ティータイム

神仕事で夢を実現させたお話です。

2018-3-29 NEW!
カテゴリ:つぶやき

 

3月10日放送のテレビ朝日『これぞ!ニッポンの神仕事~夢を叶えたリーダーたち』という番組をご覧になられた方は居られますか?

 

今では日本を代表する夢の国、東京ディズニーランド。その開園までに尽力したオリエンタルランド初代社長の川崎さんを紹介。これまでも何度か色々な番組で取り上げられてきた話ではありますが、その諦めない姿勢には、分かっていながらも感動してしまうのです。

 

東京ディズニーランドの第一発案者だった川崎さんは、京成バラ園の買い付けでアメリカに行った際に、カリフォルニア州のディズニーランドを見て衝撃を受け、それが何十年という長い闘いの始まりになっていきます。京成バラ園は、それほど大きな施設ではありませんが、お花の好きな人なら十分に楽しめる施設だと思います。それでも、あのレベルからディズニーランドのレベルには、簡単には繋がらないのが正直な感想…。

 

東京ディズニーランド開園までに尽力した人はもう1人います。それはオリエンタルランド二代目社長の高橋さん。東京ディズニーランドを建てるためには海を埋め立てる必要がありました。当然、海の漁業を生活の支えにしている人たちにしてみれば、有り得ない話です。話すらまともに聞いてくれない人たちを相手に、高橋さんは、海の漁業権を持っている漁師たちを説得しようと、超一流の高級料亭でおもてなしをし、お酒を共に飲みながら、コミュニケーションを通して壮大な夢を伝えていく事で、漁師たちと徐々に距離を詰めて交渉を実らせていったのです。

 

東京ディズニーランドが開園したのは1983年4月15日。開園には、ディズニー社の会長をはじめ、川崎さんと高橋さんが同席し、8年後に川崎さんは永眠されました。ディズニー社から第二パーク構想の打診があり、今のディズニーシーが作られたそうですが、これには今は亡き高橋さんの思いと重なる部分があるというお話。それは漁師たちと交渉を行っていた時、高橋さんが「漁師の皆さんに海を返す」と言ったことと繋がっていくというのです。何とも良い話ではありませんか。

 

東京ディズニーランドの中のワールドバザール。ここの2階のショーウィンドウには、高橋さんの名前と創業者という文字が英語で書かれています。これはディズニー社に多大なる貢献を与えた人物に贈られるディズニージェンドに高橋さんが選ばれた際に、ディズニー社からの申し出で特別に作られたものだそうです。今度行った際には、有り難く見させて頂こうと思います。

 

米国ディズニー社は、日本版ディズニーランドの直接経営には非常に消極的で、フランチャイズ契約を結ぶことで実現した日本版ディズニーランド。この契約では、米国ディズニー側がパークの設計、運営の指導、クオリティー及び版権の管理を行うと共にフランチャイズ契約料を受け取り、オリエンタルランド社側が、パークの建設費や運営費等すべての費用を負担するという方式を採用しました。この契約は、細かな見直しをのぞけば現在までほぼ一貫して同じだそうです。

 

東京ディズニーランド開業後、パリディズニーランド、香港ディズニーランドが開業していますが、2017年現在、一番新しい上海ディズニーランドを含め世界で6つあるディズニーリゾートのうち、パーク運営会社にディズニーが出資しないフランチャイズ形式の運営を行っているのは、東京ディズニーリゾートのみとなっています。これもなかなかすごい事ですよね。

 

番組では、この他、トヨタ自動車のハイブリッドの開発の話も取り上げられていましたが、こちらまで書いていると長くなるので省略させて頂きますね。あっ、でも、責任者の良い言葉があったのでそれだけご紹介させて頂きます。

 

3つの信念

 

1.早く決めてあげる
2.バックアップ案は作らない(失敗が早く分かる)
3.責任は俺が全てとる

 

分かっていても、なかなかできない事。勇気のいる話ですよね。それでも実際に動いていく人たちにとっては、とても大切な事…ですよね。
 

 

 

 

 

 

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