ティータイム

海外ブランド契約解消から見事に自社ブランドで立ち直った巨大メーカー

2018-12-27 NEW!

 

12月13日放送のカンブリア宮殿『機能性の追求を武器に!スポーツメーカーのサバイバル経営』の回、ご覧になられましたか?ヨーロッパブランドひしめくダウンジャケットの中にあって、国内最強のダウンと称されるまでに成長している「水沢ダウン」。冬には売り切れになるという国産の高級ダウンです。毎年、セレクトショップで大人気となっているそうですが、さんな「水沢ダウン」を製造販売しているのが今回の主役となるスポーツメーカーの【デサント】。

 

デサントは社長の祖父、石本他家男が大阪で1935年に興した紳士服店「ツルヤ」からはじまったそうです。野球少年だった他家男は1953年に野球ユニホームの開発に成功。プロ野球の中日ドラゴンズに採用されると、1970年代後半には12球団中11球団のユニホームに採用されるまでになったのです。社名をデサントに変更したのは私が生まれた1961年。野球ユニホームだけでなく、スキーウエアの開発や海外スポーツブランドのライセンスビジネスにも着手。

 

1970年、アディダスとライセンス契約を結び、プ1997年には売り上げが1000億円を超える企業へと成長しますが、翌年の1998年、アディダスとの契約が解消されてしまいます。ヤマザキナビスコの旧『リッツ』を思い出しました…。デサントは売上の4割を占めていたアディダスがなくなると、赤字に転落し、窮地に陥ってしまうのです。

 

このアディダスショックを教訓として、その後自社ブランド強化に全社一丸となって取り組み、ものづくりの原点に戻って、ついに機能性を追求した水沢ダウンが誕生したのです。さらに、海外展開も強化した結果、2017年度には売り上げも過去最高の1411億円を達成。見事に自社ブランドで立て直していったのです。凄いじゃないですか!!

 

ちなみに「水沢」というのは工場のある岩手県の地名からとられたそうで、もともとは2010年バンクーバー五輪で日本選手団に提供するために全社を挙げて開発し、五輪に先がけ2008年から一般販売されたそうです。究極の機能性を追求した結果、他のダウンとは一線を画すシンプルで洗練されたデザインに帰着。発売以来、トレンドに左右されないことも人気の秘密となっているんだとか。

 

「水沢ダウン」の高機能を実現しているのは、工場のベテラン職人たち。スポーツなどプロ仕様の商品開発に強みを持つデサントは、メジャーリーグで大活躍の大谷選手のアンダーウエアや、サッカー元日本代表の遠藤選手のシューズ、水泳の瀬戸選手のスイムウエアなど、100名以上の一流スポーツ選手をサポートしているそうです。デサントは、こうしたトップ選手の本格的スポーツウェア技術を、広く一般の人にも使えるように商品を展開しています。こうした高機能を武器に、デサントは売り上げを伸ばしていたのです。

 

デサントは、商品の企画開発力が競争力の源泉と位置づけています。2018年7月に大阪府茨木市にスポーツウェアの開発拠点を新しく開設した。人工気象室、人工降雨室、全天候型トラックなど最新鋭の施設には、デサント契約のプロスポーツ選手たちが製品のフィードバックにしばしば訪れ、番組ではサッカーの遠藤さんが映されていました。デサントの商品開発は創業当時から、トップ選手の意見を聞くことに徹底しています。それが高い機能性につながり、一般販売しても快適に着てもらえるウェアになっていたのです。

 

いつもの「村上龍の編集後記」では、こんな事が書かれていました。
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創業者は、4度も召集され、戦後、最終的に、スポーツウエアの開発・生産を選んだ。平和とは何かを示すエピソードだ。アディダスから契約を解消され、重大な危機を迎えたが、生き延びた。むしろショックをバネにして、業績を回復させた。私見だが、その企業理念には、スポーツマインドが中核としてある。デサントとは仏語で滑降だが、他に暴落という意味もあり、社名として反対の声もあった。「社名は辞書ではなく現実で生きる」創業者の言葉だ。デサントは現実を生き、そして今、象徴のような、画期的なダウンを作り上げた。
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創業者の言葉
『トッププレーヤーはトップレベルのユーザーでもある』

デサントの社名の意味は

  【優しく怖い人、うちには厳しく外には優しい】とのこと。

       村上さんが『格好良い!』と言っていたのも印象的でした。
 

 

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【人生100年時代を生きる】…課題ばかりの最終回

2018-12-21 NEW!

さてさて【人生100年時代を生きる】も、今回で最終としたいと思いますが、ここからはテレビとは無関係です。

 

迫りくる長寿化時代に備え、戦略的な人生の過ごし方を説いた『LIFE SHIFT(ライフシフト)100年時代の人生戦略』(東洋経済新報社)という本が話題になっているそうです。そんな中、平成29年9月11日に第1回【人生100年時代構想会議】なるものがスタートしています。これは、人生100年時代を見据えた経済・社会システムを実現するための政策のグランドデザインに係る検討を行うため、内閣総理大臣の安倍晋三が議長を務める会議です。

 

人生100年時代構想会議の具体的なテーマは、こうです。
① 全ての⼈に開かれた教育機会の確保、負担軽減、無償化、そして、何歳になっても学び直しができるリカレント教育
② これらの課題に対応した⾼等教育改⾰・⼤学にしても、これまでの若い学⽣を対象にした⼀般教養の提供では、社会のニーズに応えられないのではないか。
③ 新卒⼀括採⽤だけでない企業の⼈材採⽤の多元化、そして多様な形の⾼齢者雇⽤、これが有能な⼈材確保のカギであり、企業にしてもこれまでの新卒⼀括採⽤だけではやっていけない。
④ これまでの若年者・学⽣、成⼈・勤労者、退職した⾼齢者という3つのステージを前提に、⾼齢者向け給付が中⼼となっている社会保障制度 を全世代型社会保障へ改⾰していく。

 

そして、今年の6月、基本構想が打ち出されています。詳しくは、こちらで・・・
【人づくり革命 基本構想 平成30年6月】

 

日本は世界トップクラスの長寿国で、今や男性の4人に1人が90歳、女性の4人に1人が95歳まで生きる時代。超長寿化時代を謳歌するには、マネープランについても「人生100年」を視野に入れる必要がありそうです。いや、肝心なのは、生き抜くためのお金…。自分が何歳まで生きられるのか、統計データをチェックし、ある程度の目測を立てること。

 

日本人の平均寿命は、男性は80.98歳、女性は87.14歳(厚生労働省 2016年)。長寿化によるマネープランへの影響は避けがたく、リタイア後の収入は年金だけで十分なのか?気になるところです。当たり前の事ですが、人生100年時代となると、お金も100歳まで備える必要が出てきます。

 

あるシミュレーションによると、夫が50歳時点で700万円あった貯蓄残高は、子供の教育費の負担により一旦減少。子供が社会に出て自立していくと微増に転じ、退職時に退職金でピークに達します。65歳以降は年金生活となり貯蓄残高は徐々に減っていきます。そして・・・なんと75歳にして遂にマイナスに転じてしまうのです。

 

このシミュレーションを改善する為の中身はこうでした。50歳時点の貯蓄残高を1,500万円。65歳からは生きがいとなる仕事を見つけて、夫婦合わせて月10万円(年120万円)の収入を得、基本生活費を月28万円で押さえるようにして75歳まで働く。こうすることで100歳時点でもなんとか黒字を保てると言うのです。貴方は、65歳から75歳まで働けるところを見つけられそうですか?それ以前の貯蓄残高・・・どれだけ残せそうですか??

 

人生100年時代に向けての生活設計をする上で、気になるのが、やはり定年後の収入のベースとなる年金。自分の年金額は毎年誕生月に郵送される『ねんきん定期便』でチェックできるので、次の機会にはしっかり見ておきましょうね。そして、お金の不安を解消する為に、年金生活に入ってからの収入と支出の目安を立てることが大切。

 

年金収入だけでは家計が赤字になると予測できる場合には、ほかの収入の道を探すなど対策を講じていかなければならないのです。老後の生活費は現役時代より少なく済むのが一般的で、目安としては、現役時代の7割と言われているそうです。年金生活が始まっても、お金持ちでない限り、元気なうちは働いて収入を得ることを考えなくてはなりません。

 

今のうちから、定年後にどんな仕事をしようか考えておくことも重要になってくるわけですね。40~50代のうちから『自分が本当に好きなこと、得意なことは何だろう』と考え、関連する資格の取得などにチャレンジすることを推奨しています。

 

そして、最後に関わってくるのが続けて描いてきた【【人生100年時代を生きる】にも書かれていた…長寿化の大きなリスク…【病気と介護】。まとまったお金が一気に減ることもあるので、病気や介護の費用は生活費とは別建てで準備しておかなければなりません。一つの目安は1世帯800万円(内訳は介護費用として550万円、医療費として250万円)。介護については在宅介護中心で、公的介護保険+αぐらいの費用がかかるサービスを受けるという前提での金額とのこと。

 

医療制度もどんどん変更され、負担も増える傾向にあったり?するので…この先まで考えていくと、働けるだけ働いて対策を講じていく必要がありそうですが、年金生活に入ってから働くと、何故か得た収入に応じて年金が減額されてしまうという現実もあったりして・・・残酷な世の中ですよねぇ・・・とりあえず、年金については手続きも含めて、充分学習しておく必要がありそうです!! 貯蓄できずにローンばかり増えている私なんぞは、このままでは破綻ですよ。破綻!!・・・・・

 

 

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【人生100年時代を生きる】『第2回 命の終わりと向き合うとき』を観て

2018-12-19 NEW!

 

NHKのシリーズ「人生100年時代を生きる」、第2回のテーマでは『終末期医療』について扱われていました。ゲストの阿川佐和子さんは、3年前に父・弘之氏を、延命医療をしないで自然な形で看取った経験の持ち主。「穏やかな最期はどのように迎えることができるのか」、悩んできたそうです。

 

これまで国は社会保障費の抑制を図るため、高齢者の最期を支える場所を「病院」から「自宅」へと方針転換。にもかかわらず、看取りの段階になって病院に運ばれ、そのまま延命医療を長期間受け続けてしまうという事態が頻発していました。最先端の医療設備が整う救命救急センターでは、80歳以上の高齢者が次々と運び込まれてベッドが満床になることもあるそうです。家族は、意識が戻らないまま横たわる親の姿を見て「こんなはずではなかった」と悔いることになります。

 

番組では、学会と連携して、全国の救命救急センターへの調査を実施。国が進めてきた医療改革が、現場にどのような歪みをもたらしているのか、そして、患者の人生の最期に、医療はどう寄り添えばいいのか、現場で始まっている「延命中止」の取り組みを通して考えていきます。

 

人生100年時代について、100歳以上の高齢者の数は現在7万人。2015年には13万人、2050年には53万人になっているという推計が出ているそうです。また国の調査として回答者の9割は延命措置を受けず、自然に任せて欲しいという結果が出ています。しかし現実には医療機関で長生きし、更に人工透析などで延命措置が行われているとのこと。

 

多くの高齢者が人工透析を受けているある病院では血圧の低下を知らせる警報があちらこちらで鳴っていました。透析困難症という症状。以前はこの治療を断念せざるを得なかったそうですが、医療技術が向上したことで、現在は衰弱が進んだ高齢者でも透析が続けられるようになったのです。80歳以上で透析を受けている患者は6万人で300倍に増えています。

 

しかし高齢化により思わぬ問題も増えていました。本人の意思が確認出来ず透析を続ける事態が広がっていたのです。取材をした女性は透析治療の間に認知症を発症。治療のことが分からず管を抜いてしまうことがあるのです。そのため家族の許可を得て拘束して治療をせざるを得ません。70人の病院患者のうち9割が認知症を発症。人工透析は1日4時間で週3回行われていました。理事長は透析のために生きている…「生かされている状況」になってしまうと語られていました。

 

救急医療の現場に100歳近くの終末期の患者が次々と運び込まれています。医師は終末期の患者だと分かっていても救命のために全力を尽くします。結果、意識が戻らず、人工呼吸器を付けて命を繋げることもあるのです。意識が戻らないから呼吸器を外せない…こうしたことに難しさが生じていたのです。

 

国は、高齢者を自宅へと移す医療制度改革を実行してきました。高齢者は在宅医など自宅で最期を迎えることを想定していましたが、結局、もしもの時に家族では命の終わりかどうかの判断がつかず、救急車を呼ぶケースが続出。一度呼吸器を付けてしまうと、そのまま判断しにくい状態となって、結果的に救命救急センターで延命医療を受けるケースが増えているというのです。

 

ある調査では85歳以上の高齢者が一度心肺停止になると、『人工呼吸器が外れ、退院できる』確率は0.5%とのこと。ある6年間入院している男性は、脳梗塞の影響で会話が殆どできませんが、毎日病院を訪れる奥様は、自らの生きる支えになっていると話しています。入院生活がいつまで続くのか先行きが見えないまま、行けるとこまで行くしかないのかなと話されていました。

 

延命医療を否定的に捉えるか肯定的に捉えるかは本人次第。透析療法によって社会生活が維持出来る場合と、認知症によって、自身の判断で維持するのは難しくなり、それが本人のための透析なのか考えなければならない時代になっているようです。NHKが全国の救急救命センターに行ったアンケートによると、終末期の高齢者が搬送されることについて問題があると答えたのは55%。おおいに問題があると答えたのは31%。家族の誰もがやりきれない気持ちになるという意見も伝えられました。

 

ここ数年に医学会や国のガイドラインは延命医療の中止に関するガイドラインを相次いで発表しているそうです。終末期の患者に対し、本人の意思を尊重、家族などとよく話し合い、医療チームでも検討され、不開始や中止が可能となっているようです。

 

そんな中、延命医療の中止という選択肢により、重い問いに直面する家族が紹介されました。救急医療の現場では、ガイドラインに沿って人工呼吸器を外す選択肢を示すところも出てきているとのこと。意識の戻る可能性が極めて低い患者の家族は、延命医療は望まない決断をしました。抜管から1時間後、患者は息を引き取ります。辛い時間が流れました。

 

救急救命センターへのアンケートによると、生命維持装置の中止という選択肢を示しているのは、117施設のうち46施設。現場の医師からは、死を人ごとだと思っている日本人が大部分で、急変時にどうしていいか分からないケースが多いという声が上がっているそうです。どのような最期を迎えたいかについて、患者のAさんは病院からの事前指示書に、重度の認知症になった場合は透析を希望しないと記しました。奥様に重い負担を掛ける前に、人生の終わり方を自分で決めたいと考えたのです。しかし、奥様は一日でも長生きして欲しいと願っています・・・。

 

最近では、アドバンス・ケア・プランニング(ACP)という取り組みが始まっているそうです。ACPでは第三者が患者や家族と対話を重ね、生かすか殺すかではなくて、患者自身が最期に望む医療を共に考えていきます。番組に登場された医師は、介護スタッフらと勉強会を開き、取り組みの担い手を、医師以外にも広げようとしていました。認知症などで本人の意思を確かめられない場合、家族との過去の思い出や介護スタッフの話から、本人がどのような最期を迎えたいと考えていたか、本人の希望を探っていくのです。夫婦で考えに違いがある場合などは、溝を埋めてくれる役目の人が必要だとも話されていました。

 

1年前から夫が人工透析を受けているという夫妻は、病院からの事前指示書に初めて向き合い、人生の最期を考える中で、今を生きる大切さを感じるようになったと話されていました。

 

【人生100年時代を生きる】・・・。健康な状態で死の直前まで、自分の意志を持って生きられるのなら良いのですが、医療技術の進歩によって自分の意志が伝えられなくなっても、生かされるという現実を迎えてしまったらと思うと、様々な事を考えさせられてしまいます。自分の考えだけでなく、「こんな形で死なせたくない」という家族の思いや、「今はまだ、生きていて欲しい」そんな家族の思いまで考えていくと、個人の死であっても、家族で話し合っておくことも大切なことなのかもしれませんね。それは、結局、どう死ぬかではなくて、どう生きていくのかに繋がっていくものかもしれないことを教えられた気がします。

 

 

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【人生100年時代を生きる】『第1回 終の住処はどこに』を観て

2018-12-14 NEW!

 

NHKスペシャル【人生100年時代を生きる】『第1回 終の住処はどこに』…人生100年時代を迎える日本が抱える課題を見つめ、解決の糸口を探るシリーズご覧になられましたか?3年前に父を看取り、現在も母親を介護する、作家の阿川佐和子さんとともに、2日連続で放送されましたが、1回目のテーマは、お年寄りが安心して暮らすための『終(つい)の住処(すみか)』についてでした。

 

比較的安く手厚い介護が受けられる「特別養護老人ホーム(特養)」の待機者が30万人を超えるなか、国は施設の担い手を“官から民”へと転換しようとしています。その切り札として、7年前に導入されたのが、民間事業者が運営する「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)」。ところが、そんな「サービス付高齢者向け住宅」では、終の住処からの退去をお願いするケースが増えているという話。

 

要介護者の数は2015年には620万人、そして2035年には960万人に増える見込みで、終の住処が大幅に不足するとみられていますが、軽度の要介護者の受け皿にしようと、国が規制緩和をし、多額の補助金を投入して整備を推し進めているにもかかわらず、現場では、様々な矛盾が吹き出していました。要介護度は低くても勝手に施設を出て徘徊してしまう“動き回る認知症高齢者”を数多く抱え、対応に追われる施設が限界を迎えると、退去をお願いするしかなくなってしまうというのです。

 

特別養護老人ホームは要介護3以上の人しか入所できず、サ高住は要介護度が低い人の受け皿として期待されていたのですが、サ高住の法律上の位置づけは住宅となっており、部屋は個室で職員が安否確認などを行っていかなくてはなりません。番組に登場していた幻覚に襲われて職員を呼び出す老人は、要介護2と、介護度は低く、本来介護の手間がかからないと思われていましたが、認知症で身体の自由が効くひとは、かえって負担が大きくなってしまうという困った状態。

 

NHKの調査では、サ高住に入居する認知症の割合が55%にものぼることが分かってきたのです。にも拘らず、国の職員配置基準は日中少なくとも1人となっており、必要と思われる人数を配置していこうとすると経営が大きく圧迫されてしまうという展開で、1人にかかる負担は信じられないほどになっており、それに伴って、そこで暮らす老人の命の危険も増してしまっているのです。サービス付き高齢者向け住宅での事故は昨年度3,334件発生し、死亡が179件だったととのこと・・・。

 

認知症の発症率を示したデータでは85歳以上の人が5割を占めていました。登場されていた先生によると「認知症の高齢者は要介護認定の結果が軽く出る傾向にある。要介護認定の結果が軽く出ると訪問ヘルパーの回数も減る」と指摘されていました。要介護度が高い高齢者を中心に受け入れているサ高住では、赤字経営から抜け出すため要介護度が高い人を集める方針を打ち出したりもしています。

 

NHKのアンケート調査でも「要介護度が低いことを理由に入居を断らざるを得ない」という声が寄せられているとか…。阿川さんは「介護難民が出てきたって感じ」とコメントしていました。要介護度が低くなると事を喜べない矛盾が起こっており、厚生労働省の方も「現場の介護者の負担、手間のかかり具合。要介護認定で反映するというのは大事だと思っている。介護給付費を検討する審議会で検討していきたい」と説明していましたが、どこまでできるやら・・・。

 

そんな中、要介護度を改善する取り組みを行っているサ高住がありました。要介護度が改善すると介護報酬は減りサ高住の収入は減ってしまうのですが、そのサ高住では1月の料金を一般的な額より3万円高く設定することで、改善策を積極的に取り入れていたのです。60室は満室になり、なんとか採算がとれているようでした。入居者で94歳の方は医師から歩くことは難しいと告げられていたが、ここでリハビリを始めて半年…短い期間なら杖を使って歩けるようにまでなったのです。

 

利用者のニーズに答えようと特色を打ち出すサ高住として、看護師の資格をもつ職員が常駐し、医療処置を行っているところがあげられていました。特別養護老人ホームと比べれば人手も少なくリスクもあるため入居を希望する人にリスクがあることを、あえて伝えるようにもしていました。

 

阿川さんは「これだけ施設が出来てくるとマンション探しと同じように、元気なうちにあちこちを見て回る」と先生から教えられたことを教えてくれました。高野准教授は「アメリカでは老人ホームの介護の質を誰にでも分かる形で公表している。日本でも情報を公的機関が収集をしてその情報提供は必要と思う」と説明されていました。

 

阿川さんは「介護する側の都合で制度をつくるのではなく、介護される側の気持ちを入念に拾っていくことをしていかないといけないと思う」とまとめられました。『年を取って豊かな生活なんて、そもそも無理。身体は自由が効かなくなり、収入もなくなり…』と厳しい現実が話されていました。

 

長生きを喜んで迎える為には【健康な体】と【生活を支えてくれる収入】や【環境】…そんな、揃って欲しい条件が数多くあります。それが全て満たされるなんてことは、なかなかないんだということを、確かに受け止めて、これからの生き方について考えなければならないのでしょうねぇ・・・

 

エンディングノートについて、以前も考えていかなければと話しましたが、シリーズ第2回では、これについても考えさせられる回となっていました。続きは、次回のブログにて・・・
 

 

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災害に強く、安定供給可能な野菜で、農業に革命を!!

2018-12-11 NEW!

 

1月27日放送のガイアの夜明け『追跡!日の丸プロジェクト②「稼げる!驚きの"野菜"革命」』の回、ご覧になられましたか?

 

早いもので師走を迎えていますが、今年の夏は、命に危険が及ぶほどの猛暑、これでもかと連続してやってきた台風。年間通しても、終わる事のない地震など、自然の脅威に晒された日本でした。自然災害の影響を受けやすい農業も、水不足などで大きな被害を受け、悲しいかな野菜の価格も高騰し、買わずに我慢する事の出来ない物だけに、消費者にも影響が広がりました。

 

予想外の自然災害に加えて、農業は、担い手の高齢化、後継者不足、耕作放棄地の増加も深刻化しています。それらの問題を一気に解決しようというプロジェクトが今、動き出しているというのが今回のお話。「災害に強く」て、「作物の安定供給」が可能。更に、消費者には「安い野菜」が提供できて、「誰でも簡単に稼げる」という夢のような取り組みです。

 

今回の主役は、福岡県に拠点を置く「グリーンリバーホールディングス」という、建設現場の足場から新幹線の工事まで手がけるベンチャー企業。2012年に太陽光発電所建設に参入し、独自の特許工法で九州のメガソーラー施工のなんと4割のシェアを持つと言います。グリーンリバー・社長の長瀬さんは「太陽光事業は建設して終わり」「発電したエネルギーも都会へ送られる」と、地元の安定的な雇用につながり、地方が活性化できる事業を模索していました。

 

そこで建設のノウハウを生かしてIoTを駆使した「スマートハウス」を開発。葉物野菜ならなんでも効率的に栽培できる方法を確立したのです。去年9月からは、岩手県八幡平市の放棄されたビニールハウス100棟を再生し、作物の栽培をスタート。大手スーパーや「俺のイタリアン」などの飲食店にも少しずつ供給を始めるまでに育っています。このノウハウをビジネスモデルとして全国に展開することが社長の目標でした。

 

7月、社長の長瀬さんは、福岡県久留米市にある5,000平米の耕作放棄地に4棟の「スマートハウス」を建設。農業経験「ゼロ」の企業を訪ねては「作物の管理はほぼ全て、グリーンリバーが担当。農業に参入する人は、日常的な作業と収穫作業をこなせばいいだけ」と参加を呼びかけました。「1日5時間程度働いて、しかも週休2日」も売り文句。「きつい、汚い、儲からない」というこれまでの農業のマイナスイメージを、一変させようというのです。

 

興味を示したのが、地元の建設会社や農業資材販売会社。将来の事業展開に悩んでいましたが、新しい収益の柱を打ち立てられずにいた企業です。“素人”企業を巻き込んで、いよいよ作物の栽培がスタート。想定外の環境から、ダニの被害を受けてしまうなどのトラブルもありましたが、なんとか対策を講じる事も出来、無事軌道に乗っていきます。

 

これまでの安定供給できる水耕栽培は、照明を当てて水平の環境で育成していた為に、コストが掛かる割に大量に生産する事が出来ず、できた農産物も値段が高くなってしまうという欠点がありました。

 

しかし、今回の「スマートハウス」は縦型水耕栽培農法を用いて、太陽の光で育て、水平ではなく縦に配置された野菜のマンションの様な環境で収穫も簡単。労働の軽減によるビニールハウスの高収益化が図れ、クラウドでビニールハウス内の環境制御を行う栽培管理システムまで導入されることで、新規就農者のスタートアップが支援されるのです。

 

「きつい、汚い、儲からない」・・・そんなイメージを覆して、誰にも優しい農業が生まれれば、耕作放棄地に困っている人も、消費者も大助かりですよね。今後も注目したい取り組みです!!
 

 

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地元と共に盛り上げていく下町チャレンジ!!

2018-12-6 NEW!

 

11月13日放送の【ガイアの夜明け】『シリーズ「東京新名所ウォーズ」第4弾~上野、深川 下町チャレンジ!』の回、ご覧になられましたか?オリンピック開催を2020年に控え、今、東京の街が各所で変貌を遂げています。そして、その波が下町エリアにも及び、活性化し始めているとのこと。古き良き伝統が受け継がれる一方、新たな試みの店やホテルが続々と登場し、地元の人とコラボして地元と共に盛り上げていくというのが今回のお話でした。

 

東京はご存知『上野』。アメ横に上野動物園、三菱財閥を創業した岩崎家の旧岩崎邸庭園に、世界遺産の国立西洋美術館などもある「観光資源の宝庫」です。ところが、何故か「宿泊して滞在を楽しむ地」として認識されて来なかったため、高級ホテルは少なく通過されてしまう勿体なさ…。

 

そんな上野でホテル事業に乗り出したのが、不動産大手の野村不動産でした。「プラウド」シリーズなどの高級マンションで有名ですが、ホテルを手がけるのは今回が初めてだそうです。目指すのは“上野のディープな魅力を伝える”ホテル。そこで、現場を任された中村さんが注目したのは、地元の伝統工芸でした。

 

実は、上野は代々続く工房が軒を連ねる、知られざる「職人の町」。中村さんは2年かけて工房をまわり、ホテルの装飾品や備品の製作を依頼。ホテルが宿泊客と職人を繋ぐことで、地元の産業を盛り上げるのが狙いとのこと。しかし、ホテルが求めるものと職人の拘りが食い違う事も多く、意見が衝突してしまうことも多かったようです。また、ホテルの要であるサービス面でも、接客スタッフたちの勉強不足で、職人が製作した作品への理解が不足していた為、その「こだわり」をきちんと宿泊客に伝えることはできるのか…不安はつのるばかりでした。

 

そこで中村さんが行ったのが、スタッフを連れての職人の工房見学。職人技を目の当たりにしていく事で、お互いに理解を深め、良い流れに変えていったのです。ホテルがオープンして宿泊客が職人の工芸品に触れると、その工芸品に触れたお客が、工芸品の購入を目的に工房を訪れるという映像が流されていました。地元とホテルの連携、素敵な流れでした。

 

東京は下町の代表格『深川』。富岡八幡宮をはじめとする江戸情緒が残り、風情溢れる居酒屋が軒を連ねる下町です。そこに、一際盛り上がっている店が、2年前にオープンした「深川ワイナリー東京」。その名の通り、店の隣でワインの醸造を行っていました。 深川を“ワイン”で盛り上げようと始めたのが、中本さん。

 

そんな中本さんが更なる展開の舞台にと目を付けたのが、地元の老舗スーパー「赤札堂」の屋上でした。かつては遊具コーナーなどがあり子どもたちで賑わっていたそうですが、少子化もあり今は使われていません。そこに、ビアガーデンならぬ“ワインガーデン”をオープンしようというのです。

 

今回は、店で出されるメニューを「赤札堂で実際に購入できる食材」で作るという仕掛けを盛り込んでいます。店を訪れたお客が、食材を気に入ってくれたなら、帰りに赤札堂で買い物をして帰ってもらう…ワインガーデンとスーパーの相乗効果を狙った作戦です。こういうのって実演販売と同じで、欲しくなってしまうんですよねぇ…。

 

また、自分のお店だけでなく、他の志ある業態も巻き込んだお祭りの屋台群のような形にして、ワインだけでなく色々な飲食が楽しめる場所をも目指していました。会社帰りや、お休みの日のお食事に…また、美味しいものがあれば帰りにスーパーで買って帰る…物語ができているのでうまく行かない訳がないですよね。

 

今回紹介された2つケースは「東京の下町」というお話でしたが、こんな展開、他でもうまく行くのではないでしょうか。こんな場所、もっと増殖して欲しいものです!! 

 

 

 

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親子2代の拘りが奇跡となった南蛮BACKEN

2018-12-4 NEW!

 

11月29日放送のカンブリア宮殿『絶品スイーツを陰で支える魔法のオーブン!倒産を乗り越え生み出した"大逆転ものづくり"』の回、ご覧になられましたか?エス・コヤマ、ツマガリ、きのとや等…全国屈指の有名菓子店の御用達となっているオーブンが、今回の主役、福岡県にある七洋製作所が作り上げたオーブン「南蛮バッケン」。

 

価格は他社製品の2.5倍と高価ですが、「驚くほど"しっとり&ふっくら"と焼き上がる」と全国のパティシエたちが憧れる窯なんだそうです。多くのパティシエに支持される最大の理由は、窯の中の温度を一定に保つ驚異的な密閉性と、電気ヒーターをコンピュータで制御し、正確に焼成していくことが可能な点にあります。

 

更に、職人が一度手動で焼き上げると、その温度変化を完全に記憶し、次から全自動で微妙な焼き加減を再現してくれるというのですから大したものです。関西の超人気店エス・コヤマでは、この「南蛮窯・バッケン」を7台も導入し、圧倒的な柔らかさで、有名な「小山ロール」を作り、「クリームは他でマネできても包んでいるパンケーキの部分は他では味わえない」と客を魅了しています。

 

そんな七洋製作所の品揃えは、いまや大量生産向けの巨大なものから、家庭でも使える小型オーブンまで様々。家庭用は50万円からと、かなりお高めではあるものの、こだわりの主婦なら、旦那様がお祝いで買ってあげようものなら、虐げられてきた旦那様も、きっと神の様に崇めて頂けるのでは・・・

 

七洋製作所の前身は、現社長の父・善次が1950年に創業したせんべいの製造販売を生業とする内山商店。ある時、善次は、順調に拡大していたせんべいメーカーから機械メーカーに転身してしまいます。しかし、その経営は厳しく、会社は2度の倒産に見舞われてしまいます。そんな中で善次は最後の望みをかけ、せんべいメーカーで培った「火」のノウハウを駆使した、今までにない菓子の焼き窯の開発に没頭し、密閉性の高い「南蛮窯」を完成させていったのです。

 

ところが、南蛮窯を完成させた善次は、病に倒れてしまいます。そんな父の南蛮窯を受け継いだのが、20代の息子で現社長の素行さんでした。素行さんは、南蛮窯を売り込むために、火の調整が難しい“カステラの製造”に目を付け、カステラを自動で焼ける窯として、トラックで全国を巡って実演会を開催するなど猛烈な営業を仕掛けていきます。実際に購入したお店の人は、目の前で見事なカステラが焼きあがった事に衝撃を受け、購入を決めたと話されていました。

 

素行さんは、甘んじることなく有名パティシエに通い詰め、必死で改良を重ね、これまでにない、絶品を生み出す魔法のオーブンを、父親の意志を継いで作り上げていったのです。家業をせんべいメーカーから機械メーカーに変貌させた父と、父親の"魔法の窯"を信じて改良し、"しっとり&ふんわり"焼き上げる「南蛮窯」に進化させた2代目の【感動を呼ぶ親子2代のタッグ】があったからこそ出来上がった「絶品を生む魔法のオーブン」。素敵な話ではありませんか。

 

また、七洋製作所は、窯を買ってくれた店を「儲けさせる」ことにも、拘ってきました。例えば、店を繁盛させるための「南蛮塾」という勉強会を開催するなど、様々な分野で購入店をサポートしているのです。最近では、「菓子の生地も提供してほしい」との要望を受け、手軽に美味しく焼ける“焼き菓子の生地”や“ケーキの冷凍生地”まで作り、窯を買ってくれた店を支援しているそうです。

 

こうした購入店を支援する七洋製作所の噂を聞きつけ、いまやパン業界からもラブコールがかかり、これまでに無い「魔法のパン焼きオーブン」まで生み出しています。社長の金言は「他より3倍高くても そこに価値があれば売れる」ということでしたが、「良いものを作ると、一生ものになってしまうために、再購入してもらえない」とこぼすシーンもあり、それでも・・・だからこそ開発に力を入れている七洋製作所。

 

作り上げた製品の名前に「BACKEN」「ZEN」「SEVEN」「OCEAN」と名前の最後にNが付くのは「”運”が付く」からと笑顔で語る素行さん。お菓子もパンも作った事のない人がここまでの事を成し遂げてしまうのですから、拘りが奇跡を産むこともあるんだなぁと思ったのでありました。

 

うちの家内にも家庭用オーブンを買って、少しは優しくして貰いたいとも思うのですが…現状では宝くじでも当たらない限り、お小遣いだけでは到底無理なお話でして・・・。また、万が一、奥様から逆に要求されてしまった場合は、「プティ・バッケンの使用には200Vの電源が必要みたいだから、うちでは難しいよ」と言い訳の準備まで考えたりして(^ ^;)・・・。ただ、「思い切って購入して、お店をやろう!」なんて安易な考えは、控えた方が良いですよ。心・志あっての商売ですからねぇ。
 

 

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描き手と書き手と編集者が産み出した奇跡の漫画「北斗の拳」

2018-11-30 NEW!

 
11月20日放送のアナザーストーリーズ「“北斗の拳”誕生~舞台裏のもう一つの“格闘”~」の回、ご覧になられましたか?

 

漫画「北斗の拳」は、少年ジャンプに連載された格闘漫画で、アニメ化もされ、その人気は社会現象にもなりました。私はアニメで見ていた側ですが、人生が変わるほど心を揺さぶられたという人も少なくないと言われるほど、迫力あるタッチとユニークな雄叫び、そして名セリフの数々が、そこにはありました。多くの読者を惹きつけた陰には、伝説的な編集者・堀江信彦の力も…。いつもの様に、3つの視点から名作漫画誕生の舞台裏に迫るアナザーストーリーでした。

 

21歳の無名な漫画家の隠れた才能を見抜いたのは、編集者の堀江信彦でした。子供の頃から絵が得意だけど物語を作るのが苦手だった原は、イラストかマンガで生計を立てようと漫画家を志し、堀江のもとを訪ねたのです。原は、堀江から漫画家のアシスタントの仕事を紹介され、腕を磨き、読み切り漫画を発表して賞をもらうまでになっていきます。

 

やがて原は、ブルースリーと松田優作への強い憧れから、中国拳法のマンガを描きたいと希望しますが、堀江からは当時ブームになり始めていたモトクロスのマンガを描くように薦められ「銀のドンキホーテ」で初めての連載にチャレンジしました。ところが、人気が出ず、僅か10回で連載打ち切り。連載打ち切りを決断したのは堀江でした。通常なら、連載打ち切りは漫画家生命を絶たれるようなもの…。

 

原は、今度こそは、自分が一番描きたい中国拳法のマンガで起死回生を図りたいと願い、読み切りマンガで「北斗の拳」を発表します。そして、見事、人気投票で1位を取っていくのです。読み切りでは高校生だった主人公でしたが、半年後にはお馴染みの設定で「北斗の拳」の新連載がスタートしていくのです。

 

鬼の編集者・堀江は、原にマンガを描くことに集中させるために、描く側とストーリーを考える側で分業させる事を思いつき、原作を武論尊(ブロンソン)に依頼していきます。武論尊という名前もユニークですが、面白い人物で、航空自衛隊で7年務めたあと、そこで知り合った漫画家・本宮ひろしの所に転がり込んで殆ど仕事もせず、場を笑わせては和ませる事をメインとして生活していました。そんな、漫画を描くことが苦手だった武論尊に対して、堀江はマンガ「北斗の拳」の原作者の仕事を勧めたのです。

 

武論尊は、映画「マッドマックス」の主人公のようなイメージで拳法の達人を格闘させるストーリーを作り上げていきます。そんな武論尊が、原の仕上げたマンガを見て、自分のイメージを超越した絵の迫力に圧倒されたと言います。武論尊は、「負けてはいられない!」とストーリーや新たなキャラクター作り、決め台詞に力が入っていきます。

 

編集者として、堀江は原と武論尊の良いところを引き出していきました。この堀江さんなくして名作「北斗の拳」は生まれなかったと言っても過言ではないのですが…正直、いじめではないかと思われるくらいの接し方だったような気もして、視聴しながら「酷いな、こいつ」と思わず口にしてしまったほど。

 

それでも堀江の連載期間中は、二人を会わせず、全て間に入って調整という流れが、互い互いの仕事をリスペクトしながら更に良い物を産み出していくという展開に繋がっていたのです。原の考えた妙な「雄叫び」、武論尊の考えた「名セリフ」いくつかご紹介しておきましょうか・・・

 

まずは「雄叫び」・・・
「あべし!」「うわらば」「ひでぶ」「あたたたたーーっ!!」「ひょげえべべべ」「なにをばら」・・・
本当に変な雄叫びばかりですが、他の作者にも「シェー」とか変わったものがあったから、色々考えるのも楽しみだったような・・・。

 

そして、武論尊の考えた「名セリフ」・・・
「お前は もう死んでいる!」「わが生涯に一片の悔いなし!!」「何人の命を助けることができるのか。それが、俺の生きていたという証だ!!」「いつか必ず明るい明日がくるって...
そう信じて生きてきたじゃないの。最後の最後まであきらめちゃだめ!!」

 

そんな、魅力満載だった「北斗の拳」で人生が変わった人たちが、番組の最後で紹介されていました。思えば当時、私の周りのあちこちで、何かある度に、この名セリフが口にされていましたっけ・・・。「わが生涯に一片の悔いなし!!」・・・そんな生き方、憧れますねぇ・・・。

 

 

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どんな困難の中でも、幸せを見つけられる

2018-11-28 NEW!

 

11月20日放送のNHKスペシャル「自閉症の君が教えてくれたこと」ご覧になられた方は居られますか?重度の自閉症である東田直樹さんは、人と会話をすることはできませんが、なぜか、文字盤を使えば豊かな表現力を発揮することができます。勿論、世界的にもまれな存在です。24歳になり、プロの作家となった東田さんは、自閉症のみならず、様々なハンディを抱える人たちがどう幸せを見つけていけばいいのか、エッセイや小説を書いています。今回の番組は、そんな東田さんを2年前に取材した番組「君が僕の息子について教えてくれたこと」の続編となります。

 

前回の番組が、芸術祭ドキュメンタリー部門大賞を受賞した10日後、番組ディレクターである丸山拓也さんはガンと診断されました。丸山さんが、がんと診断された当時は、肺や肝臓にも転移し、5年生存率は5割以下という厳しい状況だったそうですが、大量の抗がん剤と手術を行い、1年間の闘病を経て、何とか職場復帰を果たすことが出来ていました。しかし、今も治療の後遺症や再発の恐怖に苦しんでいるんだとか…。もう体力勝負のテレビのディレクターはやめた方がいいのか、家族と静かに暮らした方がいいのか、色々な不安が頭をよぎったそうです。

 

自身の病気とどう折り合いをつけて生きていけばいいのか、これからどんな人生が待っているのか、大きな不安に囚われたときに、2年前に取材した東田さんの姿をもう一度見つめ直したいと思ったそうです。病院のベッドでも、丸山さんはしばしば東田さんの本を読み励まされたんだとか。自閉症というハンディを自分の強さに変えた東田さんから、ディレクターである丸山さん自身が沢山のことを学べるのではないか、そしてそれは、生きづらさを抱える多くの人にとっても普遍的なメッセージになるのではないかと考え、続編の制作に繋がったのです。

 

遡る事2年前…13歳の時に書いたエッセイが、同じ自閉症の息子を持つ、アイルランド在住の高名な作家デビッド・ミッチェル氏の目にとまり、翻訳され、世界30カ国でベストセラーとなりました。『なぜ、自閉症の人が、パニックを起こしたり頭を机に打ち付けるのか?』その答えが、その本にはあったとデビットさんは話されていました。東田さんは謎に包まれた自閉症の世界を明かし、世界に衝撃を与えたのです。

 

東田さんは、圧倒的な言葉の力を持っている人でした。人と直接、会話することがない分だけ、自分の頭の中で様々な出来事をどう捉えるか、自問自答を繰り返してきました。その過程の中から生まれた言葉は鮮烈です。番組の中では、作家のデビットさんや、ディレクターの丸山さんからの質問に対して、明確に突き刺さる様に答えていきます。丸山さんが、親やお婆さんよりも早く死ぬかもしれない…命を繋げないのではないか…不安になって質問すれば・・・

 

「僕は命というものは大切だからこそ、繋ぐものではなく、完結するものだと考えている。命が繋ぐものであるなら、繋げなくなった人は、どうなるのだろう。バトンを握りしめて泣いているのか、途方にくれているのか。それを思うだけで、僕は悲しい気持ちになる。人生を生き切る。残された人は、その姿を見て、自分の人生を生き続ける」…と、直樹さん自身の孤独な決意が力強く綴られていました。

 

「夢から覚めて、いつもと変わらない朝に感謝することから、僕の一日は始まります。」そう話す東田さんは、以前、夢で健常者の自分の夢を見て、目覚めて悲しくなっていたけれど、今は、夢の中でも自閉症の自分として登場するようになったんだとか。そう言えば、昔、似た言葉を耳にしたことがありました。その人は重い病を患っていた方で、寝ている間に命を失う事も十分考えられる方。その人が言っていた言葉も、「朝、目覚めて、自分の命が途絶えず朝を迎えられたことに涙し、感謝する事から一日が始まる」というものでした。

 

13才の自分に送る言葉を尋ねられると
「”ありのままで良い”と思っていましたが、人生は短い…。辛すぎるときに、”ありのまま”とは言えない…。だから、”君が乗っているブランコもいつかは止まる。それまで一生懸命こぎ続ければ、同じ景色も違って見える”と僕は教えてあげたい」そんな風に答えていました。

 

“価値観”についても色々と教えてくれました。病気を持っている本人と、周りの人の価値観は同じではなく、押し付けてはいけない。認知症のお婆さんの気持ちを勝手に分かろうとしていた自身の思い込みについても、不幸だと決めつけていた自分に気づいていきます。認知症でも”優しさは変わっていない”悩むのは本人以上に周囲の人々なのかも知れないと…。

 

番組の最後では、ガンになった丸山さんが言葉を求めると東田さんは、こう話されました…

 

【人はどんな困難をかかえていても、幸せを見つけ、生きることができる】

 

生きづらさを抱える多くの人にとって、普遍的なメッセージになるのではないかと考えていたディレクターの丸山さん。期待通りの言葉が、そこにはあった気がします。私みたいなオヤジですら、その言葉を聞いた瞬間、ゾクゾクっと鳥肌がたつほど感動してしまうのですから・・・。せっかくなので、以下、東田さんの著書を是非読んでみたいという方へ・・・

 

『自閉というぼくの世界』(エスコアール出版部刊)
『この地球にすんでいる僕の仲間たちへ』(エスコアール出版部刊)
『自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール出版部刊)のち角川文庫
『自閉症の僕たちが残してきた言葉たち』(エスコアール出版部刊)
『ヘンテコリン』(エスコアール出版部刊)
『続・自閉症の僕が跳びはねる理由』(エスコアール出版部刊)のち角川文庫
『あるがままに自閉症です 東田直樹の見つめる世界』(エスコアール出版部刊)
童話『勇気はおいしいはず』(小学館)
詩集『みんなの知らない海の音』(朝日新聞社)
童話『きらんきらん・赤い実』(小学館)
絵本『きかんしゃ カンスケ』(交通新聞社)
絵本『カンスケとあかいはっぱ』(交通新聞社)
絵本『カンスケとカタツムリくん』(交通新聞社)
絵本『カンスケとゆきこちゃん』(交通新聞社)
絵本『カンスケのクリスマス』(交通新聞社)
エッセイ『風になる』(ビッグイシュー日本)
『跳びはねる思考』(イースト・プレス)
詩集『ありがとうは僕の耳にこだまする』(株式会社KADOkAWA)
・・・・・

 

私には、統合失調症の甥っ子がいます。病気は違うけれど、東田さんの本・・・読んでみます。


 

 

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小さなイノベーションが大きな力になっていたJR東日本

2018-11-22 NEW!

 

さてさて前回の続き…「世界最大の鉄道会社JR東日本 その2」になりますが、今日は、10月25日放送の「JR東日本 第2弾!客に愛され、地域に愛されるポッポ屋へ!」の回から書かせて頂きますね。

 

国鉄と呼ばれていた時代…「駅の物販」と言えば、キオスクで売る会社員向け新聞・雑誌や牛乳・ガム等が一般的でしたが、今の駅構内には、女性が大好きな最新のスイーツからおしゃれな雑貨まで、デパートと見まがうような魅力ある店舗が並んでいます。駅での退屈だった待ち合わせ時間も、今では、色々なお店の中を覗いているだけでも充分過ごせてしまうほど…。

 

乗換駅にしても、ただ通過してしまうには勿体ない気さえしてしまいます。そんな駅の常識を変えたのが、JR東日本の駅ナカを作り上げてきた「エキュート」の女性チーム。立ち食い蕎麦等、男性中心の世界だった駅構内だったからこそ、女性をトップにして改革を行ったそうです。

 

一方、かつて鉄道会社のお荷物として切り捨てられてきた地方の赤字ローカル線でも常識破りの取り組みが行われてきました。民営化以後のJR東日本では、不採算の地方路線を地域住民とタッグを組み、魅力ある観光路線に変え、路線を維持してきたのです。危機に瀕するローカル線があれば、廃止ではなく、復活させるために観光列車を投入。

 

地元の人も、やってくる車両に「感謝を込めてお迎え」と旗をふる光景。1997年五能線「リゾートしらかみ」…廃止寸前だったローカル線は、日本で一番人気のローカル線となっていました。海岸線ギリギリを走る絶景と、地元ならではのサプライズは、地域の人と相談を重ねながら生まれていった観光列車だったそうです。

 

そんなこんなで、今や20種類もの地域色豊かな観光列車が、路線の維持だけでなく、地域再生にまで貢献しているといいます。景色の良い「リゾートしらかみ」それに超豪華な「TRAIN SUITE 四季島」…電車ならではの景色と共にゆっくり流れる時間を、生きているうちに夫婦で体験できたら良いなぁとの憧れさえ・・・

 

忘れもしない東日本大震災…あの時、営業中の新幹線は一本たりとも脱線することはありませんでした。近年、JR東日本が力を入れているのが、安全への投資なのです。2019年までの5年間で、その額は、実に1兆円とのこと。更に、管内80箇所で運転士向けに配備を進めるのが事故シミュレーター。また、運行中でもレールの異常を検出できる特殊センサー車両も導入を進めているそうです。

 

極め付けは、インパクトのある教訓となろう「過去に事故を起こした車両」を展示した「社員向けの展示館」。JR東日本が、安全関連施設に惜しげもなく資金を投じてきたのは、冨田会長が目の当たりにしてきた数々の事故経験からでした。大惨事から学び、究極に安全な鉄道を目指し、国内の鉄道事業者として圧倒的な存在感を示すJR東日本。

 

そんなJR東日本は、海外への“輸出”にも力を入れていました。インドネシアに日本の中古車両を大量に走らせ、ベテラン社員が現地スタッフに保守点検技術を伝承する取り組みがあれば、イギリスでは、正確で安全な鉄道運行システムを現地の鉄道に提供。さらに、駅弁文化まで発信して、日本の鉄道の魅力を伝えようとしています。国鉄時代では絶対にありえなかった展開です。

 

社長の金言

 

  「小さなイノベーションが大きな力になる」

 

            心に残る、説得力のある言葉でした。
 

 

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