9月12日放送の『偉人たちの健康診断』「上杉鷹山 ひざの痛みよ!さようなら」の回、ご覧になられましたか?
この『偉人たちの健康診断』という番組、「健康のヒントは歴史にあり!」とうたって、歴史上の人物の日常生活や病歴、さらには健康へのこだわりから、現代の私たちが元気で長生きするためのヒントを探るという一風変わった番組なのですが、なかなか切り口が面白く、楽しみにしている番組の一つです。
今回は、破産寸前の米沢藩を立て直した名君・上杉鷹山というお方。正直、上杉というと上杉謙信の方しか頭に浮かんで来なくて、誰?とも思ったのですが、あのケネディ米大統領が尊敬する政治家としてその名をたたえた米沢藩主だというからビックリ。
破産寸前の米沢藩の財政を回復させるため「大倹約令」を発し、藩のため領民のため人生をささげた名君だそうです。鷹山の生涯から高齢化社会を健康に生きるためのヒントを探るということで、話題に上がってきたのが、不健康な生活で毛細血管が消えてしまう「ゴースト血管」のリスクや「ひざの痛み」の対処法について。さらに「弱者を切り捨てない」鷹山の画期的な福祉政策についても紹介して頂きました。
ウコギという漢方でよく使われるという山菜が、ゴースト血管を改善するパワーを持った食材だったというお話。また、変形性ひざ関節症に悩んでいたそうですが、よく歩いて筋肉を鍛えていたことで、痛みを軽減していた事等が話されいてましたが、番外編として、鷹山が30歳の時、米沢藩の法律として定めた制度についても触れていました。
それは 家族に病人や介護が必要な者が出た場合、看病のための休暇を認める制度。さらには、苦しい財政をやりくりして、社会的弱者を抱える家族に米を支給し、高齢者に対して心から大事にいたわる事を明文化し、90歳以上の者には生涯、米を支給すると定めたのです。
あの当時だからこそ、物凄いことで、だからこそ、米沢の発展の礎を築いた名君として知られ、あのケネディさんの知るところとなったのでしょうねぇ…。人々の健康は何物にも代えがたい。そんな当たり前の事を再認識させてくれた方でした。
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8月30日放送のカンブリア宮殿『"魔法のタオル"で大逆転!倒産寸前から復活した感動物語』の回、ご覧になられましたか?女性の間で噂になっている「エアーかおる」という人気のタオル。2007年6月の発売以来、累計販売枚数、約600万枚を超える大ヒット商品とのこと。一般的なタオルより、吸水性、速乾性は1.5倍、洗濯してもボリューム感がなくならず、毛羽落ちも少ないという優れもの。実演販売でその違いを目の当たりにした人は、買わずにはいられなくなってしまう?
愛用者に聞くと「一回使うと離れられない。普通のタオルは使えない」と口を揃えて言うのです。一番の売れ筋は、従来のバスタオルの幅を半分のサイズにした「エニータイム」という魔法のタオル。半分だから価格は半分、半分でも吸水性が高いので、全身や髪を充分に拭け、洗濯もしやすく、バスタオルなのにハンガーで干すのにも丁度良く、サイズも小さくなるから邪魔にならないと主婦の間で話題となったとのこと。そんな人気のタオルを作りあげたのが、今回の主役、岐阜県安八町にある社員18人の中小企業の「浅野撚糸」。
浅野撚糸がある岐阜県南部は“繊維どころ”として栄えてきた街だそうです。1969年創業という浅野撚糸も、撚糸の製造を手掛け、下請け企業として多くの取引先をもち、地元でも名の知れた企業として成長してきました。現社長の浅野さんは福島大教育学部を卒業後、小・中学校の体育教師となり順風満帆な人生を送っていました。そんな浅野さんが2代目社長に就任するきっかけは、母親が病に倒れた1995年の事でした。
就任当時は経営も順調でしたが、2000年代に入ると安価な中国製糸が流通し、撚糸業界は衰退の一途を辿ります。浅野撚糸もその煽りを受け7億円あった売上げは2億円まで落ち込み倒産の危機に陥ってしまい、先代の父は「廃業しよう」と浅野さんに声をかけたそうです。しかし、協力工場を守りたいという思いから、2代目となる浅野さんは「どうせ廃業するなら限界まで挑戦したい」と決意したんだそうです。
そんな矢先、取引先から、使い道に困っていたある糸を紹介されます。それはお湯に溶ける「水溶性糸」。浅野さんはこの糸を使い新たな撚糸の開発に挑み始め、2年後、世界初の撚糸【スーパーゼロ】という撚糸が誕生していくのです。浅野さんはこれを、地銀から紹介された三重県の老舗タオルメーカー「おぼろタオル」に持ち込みますが、その会社もピーク時から比べ売上が3分の1に激減していた“廃業寸前”の中小企業。おぼろタオルの加藤社長は「もう後が無い状況だった、新たなタオルの開発にかけようと思った」と浅野さんの依頼を承諾。ここから廃業寸前同士の企業がタッグを組み、今までにないタオルの開発が始まったのだそうです。なんか、「下町ロケット」とか「陸王」のようなドラマになりそうなお話ですよね。
この浅野さん、タオルに限らず、幅広い商品に使える撚糸の開発に余念がありません。番組では「和紙」で出来た糸に水溶性糸とゴムを撚り合わせたものも紹介されていました。最大の特徴は、軽くて伸縮性があること。その撚糸を持って向かったのはジーンズ生地を作るトップメーカー「カイハラ」。浅野さんが目指すのはこれまでにない「軽くて伸び縮みする」新たなジーンズだったのです。
浅野撚糸さんのホームページを覗きに行くと、「デオなでしこ」というタオルも見つけました。この商品、ユーカリの木を原料としたエコ素材を使用し、素材に臭いのモトとなるアンモニアガス(尿臭)や酢酸ガス(汗のすっぱい臭い)、イソ吉草酸ガス(足の臭い)を科学反応で無臭化する物質を練りこむことで、スピード消臭を可能にしたものなんだとか。通販番組を見ていた訳ではありませんが、またまた欲しくなるではありませんか。下請けから脱却した浅野撚糸の快進撃…まだまだ続きそうですね。
番組の中で村上さんから中小企業へのアドバイスを求められると、【変化に対応できるものが生きられる進化論、夢論】と答えられていました。また、村上さんは、いつもの編集後記の中で、こんな事を話されていました。【技術には限界がないのかもしれないとも思った。これが限界だとあきらめたら、あらゆることが、そこで終わる。】と。当たり前のことかもしれませんが、日本の底力は、そんな所にある気もします。がんばれ!ニッポン!!
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9月4日放送のガイアの夜明け『始まる! 水"革命"』の回、ご覧になられましたか?
気が付けば日の出が遅くなって、朝はそれなりに涼しくなってきましたが、最高気温が35度以上となる「猛暑日」が40日続いた、今年の日本。地球温暖化のせいで、あちらこちらで豪雨も観測され、河川の決壊などの災害で、深刻な「水不足」に直面する地域もあり、私も車を運転しいる時にゲリラ豪雨に遭遇して、とても怖い想いを経験しました。
実は世界各地でもこの夏、"猛暑"を記録し、イギリスや南アフリカなどでは干ばつでダムや貯水池が枯渇して水の使用が制限され、イラクでは生活用水を確保するため大量の水を使う農作物の栽培を50%以下に削減。インドでは水不足の影響で、死者が出る事態にまでなったんだとか...。 私たちが生きるために欠かせない、水。限られた資源をどうすれば少しでも有効に使っていけるのか・・・。
そんな中で、紹介されていたのが「WOTA」というベンチャー企業。東大の大学院などで水とインフラの研究をしていた北川力さんを中心に、立ち上げられた会社です。水が簡単に手に入らない被災地で、わずかなタンクの水でシャワーが浴びられるという有り難い機器を作っておられました。
なんと、このシャワー、排水を綺麗にして循環させるため、少しの水でもシャワーを浴び続けることができるというのです。おまけに、濾過後の水は匂いも一切なく、水道水の基準を上回るほどの水質を誇るというのですから、水道局も真っ青ですよね。キャンプ場でも、どこでも安心して使える水。こんな“ハイテク機器”の秘密は6種類のフィルターと、AIなんだとか…。またまたAIですねぇ。
水の汚れを感知すると、AIを搭載した装置が瞬時に最適なフィルターを選択して水を濾過し、あまりにも汚い"濾過の効果が見られないような水"は、濾過せずに捨てるという選択までAIが判断してくれるというのです。水資源を求めて争いまで起こる世の中…今は、機器の小型化も進められており、ゆくゆくは世界の水のインフラを変えるかもしれない夢の様な機器。こうした物は、国のバックアップも行って、どんどん普及させて行って欲しいものです。
そして、もう一つ紹介されていたのが『洗濯マグちゃん』。なんとも軽い感じの名前ですが、これがまた凄いのです。汗や汚れが染み込んだ沢山の洗濯物が、なんと洗剤を使わずに綺麗になるという一品。こちらは、洗剤を製造販売している企業が真っ青になってしまうというしろもの。さらにこの商品を使い続けることで、洗濯槽や排水ホースについた汚れまで落としてしまう、というのですから、申し訳ないけれど洗剤には完全勝利かな…。川や海も綺麗に保てそうで、環境にも良い感じですよね。
そんな夢の様な商品を開発・製造・販売しているのは、茨城県・古河市の町工場「宮本製作所」。自動車向けのボルトやナット、ネジなどの製造を手掛けているそうですが、下請けの苦境から脱却するために、この『洗濯マグちゃん』開発されたんだとか。最初は、「全然違う分野じゃん!!」とも思ったのですが、町工場から、こうした物が開発されるというのも物凄いことです。
そうして産み出された『洗濯マぐちゃん』…これまでに100万個を販売する人気商品となっているようで、片手で掴んでポケットに入れて運べるような小さな物だから、重い洗剤を買う手間も省けるという利点まであるようです。
驚きは、まだまだあります。なんと、洗たく後の排水で“農業革命”を起こすというのです。洗濯排水で作られた野菜は、ミネラルも充分という驚きの結果が。環境に優しく、汚れも匂いも、配水管まで綺麗にしてくれ、更に使用後の水は野菜の栄養価まで高めてしまい、更に更に重い洗剤要らずで、『洗濯マグちゃん』を使用後に乾かすことで300回も使えてしまうという魔法の一品。環境にも優しいこの魔法の一品・・・欲しいですよねぇ…。
今回のガイアの夜明けは、テレビショッピング並みの効果を感じましたよ。そんなの私だけですかねぇ・・・???
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世界!ニッポン行きたい人応援団『「金継ぎ(きんつぎ)」を愛するイタリア女性が本場で猛勉強』の回、ご覧になられましたか?
イタリアからやってきた美術品のプロの修復師というキャーラさんが今回のご招待客。
いま世界30ヵ国以上に愛好者が急増中という“金継ぎ”の大ファンということでしたが、実は私は”金継ぎ”なるもの…初耳でした。金継ぎとは、壊れた陶磁器を漆で修復し金で繕う、物を大切にするニッポンならではの技の名称。キャーラさんは、そんな破損したものは元通りに直す欧州の修復と違って、あえて傷を隠さず新たな美を創造するという究極の修復技法に魅せられたのだとか。
いつもの招待客の様に、独学ながら、海外では手に入りにくい漆を取り寄せ、プラスチックボックスを室(むろ)にした金継ぎを実践。「ニッポンで金継ぎの先生から基礎を学んだり、漆職人に会って室について教わったりしたい!」ということでのご招待となりました。
キャーラさんが、まず向かったのは京都にある「漆芸舎 平安堂」。漆を使った伝統的な漆芸修復に40年以上携わる漆芸修復師・清川廣樹さんは、何ヶ月待ちというお客様もいる凄い方です。
金継ぎには、割れ、ひび、欠けなどいくつかの修復タイプがあり、素材や質感に合わせて金の色調や風合いを調整して施していきます。「元へ戻すだけでなく、新しい命を吹き込む。壊れたところを隠さないで模様に変える」という清川さんの修復を超えた美意識は、自然に朽ちた物も美しいと感じるニッポンの“侘び寂び”の精神に通じるものでした。
今回の見どころは、北大路魯山人の器・割山椒(わりざんしょ)の修復工程を、分かりやすいように段階別に用意してくれて見せていただけるところ。清川さん、神対応です。
割れた破片を糊漆(米粉を使った糊と生漆を混ぜたもの)で接着し、硬化させるため一週間ほど室へ入れますが、最初の10時間に最適な室温と湿度を保つことで、漆の強度や光沢が決まる大切な工程。清川さんは、電球と濡れタオルで温湿を調整し、余計な湿度は室の杉板が吸収してくれるといいます。キャーラさんが使っているプラスチック室は湿度が高くなりすぎるため、漆の接着力が弱まる要因になるとも指摘してくれます。
この後、錆漆(砥の粉を水で溶いたものと生漆を混ぜたもの)や、備前焼のざらついた表面に合わせるための砂子漆(漆黒の漆と粒が均一な砂を混ぜたもの)、金粉が映える赤い弁柄漆など、それぞれヘラや筆で継ぎ目に塗っては室で乾燥する工程を繰り返し、弁柄漆の表面だけが硬化したタイミングに金粉を沈めれば、最高の黄金色を出せると実演してくれます。
30分後、新品だと金を吸い込んでしまうため使い込んだ絹の真綿で金粉をつけてはこする工程を2~3度繰り返して光沢を出し、器より主張しないよう4~5工程かけて半透明の漆を重ね、器に合う深みのある金色へ。ちなみに漆は時間とともに透明感が増すので、最も美しい状態になるのは、なんと50年後なんだとか…。未来の変化を想像して手掛けるのが漆の楽しみ方でもあると語られる清川さん…凄い人でした。
清川さんは、キャーラさんの金継ぎ作品を見て、継ぎ目の溝が見えているから、下地にもうひと手間かけるべきだとアドバイスされたり、修復には器を傷つけないよう木製のヘラを使うことや、しっかりした下地を作ったりする技法を丁寧に説明しておられました。更に、簡易的な室の作り方まで教えて下さいました。
「沢山の疑問点まで、すべて教えていただけた」と大量の取材メモを見せて感謝するキャーラさん。清川さんからは、「僕が40年習ったうちの5年分くらいは入ってる。たくさん失敗を繰り返してください、そうすることで上手になります」と励まされておられました。技術は見て学べと言った昔のタイプの職人さんではなく、手にしてきた経験や知識を惜し気もなく伝えようとする清川さん…本当にこれまでの中でもトップクラスの神対応でした。
キャーラさんが、かけがえのない体験のお礼に、地元の焼き菓子を贈り感謝を伝えると、清川さんからは愛用の道具セットと明治時代の醤油刺しの金継ぎが渡されました。なんと素敵なプレゼントでしょうか…。
番組では、この他、日本有数の漆の産地・茨城県大子町に赴いて、漆掻きを見せていただきました。長くなってしまうので詳しくは触れられませんが、「1シーズンで1本の木から採れる漆の量は牛乳瓶1本分」という採取量、その貴重さには驚かされました。帰国の前には、歓迎会メンバーの木漆工芸作家・辻さんの工房で、特別に漆塗り体験もさせて頂いたキャーラさん。
「金継ぎは金の部分が一番重要だと思っていたのですが、色々な人の汗や苦労が入った漆の下地があってこそだと学びました」と、ランランと輝くまなざしで喜びを表現しておられました。毎回思う事ですが、招待される方も、受け入れて対応される方々も、本当に素敵で素晴らしい方ばかりで、番組を見終わると感動で心が癒されます。
漆の詫び錆び…魯山人の器より前にでない金継ぎ仕上げ…清川さん凄かった・・・
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8月23日放送のカンブリア宮殿『放送600回記念 快適&便利商品を連発!巨大メーカーをベンチャー魂で変革せよ』の回、ご覧になられましたか?
冒頭から映し出されたリクシルのショールーム。週末の家族連れで賑わう巨大ショールームは、キッチン、トイレなどの水回りから、サッシ、玄関まで…住宅設備が何でも揃うという、主婦にはたまらない場所。一緒に見ていた家内も、「あのトイレが欲しい!!」と言い出す始末。
部屋の湿気を一瞬で吸い込む湿度調整できる室内タイルや、お風呂のカウンターが取り外せて丸洗いできたり、まな板いらずのキッチンや、掃除のしやすさにこだわったアイデア商品まで…日々を快適で便利にしてくれる最新の住設機器は、どれも魅力的なものばかりでした。
リクシルは、イナックスやトステムなど5つの会社による経営統合で誕生した巨大住設メーカーで、率いるのは、かつてベンチャーを起業し、9年で東証1部に上場させた経歴を持つ瀬戸欣哉代表。瀬戸さんは、様々な商品開発の現場に改めて消費者目線を徹底し、リスクを恐れず果敢に挑戦するベンチャー流のモノづくりを叩き込むことで、他にない斬新な商品を生み出すマインドを根付かせてきています。
元々住友商事で海外畑を歩んでいた瀬戸は、90年代半ば、アメリカで創業したばかりのアマゾンを知り、今後ネット通販が巨大化すると予見。帰国後、社内ベンチャーで“企業向けアマゾン”とも言える「モノタロウ」を創業し、年商800億円の企業に育て上げました。そして2016年、リクシルで、買収した海外子会社の不正会計が発覚し、200億円の赤字に転落する中、その手腕を買われて、社長へと就任したのです。
一番目を引いたのは、自治体と連携し、【日差しをカットするサンシェードを保育施設に無償設置する取り組み】や、以前、ガイアの夜明けでも報じられていた【簡易式トイレを途上国に寄付するプロジェクト】など、得意の製品を使った活動を次々に展開していること。その狙いが、自社に誇りを持つ精神を育てていこうということですが、なかなかできることではありません。
いつもの村上龍さんの編集後記では、こう書かれていました。
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巨大艦船の方向転換は、とてもむずかしい。企業も、大きければ大きいほど、変化を起こしづらい。リクシルは、住宅設備のほとんどすべてがそろう巨大メーカーだ。かつて、イナックスとトステムの統合は大きな話題となった。その後も合併・統合は続き、やがて、肥大化した組織の経営効率が求められるようになった。大きなシェアを誇る複数の住設メーカーが、一つの企業として統合された根拠が、率直に言って、わたしにはわからない。だが、小学生以来「反骨の士」である瀬戸さんは、変革を通して、その根拠を示そうとしている。
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それぞれで既に大きな存在感を持つ企業が統合され、その統合によって、新しい素材や技術が共有されることで、これまでになかった商品を産み出していく巨大メーカー。こんな巨大企業に勝てる訳がありませんよねぇ。
宝くじが当たったら、ショールーム行ってみたいものです。
先立つものは、やはり資金ですから・・・
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8月9日放送のカンブリア宮殿『災害・救急・最新技術の裏側で大活躍!"便利さ"で生活を支える 知られざるゼンリンの秘密』の回、ご覧になられましたか?
地図と言えばGoogleマップ…それが現代の若者の感覚でしょうが、ちょっと年寄ならば、地図と言えばゼンリンと答えるはず…。そんなゼンリンの創業は1948年、創業者の大迫正富が設立した小さな出版社から始まったそうです。
当時、作っていたのは、大分・別府の観光ガイドブック。その付録として製作した「別府温泉街を一望できる地図」が一躍人気となって、会社を出版社から地図製作会社に変更。当時、誰も作っていなかった「住宅地図」を作り始めたというのです。よく、そこまで思い切れたものです。
転換は大成功。その住宅地図は、役所や宅配業者から引っ張りだこになるほどの人気商品となっていくのです。やがて「日本全国に便利な地図を届けたい」と考えるようになると、地図のカバーエリアを広げていきます。
2代目社長になり、高度成長期を迎えて町の形が著しく変化する時代に入ると、手書きの地図製作では変化するスピードに追いつけない為、日本では誰もやっていなかった「地図の電子化」に踏み切っていきます。これが、のちにカーナビ地図やネット地図(Googleマップ等)という“新しい便利さ”に繋がり、ゼンリンをトップシェアに押し上げていくのです。
日本全国、一軒一軒の住人の名前、建物名などが記載される詳細な住宅地図を作っているのは、国内にゼンリンしかいません。だから、Googleマップやヤフー地図で使われている地図も、カーナビで使われている地図も、ベースとして使われているのは、ゼンリンの地図なんだとか・・・。
そして現在の4代目社長も、「今、誰もやっていない“便利さ”」に挑戦しています。その一つが「空の地図」の製作。ドローンが自動走行するための地図を作り、やがて訪れるであろう「空の産業革命」で、新たな便利さを提供できると考えているのだとか。
番組の冒頭では、全国の道の駅を制覇した“道の駅マニア”がバイブルにしているという「道の駅旅案内全国地図」が紹介されていました。地図上に、道の駅の特産品や旬の時期、周辺の観光スポットなどを載せた便利な地図で、私も是非手に入れたいと思ったものです。
インターネットで地図を無料で見ることができる時代だからこそ「ただ地図を作り続けるだけでは将来はない」という危機感を持ち、新たな取り組みに積極的にチャレンジしています。『常に前を見て考えていないと最新の機器にも気がつけない』だからこそ、最新の技術を取り入れてこれたのです。
『道の駅』の地図も魅力的ですが、停電しても使える紙の地図は、消防や被災地の現場で役立つもので、大きな災害時にはゼンリン事態が災害対策本部を設置して無償で地図を提供するそうです。ドローン宅配を実現する空の空間地図も、つい先日、地域限定で実現させています。今年6月には小学生向け自由研究用商品まで生み出し、地図のクリアファイルや地図探検など多岐にわたっています。
そんな現社長の金言は【“世の中の便利さ”を 常に考え続ける。】でした。狭い視野では見出せなかった今のゼンリン。今後はどのように進化していくのか…楽しみな企業の一つですよね。
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先日、BS-TBSで放送されたドキュメントJ「Knock the door!~空へ 腕と心の翼で」を見ました。主役の鈴木勝良さんは、少年時代に交通事故で両足を失いながらも、数々の挑戦を続けている…68歳の元気なお年寄りでした。番組は、そんな鈴木さんの新たなる挑戦に密着。昨年2017年、約半年間にわたって鈴木さんが挑戦されたのは、健常者だって足がすくんでしまうパラグライダー単独飛行。両足切断というハンディキャップから解き放たれた、アンリミットな世界・・・。
岩手県盛岡市在住の鈴木さん(68歳)。両足のない鈴木さんは、それでも健常者のように自由に生きたいと願い、挫折や絶望を経験しながらも、這い上がり、乗り越えて挑戦を続けてきました。健常者にだって厳しいと思われる…宮古湾を泳いでの横断、スキューバダイビングやスカイダイビングに。なんと、2016年の希望郷いわて大会では、水泳2種目で優勝するまでの努力家です。
少年時代に交通事故で両足を失い、「障害者」と呼ばれるようになって63年。鈴木さんを突き動かしてきたのは「あなたには無理」と烙印を押す人たちへの反骨でした。プログラマーを目指して上京し、アパートを借りようとした時には、両足がないことを知ったとたんに賃貸業者の対応が変わり、どこにも貸してもらえず…結局、見かねた学校の先生が下宿させてくれたそうです。先生や、その家族は、鈴木さんの事も同じ家族の様に大切にしてくださったとか…。
2017年、そんな鈴木さんが半年間にわたり挑戦したのは、パラグライダー単独飛行。両足切断というハンディキャップは、グライダー自体にも改良が必要で、力を貸して下さる周囲の方々も、本当に素晴らしい方々でした。完璧な人など存在しません。番組紹介文の中では、この番組作成に関する目的が、以下の様に書かれていました。
『人は誰しも、何かを欠いて生きている。時に困難や試練にぶつかり、苦悩する。希望を見失った真っ暗闇の中で、それでも歩みださなければならない時、私達は何を目印にすればいいのだろうか。暗闇の中で進みだせないでいる人に、何らかのヒントを示せるのではないかと考え、鈴木さんの大空への挑戦と、その生き様を、カメラが追った。』と。
鈴木さんには、数多くの頼れる友人がいました。おかげで幼い頃から、健常者とは思えない明るさで、様々な事にトライし、今も68歳とは思えない活き活きとした生き様を見せてくれています。様々な所へ講演会にも出かけ、自分の体験談を話す事で、多くの人にも力を分けています。思えば、単に良い人たちに支えられてきたのではなくて、鈴木さんの前向きな生き方が、周りが手を貸さずにはいられない、『一緒に乗り越えてみたい』という思いを抱かせてきたのではないでしょうか。
無事、パラグライダーでの単独飛行を成功させ、大空を舞いながら満面の笑顔で喜びを表現していた鈴木さん…とても素敵な方でした。今年の1月、右ひざの半月板が断裂してしまった私ですが、膝が痛いなんて事ぐらいで嘆いてなんかいられないですね…。私も力を頂けました。でも…遠泳やスカイダイビング、パラグライダー等々は…ちょっと手が出せそうもありません…とほっ。
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先日、NHKのアナザーストーリーズ 運命の分岐点『山一破たん たった1つの記事から始まった』の回を見ました。
3兆5千億円の負債を抱え、廃業に追い込まれたエリート企業・山一証券。「社員は悪くありません」…そう語って社長が泣き崩れた衝撃的な破たん劇は、いかにして起きたのか?いつものように3つの視点から番組は構成され、ある雑誌記者の執念のスクープ、旧経営陣による舞台裏の証言、いきなり職を失った社員…と、バブルの絶頂から破たんへ、数奇な運命をたどった深い闇の正体が伺えるもので…とても中身の濃いものでした。
1つ目の視点は週刊東洋経済記者 木村秀哉さん。山一破たんのきっかけになる記事を書いた雑誌記者ですが、「会ってもらいたい」という、かつて投資顧問会社を経営していた人物からの1本の電話から物語は急展開していきます。提示された一連の資料は、山一が法律違反にあたる「損失補てん」を行っているという疑惑をにおわせていました。
株価がぐんぐん上がっていた80年代後半、日本中の投資ブームに火を付けたのが証券会社。「儲かりますよ!」と投資家に株の売買を勧め、その手数料で莫大な収益を誇っていったのです。ところが、バブル崩壊で株価は一気に下落。この時、収益が急落する事を恐れた山一がやったのが…特定の大口顧客が起こした損失補てん。補填する代わりに、引き続き株を買ってもらえるよう頼んでいたというのです。勿論、たった一つのタレコミが真実か否かは計り知れず、そこからこの記者の闘いが始まっていきます…。番組の冒頭から信じられない話が立て続けに伝えられた、あっという間の60分でした。
「社員は悪くありません」と涙ながらに訴えていた社長は、わずかその3カ月前に就任し、しかも…何も聞かされていなかったという事実。当時の山一証券の企画室長・藤橋忍さんは、処理を押し付けられた経営陣が、グループ社員1万人が路頭に迷うことのないよう、最後まで努力をしていたと証言されていました。あの社長の無念を押し殺して頭を下げた、あの涙の背景が、やっと見えた気がしました。ひた隠しにされていた損失、およそ 2, 600億円。膨大すぎるがゆえに上層部は公表するタイミングを失い、その隠蔽工作が会社の命を奪いました。
当時、山一證券のトップセールスマンだった永野修身さん。いきなり職を失ったその永野さんは、部下の就職先をあたり、自ら会社を立ち上げて再び仲間を呼び寄せました。もう一人の元社員・石山智志さんは、自主廃業後、虚無感に襲われ1年以上仕事に就く事ができなかったそうです。再就職先では、心ない中傷も受けたのだとか…。現在はコンビニ店を複数経営。経営のかたわら大学生の就職活動を支援をされていました。
バブル崩壊…そんな言葉は何度となく耳にしてきましたが、その背景や、渦中にあった人たちの思いを知る機会はあまりありませんでした。NHKは、BSでよく再放送を行っていますので、見損なった方は是非ご覧頂ければと思います。
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7月17日放送のガイアの夜明け『外食王3~追跡!異次元サバイバル~』の回、ご覧になられましたか?和食は当然の事として、中華、台湾、ベトナム料理からイタリアン、フレンチ、インド料理やブラジル、パキスタン等々…更には1つの店舗で混合型の不思議な料理が出てくるなど、世界有数のバラエティーと、ユニークさを誇る「外食大国・ニッポン」。
人口減少時代を迎え、味に厳しく財布も堅い国内では、消費者の厳しい選別にさらされています。慢性的な人手不足に陥る中、激烈な競争を勝ち抜き、長く愛される「外食王」として君臨するには、何が求められるのか?そんな事をテーマとして、昨年3月からスタートしたシリーズ企画「外食王」第3弾!各社の驚きの知恵と創意工夫、異次元のサバイバルを追っての今回でした。
まず紹介されたのは丸亀製麺を展開する、外食大手のトリドール。2025年に売上高5,000億円と現在の約5倍もの売り上げを目指す方針とのことですが、実は、うどん以外にも、自社開発した焼きそば専門店や、ラーメン店もあるとのこと。そんなトリドールが、今回、麺系ではなく【晩杯屋】(バンパイヤ)という立ち飲み居酒屋を傘下に収めたのです。
番組では、この他、1日50万円も稼ぐパン屋を手がける「ベーカリープロデューサー」が語るパン専門店の「勝利の方程式」や、全国で宅配ピザ「ナポリの窯」を展開するストロベリーコーンズが、宅配ではなく、こちらからお客の近い場所に行って、ピザの持ち帰りをしてもらうという「動くピザ店」を紹介していましたが、冒頭の【晩杯屋】のインパクトが強すぎて、この2つは今一つの印象に。
うわの空で聞いてしまったのか、「勝利の方程式」には納得できなかったし、動くピザ店のお父さんも、ただただ"大変そう"で感動に至るものではありませんでした。
で、立呑屋の【晩杯屋】…バンパイヤというネーミングが素晴らしいではありませんが。それより何より、安いこと!安いこと!激安の居酒屋さん!! 千円で満喫して帰れる呑み屋さんなんて、安月給のサラリーマンにとっては天国のようなもの。成人している学生だって余裕ですよね。一家の主人と言われても、そんなにお小遣いは貰えないし、ストレス抱えて家に帰ると、また、家で夫婦喧嘩になってしまったり…なんて事だってあるわけですから、【晩杯屋】さん、救世主ですよね。
この晩杯屋は内装にお金をかけていなくて、100円~300円台の料理・飲み物がずらりと並んでいます。マグロのお刺し身やアジフライ、ポテトサラダ等と1杯お酒を飲んで1,000円支払うと、なんと200~300円のお釣りがくるそうな…。有り難過ぎて涙ポロポロ。そんな【晩杯屋】のサイトでは、この様なこだわりが書かれていました。
こだわり1・・・誰でも一人で気軽に“一杯目”が呑める店
こだわり2・・・値段を裏切るクオリティの追求
こだわり3・・・提供スピードもパフォーマンスの一つ
こだわり4・・・誰でも安心して入れるためのルールづくり
良いじゃないですかぁ!! 是非、お招きされてみたいです・・・。気になる店舗情報は・・・、こちら・・・
http://active-source.co.jp/tenpo/
我が家の近くにはないから・・・行くなら会社帰りの途中下車かぁ・・・
早く、全国に広がらないかなぁ?????
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先日、NHK BSプレミアムの『英雄たちの選択・琉球スペシャル』第1弾・第2弾を続けて見ました。昨日は、同じ沖縄に関するネタで、姉妹サイトの方で書かせて頂いたばかりです。そちらでは、大きな反響を呼んでいる『生きる』の全文をご紹介させて頂いきましたが、沖縄に関しては随分前に、このサイトでも『沖縄返還協定』と題してhttps://www.aeplan.co.jp/blog/detail/168で書かせて頂いたこともあります。
ところで皆さんはこの『英雄たちの選択』という番組をご存知でしょうか? この番組は、歴史大好きで有名な歴史学者の磯田道史さんが司会を務めていますが、歴史上の出来事や人物の心理などを客観的に、様々な視点から考察して意見を述べて頂けるので、とても深く、勉強になります。
日本の運命を決める岐路に立たされた歴史上の英雄たちが、様々な選択肢の中からたった1つの「選択」を行っていきますが、なぜ英雄がそれを選んだのか?また、その「選択」が、後世にどの様な影響を残したのか?点ではなく線、面へと繋がっていきます。この番組は、磯田さんのほか、歴史学・軍事学・心理学・経済学など様々な分野の専門家たちとともに、英雄たちの「脳内」に深く分け入り、選択の崖っぷちに立たされた英雄たちが体験したであろう葛藤を、専門家の考証に基づいて厳密に復元し、複数の選択肢を挙げた上で、アプローチしていく番組となっています。
さて、話は元に戻って
【琉球スペシャル 第1弾 「独立を守れ! 島津侵攻 尚寧王の決断」】
もともと琉球王国は中国や東南アジア各国との貿易で栄えていた国。日本とも交流はありましたが上下関係ではありませんでした。ところが豊臣秀吉が天下を取ると、琉球王国にも支配下に入るよう島津氏を通じて迫り、朝鮮出兵に協力させられてしまいます。思えば、この頃から現在に至るまで…沖縄の苦しみはずっと続いているのかもしれませんね…。
秀吉の死後も、徳川家康は中国・明との国交回復に琉球を利用しようとしますが、琉球は日本の支配下に組み込まれることを嫌い、返事もしませんでした。島津氏からは武力侵攻も辞さないと脅迫されるなかで…当時の尚寧王が下した決断は?そう、これが今回の決断でした。戦国日本をしのぐ先進的なグスクという城塞があった琉球が、戦いに挑んでいれば勝てたかもしれない…と言う説もあるものの、犠牲者を最低限に抑え、民の命を守った尚寧王の選択は、やはり正しかったような気がします。
【琉球スペシャル第2弾 「辺境の声を聞け!探検家・笹森儀助の挑戦」】
琉球王国から日本の支配下に置かれ、琉球藩となっていた沖縄ですが、明治12年、藩は廃止され、沖縄県が誕生していきます。しかし、人々は、重い税と風土病に苦しんでいました。探検家・笹森儀助は、沖縄の島々をめぐり、その窮状を世に訴えてくれます。
笹森は、青森県弘前の士族の家に生まれ、日本中を旅し、北海道の千島探検の記録を出版して、天皇に奏上されるほどの評価も受けました。これを契機に、時の内務大臣から、砂糖欲しさに沖縄の調査を依頼され、沖縄探検に出発します。現地で、笹森が眼にしたものは、厳しい自然だけでなく、人頭税という重い税に苦しむ人々の姿でした。
この人頭税、米で納めさせられる税ですかず、稲作に向かない地域の人でも、貧富の差も考慮されず課せられる税で、払えない人は強制移住させられ、奴隷のような扱いとなる前時代の制度でした。明治に入っているのに、日本でありながら、沖縄だけが人頭税を要求され、マラリアにも苦しめられていたのです。
貧富を問わず要求された人頭税…笹森は、このまま砂糖に関する報告をすべきか、沖縄の現状を訴えるべきか悩みます。そう、これがその回の英雄の選択でした。結果、笹森は、自分の危険を省みず、1冊の本を出版し、憎むべき人頭税を廃止に導いていきます。そればかりか、現地の責任者に抜擢され沖縄に命を捧げ、貢献していくのです。
琉球スペシャルを見て、一番思った事。それは「ステージ2」の膵臓がんだったことが伝えられた翁長知事の、それでも辺野古沿岸部の埋め立て反対に向けて戦い続ける姿と、それを力づくで抑え込んで工事を進めようとする政府の事。そこには沖縄・琉球が今も同じ環境に置かれ続けているのではないかと思わせられる悲しい物語が…。国の都合が国民の都合を押し潰していくのは、なんとも納得できない話なのでありました…。姉妹サイトでご紹介させて頂いた「生きる」と共に、本当に大切なものが何なのか、見つめ直して欲しい気がします…。
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