ご挨拶

第91回日本生化学会大会
会頭  菊池 章

(大阪大学大学院医学系研究科
分子病態生化学)

 

 第91回日本生化学会大会を2018年9月24日(月)~26日(水)に京都国際会議場で開催いたします。我が国の生化学の歴史を振り返ると、隈川宗雄先生が東京帝国大学医科大学医化学教室教授に就任されたのは1897年であり、1899年に荒木寅三郎先生が京都帝国大学医科大学医化学教室教授に就任されました。次いで、1918年に柿内三郎先生が東京帝国大学医科大学医化学教室教授に就任され、「Journal of Biochemistry」の発行ならびに日本生化学会の創設に尽力されました。従いまして、日本の生化学はこれらの先生方の時代から数えれば、100年以上の歴史を刻むことになり、我が国において生化学という学術が概ね100年展開されてきたと考えられます。今、100年の重み、100年の歴史、100年の変遷等を振り返り、今後の学術としての生化学のあり方を模索する時期に来ているのではないでしょうか。
 科学史において、19世紀以前は生物体の中の物質は無生物のそれとは異なった性質を持っていて、既知の物理学や化学の法則に沿ったふるまいをしないと信じられていました。しかし、1828年にF. Wöhler博士が無機化合物のシアン化アンモニウムから生物起源の物質である尿素を合成することに成功し、1897年にE. Buchner博士が酵母細胞からの抽出物が砂糖をエタノールにする(発酵)ことを証明しました。これらの知見に端を発して、生命体は化学物質からできており、どんな生物学的機能もこれらの物質の構造と物理学的反応ならびに化学的反応の用語を用いて説明できるとする生化学の学術上の立ち位置、すなわち生物を化学的な視点で理解しようとする体系が確立しました。
 20世紀初頭多くの代謝経路と反応経路がin vitroで再現され、反応中間体や生成物、化学反応を進める酵素群が同定され、物質変換とエネルギー代謝の概要が1950年頃までに明らかになりました。この間代謝制御に関する研究に対して複数のノーベル賞が授与されましたが、1953年にノーベル医学生理学賞がH.A. Krebs博士とF.A. Lipman博士の「トリカルボン酸サイクルの発見と代謝における高エネルギーリン酸結合の意義の発見」に対して与えられたのは、その一つの成果でしょう。興味深いことに、同年にJ.D. Watson博士とF.H.C. Crick博士によりDNA二重らせんモデルが発表され、その後分子生物学の技術的進歩と相まって、1970年代後半には核酸を自由に扱い、タンパク質を人工的に産出できる時代が到来しました。
 この時代の「ものにこだわり」、「匠の技をもって」、「物事を極める」という研究手法や考え方は、日本人の気質と合っていて、1980年代以降、生物学的に大変重要な分子、例えばサイトカインとその受容体、タンパク質リン酸化酵素、細胞接着制御分子等が我が国から多数報告されました。20世紀の最後の20年間に飛躍的に進歩した生物学研究は、ヒト遺伝子地図の作製〈ゲノムプロジェクト〉に代表されるように、還元的アプローチが主流であり、細胞をその構成要素に分解して理解することでした。しかし、細胞をその構成要素から再構成する場合、全体は必ずしも部分の総和でなく、分子間の相互作用の結果、新たな性質を獲得することもわかってきました。
 21世紀になると、生体内分子の解析技術が飛躍的に向上し、DNA, RNA, タンパク質、代謝産物を網羅的に把握できるようになりました。このような大量なデータは共有化され、また、大量のデータそのものを扱うことが一つの学術領域にもなってきました。以前であれば、扱う対象(分子、組織、個体等)により階層的に分類されていた所謂~ologyの学術的、技術的な壁が低くなり、研究者は多くの技術を駆使して、研究を遂行することが必要になりました。生命現象の理解の仕方として、物質を深く理解することに加えて、俯瞰的に物事を眺めることも強く求められます。時代が変わり、技術が進歩すれば、当然科学の在り様も変わります。このような時期に生化学会大会において、参加者が「生化学研究とは何か?」、「日本の生化学会や生化学会大会は今後どうすればよいのか?」等を少しでも考える場となればよいと考えています。
 特別講演では、生化学・生命科学研究で卓越した成果を挙げられた研究者にご講演をいただくことにしています。シンポジウムでは、外国人研究者を招聘するための旅費等の支援を行いたいと思いますし、口頭発表の機会を多くするために一般演題の枠を多くします。またポスター発表でも議論が活発になるように工夫をします。このような趣旨で開催いたします第91回日本生化学会大会にご協力をよろしくお願いいたします。

 

ページ上部へ