昨日の事ですが、朝、寝ぼけていたのか、携帯を置いたまま出勤してしまいました。
仕事を終えて帰宅するまで、自宅に在るものと思い込んでいたのですが…。
『いやぁ、携帯を忘れてしまって大変だったよぉ』と帰宅すると、
『どこに置いたの?』と家内が…
『えっ?家にないの?・・・』 そこからは出勤途中に落としたんじゃないかと大騒ぎ
大切な情報が山ほど入っていて、ある意味、お財布よりも貴重なものかもと・・・
( 財布は、大してお金入ってないし・・・(T T;) )
まずはソフトバンクに電話してみると位置情報から700メートルの範囲内と教えられて
懐中電灯を持って通勤経路を探しに・・・
しばらくすると、大学生の娘が走ってきて、こんなアプリの存在を教えてくれたのです…
Find iPhoneというアプリで、起動させてApple IDとパスワードを入れると、
地図上でポイントを教えてくれるんですよね。それで調べると何と家のすぐ近くに
あるという事が地図上で確認できたものだから、これで見つかると大喜び。
それで懐中電灯を持ってポイント周辺に向かったのですが、ポイントに近づいても
見つけられずにいたので、御近所の人が家に持ち込んだかと、またしても・・・。
って言うか、ポイント表示も、やはり誤差が在って、ピッタリの位置は示せないん
ですよね。すると・・・
また娘がやってきて、『音を鳴らしてみよう!!』と、新たなる追加機能を教えてくれて、
さっきのアプリに、いくつか機能があって、失くした携帯から音を出させる事も
出来るんですよね。マナーモードにしているから無理かと思ったけれど・・・
いざ、鳴らしてみると、間もなく家から出てきた家内が、『父さん、家に…』と…。
なんと、帰宅してみると、押入れから畳まれた布団が放出され、布団の中から
出てきた私の携帯。
思えば、目覚ましとて使っているもので、そのまま、うっかり枕元に置いて
いってしまって、家内も気付かずに、巻き込んで押入れに畳んでしまったようで…。
『私の代わりに、布団で寝ていたんだね~~』…か。
眠かったもんなぁ・・・毎朝だけれど・・・
今日はぷよの日・・・なめた記念日で、御存知ない方は、???って感じの記念日です。
分かる人は、ぷよぷよ?って思いますよね。2・4がぷ・よと読めるため、この日に
定められているのですが、セガが日本記念日協会から認定された記念日・・・
そう、あのテトリスと双璧をなしている落ちゲー【ぷよぷよ】のことです。
こんな『ぷよ』と呼ばれるスライムをくっけていく奴ですが・・・
1991年10月25日に発売されてから、25年目に入るというのに、根強い人気。
なかなか頭を使うゲームで、2個セットで上から落ちてくるのですが、それが
同じ色同士くっついて、4つ以上くっつくと消えてなくなり、積み重ねるときに
下にぷよが居ないとちぎれて落ちるようになっているのです。
私も、ボケ防止に時々大学生の子供たちとやるのですが、最近はさっぱり
勝てなくなっています・・・。説明を聞いてもなんなので、こんな神業連鎖でも…
やっていないと、この凄さが分からないと思いますが、これをやってのける人の
IQがどんなものなのか、聞いてみたいものです・・・
今日は大岡越前の日だそうな…? 何でそうなんかは、分かりませんが、
1752年2月3日に亡くなられたからだと思うのですが、だから記念日にして
どうすんの?って感じです。ただし、本当の名前は大岡 忠相というそうな。
御存知の通り、8代将軍・徳川吉宗が進めた享保の改革を町奉行として支え、
江戸の市中行政に携わったほか、評定所一座に加わり、関東地方御用掛や
寺社奉行を務めていました。越前守だったことと『大岡政談』や時代劇での
名奉行としてのイメージを通じて、現代では大岡越前として知られるようになりました。
が、しかし、実際の史学的検証では、数ある物語のうち越前(忠相)が
町奉行時代に実際に裁いたのは享保12年(1727年)の「白子屋お熊事件」のみ
であることが指摘されているとか…。
まあ、そんな事は良しとして、いつの時代にも納得の行かない悪人がいる訳で、
芸能界や政治家にも、とんでもない輩がいるもので、できればそんな時にでも、
大岡越前の様なお奉行さまが登場して始末してくれたらと…?
あっ、始末は遠山の金さんや暴れん坊将軍のお仕事でしたかね・・・。実在しない
金さんなんぞは、そうとうイケてましたよねぇ。良くないと分かっていても、
所詮庶民にはどうする事も出来ないことが、また多い世の中になってきている
…のでしょうかねぇ。東京地検特捜部…どこまでやれるのでしょうか…
今日は、交番設置記念日です。1881(明治14)年、1つの警察署の管内に
7つの交番を設置することが定められました。町の中に交番の建物を置き、
そこを中心に制服の警察官が活動するという交番の制度です。
その始まりは、1874(明治7)年で、東京警視庁が設置した「交番所」が
世界初のものでした。当初は、建物はなく、街中の交差点等に警察署から
警察官が出向いていましたが、1881年より常設の建物を建てて警官が
常駐する現在のような制度になりました。
1888(明治21)年10月から全国で「派出所」「駐在所」という名称が使われ
ましたが、「交番」という呼び名が定着し、国際的にも通用する言葉になって
いったことから、1994(平成6)年 11月1日に「交番」を正式名称とすること
になりました。
かつて、国連に市内の一画を「世界一危険な地区」と認定されるほど深刻な
治安問題を抱えていたブラジルのサンパウロで、日本の交番をモデルとした
KOBANの導入が進んでいます。欧米にも同じような制度があるにもかかわらず、
なぜサンパウロ州警察で日本の地域警察制度がモデルに選ばれたのでしょうか。
日本の交番が、犯罪を抑止・予防する上で大きな役割を果たしているだけでなく、
住民とコミュニケーションを図り、住民と連携して地域の安全を守るなど、地域に
根差して活動していることが大きな理由だったそうです。サンパウロにも日本の
交番に近い警察官の駐在所は存在していたのですが、地域住民とのコミュニ
ケーションはほとんどありませんでした。
地域警察制度を導入するためには、まずは、どのように住民とコミュニケーションを
とっていくか、またどのように地域に根差した警察官を育てていくかを学ぶ
必要がありました。欧米諸国の制度と比較しても、日本の地域警察制度は
経験も豊富で、ブラジルの文化と社会に最も適していると判断し、日本に
支援を依頼したそうです。
地域に根差した警察官…そう言えば、日本のアニメや映画の中にも、
気の良い警察官がよく登場してきますよね。話しやすく、困っている人に対して
真摯に対応してくれる優しくて頼れるお巡りさん。子供の頃、近くの水場で
捕獲した大量の蛙達を、お巡りさんに預かってもらった思い出もあります。
優しく話しかけてくれるお巡りさんでしたか、そんな話しやすいものを
感じさせることも努力の積み重ねだったのかもしれませんね。言われて
みればの気付き体験なのでした。やっぱり交番って凄いですね。
人口調査記念日という日が先週の金曜日にありました。
1872(明治5)年に日本初の全国戸籍調査が行われたそうです。
当時の人口は男1679万6158人、女1631万4667人で合計3311万825人。
そして今は…人口推計、昨年8月確定値、今年1月20日公表)
【平成28年1月1日現在(概算値)】
<総人口> 1億2682万人で,前年同月に比べ減少
▲19万人 (▲0.15%)
【平成27年8月1日現在(確定値)】
<総人口> 1億2694万2千人で,前年同月に比べ減少
▲18万人 (▲0.14%)
・0~14歳人口は 1613万3千人で,前年同月に比べ減少
▲14万3千人 (▲0.88%)
・15~64歳人口は 7708万6千人で,前年同月に比べ減少
▲94万9千人 (▲1.22%)
・65歳以上人口は 3372万3千人で,前年同月に比べ増加
91万2千人 ( 2.78%)
<日本人人口> 1億2525万9千人で,前年同月に比べ減少
▲26万9千人 (▲0.21%)
65歳以上の高齢者数は増大し、総人口は減少。こんな状態で、このまま、
人口減少が続いてしまう可能性が高いとか…。
そう言えば、20代と30代の男女2643人を対象にした調査で3割以上が
結婚に興味なしとこたえているそうな…。「1950年の男性の生涯未婚率は
1.5%でしたが、2010年の国立社会保障・人口問題研究所の調査では
20.14%。とりわけ非正規社員など収入の低い男性の未婚化が
進んでいるようで、低収入に苦しむ男性たちにとって、結婚はもはや
富裕層にだけ許されたものになってしまった???・・・。
「65歳以上の人口が7%を超えると高齢化社会と言われますが、日本は
現在25%台で世界でもダントツのトップ。このままいくと2050年には39%
になり、15歳以下の子供の人口(全体の約1割)を合わせると、人口の
半分の現役世代が残りの半分の社会保障費を負担することになるそうです。
ちなみに高度成長期の1965年時には約7割の現役世代が残りの約3割を
養っていたということですから、これと比べると状況の深刻さがよくわかります。
年金の心配もさることながら、日本創成会議の試算では団塊世代が75歳以上の
後期高齢者になる2025年には全国で43万人が必要な介護を受けられない
介護難民になってしまうそうな…。
そんな御時世だって言うのに、相変わらず裏金手にして喜んでいる政治家・・・
途方もないお金をつぎ込んで無駄な施設を作り続ける人達はなんなのやら・・・
1993年の1月27日 曙が外国人力士として初めて横綱に昇進。意外に
最近という印象ですが、その前にいた高見山という力士は、確かに横綱にまでは
昇れなかったんですよね。高見山さんは、初土俵から3年後の1967年(昭和42年)
3月場所で新十両に昇進し、初の外国出身外国籍の関取となった人気者の
力士さんでした。翌1968年(昭和43年)の1月場所で新入幕を果たして史上初の
外国出身外国籍の幕内力士となり、布団の宣伝なんかにも抜擢されていました。
そう言えば、つい先日、大相撲初場所 千秋楽の24日、大関の琴奨菊が
14勝1敗で初優勝を果たしました。日本出身力士の優勝は、2006年初場所の
大関栃東以来、ちょうど10年ぶりとのこと。新入幕から66場所での優勝は、
86場所だった旭天鵬に次ぐ歴代2位の記録だったそうです。
この10年は朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜のモンゴル出身力士やブルガリア
出身の琴欧洲ら外国勢が優勝を占めてきましたが、ようやく日本出身力士が
優勝を果たしたと報道されていましたね。
幕の内ランキングに上がった42人のうち3分の1を超える15人が外国出身という
昨今、「彼らの存在なしに「国技」として相撲が成立することはできない」。
そんな風に言われたりもしますが、確かにその通りです。どの分野のスポーツも
そうですが、今は日本国籍まで取得してくださる外国人の方も多く、
心は日本人以上に日本人らしかったりもして、ありがたい限りです。
今日は国旗制定記念日です。昔、内閣府所管だった国旗協会が制定。
今は、一般社団法人国旗協会として、国を象徴する国旗の正しい理解と普及を
目的に掲げている法人だそうです。
1870(明治3)年、太政官布告第57号の「商船規則」で、国旗のデザインや規格が
定められました。それまでは、船によってまちまちのデザインの旗を使っていたそうです。
当時の規格は、縦横の比率は7:10で、日の丸が旗の中心から旗ざお側に横の長さの
100分の1ずれた位置とされていましたが、現在は、1999年8月13日に公布・施行された
「国旗国歌法」により、縦横の比率は2:3、日の丸の直径は縦の長さの5分の3、
日の丸は旗の中心の位置となっています。
これだけ長い期間慣れ親しんできた国旗ですが、未だにデザインのシンプル過ぎる様に、
残念に思うことがしばしば。もう一工夫欲しかったと思うのは私だけでしょうか…。
このシンプルすぎる日本の国旗を見ていると、直ぐに頭に浮かんでくるのが日の丸弁当。
言うまでもなく日本を代表する?弁当の一つです。弁当箱に詰めた飯の中央に副食として
梅干し1個だけを乗せたもので、日本の国旗(日の丸)のデザインに似ていることが
名の由来。特に戦時中、興亜奉公日(毎月1日)の食事に奨励されたことで知られており、
戦時中の代表的な食べ物の一つとも考えられています。戦争や貧しさの象徴・・・
どうしても嫌なイメージと重なってしまうんですよねぇ…。
この絵柄・・・幕の内弁当やおせち料理とは程遠い・・・
2001年1月26日の19時すぎにJR東日本 山手線新大久保駅で発生した
人身障害事故。泥酔した男性がプラットホームから線路に転落。その男性を
救助しようとして線路に飛び降りた日本人のカメラマンと韓国人留学生が、
進入してきた電車にはねられ、3人とも死亡した事故のこと。
もう27年も前の事なのに、未だに記憶に残っている悲しい出来事・・・。人命
救助のために自らの命を投げ出したこの件は、美談として日韓両国で大きく
報道されるとともに、事故の犠牲者を追悼・顕彰するプレートが新大久保駅の
ホームと改札の間の階段に設置されました。
救出を試みた2人の遺族には当時の森内閣総理大臣より書状が贈られ、
警察庁からは警察協力章が授与されましたが、カメラマンと暮らしていた
母親は国や市からの表彰について、本当はそっとしておいてほしい、
美談であっても息子が死んだ事には変わりがない、と嘆き、事故から数年後に
孤独死されたそうです。
最初に転落した男性が駅構内の売店で購入した酒を飲んでいたことが判明し、
JR東日本は通勤圏の一部駅構内での酒類の販売を一時取り止めました。
どうせなら、ずっと止めてしまったって良かったぐらいです。泥酔した人の為に
命を亡くしたなんて、本当に悔やんでも悔やみ切れない…悲しい事故でした…
あれから随分と時間が経っているというのに、今も尚泥酔者がホームから
落下したり、携帯を見ながら落下してしまったり…しっかりしろ!! と怒鳴りたい
気持ちです…。駅のホームには少しずつ落下防止の防護壁が設置されてきて
いますが、それは足元のおぼつかない不自由な人のためであって、マナーの
ない人たちのためだとは思いたくないですよね・・・
今日1月25日は、年に3回ある主婦休みの日の最初の日です。
生活情報紙『リビング新聞』が2009年に制定したのですが…。
日頃家事を主に担当している主婦がリフレッシュをする日との
事ですが、日頃から家事を旦那に押し付けてサボリーマンを
している主婦も、休むんですかねぇ…。
・・・というか、そんな日頃から休んでいる人に限って休み、
休まず働いている人ほど、気がかりで、ついつい仕事をして
しまうものですよね。休むためには、しっかりと代行できる人が
不可欠です。
読者のアンケートにより1月25日・5月25日・9月25日を
「主婦休みの日」としたようですが、併せて休めるような
システムも欲しいものですかねぇ。
ちなみに、私も炊事、洗濯、お掃除と、それなりにお手伝い
している方だと思っておますが、奥様からすれば、まだまだ
のようです。朝から会社で仕事をして帰ったからと言って、
特別扱いはないようです。なかなか厳しい現実ですよ。
うーん、夢のある若者よ、頑張ってくんなはれなぁ…(T . T)
何を頑張れば・・・(? ?;)
今日はカレーの日です。実は弊社の社長は大のカレー好き?なので、機会があれば、
是非、カレー問答でもお願いします。多分、本社のある地元神保町のカレー屋さんは
殆ど食べ尽くしているのではと…。
さて、今日の記念日の謂れですが、1982(昭和57)年、全国学校栄養士協議会で
1月22日の給食のメニューをカレーにすることが決められ、全国の小中学校で一斉に
カレー給食が出された事を記念しての記念日だとか。カレーの嫌いな子には真っ青に
なるイベントですねぇ。
でも、カレーに含まれるスパイスの1つターメリックには、有効成分にクルクミンが
含まれており、その効能として抗腫瘍作用や抗酸化作用、抗アミロイド作用、抗
炎症作用などが知られています。
カレーは、多種類の香辛料を併用して食材を味付けするというインド料理の特徴的な
調理法を用いた料理に対し、欧米人が名付けた呼称とか。転じて、それを元にした
ヨーロッパ系の料理や、同様に多種の香辛料を併用して味付けされる東南アジア
などの料理も指すそうです。
で、お馴染みのカレーライスとは、カレーを米飯に掛けて食べる料理ですが、
インド料理を元にイギリスで生まれ、日本で発展した料理とも言えます。インドの
カレーよりとろみが強くなっているのは、イギリス海軍のメニューに採用されたとき、
船の揺れに対応するためだったという説や、ソースを重視するフランス料理の
手法を取り入れたからという説があります。
日本でのカレーの進化はすばらしく、1926年に大阪ハウス食品が、「インスタント・
カレールウ」を「ホームカレー粉」の商品名で初めて発売すると、1945年11月、
オリエンタルが、事前に炒めた小麦粉とカレー粉を混ぜた粉末状のオリエンタル
即席カレーを完成。1954年更にエスビー食品が固形製品を発売すると、翌年
昭和30年代からは、テレビによるCMを主とした各製造販売会社の販売合戦が起こり、
「即席カレー」の生産と消費が急増しました。そんな中、1960年江崎グリコが
板チョコの生産技術を生かして、ブロックごとに割って量を加減できるワンタッチ
カレーを発売。現在の日本の「インスタント・カレールウ」の定番が誕生したのだ
そうです。誰でも簡単にカレーが作れて良いですよね。
私はジャガイモやニンジンがゴロゴロと入っているタイプはあまり好みませんが、
ジャガイモが溶けるくらい煮込んだトロトロの物はなかなか好みであります。
あぁ、なんか、こういう話をしていると食べたくなってしまいますよねぇf(^ ^;)