昭和偉人伝『相田みつを』の回、先日見させていただきました。相田みつをさんの名前が
「にんげんだもの」で知られるようになったのは、この世を去る7年前、60歳を過ぎてから
と言います。
若くして書道界の権威ある展覧会に入選し、「自分の作風はこれでいいのか」と、悩み続けて
おられたとか…。当初は見本のような美しい字を書いていたんですよね…。基がしっかり
しているからこそ、味のある優しい字になったのでしょうね。最初から、ああした字なんだ
と思い込ませるあたりは、画家でいうとピカソ級って事ですかね?
師と仰ぐ住職の『あってもなくても良い物は、ない方が良い』と言う言葉をきっかけに、
長い年月をかけて独自の“書のかたち"が生まれていったそうですが、支えた家族も素晴らしい
ですよね。ひたすら書にのめり込む人を支え続けたのですから。
相田さんの生き方を示唆したのは、戦地で亡くなる前に兄が残した言葉『周りがどうであれ、
男として自分が納得できる生き方をするように』。相田さんは、亡くなった兄達の分まで
命の大切さを、出来るだけ多くの人に伝えたいと書に没頭したそうです。
短い言葉のメッセージが書となるまでに、相田さんは想いを文章にし、そこから『無くても
良い物』を、ドンドン削り落としたからこそ、シンプルだけれど、インパクトのある深い
言葉を残していけたのですね。
番組の最後は、こんな相田さんの3行の書で終わっていきます。
一生燃焼
一生感動
一生不悟
ゆるぎなく自らの信念のために走り抜いた人生。書かれた『優しい書』からは想像もできない
ほど、強い人だった事、命を大切にし、亡くなった人たちの事を思い、納得のいく生き方、
納得のいく書を求め続けた人だったんですね。