Innovative TomorrowというBS日テレで放送されている番組をご存知でしょうか?毎回、非常に優秀な人が招かれ、良いお話を聞くことができる楽しみな番組の一つですが、5月28日に登場したのが株式会社オールアバウトグループの代表、江幡哲也さん。オールアバウトは、Web情報の分野に信頼性を導入し、広く深くをテーマにした総合情報サイトだそうで、なんと1301分野をカバーしているとの事。正直、私は知りませんでした…。
「一生に何度もないようなことは、経験も、情報も少ないから情報か必要になる」ところがネットで情報を集めようとしても、フェイクも多く専門家による信頼のおける情報がなかなか見つけられない。そんな問題点を解消しようとしているのがオールアバウトなんだとか。オールアバウトでは専門家のことをガイドというそうですが、専門性を極める為に会社を8社に分社し、分けることによって小さくなった組織は、スピードを増しパワーが出やすくなるんだとか。
勿論、専門家が増えやすい環境が整い社長も増えます。ナンバー2は、役割を持って、そこを突き詰めていきますが、社長は、360度気をつかわなければ、ならないので、人材育成にも繋がります。問題なのは、放っておくと遠心力をおこし勝手な事をやりだすということ。「遠心力と求心力」というキーワードが大切になって来て「実現したい目標、ビジョンは一つでなければならない」と言います。
【個人を豊かに、社会を元気に】それが代表の江幡さんの目指すところのようですが、情報で世直しをしたいとも話されていました。
番組ではいつも「思考のコア・自分への問い」について尋ねられますが、江幡さんの問いはこうでした。
『動機は善か?』それが力の源になる。善とは皆がおかしいと思うことを、正すこと。すると、MCのパックンが英語で答えました。
【Do well by doing good.】良い行いをして成功する…そんな格言があるとの事。心したいですね。
毎回、本当に、とても良い話が聞けますので、見た事のない方は、是非一度ご覧になってください。
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『つらい記憶』
記憶が、完全ではないから
今も、こうして居られる
それでも、何かがきっかけで
鮮明に蘇ることもある
忘れた訳ではない
忘れられるほど、軽い出来事ではなかった
でも、前に向かって歩いていると
また、その記憶も影をひそめてゆく
出来る事なら忘れたい・・・
出来る事なら、楽しい記憶だけで良い
また、いつもと同じ時間が流れ始める
みんな、何事もなかったように・・・
実は、みんなが違うつらさを背負っている
優劣なんてつけられない
同じつらさだって、重くなったり軽くなったり
でも、みんなが、何事もなかったように過ごしてる
負けてられない
折れてなんかいられない
みんな頑張ってるんだから
私にだって頑張れるはず
頑張っても報われずに
何も言えずに・・・
去って行った生き物達の分まで
とにかく前に・・・前へ・・・
詩集『道しるべ』より
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4月29日放送のがっちりマンデー『アパホテル』の回、ご覧になられましたか?今回のがっちりマンデーはあの儲かりビジネスホテルが登場。その名は「アパホテル」。国内外合わせて447棟、客室数7万5,000室を突破。年間売上は1,160億円という派手な女社長さんでも知らない人はいないのではないかというアパホテル。
今回は、ド派手な帽子でお馴染み元谷芙美子社長ではなくて、アパホテルを一代で築き上げたという本ボス、元谷外志雄代表が帽子にサングラスという前代未聞のお姿で登場です。これまで一切表舞台に出てこなかった創業者がついに禁断のベールを脱いで、ホテル業界のモンスター「アパホテル」、その全貌が明らかになっていきます。
この元谷外志雄代表、信用金庫の社員時代から、なんと『住宅ローンの仕組み』を作り、住宅会社を企業、更に建物住宅と賃貸マンションで起業し、分譲マンションをスタート、焼却資産として、税金対策でアパホテルを始めたんだとか…まったく驚きの連続でした。
アパホテルの「アパ」という名前は、覚えやすさからAPA(アパ)と。1997年にこれからはネットで予約する時代が来る時に覚えやすいように短くて、なおかつ環境という意味を言葉に込めてAlways Pleasant Amenity、いつも気持ちの良い環境、「A」から始まり「ア」から始まるようにと、元谷外志雄代表が考えたのだとか。
人をおもてなすのに自分だといかついんじゃないかという事で、天真爛漫な女社長が向いていると奥さんに任せ、自分は表に出ないように、分からせないようにしてきたのだそうです。
アパホテル人気のヒミツはホテルの常識を覆す部屋づくり。普通、ビジネスホテルの部屋の広さは12~13平方メートル、それに対しアパホテルは平均11平方メートルでちょっとコンパクトだけれど、その分、ベッドは通常シングルベッド100~110cmのところ135~140cmと、大人2人でもゆっくりくつろげるダブル仕様。そしてテレビもでっかい50インチ。さらに、シーリングライト(天井灯)も部屋でも仕事ができるようにとオフィスなみにして他のホテルよりも明るくしています。
バスルームは卵型をしており、水を溜めた時に約20%節水できるようにと、バスタブの形も一から見直して自社で作ったそうです。部屋を小さくしていることでホテル自体のお部屋の数も多く増やせます。なんと同じ条件なら他のホテルよりも20%は多く部屋が作れるのだそうです。
そしてもう一つ、アパホテル絶好調のヒミツが稼働率。通常80%部屋が埋まっていれば大成功といわれるホテル業界にあって、アパホテルの稼働率は全国平均で88.5%。取り上げられたホテルなどは、なんと稼働率100%以上の105%超。日帰りプランを一泊分の約半額で提供する事で、1部屋を2回転させているというのです。
日中、短時間で利用する【日帰りプラン】は、「ホテル=泊まる」という常識を打ち破る新たなサービスで、ビジネスホテルでいち早く導入されたそうです。部屋のベッドメイクや清掃は、通常のように人を増員したり業者に頼んだのでは割に合いません。その為、自分たちでやるのだそうです。受付の社員たちも、支配人も清掃。
新入社員が導入研修でベッドメイク研修を行うのだとか。社員が清掃することでコストを掛けずに1日1部屋2回転を実現。アパホテル巣鴨駅前は全512室満室というところ、539室分の売上げを出していたのです。
アパホテルが駅近くに作れてしまうのは、変形の土地でも、コンパクトな部屋だから作れてしまう。更に変形土地だから安く買え、出来てしまう。社員はリスクを取れないから、出店場所は全て自分で訪れて自分で決める。全株オーナーだから、自身が責任を取れる。上場するのは貧乏人がすること。ポケットマネーは、100億から200億!・・・驚きの連続で、こんな凄い人が、メディアに出てきて、まさかの「それ」が【がっちりマンデー】とは!更に驚きで興奮の30分の回でした・・・
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5月17日放送のカンブリア宮殿『最高の居心地で"珈琲店戦争"に殴り込み 外食レジェンド80歳の再チャレンジ!』の回、ご覧になられましたか?ここ数年熾烈な争いを繰り広げる、珈琲店戦争は、お洒落なスタバにタリーズから、低価格で飲めるセブンやマック、落ち着いて味わえる珈琲館から、上島、星乃、倉式、コメダ、珈楽庵等々乱立しています。そんな中で、シニアを中心に圧倒的な支持を得て急拡大しているというのが、今回の主役【高倉町珈琲】。後発で殴り込んだのは、あの【すかいらーく】の創業者・横川兄弟の三男。「もう一度、お客さんを喜ばせたい」その一新で逆境から挑んできたのです。
横川さんは、17歳の時に築地の食品卸問屋「伊勢龍」で修行。その社長から「客を騙すな」「稼いだ金は客に還元しろ」という教えを徹底的に叩き込まれたそうです。25歳で、3人の兄弟と共に食料品店を開業するも、スーパーの台頭で、違うビジネスへの転換を余儀なくされると、アメリカのファミリーレストランに目を付け、1970年、日本初のファミレス「すかいらーく」をオープン。
「客が喜ぶ、おいしい料理を出す」ために外食業界を走ってきた横川さんですが、グループが大きくなり過ぎると、細部まで目が行き届かなくなるということで大改革をしようとしましたが、大きくなり過ぎたグループは、それを受け入れてくれず解任されてしまいます。横川さんは、「すかいらーく」の経営を退いた後に一念発起し、77歳で【高倉町珈琲】を起業することになったのです。
現在19店舗を展開する【高倉町珈琲】の特徴は、運ぶだけでプルプルと震える「リコッタパンケーキ」など、美味しそうなメニューの充実にあります。この他、都心の珈琲店にはないシックで広々とした店やゆったりとして、座り心地の良い椅子が用意されていました。若者が集まるスタバやタリーズとは違って、シックな【高倉町珈琲】に詰めかける客には、年配客が多いそうです。ファミリーやサラリーマン向けでなく、ゆったりと過ごせるようこだわった店作りが、シニアの心を掴んでいるというのです。
そんな【高倉町珈琲】には、もう一つ大きな特徴がありました。なんと運営する本社スタッフの殆どが60歳以上というのです。しかも2014年に会社を立ち上げたトップは、既に80歳になる横川さん。今も高齢とは思えないフットワークで、横川さんを慕ってついてきたスタッフと共に、より良い店を作るために日々奔走しているのです。高齢化が進んでいる日本の中で、こうした話も喜ばしい事です。
横川さんは「本社や本部は必要ない。店は店長が良ければ必ず繁盛する」と語り、店から上がったアイデアを最優先させ、本部が決めたマニュアルを現場にどんどん変えさせていきます。スティックシュガーや写真入りメニューを考案した伝説の経営者であるだけに、外食を知り尽くした店作り、見事でした。今では当たり前の写真入りメニューなどは、ないのが可笑しいと思えるほど、世の中に広がっていますからねぇ。
横川さんは、働くスタッフも満足できる仕組みづくりをと、優秀な社員が負担なくFCオーナーとなれる制度や、パートまで株を持ち配当を受け取る、持ち株制度など…嬉しいルールを導入しています。パートさんの生き生きした表情も印象的でした。今のところ東京郊外を中心に出店されているとの事で、我が家の近くにお店はありませんが、できたら真っ先に行ってみたいですねぇ・・・
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TBSテレビでゴールデンの時間帯で放送されている『坂上&指原のつぶれない店』5月20日の放送分はご覧になられましたか?「街中のつぶれそうなのにつぶれない店」は何故つぶれないのか?そんな素朴な?謎を解き明かすなど“お金”にまつわるバラエティ番組なのですが、なんと先日は、あのジャパネットたかたの創業者が登場してきたのです。
高い声と独特の語り口でテレビショッピングの人気者となった元ジャパネットたかたの髙田明社長。3年前にジャパネットの社長の座を息子に譲り勇退したかと思いきや、昨年4月、経営不振で3億円以上の赤字を抱え、倒産のピンチに追い込まれていた別会社の社長に就任し、たった一年でなんと25億円の売り上げをやってのけ、大活躍しているというのです。
その会社とは高田社長の地元、長崎県のJリーグチーム「V・ファーレン長崎」。火中の栗を拾ったのは、2017年3月のこと。当時、V・ファーレン長崎はJ2で22チーム中15位と成績は低迷。経営的にも17年1月期の決算で1億3770万円の最終赤字を計上していました。累積赤字は3億2460万円まで膨らみ、一時は選手の給料未払いが懸念されるほど経営が悪化していたとのこと。
そんな地元・長崎のチームを何とかしたいと立ち上がった髙田社長は、就任前の観客数が平均で4,000人くらいだったものを、11月には満席の2万2,000人に!さらには、Jリーグの2部リーグ「J2」から「J1」に昇格する、という快挙まで成し遂げ、3億円以上の赤字だった1年前から、今年は何と25億円の見込みなんだとか!サッカークラブの経営はもともと全くの素人という高田社長がどうやって、倒産寸前のクラブを立ち直らせたのか…?!
髙田社長が「集客」の為に掲げた、4つの「改革」。
◆その1「駐車場を変えた」・・・駐車場を新たに増やし、無料駐車場を試合3時間前に閉門して早い時間の来場を促し、ゆっくり来られる人は最初から有料駐車場に向かうような流れを作って、渋滞緩和の工夫まで行ったのです。
◆その2「電車を変えた」・・・試合当日は電車の本数も増やし、シャトルバスの整備も行うなどアクセス面を改善。
◆その3「駅からの道を変えた」・・・駅から会場まで歩くという人に対して、地元の人の協力を仰いで様々な「おもてなし」を実現。
◆その4「スタジアム周りを変えた」・・・「ジャパネット」のアウトレットセールの屋台を出店するなど、スタジアム周辺に様々な出店を招いて充実させたのです。
また、アウェーゲームにも社長自ら足を運んで他クラブのスタジアム設備を研究。試合前には必ず大勢の相手サポーターと会話し、「アクセスはどう?」「駐車場は?」などスタジアムの情報収集を行い、自分のクラブに活かそうとしていたのです。
更には、自らが広告塔となり、長崎のローカル番組にも出演して、試合を見に来てもらうよう宣伝。お客さんを増やすための「改革」を、次から次へと実行し、驚きのV字回復をやってのけた髙田社長…流石でした。高田社長のそうした努力は、集客アップを実現し、クラブのJ1昇格へと繋がっていったのです。
MCの坂上さんから「3億円の赤字があって、見込みはあったんですか?」と社長就任当時の心境を尋ねられると、「どうにかなると思いました。計算せずに感覚でいくタイプなんです。出来ると信じたら8割のことは可能。出来ないと思うから出来ないのであって、出来ると信じてやり続けるしかないんですよね」と信念を語っていました。
【出来ると信じたら8割のことは可能】
シンプルですが、大切なキーワードですね。
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5月10日放送のカンブリア宮殿『京都オンリーワンのものづくり! 奇跡の老舗かばん店の全貌』の回、ご覧になられましたか?京都に1軒だけという小さなお店がカンブリア宮殿に登場するのは珍しいところ。実は、このお店、通信販売もしていないのです。社員は全員職人を兼ね、売っているのは帆布のカバンが中心。それでも、長年の熱烈なファンに支えられるという老舗。「お家騒動」の辛い時期を経て、自社ブランド「一澤信三郎帆布」を立ち上げ、100年前の創業当時と変わらないビジネススタイルをとっているという【老舗カバン屋さん】が今回の主役です。
一澤信三郎帆布さんのカバンは職人の道具袋から時代に合わせて変化し、愛されてきました。会社が軌道に乗ってきた2,000年初頭、先代が亡くなると本来の遺言状の他に、兄が新たに持ち出してきた別の遺言状が登場し、遺言状を巡って裁判にまで発展してしまう兄弟の相続争いが勃発。結果、後から出てきた遺言状が認められてしまい、社長を解任された信三郎さんは職人たちと一緒に「一澤信三郎帆布」を立ち上げ、新たなスタートを切ることになります。
地元の人たちの支援や信頼はそのスタートを後押していきますが、共に頑張って支えてくれた社員や、支えてくれたお客様たちは、それまでの取り組みを裏切る事はありませんでした。後に、兄が後から提示してきた遺言書は偽造されたものであることが判明したそうですが、ドラマの様な怖い話、本当にあるんですねぇ。
で、そんな、愛される一澤信三郎帆布さんでは、毎年春になると真逆な一澤ビジネスを知ろうとアメリカのビジネススクールの学生たちがお店を訪れてきます。一澤さんの、学校で学ぶのとは正反対のレクチャーに戸惑いながらも興味津々な学生たち。丈夫で長持ち、シンプルなカバン…週末ともなるとごった返す店内の定番は「道具袋」(トート)カバン。袋の角の見事な折込や縫製と、丁寧な手作りの袋は、もちろん生徒たちにダイレクトに伝わりますが、何故、複数店舗展開やネット販売をして、もっと稼がないのか?…は、どこまで伝わったのでしょうか…。同志社小学校は10年以上、一澤製ランドセルを使われているとの事。渋いですよねぇ。
いつもの社長の金言は、『時代に遅れ続ける経営』と、何とも皮肉さえ感じてしまう発言ですが、お客様の声や反応を直に聞き、見ていく事で商品は進化し続けられ、大量生産に対応しないからこそ、細部にまで丁寧な仕事ができる…そんな基本姿勢を守り続けている、そんな印象は強く受けることができました。大切なのは、良い物を提供し、お客様に喜んでいただき、その事を次のモチベーションに活かしていくという流れなのかもしれませんね。
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4月26日放送のカンブリア宮殿『創業150年 蒲鉾の価値を次世代に!職人技を武器に勝つ 老舗店の格闘記』の回、ご覧になられましたか?
小田原駅から車で10分という風祭に、連日観光バスが100台停まる人気の施設、それが今回の主役、小田原蒲鉾の名店「鈴廣」本店。
ここは、蒲鉾の食べ比べができる蒲鉾バーや、魚カツサンドにチーズといちじくが入った蒲鉾など、変わりダネが買え、蒲鉾バイキングができるレストランでは、蒲鉾の為に開発されたという地ビール「箱根ビール」までお出迎え。蒲鉾作りの体験ができる「かまぼこ博物館」や、文字をプリントしてくれるプリかま等々…まさに“蒲鉾のテーマパーク”。誰もが「蒲鉾ってこんなに美味しいんだ」と再認識させられてしまうようです。
そんな美味しい蒲鉾を支えるのは、国家資格を持つ職人(水産練り製品製造技能士…13人もいるのは鈴廣だけ)とその職人技を科学的に研究する「魚肉たんぱく研究所」。鈴廣の創業は江戸時代の末期、慶応元年(1865年)。豊富な魚資源に恵まれる相模湾の近くで誕生しました。明治に入り現会長智恵子の父・7代目鈴木廣吉が屋号を「鈴廣」にします。戦後、壊滅的な被害を受けた小田原蒲鉾復興のため、廣吉は同業者で勉強会を開いたり、蒲鉾に適した魚を全国に探し求め新しいかまぼこ作りに励んだりと挑戦の連続。
そして8代目を継いだ昭三と智恵子夫婦は、そんな父・廣吉を越える革新に挑んでいきます。廣吉の猛反対を押し切って、店を現在の小田原郊外に移転。ドライブインのような土産物屋を展開する一方、職人たちの技術を工業化することに挑み、鈴廣を100億円企業にまで成長させていくのです。
その後、現社長・博晶が取り組む蒲鉾の科学的研究をはじめ、消費が激減する蒲鉾業界で「老舗にあって老舗にあらず」の精神で、『日々、恒に革新を怠るな』を意識し、鈴廣は蒲鉾の進化に挑み続け、蒲鉾業界が下がる一方という中、売上を5倍にまで伸ばしてきたのです。
蒲鉾イベントである「小田原蒲鉾桜祭」では、蒲鉾細工やすり身で作った蒲鉾たこ焼き等も見る事が出来ました。たこ焼き好きな私としては、是非食べてみたい一品です!超特選蒲鉾【古今】一本約4,000円もする蒲鉾も是非…(^ ^;)。村上龍さんは編集後記で、こんな事を話されていました。「私見だが、日本酒のつまみとしては、刺身より上だ。奥ゆかしくて美しい、日本女性のようだと思う。確固たる自立があるが、余計な自己主張がない。」面白い表現ですよね。
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先日『奇跡のシンフォニー』という2007年公開のアメリカ映画を見ました。主演は『チャーリーとチョコレート工場』で知られるフレディ・ハイモアで、助演男優として1990年『いまを生きる』や1995年『ジュマンジ』で知られる今は亡きロビン・ウィリアムズが悪役で登場しています。
音楽が奇跡の再開を果たしてくれるという展開で、何となくエンディングの予想はできてしまうのですが、とにかく映画の中で流れる曲は、素晴らしい曲ばかりで、第80回アカデミー賞歌曲賞にノミネートされたのもうなづけます。さらに主役の子供は、あの『シックスセンス』の名子役を思い出させる澄んだ瞳の持ち主。久々に感動して、単純に泣けてしまいました。
半ネタバレの物語は…
ニューヨーク近郊の孤児院で暮らす少年エヴァンは、両親が必ず迎えに来ると信じているものの、11歳になるまでその願いがかなう事はありませんでした。ある日不思議な音に導かれるように彼は孤児院を抜け出してしまいます。たどり着いたマンハッタンで様々な出会いを経てエヴァンは音楽の才能を開花させていきます。
一方、彼の母ライラは、自分の子供は死産でこの世にはいないと思って、クラシック音楽の世界を離れて、学校の先生をしていました。ある日、子供が死産と言い聞かせていたライラの父親が、死を目前に子供の存在を教えてくれます。生きていることは分かったものの、実の息子の名前も居場所も分からないライラは、必死になって孤児院を探していきます。
ライラと結ばれること無く、ライラの父親に間を引き裂かれ、一時は悲嘆にくれていた父ルイスも、それを機にバンド活動を辞めてビジネスマンとして生きていました。ところが、ビジネスのトラブルが起こると、音楽に導かれるかのようにマンハッタンへ向かいます・・・。
全く、繋がりのない息子・母親・父親の3つの点が、それぞれが支えにしてきた音楽を通して、手繰り寄せられるようにセントラルパークに引き寄せられていく・・・。分かっていながらも、感動もので、涙が込み上げてしまったのは、やはり主役の子供の演技力だったのでしょうか…。
奇跡を信じたいという方には、是非、お薦めの感動の映画でした。
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5月7日放送のワタシが日本に住む理由『チェコ共和国・首都プラハ出身の中島恵利華さん』の回、ご覧になられましたか?
今回主役の恵利華さんが生まれたのは、チェコがまだ社会主義だった1951年のチェコスロバキア。激動の最中出会った日本の映画「赤ひげ」に感銘を受け、勉強嫌いだった彼女は医師を志します。クラシック音楽を学びにチェコに来る日本人から日本語を学び、日本語を勉強するために始めた文通がきっかけとなって、3年後に公務員の研究職である秀治さんと結婚。
社会主義と民主主義の夫婦の誕生は、簡単なものではなく、28歳で初来日するも、チェコが民主化する前だったので、帰れば処刑されることも十分考えられ、日本で帰化し、日本で生きていく…故郷には帰らないことを決意しての来日でした。亡命という言葉が出てきましたが、本当に一大決心です。
チェコで医師免許は取っていましたが、日本では通用しないので、更に3年間大学に通って日本の医師免許を取っていきます。きっと、この頃には、勉強嫌いではなくなっていたのでしょうね。ところが、医師免許を取得しても、外国人の女性で子供が2人という条件では、雇ってくれる病院はありませんでした。そうして出した結論がご主人の故郷・新潟での「めぐみ皮膚科」の開業でした。
恵利華さんは、更に池の平で旅館「おやど山恵」を経営しながら、そこでの診療も月2回しているとか。病院に来る人達は、恵利華先生のフランクな口調に心を開いて接していきます。皮膚科なのに、「目薬ないか?」とか「尻が痛い」からと湿布薬とか…。田舎だから薬局に行くのも大変なので、院内処方までされていました。言葉の乱暴さからも、さながら、外国人女性版「赤ひげ」先生といった感じでした。
日本在住39年、ご主人の事を「オヤジ!」と呼んだり「お前!」と呼んだり、言葉だけ聞いていると、本当にピックリしてしまうのですが、彼女を支えるご主人とのやり取りも楽しく見させて頂きました。秀治さんのチェコまで行ってしまう行動力や、ニコニコしながら恵利華さんに感謝している様も、とても素敵でした。
最後に司会から聞かれる定番の「あえて日本に物申すとしたら?」という質問には、「田舎の医療に対して、もっと国は支援すべきだ」と話しておられました。全く、その通りですよね…。そんな日本で、亡命してきた外国人女性が、田舎の医療を支えているのですから、本当に感謝しなくてはなりません。きっと先生は、皮膚科だけでなく、いろいろな病気に対応してアドバイスできるように、勉強も続けているのでしょうね…。本当に、有り難い話です!!
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先日、4月29日放送のNHKスペシャル シリーズ「大江戸」を観ました。近年、日本の首都、東京のルーツとなる「江戸」をめぐり、新たな発見や研究成果が相次いでいるそうです。150年前にその名を失った江戸の知られざる姿を、ドキュメンタリーやドラマ、超高精細CGなど多彩な演出で描いていく3回シリーズ。その第1回目が「第1集 世界最大!!サムライが築いた“水の都”」・・・
今の東京の基盤は、その殆どが江戸時代に築かれていたという事実に驚かされます。世界的に見ても画期的な上下水道を敷き詰めて造りあげていく「水の都」の発想力と、実現させていく諦めない武士の姿勢。江戸は、徳川家康が幕府を開いてから100年ほどで、パリやロンドンの2倍近い、世界最多の100万の人口を抱える巨大都市となっていくのです。近年、江戸初期の都市計画を描いた図面や、幕末の写真ネガが多数発見されていくことで、その変遷が分かってきたというのです。
番組ナビゲーター役で登場する松平 健さんが、また楽しく見られるように面白さをかもし出していました。時代劇の中で殿様役や金さん役などを演じてきた松平さんですが、その分かりやすい特性を活かしていきます。江戸好きな喫茶店のマスターが、常連客の木村佳乃さんと江戸の話をするうちに、つい熱くなって興奮すると、江戸の人物が憑依するという特異体質役。例えば、家康が憑依したり、商人(あきんど)や町火消(まちびけし)が憑依したりして、江戸の人物になってしまうのです。
…とは言うものの、松平さんを含めた喫茶店のシーンは、あくまでも番組中のティーブレイクの様な役割を果たしているだけで、メインの話がとにかく面白い物でした。何よりオーストリアで見つかった大量の写真や、家康が描いたという江戸の都市計画図、螺旋状の堀や埋め立てに使われた大量の巨石の話など、CGを交えながらの演出で、本当に楽しく見ることができました。
第2集は、「驚異の成長!!あきんどが花開かせた“商都”」で、5月27日、
第3集は、「不屈の復興!!町人が闘った“大火の都”」と題して7月1日放送の予定です。
面白いので、今回の再放送も含めて是非、観ていただきたいと思います。面白さ、保証しますよ。
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