ティータイム

左腕の肘から先がなくても、その左手を使っていく豊田選手

2018-1-18 NEW!
カテゴリ:つぶやき

 

昨年12月25日に放送されたアスリートの魂『これが私の左腕 パラバドミントン・豊田まみ子』の回、ご覧になられましたか?
パラバドミントンの豊田まみ子選手25歳。2013年に世界選手権で優勝の経歴を持ちますが、その翌年、パラバドミントンが東京パラリンピックの正式競技になったことで、出場を目指す選手が増加し、競技レベルも急上昇。中国は一躍強豪国に躍り出てきたらしいのです。また、日本には世界ランキング1位の絶対女王・鈴木亜弥子選手がいるとか。この選手、『あと獲得していないのはオリンピックのタイトルだけだから、それも欲しくて』と、一度引退していたにもかかわらず、現役復帰。自信満々な脅威の選手です。

 

今回の主役となる世界ランキング3位の豊田選手は生まれたときから左腕の肘から先がありませんでした。バドミントンなら右手だけで他の人と同じことができるとこの世界に入って来たのです。当然これまで左腕が疎かになっていたために、全体的に体の左側の筋力が弱くなっていました。そこで初めてトレーニング専用の義手を装着し、筋力アップのトレーニングを始めました。やがてこれまで意識できなかった左腕を使ったスマッシュに成果見られるようになっていきます。打つ直前に左腕を内側にひねり、体全体を大きく使えるようになったのです。

 

左腕のパワーアップに取り組んできた豊田選手には、もう一つの課題がありました。球際に弱いという事でした。左手をついて、マヒしてしまうという苦い経験もありました。左手の支えがなく、転んでしまうと起き上がるのに時間がかかるため、転ぶのを避けるのがくせになっていたのです。国際大会まで1週間。米倉コーチは、100本ノーミスでラリーを続ける地獄の特訓を行いました。途中で失敗したら一からやり直し。豊田選手をギリギリまで追い込もうとしていたのです。『障害者だからと逃げてしまったら一生逃げることになるから』と顧問は檄を飛ばししていきます。コーチも大したものです。

 

そうして迎えた9月。日本で初めて開かれるパラバドミントンの国際大会。29の国と地域から180人余が参加。6種類あるクラスの中で、豊田選手のクラスには12人が出場。1試合目の相手は世界ランキング9位の選手でしたが、球際の弱さを狙われ、0-2で敗退。諦めが早いという課題は、まだ解決していませんでした。大会2日目、この試合に負けると豊田選手の予選敗退が決まってしまいます。相手は実力急上昇の中国でナンバー2の選手。第1ゲームを落とし、第2ゲームもリードを奪われます。夢中になる中で、豊田選手はシャトルを追って飛び込み、転倒してしまいます。結果、試合には負けてしまいますが、諦めずに珠を追う事ができたので、表情は笑顔になっていました。優勝したのは、あの日本の女王・鈴木選手。中国の選手が2位と3位となって、豊田選手は表彰台に上がれませんでしたが、大きな壁を越えられた大会となりました。

 

11月、今度は韓国ウルサンでパラバドミントン世界選手権が開催されました。37の国と地域から270人が参加。豊田選手は予選リーグ1試合目を圧勝。2試合目の世界ランキング7位との対戦も転倒を恐れずシャトルに食らいつき勝利。準決勝の相手は中国のナンバーワン楊秋霞選手で0-2と敗れてしまいますが、豊田選手は銅メダルでした。優勝は、また鈴木選手。目標は同じ日本人…。豊田選手は、『この手じゃなければ今の自分はないし、この手に生まれてきて良かった』と話していました。

 

パラバトミントンというスポーツをまともに見るのは初めてでしたが、凄い世界だと驚きました。転んでマヒしてしまうかもしれないという恐怖心を乗り越えるのは大変な事です。あちこちボロボロでも不自由のない私には、なかなか理解できない世界です。こうして番組で知る事が出来て感謝しています。これからも、ただのオリンピックだけでなく、せっかく東京で行われるのだから、パラリンピックの情報も、もっともっと伝えられていくと良いですよね。
 

 

 

 

 

 

 

 

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