大相撲で31回の優勝を果たし、相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞した元横綱・
千代の富士の九重親方が、7月31日午後4時頃、すい臓がんのため東京都内の
病院で亡くなりました。61歳という、まだまだ平均寿命からは程遠い若さでした。
1975年9月場所で昭和30年代生まれの力士として、第一号の新入幕を果たし
二日目には幕内初白星を元大関大受から挙げますが、相撲の粗さが元で5勝10敗と
負け越し。その後幕下まで陥落。人並み以上の奮起で帰り十両を果たしますが、
以前から課題だった先天的に両肩の関節の噛み合わせが浅いという骨の形状から
来る肩(左肩)の脱臼が顕在化します。
取り口も力任せの強引な投げ技を得意としていたために左肩へますます負担が
かかり、度重なる脱臼に悩まされました。このため、2年間を十両で過ごすこと
になりますが、元NHKアナウンサーの向坂松彦はこの頃から「ウルフと言われる
鋭い目はいつの日か土俵の天下を取るものと見ている」と話されていたそうです。
1981年1月場所は快進撃で、若乃花を真っ向勝負で寄り倒すなど初日から14連勝を
記録。そして迎えた千秋楽、1敗で追いかけた北の湖との直接対決を迎えました。
本割では吊り出しで敗れて全勝優勝こそ逃すものの、優勝決定戦では、あの北の湖を
右からの上手出し投げで下し、14勝1敗で幕内初優勝を果たしました。
場所後に千代の富士の大関昇進が決定しましたが、千秋楽の大相撲中継視聴率は
52.2%、千代の富士の優勝が決まった瞬間の最高視聴率は65.3%に達し、現在でも
大相撲中継の最高記録となっているそうです。
新大関で迎えた3月場所は11勝4敗、5月場所は13勝2敗と連続して千秋楽まで
優勝争いに残り、横綱昇進が懸かった7月場所には千秋楽で北の湖を破って
14勝1敗の成績で2度目の優勝を果たして横綱を掴みました。非常に劇的な瞬間に、
千秋楽審判委員として土俵下に控えていた当時の九重親方(北の富士)は勝負が
決まった瞬間手で涙を拭ったそうです。
横綱推挙の際「2代目・千代の山」の襲名を打診されたましが、これを「横綱2人分
(千代の山+北の富士=『千代の富士』)のいまの四股名の方が強そうだから」
と固辞しました。千代の富士の大関・横綱昇進伝達式の際には、北の富士と、
北の富士からの配慮で先代九重親方の未亡人が同席していました。
千代の富士の引退相撲・断髪式は1992年1月場所後に行われましたが、
「気力・体力の限界」と話された緊急記者会見で現役引退を表明された時は、
本当に涙無くしては見られないものでした。何度となく怪我に見舞われながらも、
ウルフらしい豪快な相撲で楽しませてくれた「小さな大横綱」は、歴史に名を
刻み体中を傷だらけにして相撲人生を終えました。
ウルフと呼ばれた大横綱、私も大ファンでした。
もう、千代の富士の様な横綱は誕生しないだろうと思っています。
遅くなりましたが、 在りし日のお姿を偲び、心からご冥福をお祈り申し上げます。