1971年の今日、4月3日から放送されたのがこの『仮面ライダー』
別に私は見ていなかったのですが、『仮面ライダースナック』を買ったことがあったし
『仮面ライダー変身ベルト』や『ドレミサイクロン』の宣伝も印象に残っています
とは言うものの、何よりも圧巻なのが初代を演じられていた「藤岡 弘」さん
1946年2月19日生まれの69歳というのに、未だに仮面ライダーですよねぇ…
引っ込み思案で恥ずかしがり屋な線の細い子供だったそうで
6歳の頃から病弱を心配した警察官で武道家の父から手ほどきを受け
肉体と精神の修行・鍛練の中、病弱を克服していったそうです
少年時代から滝行も経験している ということだから、まさにそんな感じ…
人間って変われるし、維持もできるってことですかねぇ…
私は藤岡さんに比べれば、まだまだ若いのですが
身体のあちらこちらが痛くて、爺くさくて困ります…
2001年の今日3月31日、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)がオープンした日です
色々問題の多かったUSJでしたが、15年目に突入したんですね
そして、その15年目に過去最高の入場者数を更新している立役者は…
あのハリー・ポッターなんですかねぇ…我が家の娘も急に行きたいと言い出したし…
『ウィザーディング・ワールド・オブ・ハリー・ポッター』
体験型のアトラクションは良いですよねぇ…
一方…2002年の同じく今日3月31日、あの向ヶ丘遊園が閉園になったんですよ
「何だそれ?」って方も大勢いるのかも知れませんが…知る人ぞ知る遊園地だったはずで…
小田急線の駅名として、閉園となった今も尚、向ヶ丘遊園駅という名前で残っています
時代の流れを感じますねぇ…とりあえず、千葉に住んでいる私の息子は
昨日、ディズニーランドに部活引退遠足???行っていました…なんじゃそれ…
今日3月27日は、日本さくらの会が『3×9(さくら)=27』の語呂合せと
七十二候のひとつ「桜始開[さくらはじめてひらく]」が重なる時期であることから
『さくらの日』と制定されたそうです…3×9って…そうとうひねってますよねぇ…
日本の歴史や文化、風土と深くかかわってきた桜を通して
日本の自然や文化について関心を深める日とのこと
先日23日に東京と横浜で開花宣言がされましたが気になるのは満開…
今のところ東京の予想では3月31日火曜日が満開とか
今度の29日(日)は傘マークあり、4月の3・4(木・金)も同様に悪いので
終わりかけの5日(日)に見に行くか、仕事は素っ飛ばして
3月31日(火)か4月1日(水)に強行するかといった感じ…
実は、2日(水)と5日(日)も曇りがちなので、この強硬作戦がベストなのかも…
来週の火・水は、仕事帰りの酔っ払いが多く見られるんでしょうかねぇ…
以上、酔っ払い満開予報でした…おっと、さくらの満開予報でした…
やっぱり、桜は見ているだけで気持ちいいもんなぁ…
1995年の今日、3月25日 ウォード・カニンガムという人によって
最初のウィキサイト「WikiWikiWeb」が開設されたそうです
言うまでもなく、これがなければウィキペディア( Wikipedia)もなかった訳ですね
ウィキペディアと言えば、その前身はヌーペディア(Nupedia)ですが
同じくウェブ上のオンライン百科事典プロジェクトではあったものの
専門家による執筆とフリーコンテントライセンスという特徴で2000年3月創設
ヌーペディアはウィキではなく、専門家による査読制度を導入することで
既存の百科事典に匹敵する質の確保を図ってボランティア研究者を募ったのですが
基本的に博士号取得者に限ったため、参加者も少なく成功を収められませんでした
一方、ウィキペディアは、ウィキメディア財団が運営しているインターネット百科事典で
2001年1月、英語でプロジェクトが開始され、ウェブサイトには広告は一切掲載せず
記事の自由な複製・改変を認める「GFDL」というコピーレフトなライセンスと
インターネットを通じ自由に文章の編集が行えるウィキシステムを採用し
誰もが新規記事の執筆や既存の記事の編集を行えるようになっています
編集への参加に関しては一切無料で、参加者の共同作業で
記事は日々追加・更新されていて、私も随分と利用させてもらっています
すっかり馴染んでしまっていますが、2000年代に入ってからだったんですね
おかげで重たく分厚い辞書も、似たサイトが次々と登場することで…
辞書をひくのが自慢だった人は寂しい限りです…
1962年の今日3月23日、帝都高速度交通営団(現在の東京地下鉄)丸ノ内線が全線完成
帝都高速度交通営団? 東京地下鉄? やっぱり東京メトロがしっくり来ますねぇ
それにしても、そんな昔に丸ノ内線は誕生していたんですね
東京の地下鉄の歴史と言うと、実はもっと昔で1927年(昭和2年)
浅草駅 - 上野駅間(現在の銀座線の一部)を開業したことによって始まっていたんですよね
路線名の由来は、東京駅付近の地名である丸の内よりきているそうですが
1970年の町名変更により千代田区の「丸ノ内」は「丸の内」と表記されるようになったのに
地下鉄線の表記はそれ以降も「丸ノ内線」のままなんだとか…
よく分からずに『丸ノ内線』って書いていると、つい『丸の内線』って
書いちゃったりしていませんか???
ちょっと丸ノ内線周辺を歩くときは『丸の内線』と書いてある
間違え探し頑張ってみたくなりましたねぇ…
1949年の今日3月19日 東京の定期観光バス「はとバス」が運行を開始しました
皆さんは利用したことがありますか?
私は、子供の頃一度だけ利用したことがありますが合わなかったようです
今から40年以上も前の話ですが、当時は立ち寄った食堂の食事が冷たかったり
各所での滞在時間が短かったりで満足できるものではありませんでした
でも、近年は全く違って良くなっているようですね
企画も練りに練られて、食事も暖かくグルメなようですし
何より選べるコースの多いこと多いこと
「怪談クルーズツアー」
「無人島『猿島』探検ツアー」
「ニューハーフがご案内ツアー」
たとえば 「江戸味覚食い倒れツアー」(9980円)などは
朝食は築地でお寿司、昼は浅草で天ぷら、夜は柴又で穴子を食べられるそうです
貴賓席の旅として「日光千姫物語 徳川将軍着座の間」なんてのも良い感じです
東京以外にもマネをして偽の『はとバス』も誕生したりもしましたが
やはり上野初のはとバスが良いですねぇ
地方から親戚などがやって来る時は、重宝しそうです
1964年の今日3月18日 早川電機(現在のシャープ)とソニーが、
商用化された製品としては初の電子式卓上計算機(電卓)を発表しました
当時は、重量が15kgから20kg以上、消費電力も50Wから100Wを超える大型の卓上計算機
また、当時の物価からすると電卓はまだ高価なもので、車1台分の値段だったそうです
そんな高価な電卓も今では100円ショップで買えてしまうし、
『おまけ』で付いて来てしまうほどの安価なものになってしまいました
「ものこわしのすすめ」なんてホームページがありますが
http://www.yumeginga.jp/topics/monokowashis/monokowashi/calc/calc1.html
上のサイトでは100円ショップで購入した電卓を分解して見せてくれています
とても100円とは思えない中身です
本当に、こんな値段で、これだけの物が売られてしまうと
お金を稼ぐのも大変…部品代や人件費…日本では賄えそうもありません
技術が進歩するのはありがたいし、価格が安くなるのもありがたいけれど
おかげで苦労している人たちも沢山いることを改めて感じた今日なのでありました
先日、息子の高校の卒業式に行ってきました
小学校・中学校と行くことはありませんでしたが
ちょっと変わった卒業式で有名だったもので…
噂では当日の保護者席は出席者が多いために
場合によっては立ち見になるということで
当日は受付時間の10分前には学校に着くように出かけました
ところが既に大勢の列を成していて、会場に入ってみると
良い席は殆ど埋まっていて、噂が嘘だと思っていた自分の甘さに愕然…
まずは気も引き締まる卒業式のはずが、生徒が仮装して出るというところ
どんな格好で出てくるものかと思いきや…今年は意外にまともだったようで…
男子はスーツか、羽織袴、女子はスーツかワンピース…にとどまらず…
女子の羽織袴、パーティードレス…
式もつまらないまま終わるのではなくて卒業式の答辞が30分超え…
それは舞台でした…
いきなり羽織袴姿の女の子がマイクを握ると乗りの良いロック音楽…
続けて演劇やらコーラスやら、合間合間には3人組の漫才…
一番終わりにはまじめな歌や出席者へのメッセージも送られましたが…
予想以上にぶっ飛んだ卒業式でした…
それでも、この学校にとっては自主自立を尊重し
卒業式も卒業生が作り上げるという伝統を受け継いできたものだったので
決して、今風ということでもなかったようで…
結局、儀式の嫌いな私には3人組の漫才が一番印象に残って…
楽しかったんですが…なんとも複雑な気持ちで家路に着きました
まわりの方々への『感謝の気持ち』が伝わりにくかったかなぁと…
自主自立といえば凄そうに聞こえるけれど
柱や芯・核になる部分は、バッチリ押さえたいかなぁ…
そんな事を思ってしまう親父なのでありました…
2011年(平成23年)の今日、3月11日に東北地方太平洋沖地震が起こりました
忘れない、忘れられない、忘れたくない…いろんな思いがありますが
4年が経過した今も尚、故郷に帰れずに過ごしている方々が沢山居られます
地震…津波…原発事故…多くの被害を受け、未だに受け続けている方々が居られることを
私たちは、忘れてはいけないし、それぞれができる事をしていかなければならない
終わりの見えない原発事故処理については、見通しもたてられないのに
傷も癒えない状態で『コントロールできている』と海外に原発を勧める安倍首相には
本当に呆れるばかりでしたが、あの独走ぶりはなんなのか…
まだ、今後起こりうる災害等に向けても、国や地方自治体に
してもらわなければならない事が山ほどありますが
自分自身で備えておかなければならないことも同様にあるはず
悲しいこと、苦しいこと、嫌なことは、風化してくれるから
人は平穏を手にしていけるのですが、だからこそ
忘れないように努力が必要なこともあるんですよね…
1876年の今日、3月10日、グラハム・ベルが電話による会話に成功
第一声は「ワトソン君、ちょっとこっちに来てくれないか」だったそうな…
今では休み中でも職場から『○○○の件、どうなってるんだ!!』なんて怒られたりして…
遠方の人と生で話ができるなんて本当に凄い機械の発明でしたが
携帯電話にまでなると24時間所構わず電話が鳴ったりして心休まず…
1993年 初のデジタル方式(PDC)携帯電話開始
デジタルムーバ発売、留守番電話サービス開始
1996年 着メロの登場
1997年 携帯電話初のショートメッセージサービス「スカイウォーカー」導入
1999年 「iモード」「EZweb」、「J-スカイ(現Yahoo!ケータイ)」開始
1999年 初のカラー液晶搭載機種発売
2000年 J-PHONEから初のカメラ付きケータイ発売、『写メ』という略語も自然発生
2002年 携帯電話番号に「080」追加
2004年 おサイフケータイ登場
2007年1月 iPhoneの登場で日本で独自進化した『ガラケー』は終わりを迎える?
2015年ガラケーが復活ののろしを上げる!!
操作方法を覚えるのが面倒
タッチパネルの感度が良すぎて、文字入力の誤入力&誤検出が多発して大変
電池持ちの悪さ!!
スマホはデカくてポケットに収まらない……
パカパカ携帯をパカパカしてないと落ち着かない
手汗酷いから画面さわるのが嫌
セキュリティ対策が面倒くさい!
いらない機能が多すぎ
通話やパケット料金が高い
巻き返し・・・なるんでしょうかねぇ・・・