3月8日放送のカンブリア宮殿『消費者が欲しいものは消費者自身で作る!安心&絶品!唯一無二「生活クラブ」の全貌』の回、ご覧になられましたか?我が家はパルシステムを利用していますが、全国に様々な生協がある中の一つ「生活クラブ」は、どうやら異端とも言われる生協なんだとか…。50年も前から先進的に「安心・安全」に徹底的にこだわり【生産情報公開】を徹底。
そんな「生活クラブ」は、組合員が市販の牛乳に不満を持てば自分たちで牛乳工場を建設し、流通する鶏肉に不満があれば自らこだわりの品種の生産まで始める筋金入りの集団。実は、私はこの番組で、初めて、その存在を知る事になりました。牛乳工場が稼働するまでの苦労話では、農協と闘う人たちの事を思い出させてもくれました。
最近、東京や神奈川で増えているというスーパー「デポー」。人気の秘密は、他では売っていない様々な商品で、国産トマトをじっくり煮詰め水を一滴も加えずに作った絶品のケチャップに、天然の羊腸に平田牧場の豚肉をつめた旨味あふれるソーセージ。さらに牡蠣を丸ごとすりつぶした調味料…どれも合成保存料や着色料などを一切使わずに自然のおいしさを生かした商品ばかりらしく、我が家が求める『安心・安全』そのもの。
実は、このデポーを運営しているのが、「生活クラブ」らしいのです。生活クラブの商品は9割以上がオリジナルのPB商品。しかもその商品、消費者である組合員自身が関わって作られたものばかりで、消費者が欲しい「安全でおいしい商品」を、素人の組合員が生産者と二人三脚で開発する独自のスタイル。
生産者の都合で作られる一般の物とは違って、消費者の意向も加わっていく事で、【一生使いたい食材と調味料】という印象を与え、毎年1万人のペースで組合員を増やしているそうです。それゃ、消費者の気持ちも受け入れてもらえたら、良いものができるに決まっているじゃないですかぁ。
また、驚いたことに、生活者クラブの組合員の中には、地域に喜ばれる事業を起こす“主婦起業家”が大勢いるとか。なんと、この生活クラブ、組合員の企業までサポートしているのです。原材料にこだわったおいしいパン屋さんや、地域の高齢者に支持される宅配弁当店…既にその数600あまり。これは35年前に組合員の間で始まった「ワーカーズ・コレクティブ」という運動だそうで、自分たちが「社会を良くする主役になる」という顧問の河野さんの考えから来ているようです。
驚く事に災害時には、被災して漁業ができなくて困っているところへ組合員から漁船をプレゼント。酪農家には、大量に使われるタオルが組合員から送られているとか。生産者と消費者(組合員)が一体となっているようで、深い絆すら感じさせられる『生活クラブ』…素敵な人たちの集まりでした。我が家は、番組を見終わって、さっそく資料請求させて頂きましたよ。あのトマトケチャップ食べてみたいです!!
2月26日放送の世界!ニッポン行きたい人応援団『醤油に魅せられたピュアなアメリカ人男性』の回、ご覧になられましたか?私の大好きな番組ですが、今回もとっても凝り性な外国人が登場していました。
今回招待されたのはアメリカ・ミネソタ州で暮らすエリックさん(36歳)。エリックさんは「どんな食材も美味しく変身させる」と日本の醤油に夢中で、3年ほど前からインターネットや本で独学して麹菌を使って仕込むところから、本格的な自家製の醤油づくりに挑戦していました。
麹を作る室(ムロ)まで手づくりする本格派で、本業が木工職人ということで、醤油づくりに必要な桶も、桶を作る為の工具まで手づくりで頑張っていました。そんな彼の目的は「日本で伝統的な醤油づくりと木桶づくりを学びたい!」ということでした。
まず向かったのは、石川県七尾市にある大正末期創業の老舗『鳥居醤油店」。ここは全国でも数少ない手づくりにこだわった名店で、寒い冬に行う寒仕込みから、全国でもごく僅かな鉄の和釜を使って、大豆を蒸し煮していきます。
和釜は薪を使った遠赤外線効果で大豆をふっくらと丁寧に茹でることができるとか。水気を切った大豆と小麦を混ぜたあとに麹菌を丁寧に手で混ぜ合わせ、木箱に入れて室へ。初めて本物の室を見たエリックさんは大喜びでした。
何日かおいて、できあがった麹を室から出すと、諸味蔵(もろみぐら)へ。塩水が入った木桶に麹を加えたこの状態を諸味といい、これを2夏発酵熟成させることで醤油らしい色や味わい、香りが生まれるらしいのです。
諸味を麻袋に入れ、槽(ふね)という醤油しぼり器でしぼると加熱前の生揚げ醤油ができます。蔵でしか味わえない生揚げ醤油、美味しそうでした。実は、私も醤油が大好きで、普通、ソースをかけるフライにまで醤油をかけて食べる派…。味見したかったなぁ…。
この回は2時間スペシャルで、後半は小豆島で創業は約150年という、こちらも老舗の「ヤマロク醤油」を訪問します。ここには伝統的な大きな木桶をつくる職人が居り、更には珍しい4年かけて作られている再仕込醤油も。
そんな「ヤマロク醤油」では、2013年以来、年に一度、大きな仕込み桶を製作しています。木桶仕込み醤油は全国生産量の1%未満。桶の需要が少ないため現在桶屋さんは1社のみで、2020年には大桶の製造終了を決めています。日本の木桶文化の絶滅の危機。その危機に立ち上がったヤマロクの人たちは、木桶の技術を未来に継承するため木桶づくりを始めたというのです。
小さな木桶づくりを体験し、工具とその桶を貰い、大きな木桶づくりを体験し、お別れの時には担ぐほどの大きさの木桶とお店の羽織を貰っていました・・・。
書きたい事は沢山ありましたが、こうして頂いた大きな荷物も、きっと番組が負担してエリックさんの自宅に送ってくれるんですよね…と、ちょっと、頭に浮かんでしまったり…。たまには番外編で、貰ったものをどのように持ち帰ったのかも見てみたい気がした今回でした。2時間もあっという間でしたねぇ。
先日、NHKドキュメンタリー、GREAT RACEのシリーズをまたまた見てしまいました。再放送ですが「熱砂の海を走り抜け!ナミブ砂漠250km」。今回のレースの舞台はなんと熱砂の海、アフリカのナミブ砂漠。
無駄に力を入れても、かえって砂の中に足が深く沈んでしまって、思うように走れない砂の壁…。42℃まで上昇する猛烈な暑さの中、目標となるフラッグさえも小さくて見失ってしまったり、更には悪天候もあったりで、自分が参加したいとは全く思わないのですが、つい見てしまう不思議な魅力…。今回は、全行程250kmを6つのステージに分けて走り抜き、各ステージの合計タイムで順位を競うというものでした。
またまた、こうしてこんな過酷なレースをブログでご紹介したくなったのは、飯野さんという日本人が大活躍したから…というよりも、こんな酷いレースに参加していた71歳の石原さんのメッセージをお伝えしたくて…。2016年で71歳ですから、今年73歳になられるのでしょうか…。
そもそも、こんな過酷なレースにご高齢と言っては失礼なのかもしれませんが、71歳の方が参加しようと思うだけでも驚きです。石原さんがGREAT RACEに参加するようになったのは確か50歳を過ぎてからと言われていたような気がしますが、第1ステージのゴールまでで6時間25分のランニング。200人以上が参加する中、143位で第1ステージを終えていました。石原さんはドキュメンタリーの中で、走りながら色々と物凄い事を言われていました。
最初の2日間は、砂漠とは言っても、それほど砂地ではなかったのですが、3日目に突入すると、いよいよ足を吸い込もうとする砂地へ…すると、石原さんはこう言われたのです。
「やっと砂漠らしくなってきた」
「今日は楽しいコースだ」
「景色もいいしね これじゃなきゃ」
「71歳が こんな頑張らなくていいんだけど」
・・・レースも5日目後半に入ってくると…
「こういうレースは体力だけじゃない」
「楽しむためには全てのストレスに勝つ者が勝つ」
「そこが面白いところ」
「痛さ かゆさ 汚さ」
「人がやるのが難しいのをやり遂げたみたいな」
「してやつたり みたいな感じや」・・・
なんかレースの教訓というよりも、もはや人としての生き方みたいなものを感じたんですよね。
レースの結果は先程もお伝えした飯野さんが1位でトータル走行時間が22時間28分。なんと4位も日本人の若岡さん走行時間28時間20分。女性の部でも日本人の井土さんが第4位で走行時間31時間23分。そして、あの石原さんは前半から更に順位を上げ123位、トータル走行時間50時間33分で見事に完走。日本人大活躍の大会でした。蒸し暑い日本で培った底力なんでしょうかねぇ…。
「楽しむためには全てのストレスに勝つ」こと…暫くは頭の中に焼き付いていそうです。
2月20日放送のガイアの夜明け『 夢を拓く!ニッポンの〝島″』の回、ご覧になられましたか?"
しまぐに"と言われる日本には、およそ6,800あまりの離島があるそうです。改めて聞くと、多いですよね。そのうち離島振興法で指定されている有人離島は約260。ここ50年で離島の人口は大幅に減少。無人となる離島も増加しているそうです。それでも離島は、国土・海域の保全や海洋資源の利用、多様な文化の継承など、日本にとって欠かすことの出来ないもの。
今回は、そんな島の衰退・無人島化を食い止めようと、島の資源を有効活用し、新たな産品・雇用・観光を生み出そうと取り組んでいる「島の革命者たち」が主役でした。
瀬戸内海に位置する広島県の「大崎上島」。昭和の頃から何度も架橋計画が持ち上がりながら、結局本土や四国とも橋が架かることはありませんでした。主な産業は柑橘栽培や造船業でしたが、造船所の廃業が相次ぎ、かつて1万7000人以上あった人口は現在約7700人に減少。65歳以上の高齢化率が約45%を占めるようになっています。
そんな島を変革しようと奮闘しているのが「ファームスズキ」の鈴木社長(41歳)。東京出身の鈴木さんは、島内に放置されていた塩田跡を活用し、2011年からカキの養殖を始めました。日本ではカキは海で養殖するのが基本ですが、実はフランスなどでは、塩田跡の養殖池(クレール)でカキが育てられ、世界的にも名高いカキが数多くあります。海で育ったカキに比べ、小粒でも甘みが強く味わいも芳醇。日本では、食感が肉厚な大きなカキが好まれますが、欧米では、このクレールオイスター(塩田熟成カキ)が好まれることを知っていたのです。
試行錯誤の末、鈴木社長は、日本国内で主流となっているカキと勝負するのではなく、いきなりシーフード最大のマーケットである香港に輸出し、2017年には24万個のカキを出荷するまでにいたりました。現在、養殖池のほとりには採れたてのカキが食べられるオイスターレストランをオープン。島外から観光客を呼び込むだけでなく、新たな雇用も生み出しています。さらに鈴木さんは、塩田跡の養殖池で車エビの養殖も始め、それも香港へと…。
番組では、この他、長崎県の本土と五島列島のちょうど中間に位置する小さな離島「江島(えのしま)」に移住し、体験型民泊宿「江島さとや」を始めた女性の話も取り上げられていました。
私も3年ほど離島で暮らしたことがありますが、とりあえず島の中に高校まではあったものの、大学はなく、子を持つ意識の高い親は、高校から島外に子供を連れていく人も居ましたし、高校を卒業すると島ではない都会で暮らしたいと、とにかく島を出ようとする人も多く見られました。
島の衰退や無人島化を食い止めることは大変な事だと思いますが、努力が報われていくと良いなぁと心から応援したい気持ちで一杯になりました。大切な国土なのだから、国の支援も、もっともっとあると良いのですがねぇ…。
昨日は『ヒャッキン!~世界で100円グッズ使ってみると?~』という番組を見たと言いましたが、今や番組の主役になってしまえる100円均一のお店。私も、何か冒険旅行にでも行く感覚で、何を買うわけでもないのに、ヒャッキンのお店に突入して、ウロウロしてしまったりします。
そんなヒャッキンの先駆者であり、業界売上トップを誇るダイソーさんが1月18日放送のカンブリア宮殿『安くても高品質!100均の王者が登場 唯一無二の薄利多売ビジネス』に出られましたが、ご覧になられましたか?昨年6月15日にもこのブログで【関わる人達が幸せに見える会社『ダイソー』』というタイトルで書かせて頂きましたが、せっかくカンブリア宮殿に出たので、またまた書いてしまいます。
社長の矢野さんの人生は、前回も少し触れたように波乱万丈。大学在学中に結婚し、卒業後は妻の実家のハマチ養殖業を継ぐも、3年で倒産。兄から借りた多額の借金を踏み倒して、妻子を連れ東京へ夜逃げ。その後も転職を9回重ねて行きついたのが、日用雑貨の移動販売。なんとか商売が軌道に乗りかけた時、今度は自宅兼倉庫が火事にあってしまう…
そんな苦難の末に矢野さんが行き着いたのが、100円ショップだったのですが、借金を踏み倒して逃げ、再び兄と再開した時に兄が発した言葉…なんと借金を踏み倒した事への怒りの言葉ではなく、矢野社長の健康を心配して「元気だったか?」という様な言葉をかけられたとか…。そんな強い兄弟愛に支えられたことも矢野社長の人柄形成に役立ったのかと思いました。
ダイソーでは各店舗への出荷作業を、障害を抱えた人たちに任せています。ダイソーは障害者雇用にも積極的に取り組んでおり、更に、社内に飾られた絵画の多くは障害者が描いたもの。実は、このイラスト、商品として売られている今年のカレンダーに使用されたもので、矢野社長は、新たな夢として「障がい者の理想郷をつくる」というのです。
売上を支援にまわし…「最後は人のために」と語る矢野社長、やっぱり素敵な方でした。そんな矢野社長の金言は
『恵まれない幸せ 恵まれる不幸せ』・・・恵まれない幸せに感謝・・・
起業者にアドバイスをと言われると
『運を良くするかは、人に対していかに役立てるかということ。自分の為では上手くいかない』ときっぱり言ってのけます。
村上龍の編集後記では、こんな風に書かれていました。
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登場するゲストは、共通して優れた業績や理念を持つ。だが、「面白い」と感じるゲストはそう多くない。矢野さんは、面白かった。「希望よりも不安を大切にする」と明言する100円ショップのチャンピオン、要は「不安に耐えるだけの力がある」ということだ。「仕事人生は苦い思い出ばかり」らしいが、「客が驚き、喜ぶのを見たい」という思いで、ダイソーは数え切れない危機を乗り切り、生き残って、業界トップとなった。言動は多少ユニークに映るが、矢野さんは、実は非常にシャイな人で、かつ価値観は普遍的だと思う。
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ちょっと頼りない印象を与えてしまう矢野社長ですが、益々応援したい気持ちで一杯になりました。
先日、『ヒャッキン!~世界で100円グッズ使ってみると?~』を見たんですが、その中で『香港は男女とも長寿世界一で…』という話が出てきて、今更で情けないのですが、『えっ?日本が長寿世界一じゃないの?』と驚いてしまったわけです。知らなかったのは、私だけか・・・
2016年、日本の平均寿命は、男女とも過去最高を更新して、女性87.14歳 男性80.98歳…と発表されています。なのに…ですよ。 ちなみに、2016年の香港の女性の平均寿命は87.34歳、男性は81.32歳で世界一。その前の2015年の香港の女性の平均寿命は87.32歳、男性は81.24歳で、2015年も男女とも世界一の平均寿命となっています。
ネットで調べていると、【なぜ香港が1位になっていったのか】とか、【日本が長寿大国ではなくなる日が…】とか、色々な関連記事が見つけられましたが、世界一ではなくなったにしても過去最高を更新しているんだから、良くはなっているんですよね。きっと…。
ただ、そう感じている【もはや若くはない私】にしてみれば、80.98歳から今の歳を引いた分だけ平均的には生きられるのかというと、そう言うものではないんですよね。この人間の平均寿命…実に分かりにくいのです…。
実は平均寿命とは、0歳の平均余命のこと。平均寿命は、年齢別の推計人口と死亡率のデータを使い、各年齢ごとの死亡率を割り出し、このデータを基にして平均的に何歳までに寿命を迎えるかを出しているのです。しかも、ある程度以上の年齢のデータについては除外して計算しているのです。
理由は、あまりに少数の高齢の人物のデータを算入すると、その生死によって寿命の統計が大きく影響を受けてしまうからとか…。データ除外の基準は年度によって異なっていて、例えば、2009年度の調査の場合、98歳以上の男性と103歳以上の女性に関するデータは取り除いているというのです。つまり、日本の「平均寿命」は、正確なデータではなく、実態より短めに計算されていることになる??。
Wikipediaにはこんな平均寿命の世界地図があったのでご紹介させて頂きますね。
なかなか興味深い分布図です。また、先程の平均寿命から自分の年齢を引いて、余命を知りたいという方…こちらでどうぞ…
ちなみに私の場合は、昭和36年生まれですから、66.03歳から現年齢を差し引いてと…(T T)
そんな簡単なものではありませんし、このデータが全てではありませんが・・・
昨日ブログで触れたエンディングノート…真剣に考えようかなぁ…