、アパホテル絶好調のヒミツが稼働率。通常80%部屋が埋まっていれば大成功といわれるホテル業界にあって、アパホテルの稼働率は全国平均で88.5%。取り上げられたホテルなどは、なんと稼働率100%以上の105%超。日帰りプランを一泊分の約半額で提供する事で、1部屋を2回転させているというのです。

 

日中、短時間で利用する【日帰りプラン】は、「ホテル=泊まる」という常識を打ち破る新たなサービスで、ビジネスホテルでいち早く導入されたそうです。部屋のベッドメイクや清掃は、通常のように人を増員したり業者に頼んだのでは割に合いません。その為、自分たちでやるのだそうです。受付の社員たちも、支配人も清掃。

 

新入社員が導入研修でベッドメイク研修を行うのだとか。社員が清掃することでコストを掛けずに1日1部屋2回転を実現。アパホテル巣鴨駅前は全512室満室というところ、539室分の売上げを出していたのです。

 

アパホテルが駅近くに作れてしまうのは、変形の土地でも、コンパクトな部屋だから作れてしまう。更に変形土地だから安く買え、出来てしまう。社員はリスクを取れないから、出店場所は全て自分で訪れて自分で決める。全株オーナーだから、自身が責任を取れる。上場するのは貧乏人がすること。ポケットマネーは、100億から200億!・・・驚きの連続で、こんな凄い人が、メディアに出てきて、まさかの「それ」が【がっちりマンデー】とは!更に驚きで興奮の30分の回でした・・・

 

 

 

 

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あの伝説の創業者が、圧倒的な支持を得て珈琲店を急拡大!!

2018-5-31 NEW!

 

5月17日放送のカンブリア宮殿『最高の居心地で"珈琲店戦争"に殴り込み 外食レジェンド80歳の再チャレンジ!』の回、ご覧になられましたか?ここ数年熾烈な争いを繰り広げる、珈琲店戦争は、お洒落なスタバにタリーズから、低価格で飲めるセブンやマック、落ち着いて味わえる珈琲館から、上島、星乃、倉式、コメダ、珈楽庵等々乱立しています。そんな中で、シニアを中心に圧倒的な支持を得て急拡大しているというのが、今回の主役【高倉町珈琲】。後発で殴り込んだのは、あの【すかいらーく】の創業者・横川兄弟の三男。「もう一度、お客さんを喜ばせたい」その一新で逆境から挑んできたのです。

 

横川さんは、17歳の時に築地の食品卸問屋「伊勢龍」で修行。その社長から「客を騙すな」「稼いだ金は客に還元しろ」という教えを徹底的に叩き込まれたそうです。25歳で、3人の兄弟と共に食料品店を開業するも、スーパーの台頭で、違うビジネスへの転換を余儀なくされると、アメリカのファミリーレストランに目を付け、1970年、日本初のファミレス「すかいらーく」をオープン。

 

「客が喜ぶ、おいしい料理を出す」ために外食業界を走ってきた横川さんですが、グループが大きくなり過ぎると、細部まで目が行き届かなくなるということで大改革をしようとしましたが、大きくなり過ぎたグループは、それを受け入れてくれず解任されてしまいます。横川さんは、「すかいらーく」の経営を退いた後に一念発起し、77歳で【高倉町珈琲】を起業することになったのです。

 

現在19店舗を展開する【高倉町珈琲】の特徴は、運ぶだけでプルプルと震える「リコッタパンケーキ」など、美味しそうなメニューの充実にあります。この他、都心の珈琲店にはないシックで広々とした店やゆったりとして、座り心地の良い椅子が用意されていました。若者が集まるスタバやタリーズとは違って、シックな【高倉町珈琲】に詰めかける客には、年配客が多いそうです。ファミリーやサラリーマン向けでなく、ゆったりと過ごせるようこだわった店作りが、シニアの心を掴んでいるというのです。

 

そんな【高倉町珈琲】には、もう一つ大きな特徴がありました。なんと運営する本社スタッフの殆どが60歳以上というのです。しかも2014年に会社を立ち上げたトップは、既に80歳になる横川さん。今も高齢とは思えないフットワークで、横川さんを慕ってついてきたスタッフと共に、より良い店を作るために日々奔走しているのです。高齢化が進んでいる日本の中で、こうした話も喜ばしい事です。

 

横川さんは「本社や本部は必要ない。店は店長が良ければ必ず繁盛する」と語り、店から上がったアイデアを最優先させ、本部が決めたマニュアルを現場にどんどん変えさせていきます。スティックシュガーや写真入りメニューを考案した伝説の経営者であるだけに、外食を知り尽くした店作り、見事でした。今では当たり前の写真入りメニューなどは、ないのが可笑しいと思えるほど、世の中に広がっていますからねぇ。

 

横川さんは、働くスタッフも満足できる仕組みづくりをと、優秀な社員が負担なくFCオーナーとなれる制度や、パートまで株を持ち配当を受け取る、持ち株制度など…嬉しいルールを導入しています。パートさんの生き生きした表情も印象的でした。今のところ東京郊外を中心に出店されているとの事で、我が家の近くにお店はありませんが、できたら真っ先に行ってみたいですねぇ・・・

 

 

 

 

 

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出来ると信じたら8割のことは可能

2018-5-29 NEW!

 

TBSテレビでゴールデンの時間帯で放送されている『坂上&指原のつぶれない店』5月20日の放送分はご覧になられましたか?「街中のつぶれそうなのにつぶれない店」は何故つぶれないのか?そんな素朴な?謎を解き明かすなど“お金”にまつわるバラエティ番組なのですが、なんと先日は、あのジャパネットたかたの創業者が登場してきたのです。

 

高い声と独特の語り口でテレビショッピングの人気者となった元ジャパネットたかたの髙田明社長。3年前にジャパネットの社長の座を息子に譲り勇退したかと思いきや、昨年4月、経営不振で3億円以上の赤字を抱え、倒産のピンチに追い込まれていた別会社の社長に就任し、たった一年でなんと25億円の売り上げをやってのけ、大活躍しているというのです。

 

その会社とは高田社長の地元、長崎県のJリーグチーム「V・ファーレン長崎」。火中の栗を拾ったのは、2017年3月のこと。当時、V・ファーレン長崎はJ2で22チーム中15位と成績は低迷。経営的にも17年1月期の決算で1億3770万円の最終赤字を計上していました。累積赤字は3億2460万円まで膨らみ、一時は選手の給料未払いが懸念されるほど経営が悪化していたとのこと。

 

そんな地元・長崎のチームを何とかしたいと立ち上がった髙田社長は、就任前の観客数が平均で4,000人くらいだったものを、11月には満席の2万2,000人に!さらには、Jリーグの2部リーグ「J2」から「J1」に昇格する、という快挙まで成し遂げ、3億円以上の赤字だった1年前から、今年は何と25億円の見込みなんだとか!サッカークラブの経営はもともと全くの素人という高田社長がどうやって、倒産寸前のクラブを立ち直らせたのか…?!

 

髙田社長が「集客」の為に掲げた、4つの「改革」。
◆その1「駐車場を変えた」・・・駐車場を新たに増やし、無料駐車場を試合3時間前に閉門して早い時間の来場を促し、ゆっくり来られる人は最初から有料駐車場に向かうような流れを作って、渋滞緩和の工夫まで行ったのです。
◆その2「電車を変えた」・・・試合当日は電車の本数も増やし、シャトルバスの整備も行うなどアクセス面を改善。
◆その3「駅からの道を変えた」・・・駅から会場まで歩くという人に対して、地元の人の協力を仰いで様々な「おもてなし」を実現。
◆その4「スタジアム周りを変えた」・・・「ジャパネット」のアウトレットセールの屋台を出店するなど、スタジアム周辺に様々な出店を招いて充実させたのです。

 

また、アウェーゲームにも社長自ら足を運んで他クラブのスタジアム設備を研究。試合前には必ず大勢の相手サポーターと会話し、「アクセスはどう?」「駐車場は?」などスタジアムの情報収集を行い、自分のクラブに活かそうとしていたのです。

 

更には、自らが広告塔となり、長崎のローカル番組にも出演して、試合を見に来てもらうよう宣伝。お客さんを増やすための「改革」を、次から次へと実行し、驚きのV字回復をやってのけた髙田社長…流石でした。高田社長のそうした努力は、集客アップを実現し、クラブのJ1昇格へと繋がっていったのです。

 

MCの坂上さんから「3億円の赤字があって、見込みはあったんですか?」と社長就任当時の心境を尋ねられると、「どうにかなると思いました。計算せずに感覚でいくタイプなんです。出来ると信じたら8割のことは可能。出来ないと思うから出来ないのであって、出来ると信じてやり続けるしかないんですよね」と信念を語っていました。

 

【出来ると信じたら8割のことは可能】

 

シンプルですが、大切なキーワードですね。

 

 

 

 

 

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通販なし、お店は1軒だけ…ピカイチな帆布屋さん登場!!

2018-5-22 NEW!

 

5月10日放送のカンブリア宮殿『京都オンリーワンのものづくり! 奇跡の老舗かばん店の全貌』の回、ご覧になられましたか?京都に1軒だけという小さなお店がカンブリア宮殿に登場するのは珍しいところ。実は、このお店、通信販売もしていないのです。社員は全員職人を兼ね、売っているのは帆布のカバンが中心。それでも、長年の熱烈なファンに支えられるという老舗。「お家騒動」の辛い時期を経て、自社ブランド「一澤信三郎帆布」を立ち上げ、100年前の創業当時と変わらないビジネススタイルをとっているという【老舗カバン屋さん】が今回の主役です。

 

一澤信三郎帆布さんのカバンは職人の道具袋から時代に合わせて変化し、愛されてきました。会社が軌道に乗ってきた2,000年初頭、先代が亡くなると本来の遺言状の他に、兄が新たに持ち出してきた別の遺言状が登場し、遺言状を巡って裁判にまで発展してしまう兄弟の相続争いが勃発。結果、後から出てきた遺言状が認められてしまい、社長を解任された信三郎さんは職人たちと一緒に「一澤信三郎帆布」を立ち上げ、新たなスタートを切ることになります。

 

地元の人たちの支援や信頼はそのスタートを後押していきますが、共に頑張って支えてくれた社員や、支えてくれたお客様たちは、それまでの取り組みを裏切る事はありませんでした。後に、兄が後から提示してきた遺言書は偽造されたものであることが判明したそうですが、ドラマの様な怖い話、本当にあるんですねぇ。

 

で、そんな、愛される一澤信三郎帆布さんでは、毎年春になると真逆な一澤ビジネスを知ろうとアメリカのビジネススクールの学生たちがお店を訪れてきます。一澤さんの、学校で学ぶのとは正反対のレクチャーに戸惑いながらも興味津々な学生たち。丈夫で長持ち、シンプルなカバン…週末ともなるとごった返す店内の定番は「道具袋」(トート)カバン。袋の角の見事な折込や縫製と、丁寧な手作りの袋は、もちろん生徒たちにダイレクトに伝わりますが、何故、複数店舗展開やネット販売をして、もっと稼がないのか?…は、どこまで伝わったのでしょうか…。同志社小学校は10年以上、一澤製ランドセルを使われているとの事。渋いですよねぇ。

 

いつもの社長の金言は、『時代に遅れ続ける経営』と、何とも皮肉さえ感じてしまう発言ですが、お客様の声や反応を直に聞き、見ていく事で商品は進化し続けられ、大量生産に対応しないからこそ、細部にまで丁寧な仕事ができる…そんな基本姿勢を守り続けている、そんな印象は強く受けることができました。大切なのは、良い物を提供し、お客様に喜んでいただき、その事を次のモチベーションに活かしていくという流れなのかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

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奥ゆかしくて美しい創業150年の鈴廣さんの絶品蒲鉾

2018-5-18 NEW!

 

4月26日放送のカンブリア宮殿『創業150年 蒲鉾の価値を次世代に!職人技を武器に勝つ 老舗店の格闘記』の回、ご覧になられましたか?
小田原駅から車で10分という風祭に、連日観光バスが100台停まる人気の施設、それが今回の主役、小田原蒲鉾の名店「鈴廣」本店。

 

ここは、蒲鉾の食べ比べができる蒲鉾バーや、魚カツサンドにチーズといちじくが入った蒲鉾など、変わりダネが買え、蒲鉾バイキングができるレストランでは、蒲鉾の為に開発されたという地ビール「箱根ビール」までお出迎え。蒲鉾作りの体験ができる「かまぼこ博物館」や、文字をプリントしてくれるプリかま等々…まさに“蒲鉾のテーマパーク”。誰もが「蒲鉾ってこんなに美味しいんだ」と再認識させられてしまうようです。

 

そんな美味しい蒲鉾を支えるのは、国家資格を持つ職人(水産練り製品製造技能士…13人もいるのは鈴廣だけ)とその職人技を科学的に研究する「魚肉たんぱく研究所」。鈴廣の創業は江戸時代の末期、慶応元年(1865年)。豊富な魚資源に恵まれる相模湾の近くで誕生しました。明治に入り現会長智恵子の父・7代目鈴木廣吉が屋号を「鈴廣」にします。戦後、壊滅的な被害を受けた小田原蒲鉾復興のため、廣吉は同業者で勉強会を開いたり、蒲鉾に適した魚を全国に探し求め新しいかまぼこ作りに励んだりと挑戦の連続。

 

そして8代目を継いだ昭三と智恵子夫婦は、そんな父・廣吉を越える革新に挑んでいきます。廣吉の猛反対を押し切って、店を現在の小田原郊外に移転。ドライブインのような土産物屋を展開する一方、職人たちの技術を工業化することに挑み、鈴廣を100億円企業にまで成長させていくのです。

 

その後、現社長・博晶が取り組む蒲鉾の科学的研究をはじめ、消費が激減する蒲鉾業界で「老舗にあって老舗にあらず」の精神で、『日々、恒に革新を怠るな』を意識し、鈴廣は蒲鉾の進化に挑み続け、蒲鉾業界が下がる一方という中、売上を5倍にまで伸ばしてきたのです。

 

蒲鉾イベントである「小田原蒲鉾桜祭」では、蒲鉾細工やすり身で作った蒲鉾たこ焼き等も見る事が出来ました。たこ焼き好きな私としては、是非食べてみたい一品です!超特選蒲鉾【古今】一本約4,000円もする蒲鉾も是非…(^ ^;)。村上龍さんは編集後記で、こんな事を話されていました。「私見だが、日本酒のつまみとしては、刺身より上だ。奥ゆかしくて美しい、日本女性のようだと思う。確固たる自立があるが、余計な自己主張がない。」面白い表現ですよね。

 

 

 

 

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亡命して、日本で女性版「赤ひげ」になられた素敵な方

2018-5-10 NEW!

 

5月7日放送のワタシが日本に住む理由『チェコ共和国・首都プラハ出身の中島恵利華さん』の回、ご覧になられましたか?

 

今回主役の恵利華さんが生まれたのは、チェコがまだ社会主義だった1951年のチェコスロバキア。激動の最中出会った日本の映画「赤ひげ」に感銘を受け、勉強嫌いだった彼女は医師を志します。クラシック音楽を学びにチェコに来る日本人から日本語を学び、日本語を勉強するために始めた文通がきっかけとなって、3年後に公務員の研究職である秀治さんと結婚。

 

社会主義と民主主義の夫婦の誕生は、簡単なものではなく、28歳で初来日するも、チェコが民主化する前だったので、帰れば処刑されることも十分考えられ、日本で帰化し、日本で生きていく…故郷には帰らないことを決意しての来日でした。亡命という言葉が出てきましたが、本当に一大決心です。

 

チェコで医師免許は取っていましたが、日本では通用しないので、更に3年間大学に通って日本の医師免許を取っていきます。きっと、この頃には、勉強嫌いではなくなっていたのでしょうね。ところが、医師免許を取得しても、外国人の女性で子供が2人という条件では、雇ってくれる病院はありませんでした。そうして出した結論がご主人の故郷・新潟での「めぐみ皮膚科」の開業でした。

 

恵利華さんは、更に池の平で旅館「おやど山恵」を経営しながら、そこでの診療も月2回しているとか。病院に来る人達は、恵利華先生のフランクな口調に心を開いて接していきます。皮膚科なのに、「目薬ないか?」とか「尻が痛い」からと湿布薬とか…。田舎だから薬局に行くのも大変なので、院内処方までされていました。言葉の乱暴さからも、さながら、外国人女性版「赤ひげ」先生といった感じでした。

 

日本在住39年、ご主人の事を「オヤジ!」と呼んだり「お前!」と呼んだり、言葉だけ聞いていると、本当にピックリしてしまうのですが、彼女を支えるご主人とのやり取りも楽しく見させて頂きました。秀治さんのチェコまで行ってしまう行動力や、ニコニコしながら恵利華さんに感謝している様も、とても素敵でした。

 

最後に司会から聞かれる定番の「あえて日本に物申すとしたら?」という質問には、「田舎の医療に対して、もっと国は支援すべきだ」と話しておられました。全く、その通りですよね…。そんな日本で、亡命してきた外国人女性が、田舎の医療を支えているのですから、本当に感謝しなくてはなりません。きっと先生は、皮膚科だけでなく、いろいろな病気に対応してアドバイスできるように、勉強も続けているのでしょうね…。本当に、有り難い話です!!

 

 

 

 

 

 

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螺旋状の堀・水路で拡大していった大江戸・東京

2018-5-7 NEW!

 

先日、4月29日放送のNHKスペシャル シリーズ「大江戸」を観ました。近年、日本の首都、東京のルーツとなる「江戸」をめぐり、新たな発見や研究成果が相次いでいるそうです。150年前にその名を失った江戸の知られざる姿を、ドキュメンタリーやドラマ、超高精細CGなど多彩な演出で描いていく3回シリーズ。その第1回目が「第1集 世界最大!!サムライが築いた“水の都”」・・・

 

今の東京の基盤は、その殆どが江戸時代に築かれていたという事実に驚かされます。世界的に見ても画期的な上下水道を敷き詰めて造りあげていく「水の都」の発想力と、実現させていく諦めない武士の姿勢。江戸は、徳川家康が幕府を開いてから100年ほどで、パリやロンドンの2倍近い、世界最多の100万の人口を抱える巨大都市となっていくのです。近年、江戸初期の都市計画を描いた図面や、幕末の写真ネガが多数発見されていくことで、その変遷が分かってきたというのです。

 

番組ナビゲーター役で登場する松平 健さんが、また楽しく見られるように面白さをかもし出していました。時代劇の中で殿様役や金さん役などを演じてきた松平さんですが、その分かりやすい特性を活かしていきます。江戸好きな喫茶店のマスターが、常連客の木村佳乃さんと江戸の話をするうちに、つい熱くなって興奮すると、江戸の人物が憑依するという特異体質役。例えば、家康が憑依したり、商人(あきんど)や町火消(まちびけし)が憑依したりして、江戸の人物になってしまうのです。

 

…とは言うものの、松平さんを含めた喫茶店のシーンは、あくまでも番組中のティーブレイクの様な役割を果たしているだけで、メインの話がとにかく面白い物でした。何よりオーストリアで見つかった大量の写真や、家康が描いたという江戸の都市計画図、螺旋状の堀や埋め立てに使われた大量の巨石の話など、CGを交えながらの演出で、本当に楽しく見ることができました。

 

第2集は、「驚異の成長!!あきんどが花開かせた“商都”」で、5月27日、

第3集は、「不屈の復興!!町人が闘った“大火の都”」と題して7月1日放送の予定です。

面白いので、今回の再放送も含めて是非、観ていただきたいと思います。面白さ、保証しますよ。

 


 

 

 

 

 

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【終活】への理解が深まった『THEドキュメンタリー 終活』

2018-4-26 NEW!

 

ある調査によると『【終活】という言葉を聞いたことがある』という人は全体の9割以上に登る一方、『すでに【終活】を実施している』という人は全体の1割に満たなかったとか。確かに年齢を重ねるにしたがって気になってきた言葉であり、【エンディングノート】なるものは、実際に吟味して親類に差し出したことはあるものの…いざ、自分となると…。

 

今回、番組の中心となって登場したのは、末期ガンから奇跡の生還を果たした小西博之さん。懐かしい欽ちゃんファミリーの一人です。「生きるための活動なら分かるけど、何で死ぬための活動しなきゃならないんだ」と反対側の意見を強く抱いての登場です。「死ぬ事を念頭に置いた活動など、やっとガンを乗り越えてきたのに縁起でもない」という当たり前の考えの様な強めの意思表示です。

 

冒頭で対談する事になったのは『ソナエ』という雑誌を出している【終活】のパイオニア的存在との対談です。ぱっと見、強面の小西さんですから、いきなり否定的な発言で対談相手にプレッシャーをかけはじめた時は、これで対談になるのかと心配させる展開でした。

 

背景としては、一人暮らしが増えてくると、自分の死んだ後の事を考えなければならい世の中になってきたという事。葬儀の小規模化。親の墓と子供の暮らす場所が離れることで生じてしまう、お墓の引っ越し…。最後のお守りを用意しておくことで、何も気にせず生きられるようになる事が目的で、大切なのは、元気なうちにして欲しい活動であって、死を目前にしている状態では出来ない活動なんだと話されていきます。

 

少しずつ、話を聞くうちに【終活】の本当の意味を理解し始める小西さん。そうすると自身の親ともお墓のことで今のうちに話をしておかなければと行動を起こしていきます。

 

【エンディングノート】…その存在も、理解していなかった小西さんですが、説明を聞くうちに「こういうことを考えると親とか子供に優しくなれるね」と感心していきます。そして、とどめは【葬儀VTR】。実際にどの様なものかを観せられると、「いいね!いいね!」を連発。「暗い葬儀がお祝い事になるじゃないか!」と絶賛です。

 

対談を終えて漏らしたのは「死ぬことに自分で心を閉じていた」そう話したのです。終活は死ぬ準備ではなくて、一度リセットして、感謝するため、ありがとうのためだと話す小西さん。これまで大切にしてきた思い入れのあるバイクも、息子にあげる気持ちになれました。物への執着心が無くなるということか、細かい事が決まっていくと楽になって、残りの人生を心安らかに過ごすことができる・・・いわば「お守り」のような物なんだと笑顔で話すようになっていたのです。

 

小西さんの年齢は、私とほぼ同じ…。番組の後半では、銀座終活座というところで実際に御自身の【葬儀VTR】を撮影されていました。番組では、他にも登場人物がありましたが、年老いて伴侶に先立たれた人が、遺品を整理していく中で【終活カフェ】で相談したり、断捨離をすることで、自分の身に何かあった時に、自分の子供にまで、余計な苦労をさせたくないと考えたり…。ほかにも【生前契約】という「りすシステム」が扱う正式な委任契約が紹介されたりと中身の濃い展開でした。

 

家内が母親を亡くした時に、家内の父親に「エンディングノート」を渡したことがあります。家内の母親のお墓は、未だに仙台に作るか私の家の近くに作るか決めかねている状態です。少しでも早く、元気な時に話し合う機会を作って、笑顔で話せるように展開していく事、大切かもしれませんね。身近な年寄りだけでなく、つい先日も右ひざの半月板が断裂して足腰への負担が更に拡大している私。小西さんではないけれど、自分自身に関する【終活】にも、しっかり目を向けて…一歩踏み出す勇気が必要かもしれませんかねぇ…
 

 

 

 

 

 

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中古住宅…新古物件…優秀な日本の住宅なんとかなりませんか?

2018-4-24 NEW!

 

3月6日放送のガイアの夜明け『ニッポン転換のとき〜住宅編『中古』に価値がある!〜“新築信仰”に挑む〜』の回、ご覧になられましたか?

 

都会へ出て来た人たちが抱える、「実家の相続問題」。親が亡くなったり、施設に入ったりして実家が「空き家」となって、それを相続した人が頭を抱えるというのです。駅から遠く、築年数が古い、人口が少ない地方にある...。誰も住まなくなった"古巣"を、売却したくてもできないケースが多いらしいのです。

 

日本全国の「空き家」はいま、およそ800万戸。それが15年後には、2,100万戸までになると言われているそうで、なんと、3戸に1戸が「空き家」の時代が、もう目の前に迫っているらしいのです。一方で、今も続く、新築の戸建てやマンション建設。それゃ誰だって【中古】って響きより、【新】しい家が良いと思いますよね。

 

欧米のように【歴史】ではなくて【中古】と表現してしまえば…。ちなみに、中古住宅流通のシェアが極端に低い日本は海外と比較するとこんな感じ。かなり前のデータになってしまいますが、2003年の中古流通シェアが、イギリス88.8%、米国77.6%、フランス66.4%であるのに対し、日本はわずか13.1%…。

 

欧米では適切な修繕さえしていれば住宅の価値が上がり財産として積み上げられていくのに比べ、日本ではいくらお金をかけて修繕しても建物の時価が築15年程度で消滅してしまいます。優れた建築技術で頑丈な住宅なのに…ですよ。私も、移転する為に住宅を売った事がありますが、悲しくなるぐらい建物に価値を見出してもらえませんでした。

 

日本の戦後から根強く残る「新築信仰」は今、転換を迫られています。問題解決の決め手がないなか、ある企業が新たなビジネスで、「空き家問題」の解消へ向けて動き出していました。4年連続で中古物件の販売数ナンバーワンに輝く企業。地方の空き家の再生を手がける「カチタス」という会社です。

 

カチタスの年間の取り扱いは3,800戸と、2位の10倍以上の規模を誇っています。カチタスが手がける物件は殆どが築30年以上で劣化の激しいものばかりですが、台所やトイレ、風呂場などの水回りは基本的に全部取り替え、リフォームして販売していることが売りだとか。価格も1,000万円台で買い取って、遠距離には欠かせない駐車場などを完備していく事で、リフォームした家の97%が、1年以内に売れるというのです。

 

ちなみに15年でほぼ価値がなくなってしまうと言われる中古物件…。中古住宅の売れ筋は、一般的に新築後10年までと言われているのです。1年を過ぎて誰も居住していない物件は「中古住宅」として取引されるシステム…不思議な感じがしますが、新築後2年未満であれば中古物件と言わず新古物件と記載する例も出てきているようで、なんとも困った日本の価値観が見え隠れしていますよね・・・。

 

ふと見回すと、我が家の周りにも空き家がちらほら・・・気にするとあちらこちらに空き家がある事に気づきます。ふと気が付くと居ないはずの家に誰かが入り込んでいたり、空になった家から不審火が出たり・・・治安の面から考えても、国や地方公共団体からの対策も望まれるところです・・・。リフォーム技術やそのアピール戦略、もっともっと頑張って欲しいですよねぇ・・・。

 

 

 

 

 

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