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【再生可能エネルギー】の進展を妨げる“裏側”

2018-11-14 NEW!
カテゴリ:つぶやき

 

10月23日放送のガイアの夜明け【「どうする? ニッポンの電力」~「再生可能エネルギー」知られざる“裏側”~】の回、ご覧になられましたか?

 

まだ記憶に新しい「北海道の大地震」が原因となって発生した道内全域の「ブラックアウト」。初めて起こった現象に、何が起こったのかと耳を疑ったものです。大型台風が引き起こした、静岡の大規模停電もそうであったように、毎日当たり前のように使っている電力が突如、断ち切られたとき、電気製品に頼り切っている私たちの暮らしはが大きな打撃を受けてしまいます。

 

東日本大震災で福島第一原発が人々に大きな被害をもたらした日本で、これからの電力をどう確保していくのか。そんな議論が始まっても、安倍首相は日本の原発は世界一安全で、コストも安いと原発中心の路線を変えようとせず、恥ずかしいかな、海外にまで売りつけようとしていました。

 

ところが今年7月、政府が「エネルギー基本計画」で明記したのは、「再生可能エネルギー」を主な電源とすることでした。好感度を上げる為か、太陽光やバイオマス発電といった、環境に優しい電力を拡充しようというのです。「今更??」とか「今ごろ??」とも思いましたが、そこには、思わぬ"光と影"がありました・・・。

 

東日本大震災以降、停止した原発分を補ってきたのが、火力発電。しかし、燃料のほぼ全てを輸入に頼り、CO2の排出量も高く、環境にとっては全く良い展開ではありません。そこで改めて大きな注目を集めたのが「再生可能エネルギー」でした。2012年には、固定価格買取制度(FIT制度)がスタートし、発電した電気を売ってビジネスにしようと、太陽光を中心に売電事業者やパネルメーカーが次々と誕生。

 

今回番組で取り上げられた太陽光発電所を運営する「エンブルー」という会社もその一つです。社長の三浦さんは自ら全国を飛び回り、発電に適した土地を日々探し歩いていると言います。そんな、三浦社長が直面していた問題…それは、仮に発電に適した土地を見つけ、そこで電気を生み出したとしても、それを無駄に捨てざるを得ないケースが多いという現実。

 

電気を作っても、届ける方法がないのです。送配電網の能力が伴わないこと…日本では、大手電力会社が基幹送電線の空き容量がないことを理由に、再生可能エネルギーの発電事業者の接続を拒否する事例が相次いでいるというのです。また再生可能エネルギー事業者に法外な「送電線の工事負担金」を要求する事例まであると…。

 

つまり、政府は、見せかけだけの再生可能エネルギーの奨励をしただけで、実際には政府も電力会社も原発にこだわり、再生可能エネルギーの普及に本腰を入れていない事が見て取れるのです。

 

原発反対と言えば小泉元首相の事が、最近は頭に浮かび、こんなセリフを思い出します。

 

『政府は『日本の原発は世界一、安全基準が厳しい』と言うが、米国やフランス、アイルランドと比べてどこが厳しいのか、全然示していない。廃炉の費用、賠償費用、安全対策の費用。最終処分場なんて千年万年作らない。これを入れてないんだから、原発のコストが一番安いというのは、とんでもない嘘だった。』

 

これまで政府や電力会社は「原発は、他の発電方法より安いから推進する」と言ってきたものの、本当のコストは高いので、「電力自由化」によって淘汰されないように、原発のコストが本当は高いことを国民に知らせないまま、原発を持たない「新規参入の電力小売会社の電気を買う人」からも「原発の廃炉費用」を負担させ、明らかに原発への優遇策をとってきました。なのに肝心な再生可能エネルギーの方には手が回されていないのです・・・。

 

番組では今年、日本列島を次々と襲った台風の巨大エネルギーを利用して電力を生み出そうという「チャレナジー」という会社が紹介され、このブログでも他に再生可能エネルギーの取り組みをしているケースを紹介させて頂いたことがありますが、日本の発想力も技術力も素晴らしいものが沢山あるだけに、もっともっと国のバックアップが欲しいものです。

 

口先だけの他人事の様な「再生可能エネルギー」奨励ではなく、それを主電源とする為の具体的な投資、制度改革など、もっとスピーディーに進めて欲しいものです。ほとんど使われていない送電線だけでも、すぐにでも、有効活用して欲しいものです。なんか書いているうちに沸々と腹が立ってくるのが情けないですよ・・・

 

 

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「葛餅」ではなく、船橋屋さんの発酵食品「くず餅」…一目惚れです!

2018-11-9 NEW!
カテゴリ:つぶやき

 

11月1日放送のカンブリア宮殿『創業1805年の老舗和菓子店 伝統と革新の・・・「幸せ」経営術』の回、ご覧になられましたか?東京都内を中心に25店舗展開する和菓子店「船橋屋」さんの一番人気は「くず餅」。くず餅は450日かけて発酵させ、手間ひまかけて独自の食感を生み出すんだとか。

 

…発酵食品だっけ?と調べてみると…黒蜜ときな粉をかけて食べる「くず餅」とは言え、関東は「ひし形」に切った白っぽい餅で、関西は透き通った外観で、つるんとした食感と異なるもの…。どうやら西と東で同じ名前なのに、違うものだったらしいのです…。知らなかったのは私だけでしょうか・・・恥ずかしや・・・。

 

関西でよく見かけるのは葛粉から作る「葛餅」で、1870年創業の井上天極堂さんによると、葛粉に砂糖と水を加え、火にかけてよく練っていくと、透明になりとろみがついて出来上がっていく。一方、関東のくず餅は小麦を乳酸菌で発酵させた小麦でんぷんで作っていく。今回の主役1805年創業の船橋屋さんの場合は、小麦の配合や発酵期間が450日にも及ぶのだとか。独特の発酵臭や酸味を除くため、何度も水洗いした小麦でんぷんに湯を加え、蒸して作る。独特の食感は発酵という工程があってこそのもので、和菓子唯一の発酵食品ともいわれるのだとか。

 

ところで船橋屋さんの「くず餅」は、葛を使っていないのになぜ「くず餅」という名前がついたのか。同社がある東京都の東部などは、かつて下総国葛飾郡と呼ばれ、良質な小麦の産地であることを生かし、庶民の菓子として作られた。一旦は地名から「葛餅」としたものの、関西に同じ名称の菓子があり紛らわしいので「くず餅」や「久寿餅」の表記にしたんだとか。

 

ついでに、もう一つ、東京なのになぜ「船橋屋」なのか。同社のホームページで確認すると、江戸は文化二年(1805年)、十一代将軍徳川家斉の頃、創業。船橋屋初代の勘助の出身地が下総国(千葉県北部)の船橋で、当時、下総国は良質な小麦の産地。勘助は、亀戸天神が梅や藤の季節に、参拝客でにぎわうのを見て上京し、湯で練った小麦澱粉をせいろで蒸し、黒蜜きな粉をかけて餅を作り上げたんだとか。それがまたたく間に参拝客の垂涎の的となり、いつしか「くず餅」と名づけられ、江戸の名物の一つに数えられる程の評判になっていったんだとか。

 

しかし、手間暇かけ、450日も発酵させ、添加物を一切使わないため、消費期限は、なんと、わずか2日間!!それでも「直ぐに食べてしまうから関係ないと」お客は言っていました。自然のままの素材の方が体に優しいし、何より江戸時代から続く“粋”でもあるんだとか・・・。”粋”ときましたかぁ。

 

ところが、船橋屋さんは、老舗の企業でありながら、新しいことにも挑戦し続けていました。例えば、和と洋を融合させたスイーツの開発。「くず餅プリン」は、和洋をミックスさせた商品で、幅広い層から人気を集めているそうです。「くず餅」に合ったコーヒーまで独自に開発してしまうようで、柔軟ですよね。

 

1964年に老舗の和菓子店「船橋屋」に生まれた渡辺社長。跡継ぎになる気はなく、大学卒業後は大手都市銀行に入行。当時、世の中はバブル時代。渡辺社長は好景気を背景にディーラーとして活躍。ところが、バブル崩壊の影響で、実家の「船橋屋」に暗雲が…。渡辺社長は銀行を辞め、1993年船橋屋に入社することになります。

 

会社の危機にと戻ってきた渡辺社長でしたが、当時の船橋屋は、昔ながらの職人が幅を利かす、なれ合いの世界だったそうです。古参の社員に反発を食らいながらも、渡辺社長は改革に挑んでいきます。ところが、改革にメスを入れると社員に覇気がなくなっていく…。ある日、関係が良好にいっていると思っていた社員に「やる気」と「給与」のマトリックスを書いて印をつけさせると、どちらの評価も最悪の左下にマークされてしまいます。

 

それからは、一方的に改革を推し進めるのではなく、組織活性化プロジェクトを立ち上げ、新しい商品のアイデアも、採用された案は担当として頑張れるシステムまで作り上げ、今では5人の募集に対して、16,700人がエントリーしてくるまでの人気企業へとなっているそうです…。「お金が紙に見えたらおごっていることの表れ」そんな言葉を胸に刻んだ社長の金言…「ピラミッド型よりも オーケストラ型の組織に」は、素敵な表現ですよね。

 

耳寄り情報としては、船橋屋さんに対して「くず餅を食べて健康になった」と体調が良くなる人が続出したので、渡辺社長が研究機関に依頼して調査したところ、腸に良い新種の「くず餅乳酸菌」が発見されたんだとか。創業1805年の船橋屋の樽には調べたところ13種類もの乳酸菌が住みついており、その中の「くず餅乳酸菌」は、腸内環境を劇的に改善してくれるそうです。

 

そんな「くず餅乳酸菌」は医療機関でも注目され、今後は医療の一環として使用される可能性まで出てきたそうです。そして、渡辺社長はこの「くず餅乳酸菌」を使った独自の商品開発にも取り組んでいるそうで、健康食に敏感に反応してしまう私は…発酵食品と聞いて耳がダンボ・・・今後が更に楽しみです。

 

いつもの村上龍の編集後記にはこう書かれていました。

 

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渡辺さんは、会社に入って、妥協のない改革に取り組んだ。職人の仕事をマニュアル化し、努力を怠る仕入れ先を切り、メインバンクとの取引内容にも切り込んだ。だが、社内の雰囲気が殺伐としているのに気づき、従業員のやる気を引き出すために、あらゆることをやった。「船橋屋」は生まれ変わったが、不思議なことに、なのか、あるいは当然のこと、なのか、たぶん「くず餅」の味、食感の基本は変わっていない。スタジオで食べたとき、独特な繊細さを表現できなかった。213年間変わらず、「くず餅」が、主役に君臨している。
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余談ばかりですみませんが、番組を見た後、どうしても船橋屋さんのくず餅が食べたくなって、近くに店舗がないものかと探してみたら、千葉は松戸の北小金駅と本土寺の近くに発見。ワクワクして行き方を調べていたら、営業期間が限定されていて、秋…おっと、立冬過ぎたから…冬は休業中で、それならネットで楽天を調査。ポチッてしいましたよ。予約が多いようで、今月末まで待たなければなりませんが、家内と共に楽しみでなりません。

 

ところで前回までのシリーズ『アインシュタイン深掘り』最終回のパスワードですが、brainとなります。解説は次回姉妹サイトで…。

 

 

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アインシュタイン深掘りの巻…⑨グリア細胞。なぜ行方不明なのか・・・

2018-11-7 NEW!
カテゴリ:つぶやき

 

ハーベイが残した遺品の中に、散逸した脳の切片に関する「手がかり」となる名前。そこからは、脳の提供について、やり取りした人物が35人に上る事が分かりました。散逸した脳を捜し出し元どおりに集める事はできないか。番組スタッフはハーベイから脳を受け取ったとみられる人物、全員にコンタクトを試みていきます。名前が浮かび上がったのはアメリカ、カナダ、ヨーロッパ、南米、そして日本など世界各地に及んでいきます。なかなか頑張っていますよね・・・。

 

まず向かったのは特徴的な前頭葉と頭頂葉の一部を受け取ったとみられるダイアモンド博士。ダイアモンド博士は脳が環境によって変化する可塑性を発見し世界に先駆けて提唱した脳科学者です。しかし、去年7月に亡くなっていました。アインシュタインの没後30年にその脳に関する初めての研究論文を発表。脳を構成する神経細胞とグリア細胞について調べていました。

 

当時の科学界では脳の重要な機能を担うのは神経細胞だと考えられていました。一方、グリア細胞は神経細胞を支える脇役にすぎないと見なされていました。ダイアモンド博士はアインシュタインの前頭葉と頭頂葉で、この2つの細胞の比率を調べました。そして、左の頭頂葉ではグリア細胞の割合が平均と比べて73%多い事を突き止めていました。

 

グリア細胞というのは、神経細胞に酸素や栄養素などを運搬するために動いている細胞で、これによって神経細胞は活発に活動が出来るのです。更にグリア細胞は、ダメージを受けた神経細胞を発見して、その部分を保護し修復させる働きをも持っています。ダイアモンド博士の論文発表を機に、グリア細胞に注目が集まりその機能についての研究が進みましたが、アインシュタインの天才性についての解明はそれ以上進みませんでした。

 

研究に使われた5つの脳のブロックは、今、どこにあるのか。番組スタッフはダイアモンド博士が生前に在籍していた大学を訪ねます。保管されていたのは37枚のスライドだけ。ブロック1つ分にも到底満たない量でした。スライドは古い手法で染色されていたため現代の技術で新たな解析を進める事は困難とのこと。アインシュタインの知性のカギを握るとみられる前頭葉と頭頂葉5つのブロックは残念ながら見つかりませんでした。

 

ハワイ在住のチャールズ・ボイド博士68歳。アインシュタインの遺伝子を 解析したいとハーベイに依頼し脳のブロックを2つ受け取った事を認めます。ブロックの番号は198。ロードマップで確認すると左の前頭葉から切り出されたものでした。しかし、もう一つのブロックは…。

 

25年前ボイド博士はアインシュタインの遺伝的特徴を見いだしたいと脳からDNAの抽出を試みました。ところが、保存状態が悪くDNAが壊れていた事が判明。当時の技術ではそれ以上解析できず研究は失敗し、ブロックは失われました。その後、大学を移籍し研究分野が変わったボイド博士。再びアインシュタインの研究に着手する事は叶いませんでした。

 

研究に失敗した後ろめたさからアインシュタインの脳を持っている事を人には言えず、時間だけが経ってしまったというのです。ボイド博士が研究に失敗してから25年。最新の技術を使えば壊れた遺伝子からでも解析する事は可能になっているんだとか…。残されたブロックを今後どうするかボイド博士は思い悩んでいるように見えました。

 

脳の秘密を探って欲しいとハーベイからブロックを託された世界各地の科学者たち…。番組スタッフの取材に対して、ボイド博士の様な後ろめたさからか…アインシュタインの脳を所有している事実さえも隠そうとする人が相次ぎました。調べていくと、その背景には、後ろめたさとは全く違うものも浮かび上がってきたのです・・・。(つづく…⑩は再び姉妹サイトへとバトンタッチです。長いなぁ・・・)

 

おっと、次回姉妹サイトブログ暗号問題ですが、忘れた頃のアトバシュ暗号でいきたいと思います。・・・って言うか、暗号の種類を言ってしまったら簡単すぎるので、姉妹サイトでは・・・そろそろ例題から推測するパターンにしていきたいとは思っているのですが・・・ で・・・

問題・・・アトバシュ暗号・・・yizrm・・・これを正しいスペルに直してお答えください。 

 

 

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アインシュタイン深掘りの巻…⑦切断され消えた“天才脳”

2018-11-5 NEW!
カテゴリ:つぶやき

 

今年、7月29日NHKで放送された「アインシュタイン消えた“天才脳”を追え」。後日、未編集素材を大幅に加えた特別編も放送されており、それも合わせて、しっかり見させて頂きました。

 

1955年76歳で亡くなったアインシュタインですが、この時、入院先の病院で病理解剖を担当したハーベイ医師が、アインシュタインの才能の秘密に迫りたいと、なんと、密かに脳を摘出…。これを知った長男は激怒しますが,アインシュタイン自身が生前,自分の遺体が科学研究に付されることに積極的な発言をし、同意していたため,最終的には研究成果を専門誌に発表するということを条件に承諾します。

 

ところがハーベイは天才脳をどのように研究したら良いのか分からず,そのまま失踪し,40年・・・。脳はいくつにも切り刻まれ、研究と論文発表を条件に更に少なくとも18人の研究者の手に分散し、長い年月が流れる中で、その多くが行方不明に…。

 

今回のこのNHKスペシャル…きっかけは、番組スタッフが、3年前に教育関係の取材をしているときに、たまたまアインシュタインの脳が密かに摘出さたのを知ったことでした。当時の記事や科学論文などを調べていくと、200以上に切断された脳の大部分が、世界各地に散逸したまま行方不明である実態が見えてきたというのです。

 

「あれだけ偉大な天才の脳が、どこにあるのかもわからない状況で良いのだろうか…」、そう思い、脳の所在を確かめるとともに、最新の科学技術で知性の秘密にどこまで迫ることができるのかチャレンジしてみたいと考え、企画されたとのこと。番組はNHKとは思えない展開で話が進められ、とても興味深く見させて頂きました。

 

調査を続ける中で、やがて、ハーベイが残した大量の資料が今も保管されている事が分かります。 交渉の末、保管場所の詳細を明かさない事などを条件に未公開資料の撮影が特別に許されます。脳の摘出後に撮られたとみられる写真。脳は更にブロック状に細かく切断されており、 その一部始終を捉えた写真は 300枚超。

 

更にハーベイは脳を切断する際にロードマップを作成していました。どのブロックがどこに位置するのか、一つ一つ番号が振られていました。脳のブロックは全部で240。ハーベイは各ブロックの一部から薄い切片を切り取りスライドを作成していました。顕微鏡を使いどこかに特徴がないか、しらみつぶしに解析を試みていたのです。

 

残念ながら、研究成果が得られた形跡はなく、2007年ハーベイは94歳でこの世を去っていきます。ところが、彼の遺品の中に脳のブロックは一つもなく全て消え去っていたのです。脳は一体どこへ行ったのか・・・。

 

アインシュタインが晩年を過ごしたプリンストン。ここで、脳の行方に関する重大な手がかりが得られます。地元の医師フレドリック・ラポア。プリンストンの英雄アインシュタインの脳が分割されて人手に渡ったと聞き、長年行方を調べてきたというのです。調査で掴んだのはハーベイが信頼を寄せ最も多くの脳を託したという人物の情報。それは、プリンストン在住のある医師でした。

 

番組スタッフは、その医師に接触を図る事にし、取材の目的をメールで伝え、連絡を待つ事にしました。5時間後、返信があり、翌日、30分間の面会が認められます。医師との面会はカメラなしでの交渉となりますが、ちゃんとした取材には応じられないという回答が改めて伝えられ「そっとしといてほしい」という本人の気持ちが強く、取材は途切れてしまいます。

 

それでも、完全に切れた訳じゃないのからと、僅かな取材の可能性を信じ、交渉は続けられる事に・・・

                           (姉妹サイトへ、つ・づ・く)。
 

 

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アインシュタイン深掘りの巻…⑤晩年とノーベル賞秘話

2018-11-1 NEW!
カテゴリ:つぶやき

 

ドイツが原爆を開発するという現実・・・。アインシュタインは、仲間の勧めでアメリカ大統領に手紙を書きました。

 

「緊急の行動が必要な状況です。きわめて強力な新型爆弾が製造される可能性があります。」

 

この手紙を機に、原爆を開発する「マンハッタン計画」が始まりましたが、1945年、アインシュタインが66歳の春には、ドイツの敗北は明らかになっていました。アインシュタインは、再びアメリカ大統領に手紙を送り、原爆開発の中止を訴えます。しかし、この訴えが届く事はなく・・・そして・・・私の故郷、広島に原爆投下・・・それを知ったアインシュタインは、ひどく落胆したそうです…。

 

戦後、アインシュタインは、科学者が先頭に立って平和を実現しようという委員会を発足。世界全体で核兵器を管理する体制が必要だと訴えます。終戦から3年、アインシュタインは、アメリカに来ていたある日本人を訪ねます。日本人で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹でした。部屋へ来るなり、手を固く握って涙を流し、「罪のない日本人を殺すことになって申しわけない。」と泣いたといいます。

 

晩年、アインシュタインは、統一理論と核管理の実現に全てを注ぎました。しかし、そのどちらも達成することなく・・・1955年4月18日、亡くなりました。・・・76歳の生涯でした。そんなアインシュタインの葬儀は、驚くほど簡素なものだったそうです。参列したのは、家族や友人など僅か12人・・・遺言によって墓は作られず、遺灰は川へ・・・。シンプルな美しさを追い求めたアインシュタインらしい最期でした。

 

若くして科学の常識を打ち破る大発見をしながら後半生は苦い経験をしたアインシュタイン・・・。そんなアインシュタインは、若者にこう残しています・・・

 

「戦争中、科学は人々に毒を盛りました。平和な時には、私たちの生活を忙しくしました。人間を機械の奴隷にしたのです。あなたが図形と方程式を解いている時、このことを決して忘れないでください。」

 

アインシュタインは、1922年のノーベル賞を取ったことは有名ですが、その理由については誤解している人が多いかもしれません。たいていの人は、「アインシュタインは相対性理論で有名なので相対性理論でノーベル賞を取った」と思っているでしょう。しかし、それは誤解です。

 

なんと、相対性理論は難しすぎて、従来の物理学を根底から変えてしまうあまりにも革新的な理論だったので、頭のかたいノーベル賞の選考委員は、評価して良いものかどうか判断できなかったのです。とはいえ、世間では「相対性理論はすごい」と評判は沸騰する一方で、ノーベル賞を出さないというのはとても不自然な状況に…。更に、アインシュタインがユダヤ人であったため、そこに民族差別の問題が複雑にからみ、選考委員はすっかり追い詰められてしまったというのです。

 

こうした窮地から脱するために、選考委員がとった苦肉の策が、安全策として光量子仮説に対してアインシュタインにノーベル賞を与えることだったと言われています。キュリー夫人のように、ノーベル物理学賞の後にノーベル化学賞を受賞するということはありますが、制度上、ノーベル物理学賞を一度でも受賞したら、同じ物理学賞を再度、受賞することはできないんだとか…。かくして選考委員は、相対性理論の評価という重責から逃げ出すことに成功した??そうですが…。

 

ところが、アインシュタインは、ノーベル賞受賞記念講演であえて「光電効果」ではなく「相対性理論」をテーマにしました。自分の嫌いな量子論でノーベル賞を取ったことが面白くなかったからなんだとか…。なんとも、こんなユニークなエピソードもあったんですね。

 

第5回まで突入したアインシュタイン【深掘り】シリーズですが、まだ終わらず、死後の世界についても書かせて頂きます。続きは、再び姉妹サイトへ・・・
 

 

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アインシュタイン深掘りの巻…③相対性理論の実証

2018-10-30 NEW!
カテゴリ:つぶやき

 

(姉妹サイトからのつづき・・・)

注目すべきは「特殊相対性理論」。

 

「もし、光と同じスピードで進めば、光が制止した状態を見られるのでは?」

 

16歳にして、そう考えたアインシュタインは、思考実験を繰り返します。そうして、たどり着いたのが、特殊相対性理論だったのです。絶対的なものと考えられていた時間や空間が、相対的であるとするものでした。

 

「自然は驚くべき成り立ちをしている。私たちの使命は、自然の中にある数学的な構造を見つけ出すことだ。」

 

1907年28歳・・・

 

「特許局の椅子に座っている時、突然ある考えが浮かんできた。それは、私の人生で最も幸福なひらめきだった。」

 

それは、「一般相対性理論」特殊相対性理論をより普遍化したものでした。その後8年をかけ・・・1915年36歳にして「一般相対性理論」を完成させます。そこで示されたのは、”質量があると空間がゆがむ”というものでした。しかも、その歪みによって光さえも曲がってしまうという従来の常識を打ち破るもの…。これまで実験や観測を重視していなかったアインシュタインも、実証されることを望みます。

 

1919年、40歳で皆既日食時に観測。一般相対性理論によれば、太陽の向こうにある星の光は、太陽の周りの空間がゆがんでいることによって本来の位置からズレて見えるというのですが・・・観測の結果は、見事に一般相対性理論の正しさを裏付けるものとなりました。そして、このニュースは、世界中を駆け回ります。

 

”人類の思想学の中で、おそらくもっとも偉大な業績だ。”

 

アインシュタインは、一躍その名を世界に知られることとなります。一般相対性理論は、ブラックホールの存在を示唆するまで、今も宇宙の神秘を解明する上で大きな役割を担っているものなのです。

 

思考実験だけで実際の実験をしなくても済んだのは、彼の空間思考力がずば抜けていたいたから。それは、後にアインシュタインの脳内を調べたときに分かったこと。アインシュタインは、こう語っていました。

 

「大切なのは知識より想像力」

 

しかし、コメンテーターとして参加されていた益川先生は、こう語られていました。

 

「様々な体験や知識があるからこそ、想像力が生まれた」

 

確かに知識や体験がない状況で、そんな事が考えられたかというなら、それは不可能だったに違いありません。…というか、普通の人は、そんな所に想像力を使う事もないのでしょうけれど…。

 

たぐいまれなる空間思考力…脳内を覗いてみたいものです。脳内・・・脳みそ・・・そう、ここで実は脱線したいところなのですが、それは、この話が一通り終わるまで我慢したいと思います。

 

相対性理論を発見したアインシュタインには、信念がありました。

 

「自然界は、単純で美しい数式で成り立つ」

 

しかし、この信念からアインシュタインは最先端の科学に異議を唱えるようになります。彼を悩ませたのは、量子力学でした。相対性理論が宇宙という広大な世界を扱うのに対し、量子力学は、分子・原子・素粒子などミクロの世界を研究するものです。

 

さてさて、続きも3回を終え4回目に突入しようとしていますが、④は、またまた姉妹サイトに移動します。ところで、姉妹サイトの前回パスワードの答えですが、カエサルの換字表は、見つけられましたか?答えはこの様になります。

 

シーザーの換字表(カエサルの換字表)で特定の文字数…今回は10文字シフトなので、AのところにKが来るように10文字ずらしていきます。そうするとAがK、CがM、IがS、SがC、TがDとなるので、dkmdsmcは、tacticsという答えとなります。分かりにくい方、表が見つけられなかった方は、次回姉妹サイトで丁寧に解説させて頂きますね。では、また・・・。
 

 

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アインシュタイン深掘りの巻…①権威への反発

2018-10-25 NEW!
カテゴリ:つぶやき

 

少し前になりますが、今年の2月1日放送のザ·プロファイラー『天才科学者の栄光と悲劇~アインシュタイン』の回、ご覧になられましたか?…と言いつつも、私自身、見たのは2回目の再放送10月2日の録画でしたが…

 

アインシュタインと言えば知らない人はいないと思いますが、その人物像について、深く知る機会はあまりありませんでした。そんな意味でも、今回のこの番組は、とても興味深く鑑賞する事が出来ました。

 

かつて、チャップリンは、ある人物にこう語りかけたそうです。

 

「私が拍手喝采を浴びるのは、私のしていることが誰にでも理解できるから。
あなたが拍手喝采を浴びるのは、あなたのしていることが誰にも理解できないから。」と。

 

チャップリンがこう語りかけたのが、今回の主役アインシュタイン。言われるまでもなく相対性理論で知られる、あの舌を出した写真が印象的な天才です。

 

昨年、2枚のメモが2億円余りで落札されたお話は、ニュースでも取り上げられていましたから、ご存知の方も多いかと思います。そのメモは、アインシュタインが東京のホテルに滞在した際、ベルボーイにチップ代わりに手渡したもので、そのうちの1枚には、こうありました・・・

 

「意思のあるところに道は開ける。」

 

20世最大の天才と呼ばれたアインシュタインは、相対性理論以外にも数多くの理論を打ち立て、現在のスマートフォン、パソコン、DVD、カーナビ・・・こうした身近な製品にも、アインシュタインの理論が応用されているそうです。

 

このように、アインシュタインが数々の理論を打ち立てることができたのは、従来の科学の『常識を疑う姿勢』にあったというのが、今回の話の始まりであり、その出発点は、権威に対する反発だったと・・・。

 

1879年、アインシュタインは、ドイツにあるユダヤ人家族の長男に生まれました。一人空想にふけるのが大好きで、”退屈な神父”と呼ばれるほど無口な少年だったそうです。分かりやすい表現ですよね。アインシュタインはこう語っています。

 

「私は言葉で考えようとはしなかった。まずは映像が浮かび、それを言葉に書き換えようとした。」

 

子供の頃、アインシュタインが熱中したのは、トランプを組み合わせて積み上げ、家を造ることでした。私なんぞがやっても5階がいいところですが、なんとアインシュタインは、14階まで作る集中力と粘り強さを持っていたと言います。科学に興味を持ちだしたのは5歳の時で、コンパス(方向磁石)の針が常に一定の方角をさすことに衝撃を受けてからだそうです。5歳ですかぁ・・・。5歳ですよ。

 

「物事の背後には、深く隠された何かがある。」

 

1885年、アインシュタインはユダヤ人でありながら、家が近かったからということでカトリックの小学校に入ることになります。しかし、ユダヤ人はたった一人。当然の様に「いじめ」にもあい、孤立していきます。

 

「自分がアウトサイダー(部外者)だと自覚するには、十分なものだった。」

 

アウトサイダーだと自覚したアインシュタインは、その後、自分の研究を進める時にも他のグループに参加したり、他の人がするようなことをしたりせず、人と距離を置くようになりました。それでも成績は良く、12歳の頃には独学で幾何学や代数学を学ぶほどに。12歳ですよ。しかも、独学って・・・マジですかぁ・・・。この時期、科学の本に熱中したことがその後の彼に大きな影響を与えていきます。

 

「科学の本を読むうちに、聖書の話の大半は真実ではないと確信した。この経験から、あらゆる権威に対し、疑いの目を向けるようになった。」

 

なるほど、それが権威に対する反発の始まりでもあった訳ですね・・・(***つづく***)

 

さて、今回も、姉妹サイトと2度目の連続ものという展開で書かせていただきます。ただ、姉妹サイトの方は、時々暗号解読のパスをかけており、そのパスを解く問題が、その前の回のブログに出題されていますので、同じ問題を、こちらにも書かせていただきますね。

 

今回はシーザー(カエサル)の換字式暗号を扱っています。ちなみにこの換字式暗号は、アルファベットの順番をずらして、文字をお置き換えていく方法で、シーザーの換字表(或いは、カエサルの換字表)と呼ばれるものです。ヒント付きですので、ネットで換字表さえ見つければ、簡単に解けると思います。

 

ということで、問題は、こうです。お馴染みシーザーの換字表(カエサルの換字表)から10文字シフトで・・・

 

【dkmdsmc】  を正しい文字に戻してお答えください。
 

 

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革新者になる秘訣は、常識を壊すこと。

2018-10-22 NEW!
カテゴリ:つぶやき

 

9月27日放送のカンブリア宮殿『フランスパンの伝道師 日本の食卓に起こした革命と新挑戦!』の回、ご覧になられましたか?

 

全国に約30店舗を展開しているフランスパンの専門店「メゾンカイザー」。本場フランスの伝統的な製法で焼き上げたパンが人気なんだとか。お客さんの目当ては「バゲット」。お店の名前は何度か聞いたことがありますが、パリッとした皮は厚めで香ばしく、中はもっちりだそうで、熱烈なファンが画面には映し出されていました。

 

食感の秘密は、酵母菌や乳酸菌など3,000種類の菌を培養して作る「天然酵母」。一般的に使われるイースト菌ではなく、天然酵母を使うことで風味や食感が良くなると言うことは、パン好きな人なら誰でも知っている事ですし、旨味が天と地ほども違うものですよね。我が家でも、毎週末は予め注文しておいた天然酵母で作られた食パンを頂いております。おっと、脱線してしまいましたねぇ…。

 

メゾンカイザーのパンは、店舗だけでなくフォーシーズンズなどのラグジュアリーホテルや、あの有名なフレンチの三國シェフがオーナーの「オテル・ドゥ・ミクニ」など、名だたる有名店が採用しているそうです。カイザーさんのバゲットは食べた事がないので、一度は食べてみたいものです。

 

このフランスパン専門店を率いるのは、ブーランジェリーエリックカイザージャポンの社長、木村周一郎氏。なんとこの方、実は、日本で初めてあんぱんを考案したことで知られる「木村屋」の長男として生まれ、幼い頃から「あなたはパン屋さんになる」と育てられたのだそうです。大学卒業後は生命保険会社に入社。営業部門で業績を上げていましたが、7年目が近づいた頃「そろそろパン業界に入らないか」と父から言われ、パン職人の道に入ることを決意されたんだとか。

 

ところが、木村屋は継がず、「50年に一度の天才パン職人」とも言われるフランスのエリックカイザー氏のお店で修業を積んでいきます。早朝から日が暮れるまで働き、店を出る頃には、まつげの先まで粉で真っ白だったそうです。1年が過ぎた頃、木村さんの働きぶりを認めたカイザー氏が、日本進出を任せると決めたのです。フランスで修業を重ね「フランスパンの伝道師」として日本で独自の地位を築きあげていく生き方…格好良いですよねぇ。

 

余談になりますが、一方、本家の方は、つい最近?? お家騒動があったようで、現社長の木村美貴子さんが父親を追い出したという噂もあったりと、複雑な気持ちもあったりしますが…。…もとい…。

 

木村さんは帰国すると高輪にフランスパン専門店「メゾンカイザー」をオープン。しかし当時、日本はメロンパンなどの「菓子パン」が全盛期。業界関係者の間では「絶対、失敗する」と囁かれ、【バカ息子】とまで言われたそうです。その通り、オープン当時は看板商品のバゲットが1日14本しか売れず、殆ど廃棄する毎日だったんだとか…。勿体ない話です。

 

そこで木村さんは「売れないなら、売りに行けばいい」と生命保険の営業時代の経験が活かされていきます。パンを焼いては、近くの交差点で無料で配り続けたそうです。「どうせ残ったら、廃棄することになるのだから・・・」と。すると、それから半年後のクリスマスイブに奇跡が起きます。

 

なんと店の前に行列が出来ていたのです。「特別な日に、特別なものを食べたい」とこれまで、試食したお客さんが買いに来てくれたのです。木村さんの試食作戦が見事に客の心を掴んでいたのです。木村さんは、村上さんに『革新者になるための秘訣は?』と尋ねられると、こう答えられていました。『決まりきっていたことを壊すほどの力・常識を壊すこと』と。

 

9月にオープンした商業施設「渋谷ストリーム」では、フランスパンをベースにしたあんぱんも売り始めたんだとか…。また、新たなステージに踏み込んでいく木村さんのパン。是非、食べてみたいものです・・・。
 

 

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トップセールスマンが【世阿弥】を軸にしていたとは・・・

2018-10-18 NEW!
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10月1日放送のInnovative Tomorrow シーズン5、第1回のジャパネットたかた創業者でもある髙田明さんの回、ご覧になられましたか?毎週月曜日24:00~24:30にBS日テレで放送されている目立たない番組ではありますが、豪華ゲストが登場して、毎回楽しみな番組の一つとなっています。

 

髙田明さんについては、今年の5月29日の【出来ると信じたら8割のことは可能】というタイトルの回でも書かせて頂きましたので、またかと思われるかも知れませんが、今回は、高田さんが再三口にしていた『世阿弥』を中心に触れたいと思います。

 

・・・伝え方が書いてあると話し出すと…
【序破急】➡導入し展開し結論を導く
【1調2機3声】➡調子を整え、タイミングを図り、息をとめて声を出す
・・・と、テレビショッピングで役立っていた『間』が売り上げに結びつくと話していきます。

 

『伝える力を高めるヒント』がある・・・と口にすると、またまた・・・
【我見】と【離見】➡「自分の一方的な視点」と「相手の立場に心を置いた視点」
人を感じる心(離見)で接する事の大切さについても話されていました。世阿弥??

 

いつもの【思考のコア…自分への問い】に対しては・・・
『今という瞬間を一生懸命生きているのか?』と話し、「失敗には二種類ある・・・
「やらないことで得られる失敗」と「一生懸命やらなかったことで得られてしまう失敗」
この2つをしないように心がけているんだとか

 

・・・で、こうした番組で【世阿弥】を引用されるのは初めてのことだったので調べてみました。

 

世阿弥が残した著作の中でも、特に有名なものが「風姿花伝」というものらしいのですが、演劇や芸術についての考えが述べられたもの・・・とは言え、どうやら『世阿弥』の言葉の深さはそれだけではないようです。

 

劇団のオーナー兼プロデューサーでもあった世阿弥は、劇団の存続の為に「どうしたら良いのか?」を考え抜き、役者の修行方法から始まり、いかにライバル劇団に勝ち、観客の興味を惹くにはどうすべきかなど、後継者に託す具体的なアドバイスを記していったのです。いわば、芸術のための芸術論というよりは、生存競争の厳しい芸能社会を勝ち抜くための戦術書ともいえるもの。

 

世阿弥は、観客との関係、人気との関係、組織との関係など、すべては「関係的」であり、変化してやまないものと考え、その中でどのように己の芸を全うするか、ということを中心に説いています。ビジネスパーソン…特に、営業には役に立つ物のようですね。読みやすく解説された本も多く出版されているようですから、まずは「風姿花伝」…読んでみたいですね。そうそう、ついでなので世阿弥の珠玉のことばの中から、代表的なものをひとつ。

 

【初心忘るべからず】

 

・・・これも世阿弥だったんですねぇ・・・
 

 

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【六花亭】の美味しいお菓子の裏側に、深く豊かな愛情を見た

2018-10-11 NEW!
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10月4日放送のカンブリア宮殿『熱狂ファンを生み続ける "六花亭"震災に負けない!驚きサバイバル術の全貌』の回、ご覧になられましたか?

 

百貨店等で、大人気のイベントと言えば・・・「北海道物産展」。私も、そんな広告を見てしまうと、何が欲しいという訳でもなく、ワクワクして見て回りたくなってしまいます。今回の主役は、そんな物産展の中でも、特に人気を集めているという…土産菓子で全国に熱狂的なファンを抱える「六花亭」さん。

 

1日に20万個を作る「マルセイバターサンド」や、イチゴを丸ごとチョコで包み込んだ「ストロベリーチョコ」など数多くのヒット商品を持つ、人気のお菓子メーカーで、“機械だけに頼らず、味や食感の特徴を出す「ここ」という部分は、職人の手作業で菓子を作っているのです。しかも六花亭には「北海道以外には店を作らない」「売り上げや規模の拡大を目指さない」という、独自すぎるポリシーもありました。

 

代表の小田さんが六花亭に入社したのは1972年。当時、若者を中心に北海道旅行が流行し、小田さんの父が開発した日本初のホワイトチョコが全国的にヒットしていました。1977年には屋号を「六花亭」に変更し、札幌に進出。屋号変更の記念として発売したのが「マルセイバターサンド」で、売り上げ100億円を目指し、商圏を拡大させていったのだそうです。

 

そんな六花亭に東京進出の誘いが入りましたが、小田さんは、東京には進出しないことを決断しました。【デキモノと食べ物屋は大きくなれば潰れる】という父親の言葉があたまに浮かび、【目が行き届かなくなるから】と、「売り上げや規模」を追求するのではなく「従業員の質を維持する」ことで、企業を永続させるという、独自の経営を突き進めていくのです。

 

毎日発行される社内新聞『六輪』…社員の生の声が聞こえ、相手が見えてくる。その中には改善提案等も含まれ、従業員自身にも、他の社員の頑張りが見えるとモチベーションが上がる。働き方改革も、とっくの昔に実現。残業はゼロ。有給休暇は、29年連続で百パーセントが消化されています。従業員6人以上が参加する旅行であれば、社員旅行制度が適用されて、経費の7割りを会社が負担(年間20万円まで)。ある社員は『一生懸命働いて、一生懸命遊んで、遊んできたから、また頑張ろう』と思えると笑顔で話されていました。

 

頑張った人を讃える報奨制度。今月の顔…受賞者の為に開かれる宴は、社長を含める役員自らも接待し、更に最後には20万円の特別ボーナスも…。月間賞の中から選ばれた最優秀者には、カナダ旅行と100万円。「マッチングギフト」という制度では、会社と社員が寄付を積み立て、返さなくてもよい月六万円までの奨学金までありました。ごろすけ保育園という自社の保育園を設け、エルダー制度という65歳以上になっても働ける制度まで用意されています。やる気を引き出す制度や働く環境を整え、従業員の質を上げていく…それが企業の永続性に繋がると考えているそうです。

 

小田さんは、「850や1300人くらいなら顔も名前も覚えられる」と話し、「大家族なんだから、一人も脱落しないように全員の力を引き出すのがトップの仕事」と話されていました。十数名しかいないのに社員の名前を間違える社長もいる世の中、「これぞ社長!!」と拍手喝さいを贈りたいところです。

 

『あなたの今日の仕事は たった一人でよい。この店に買いにきてよかった 満足してくださるお客様を 作ることです。六花亭があるおかげで お客様一人一人が 人生は楽しいと 喜んでくださることです』そんな言葉が社内に貼りだされている【六花亭】さん。『売上ではなくて客数が大切、信頼の証が大事』と話す小田さんは、工場の壁に刻まれたプレートへとカメラを案内していきます。そこには、これまで会社に勤めてくれて来た『従業員の名前が刻まれたプレート』が壁一面に埋め込まれていたのです。熱いものがこみ上げてくるではないですか。

 

従業員の質を維持することで、企業を永続させようとする小田さんは、まだまだ、重視されているものがありました。それは、時間を取り入れた経営。例えば、北海道の中札内村には六花亭が直接運営する美術館。この美術館…大正2年から銭湯として利用されていた建物を移築したものだとか。ツタに覆われた築75年の建物は、誰もが利用できる図書館へ。小田さんは、こうした歴史的に価値のある建物を地域に残すことで、その景観を地域の財産として後世に残そうと考えていたのです。

 

「マーケットに限界がある産業だからこそ、成長を追うのではなく、いかに企業として深耕していくか」を考えなければいけないと語る小田さんは、今年9月の巨大地震、大規模停電があった当日も…震災の影響で工場がストップし、商品の各店舗への供給もままならない状態だったにもかかわらず、当日から営業することで、地元の人達に安心感を与えようとされていました。地元の人達に愛され、街と共に生き残っていく会社でありたい。そんな思いは、六花の森という自然公園、なんと東京ドーム2個分の施設まで作ってしまうほど。地元の人が誇りに思える会社になれるよう、小田社長流の社会貢献だったのです。

 

『企業の永続性に繋がるかどうか、あってもなくても良いことはやらない」『永続性』とは、『追いつかれないこと』。ライバルや同業者に、時間をかけないとできないことを蓄えておけば、その蓄えが追いつかれない…猶予期間…余裕を生み出すと話す小田さん。お菓子だけではなく、社内制度や地域の環境整備だとか、全体が1つとなって企業を作り上げていたのです。『売上や規模の拡大は追わない。売上目標も販売目標もない。東京への進出もせず…それなのに売上は200億』・・・納得できる事実。当然得られる結果と思えたのでした。

 

いつもの村上龍の編集後記には、こう書かれていました。
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「六花亭」のお菓子は非常に有名だが、物産展以外では都内のデパ地下で買えない。マルセイバターサンドは発売から40年以上、流行には追随しないという考え方だが、商品は洗練されている。売り上げは追わないらしいが、長期的には業績は上がっている。小田さんご自身も、取り上げるべき話題が多く、印象深く、型にはまらない人だった。だが、スタジオで最後に「孤独感がありますか」と聞いたとき「あります」という答えが返ってきて、素顔を見た気がした。経営者は孤独に耐えて決定を下す。それ以外に、経営は、存在しない。
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これまでも素晴らしい会社を見聞きしてきましたが、あらゆる面で理想の会社…驚きの会社でした。長くなってしまいましたが、番組を見ていく中で、作られていく【六花亭】の美味しいお菓子の裏側に、深く豊かな愛情を感じたのでありました。
 

 

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